【ご相談】創作のために自分のやりたいことをやるには?―遠慮は無用。心の求めるままに進んで―
大変ご無沙汰しております。
‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
大変ご無沙汰していたのですが、ご無沙汰のお話はまたす今度するとして、本日は、LINE公式にいただいたご相談にお答えします。
【ご相談】創作のために自分のやりたいことをやる、=自己肯定感を上げたいのですが、どうすればいいでしょうか?
創作のために自分のやりたいことをやる、=自己肯定感を上げたいのですが、どうすればいいでしょうか?
全体的には前よりも自己肯定感は上がっていて、だからこそ「なぜこの場面では自分らしさがわからないんだろう?」という感覚が出てきました。
自己肯定感上がったな、と感じるのは仕事でも嫌なことを引き受けて溜め込むことはなくなってきたし、仕事柄、人生の節目を迎える人との関わりがあり「私からするとキラキラしてることが、この人たちにとっては普通なんだ!」と目から鱗だったり、職場内でも自分を出したほうが普通に受け入れられたり。カウンセラーさんからすると順調ですね〜ってなると思います。
前までは「こんなことにお金かけても…」って他人の価値観で我慢してたことにお金かけまくってますし、消費を自分に許していてとても楽しいです。自分のお金で好きなことをしていると、生きてる!って思います。笑
これまで他人を優先する癖がついていたので一旦人間関係をリセットして、今まで出したことのない新しい自分(元々の自分?)で生き直していて、でもそれは普通の人からしたら「自分の好きにするなんて当たり前のことだよ!」って言われることなので、とはいえ私にとっては新しいことなので全てが手探りで、「私本当はこんなことがずっとしたかったんだ」と気づいては感動しています。
抑圧については家が美大出身ばかりで小さい頃から絵を描いたりピアノを習ったり、素地は良いと自分でも思うのですが周囲の大人に恵まれず今まで芸術活動、創作に対してこれだという自己を確立できていませんでした。
大人から嫉妬されて誉められないどころか否定されるなんて当たり前で、とても苦しい環境でした。あれがなければ今頃どんな人生だったのかな、とぼんやり思いますし、子どもだったからこそ今でも負い目を感じていると思います。
今までも絵で賞を取ると思えば戦略的に漫画賞を取ったこともあるのですが、そこからの闘争心がなく、「なんか違う…」と離れたり、本心ではやりたくなかったけど周りから言われてなんとなく…ということばかりで、当時は熱量のある人と闘えませんでした。
今から思えばあんなに頑張ってたのにな、勿体ないな、とも思うのですが、幼少期からずっとガソリンに薪をくべて燃やす生き方をしていたので、同世代の人から「そんなに頑張らなくていいんだよ!」と言われたこともありますが、頑張らなくても許される「普通」がわからなかったし、もっと上を目指さないと否定される、褒められないと信じていたので、私はこれをやりたいからやってる!楽しい!というキラキラ感はありません。笑
あーあ、しんど、生きるのつら、という感覚でやっていたので、執着が薄くなると「本当はこれやりたくなかったんだな」と手放すことばかりでした。
他人の人生では自分には何も残らないと気付き、自分を中心に世界を作っていきたいと思うようになりました。
自分の人生の目的を考えなくても知っているような、そうなれればいいなと思います。
ずっと創作の世界に関わって生きられたら幸せですし、おしゃれや美味しいもの、旅行も好きですが、漫画や小説、映画など創作の物語やキャラクターの存在がないと心がカッサカサになってしまいます。常に感動していたいというか、綺麗だったり愛しい「理想の人間らしいもの」に触れると心が満たされます…。
ある方から「創作の話するととても良い表情しますね!本当に大好きなんですね、初めからその話題を振っておけばよかった!」と言われるくらいキラキラしているみたいで、自分ではわからないのですが、そうなのかなーと実感がありません。
結婚や今後どこに住むか?など現実的な課題もありますが、今まで通り頭で考えて大人のふりをし続けるよりもまず自分に正直になってみよう、他人から何を思われても好きなものを好きだと認めよう、と思い書かせていただきました。
心が大事な思春期のままです…。
とても長くなってしまいすみません。
よろしくお願いいたします。
Yさん
【いなこからの回答】
Yさん、このたびは、LINE公式にご相談をお寄せくださりありがとうございます(^^)
お家の方が美大卒業の方ばかりと、芸術に興味のある私にはわくわくする環境です。
でもそんな環境にあれば、それはそれで苦労もあるものなのかもしれませんね。
さて、ご相談内容は、冒頭に書かれている、
>創作のために自分のやりたいことをやる、=自己肯定感を上げたいのですが、どうすればいいでしょうか?
ということですが、
自己肯定感が上がったエピソードについて具体的に書いてくださっていますが、
>カウンセラーさんからすると順調ですね〜ってなると思います。
というおことば通り、やはり順調ですね〜と言ってしまいます。
というか、正直に言いますと、どの部分に問題を感じてらっしゃるのかが、わかりにくかったんですね。
前半で、自己肯定感が上がったエピソード、好きなことを好きなようにすることを自分に許して楽しんでおられるYさんのご様子がよくわかりました。
そして、真ん中の
>抑圧については〜
の部分からは、過去の辛かったエピソードを書いてくださっています。
ですが文面を拝見する限りでは、それも大半は、Yさんの中で「過去」となっているのかなと感じたんです。
>大人から嫉妬されて誉められないどころか否定されるなんて当たり前で、とても苦しい環境でした。あれがなければ今頃どんな人生だったのかな、とぼんやり思いますし、子どもだったからこそ今でも負い目を感じていると思います。
という部分は、今もYさんの中に痛みを残しているのかなと感じたのですが、しかし、
そのことにも気づくことができ、
>執着が薄くなると「本当はこれやりたくなかったんだな」と手放すこと
もでき、
>他人の人生では自分には何も残らないと気付き、自分を中心に世界を作っていきたいと思うように
なれた。
心に痛みはあるものの、
これは違うな。
もっとこう生きたいな。
ということがどんどんわかるようになっておられる。
だからこその前半部分のお話だと思います。
そして、最後の
>ずっと創作の世界に関わって生きられたら幸せですし〜
の部分からは、これからの希望、ビジョンといえるようなことを書いてくださっています。
Yさんが生き生きとできる好きなことがわかるし、実際にそういったことをやり始めることができているし、
やっぱり「順調ですね」と思うんですね。
それが、問題を感じてらっしゃる部分がわかりにくかった理由です。
1つ気になったのは、
>心が大事な思春期のままです…。
というところです。
この文意は、
「私は心が大事である思春期ような状態のままだ」
ということだと解釈しましたが、合っていますでしょうか?
合っているとしたら、
Yさんは、こんなに心の満足を追ってばかりの自分ではいけないと思っていらっしゃるのかなと思いました。
感動がこんなにも必要で、そんなものにばかり心を惹かれ必要とする自分は、大人としてどうなんだろう?
そう自分を咎める気持ちがどこかにあるのではないでしょうか。
自分の本当に好きなことがわかりだして、それを自分に許す世界があることを知り、少しずつ解放されていく自分を感じる一方で、
本当にこんなんでいいのか、このまま、心のままに進んでもいいのかと、ブレーキをかけてしまう、
そんな狭間にいらっしゃるのかなと感じました。
そのブレーキの正体は、嫉妬されてきた痛みや怖れかもしれないし、Yさんの中に眠る、大きなエネルギーに対する怖れなのかもしれません。
心が大事で何が悪いのでしょう。
いいじゃないですか。
ずっと創作の世界に関わって生きられたら幸せなんですよね?
創作には感動が必要です。
心が動かされるものがなければ、創作はできません。
私の心をときめかせるものを、この感動を、表現したい。
どの創作も、自分の心の中にある感動から始まります。
もしかしたら、他の人より感激屋さんで、そんな自分に戸惑ったり振り回されてしまうように感じておられるのかもしれませんが、それは、この世界の中で、創作、芸術に携わるパートの人だからです。
そういう人だから、創作ができるのだし、この世にそういう役回りで生まれたんだと思って、遠慮なく感動を追い求めてください。
この世界にその役割に生まれたのだから、遠慮なく自分したいことをすることが、この世界への貢献にもなります。
ということで、そのまま、遠慮なく、自分の心のおもむくままに進んでくださいというのが、私からのお返事です。
ずっと応援しています(^▽^)
ご相談ありがとうございました!
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▽いなこの雰囲気はこんな感じです。
「やわらかい関西弁が聞き心地よい」とのありがたいお声をいただいています(‘∀‘)
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