受け取ると云ふことはかくも難しき哉。わたしのことを好きな人がいる。
今日もきれいなお月さま。
'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり''しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
しっかり黄色く色のついた、きれいな月が出ている大阪です。
明日も晴れだなあ。
さて、今年の始めに、
今年は
「受け取る」ということをテーマにしたい
と言ってたんですね。
石井ゆかりさんの
今年の占いにも
そう書いてたし。
そこ?
で、もう年末。
1年を振り返ると、
転職したことへの
後悔とか不安は、
とりあえずだいぶ
薄らいだけど、
こと、
「受け取る」ということは、
まだその本質を
感覚的につかめていない気がします。
つかめていないことが
わかりました。
私、
たとえばほめてもらっても、
「それはこの人がやさしいから、
私をよろこばそうとして
言ってくれてるんだ。」
「仲がいいから
贔屓目で言ってくれているんだ」
と思っている節があって。
私に価値があるのではなく、
この人がやさしいだけ。
そこまで他人さんをよろこばせられるほど、
大したことできてないしな。
この人がやさしいから、
気を遣って言ってくれてるんだなと。
だから、
表面上は
「ありがとう」
と言っても、
内容は受け流す。
この人のやさしさに、
「ありがとう」
を送るだけ。
そんなところがあります。
いや、
だいぶましにはなったと思うんですけどね。
家族でもないのに、
私のことをそんなに思っている人はいない
と思ってる。
どこかで。
一方で、
家族に関しては、
「家族だから」
愛してくれる
と思っている。
それでいいやん
と思われるかもしれませんが、
結局、
「家族」という明確な関係性があるから、
愛されると思っているんです。
本当の無条件ではない。
何の関係性もない、
ただの一個人としての、
裸の自分では、
愛されない。
そう思っているということなんです。
相手に何らかの利益を与えられるか、
家族などの明確な関係性があるか。
そのどちらかの理由がないと、
愛されないと思っている。
だから、
仲のいい人からのほめことばは、
「この人はやさしいから」
「気を遣われてる」
と思って受け流すし、
家族からの愛は、
「家族だから」と、
心のどこかでノーカウント。
じゃあどの愛も入って来てないやん(笑)。
そんなことを、
カウンセラー仲間の一水みゆき に話していたら、
いなこと話していると、
価値を伝えても、
ぜんぜん受け取らずに
自分を否定するから悲しくなる。
ぜんぜん伝わらないからから、
悲しくなる
無力感を感じる
と言われました。
いなこのことが好きだから
単純に悲しいんだよ、と。
え、私が受け取らないことで、
そんなことで、
他人さんが悲しんでくれるの?
(他人さんとは、家族でもないのにという意味です)
そんなことが、
他人さんにとって、
悲しいことなの?
そんなことで、
悲しんでくれるの?
わたしのために?
ありがたいけど、
それ以上に、
不思議な気持ちがしました。
そして、
私のことが好きなのか。
好き。
好き。。。
「好き」ということばは、
価値があるとか、
魅力があるとか以上に、
すーっと入ってくるような感じがしました。
価値があるとか、
魅力があるとかの前に、
ただ好きでいてくれる。
そういうのって、素敵やん?
↑紳助風(わかる人いますか?)
何があるからとかじゃなく、
好きなんだったらしかたない。
何が?
私のことを、単純に、好きな人がいる。
好き。
好き。
受け取るということはまだわからないけど、
とりあえず、
「他人さんでも、
私のことを好きな人がいるらしい」
ということを噛みしめて、
今夜は眠ろうと思います。
今年中に「受け取る」を攻略できるのか!?
笑
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