こんなこと大したことないと思うのは、それだけあなたの中にそのすばらしい価値が、当たり前に根づいているということ。それって尊くないですか?
舞茸の正解の形態はどういうものなんだろう。
'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
聞いてください!(笑)
9月のカウンセリング、絶賛募集中です(^▽^)
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舞茸の味が好きで時々買います。
天ぷらとかすき焼きが最高だけど、どっちも1人ではしないね〜(笑)。
1つ1つの葉(?では絶対にない)が、大きくてはっきりしている方がきれいで、ついそういうのを選びたくなるんだけど、細い細かい葉(?では絶対にない)のものしかないときがあります。
たぶん味や品質には問題ないと思うのですが、なんかごちゃごちゃしてグロテスクに見えるので、ちょっと買う気が萎えてしまうんですよね。
食べればきっと同じですよね?
誰に何を聞いておる。
あるとき。
右目
「あー、右隣の右耳さんは、音をちゃんと聞けているのに、私ときたら見てばっかり。
階下の鼻さんだって、臭いを嗅ぎ分けているのに。
こんなんじゃだめだわ、私も見てばっかりじゃなく、ちゃんと音を聞き分けなきゃ。
嗅ぐ練習もまじめにやらなきゃ!」
鼻
「いやいや、見ることってすごいよ。
私にはできないもん。
右目さんは、右目さんの視野のところをしっかり見てくれてればそれでいいの。
そのままのあなたでいいんだよ。」
右目
「いや、見ることなんて大したことない。
そんなに大変じゃないし。
それより臭いを嗅ぐ方がすごいです。
私も臭い嗅いだり音を聞いたりできるように、もっと努力しないと!
何で私はそんなことができないんだろう……」
そんなことがあったとしたら、
右目で見ることが疎かになって、
その右目を持つ人間の生活に、支障が出ます。
そういうことなんですね。
どういうこと?
いきなりシュールすぎる例え話で驚かせてごめんなさい。
1人の人間が、それぞれの身体のパーツでできているように、
世界が、1人1人の人間でできていると考えると、
こんな感じで、
それぞれの人に、
それぞれの好きなこと、
得意なことがある。
それは、その人に与えられたギフトであり、
この世界の中での持ち場なんですね。
だけどこの右目さんのように、
自分のできることに価値を見出せず、
他の人のすることばかり羨んで、
向いていないこと、好きじゃないことを
無理矢理やることにばかり精を出していると、
自分の持ち場が疎かになる。
それは、自分も苦しいのと同時に、
世界の損失でもある。
その持ち場を担当できるのは、
この世界でその人だけなのだから。
自分が好きなことや得意なことって、
苦もなく自然にできたり
楽しくできたりするだけに、
そこに大きな価値があるとは気づきにくいんですね。
だけど、その価値を疎かにするということは、
そういうことなんですね。
だから、
自分の魅力を、
価値を、
今一度見つめてみよう。
受け取ろう。
それが気になるのは、
それをしたくなるのは、
それを楽しいと感じるのは、
あなただけかもしれないのだから。
こんなこと大したことないと思うのは、
それだけあなたの中にそのすばらしい価値が、
しっかりと当たり前に根づいているからなんです。
それって尊くないですか?
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