'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

ここから先はもう、自分の価値を受け取ることでしか進めないのかもしれない。

ここから先はもう、自分の価値を受け取ることでしか進めないのかもしれない。

 

 

睡眠負債はなかなか返せない。

'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

 

9月のカウンセリング、まだまだ募集中です!

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最近、睡眠リズムがめちゃくちゃです。

鶏が先か卵が先か、ですが、

眠いから、晩ごはんを食べたあとすぐ片付けできずにちょっとのつもりでゴロンとする

  ↓

とうぜん眠気が襲ってきてそのまましばらくうたた寝

  ↓

なかなか起きられず、うたた寝しては起き、の繰り返し

  ↓

結局片付け&お風呂が遅くなり、ちゃんとベッドで寝るのが遅くなる

  ↓

<次の日>

眠いから、晩ごはんを食べたあとすぐ片付けできずにちょっとのつもりでゴロンとする

の無限ループ。

 

このループを断ち切るべく、昨日は外食してさっさと寝たのに、でもなんかスッキリしない。

睡眠負債はすぐには返せないんですね(TT)

何もせずゆっくりしたいけど、こんなときに限ってやることが詰まってるんですよね、そういった自堕落な生活で、自分がやること貯めてるからなんですけど(笑)。

ということでブログの更新も滞ってごめんなさい。

書きたい気持ちはあるのにー。

今週こそは、リズム立て直し最優先で、取り戻します!

 

 

さて、私ずっと、

「今の仕事(カウンセラーじゃない今の本業と言うべき医療の仕事です)に熱中できない」

「ずっとこの仕事を続けていくのはちょっと……」

ということを、ブログ開設時からずーっと書いてます(^^;;

 

同じく仕事人の方は、

それを恥ずかしげもなくいつまでもぐちぐち言い続けるってどうなの?

ましてや医療人のくせに、そのモチベーションで患者さんに関わるってどうなの?

と不快に思われている方もいらっしゃるかもしれません。

ごめんなさいとしか言えないです。

 

15年ほど続けているこの医療の仕事、

何がいやなのかあらためて考えてみると、

この仕事にまつわる研鑽ができていない

というのが1つの大きな理由です。

 

医療に限らず、特に技術職ならみんなそうだと思いますが、資格を取ったら終わり、ではなく、常に、一生、日進月歩の新しい知識や技術を学んでいかないといけないんですよね。

それはカウンセリングも同じだけど。

 

自分でも勉強、調べ物をしたり、就業時間以外にも、研修や勉強会があったりする。

 

それが当たり前な業界だけど、この仕事への関心が薄らいでしまった中で、それだけの時間と労力をかける気力がない。

今はその時間や労力を、カウンセリングの勉強に使いたくなってる。

 

この仕事で、自己研鑽できていないということは、

自分の評価が下がるだけにとどまらず、

患者さんへの医療の質が下がってしまうということを意味するんですよね。

 

だから、どんなにモチベーションが下がっていようが、それは許されない。

だって、自分や大事な家族の体を預けるんだから、

ちょっとでも腕のいい人にみてもらいたいでしょう?

 

ちょっと今はやる気が落ちてるからとか、そんな理由で手を抜くことは許されない。

 

患者さんの健康、安全、大きく言えば命にも直結しますから。

 

 

その、

研鑽を積み続けるということが、今の自分には十分にできていない、

したいと思えていない、

というのが、1つの大きな苦痛なんです。

こんなんではだめだ、こんなモチベーションで続けているのが辛いって思うんですよね。

 

それを除けば、患者さんと接すること、日々の仕事そのものは、そこまで苦痛ではないんです。

 

 

ですがね、

この苦痛を、もう一層深いところ、

すなわち、「愛の視点」から見ると、

このことがそんなに苦痛ということは、

それだけ、患者さんにいいものを与えたいと思っている

とも言えるんですよね。

 

自分で言うのは大変抵抗ありますが(^^;;

 

私そんなにいい人じゃないし、

自分第一だし、

楽したいし!

って、必死で打ち消そうとしてしまうのですが。

 

でも最近、この、

「私は人に与えたい人なんだ」

ということを受け取らないと

進めないところに来ているように感じています。

 

私なんて大したことないし、

そんなに人のためにばっかり献身的に生きてるわけじゃない。

目の前の欲に流されてばっかりだし、

実際うたた寝してだらだら過ごしてるし(笑)。

 

もしかしたら、

「与えたい人」であるというハードルをすごく高く考えていて、

何かすごいものを与えられる人だけを「与えたい人」と呼べると思っていて、

すごく崇高な人というイメージを持っているから、

自分はそうじゃないと打ち消してしまうのかもしれない。

 

だけど、そうやって、「違う違う」と打ち消しているから、

自分には人に与えられるものなんてないと積極的になれないのかもしれず、

自分にはできると信じられないのかもしれず、

だから力が湧いてこないのかもしれず、

だから楽しくなくなるのかもしれず、

好きじゃなくなるのかもしれず、

本気になれないのかもしれない。

 

自分は

「与えたい人」なんだ

「与えられる人」なんだ

そういう愛のある人間なんだ

ということを受け取らなければ、

ここからは進めないのかもしれない。

 

そんな風に思い始めています。

 

そんな、私なんかがおこがましい……

もっと献身的な人いっぱいいるよー!

この程度でお恥ずかしい……

って、

いっぱい「でも」が湧いてくるのですが……。

 

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自分の癒しを進め、

ある程度まで来たら、

最後は自分の価値を受け取ることでしか

進めないのかもしれない。

 

自分のためにも、

周りにいてくれる人のためにも。

 

目の前の患者さんがニコッと笑ってくれた、

それだけでも、1つ与えられたこととして

数えてもいいのだろうかと思うと、

泣きそうになりました。

 

 

これを読んでくださっているあなたも、

きっとそうですね。

 

ここから先はもう、

自分の価値を受け取ることでしか

進めないのかもしれません。

 

 

 

 

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