'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

美しさとは、躍動感。

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こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

 

すっかり秋めいてきましたね。

 

今日は中秋の名月

大阪は昨日の夜雨が降ったので、いろいろ流されて今日の空はすっきり。

きれいな月が見られそうです。

 

とはいえ、月を見ようとベランダに出ても、向かいのマンションの人と目が合うだけかもしれない(笑)。

 

 

 

そろそろ終わりに近づいてきた、カウンセラー根本裕幸お弟子講座の仲間と、「みんな変わったね」という話をしていました。

もちろん良い方に(笑)。

 

みんなぞれぞれ、自分以外の人については、変わった変わったと言うのですが、自分のことになるとピンときていなくて、ほんとに自分のことはわからないんだなあとおもしろかったです。

まあ私も、例にもれず(笑)。

 

 

講座のなかで、自分と向き合う課題も多々あるので、その中でみんなさまざまな禊(笑)を受けて、よけいなものがそぎ落とされて、本来の自分に戻っていっているんだと思います。

 

 

本来の自分に戻ると、誰しも例外なく美しくなります。

 

 

そう、目がぱっちり二重になって、鼻がにょきにょきと高くなってきて、唇はいい感じに厚くぽってりして、フェイスラインはシャープになってきて、ついでに歯並びもよくなって、白くもなってきて。

 

ということではないのですが。

 

 

ここで言う「美しさ」とは、そういう造形の美ではなく、「躍動感」のようなニュアンスで言っています。

 

 

みとれてしまうような人、心を強く惹かれるような人って、躍動感があるんじゃないかと思うんです。

 

 

たとえば、スポーツ選手が一番輝いているのって、スポーツをしているとき。

もちろん、試合後にテレビに出られて、ちゃんと髪形をセットしたりメイクをしたりして笑顔で話している姿も素敵です。

 

だけど、圧倒的な迫力があって、胸に迫る魅力があるのって、やっぱりスポーツ中の姿じゃないかと思うんです。

 

 

試合中は、髪の毛も乱れて、女性でもメイクはしていなくて(シンクロ、フィギュアは除く)、笑顔でもないけれど(シンクロ、フィギュアは除く)、それでも、目を離せないような鬼気迫る魅力を放っています。

 

 

そういう躍動感。

 

 

そのものが、最もそのものらしくあるときに、圧倒的な美しさが放たれるんじゃないかと思うんです。

 

 

この躍動感がある人に、人はどうしようもなく惹きつけられる。

 

 

 

これを考えるとワクワクするんです、私は。

 

 

この躍動感というものは、顔がどうとかスタイルがどうとか、そういう造形美は関係ない。

性別も関係ない。

年齢も関係ない。

仕事の業種も関係ない。

肩書も裕福さも関係ない。

 

どんな人も放つことができるんです。

その人がその人らしくあれば。

誰もがもれなく、美しくなれる。

 

派手なパフォーマンスのない事務作業だとしても、それが好きな人が熱中していれば、圧倒されるし、オタクで一見かっこよくない趣味でも、なりふり構わず極めていれば、趣味の違う人からも一目置かれたりするんです。

 

生きている限り、いくらでもいつからでも放つことができます。

 

これはワクワクする。

 

 

そして、それぞれが躍動感をもって生きれば、当然、世界も躍動感あふれるものになります。

 

 

 

だから、本来の自分を生きることで、自分が幸せになるのはもちろんなのですが、それによって他の人も恩恵を受けるんです。

 

本来の自分で生きるのは、自分勝手ではない。

 

それぞれが本来の自分を生きれば、おのずと社会貢献になるんです。

 

 

それを一生をかけてやっていくのが、生きること。

 

そう思うと、生きるのも結構楽しいなあと。


まあ、本来の自分に戻すための荒療治的ハプニングにはときどき見舞われますけどね(笑)。

それに怒ったり嘆いたりするのも織りこみ済みの、自分を生きる旅です。

 

 

 

美しくありましょう。

それぞれの躍動感を、めいっぱい放ちましょう。

 

 

 

あー、月も見える前から、おだんご食べすぎたー。

 

 

 

 

 

【ご感想】これから益々変化するであろう未来の自分に楽しみいっぱい!です

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こんにちは、カウンセラーいなこです。
 
カウンセリング・モニターにご協力いただいた方から、ご感想をいただきましたので、ご紹介させていただきます!
 
 
 
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【ご感想】Eさま
 
Q1.いなこのカウンセリングを選んでいただいたきっかけや理由を教えてください。
 
いなこ先生のブログのタイトルに惹かれピーン!!
ときたのがキッカケです。
 
プロフィールを拝見し、
夢を諦めない姿に心打たれ、
また、ユーモアも溢れる文章に、
「この先生なら、明るく相談できるかも?」と思い、
思い切って申し込みさせて頂きました。
 
 
 
Q2.カウンセリングを受けられて、気づきや変化、よかったことはありましたか。
 
今回、セクシャリティーについて、
相談させて頂きました。
 
自分の中で
「なぜ私はそういう行動をとるのか?」の
謎が解けたのが、か・な・り、衝撃でした・・・。
 
性に厳しい母親でしたが、
家族の中に「性」があることを
タブー視する家で育ったことについて
「やっぱりそうなんだ・・・だからか・・・」が、腹落ちし
 
「お母さんの価値観は卒業していい。
もう大人の女性になっていい」の一言に、
大きな大きな勇気を頂きました
 
お陰様でつっかえがポンッ!と取れたのか(?)
セクシーな下着を買うとか着るにすごく抵抗がありましたが、
まさかのニヤニヤしながら、ショッピングすることができました!
 
え?私、どうしちゃったの?と
まだ戸惑いも若干あるのですが・・・
 
今は、これから益々変化するであろう
未来の自分に楽しみいっぱい!です^^
 
 
 
Q3.いなこの改善点があれば教えてください。
 
私がしゃべりすぎて、
時間オーバーしたのが大変申し訳なかったので、
開始時に終了時間を伝えて頂けたらよかったな?
と思いました。
 
 
 
Q.4その他、ご質問等あれば何でもお願いします。
 
先生の透明感と愛とユーモアに包まれながら
客観的に見た私についても教えて頂けたのが
すごく、嬉しかったです。
 
頂いた嬉しいメッセージ、早速スクショを取り、
携帯の待ち受けに、お守りにしました♡笑
 
誰にも相談できなくて
「私、変かな?」と苦しかったので
明るく背中を押してくだったこと、
感謝の気持ちでいっぱいです!!
 
ありがとうございました・・・(ToT)
 
好きな人と「愛で繋がる」
まだまだ未知ですが・・・
挑戦してみます・・・!
 
またぜひ、報告させてください^^♡
 
ありがとうございました。
 
 
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Eさま、ごていねいなご感想を、ありがとうございました!
ほんとうに励みになります!
 
時間を少しオーバーしてしまいました。
ご予定があるかもしれないのに、また、その上お気遣いさせてしまってごめんなさい。
 
つい、キリのいいところまでお話ししたいと、少しオーバーしてしまいがちです(--;;
 
終了時間を明確にお伝えして、よけいな気をもませないように考えます。
クライアントさんはもちろん、もう疲れたとか、用事があるとか、トイレに行きたいとか、途中でも遠慮せずおっしゃってくださいね。
 
またまた大変勉強になりました、ありがとうございます!!!
 
 
 
Eさまは、いただいたアンケートの文面からもわかるように、Eさまご自身がユーモアとサービス精神にあふれた方。
 
ユーモアがあるということは、知性がある、気遣いができるということで、そんなところからも、女性としての魅力を感じました。
 
それでもまだまだ、ご自分のセクシャリティを封じ込めている違和感をどこかで感じられて、カウンセリングを受けてみようと思い立ってくださったのだと思いますが、本来の自分でいきいき生き始めると、自分が幸せになるのはもちろんですが、それによってよろこぶ人、恩恵を受ける人が必ずいます。
 
ユーモアのある明るいEさま、少し淫靡な(笑)Eさま、ご自分のいろいろな面をたくさんみつけて慈しんでください。
それがもう、世のため人のため、社会貢献です。
これからの人生が、ますます楽しみになっていかれることと思います。
 
ずっと応援していますね(^▽^)
 
 
ありがとうございました!!!
 
 
 
 
 
 
 
 

心がしんどいとき。根本治療と対症療法の両方の視点を持つ。

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 こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

 

第2弾無料カウンセリング・モニター募集を始めて、ありがたいことにまたお申込みいただいております(^▽^)

第2弾募集は、残り1枠となりましたので(9月29日10:30現在)、ご興味ある方は、ぜひぜひご検討お願いいたします。

 

なお、9月29日10:30時点で、すでにお申込みくださっている方には、みなさんZoomアドレスの入った詳細メールをお送りしております。

万が一、「申し込んだのにまだ届いていない」という方がいらっしゃいましたら、お手数おかけしますが、申し込みフォームよりご連絡ください。

以前に1件だけ、お送りしたのに届いていないということがありました。

よろしくお願いいたします。

 

 

 

さてさて、今日は、心がしんどいときの対処法について、お話ししたいと思います。

 

 

人の言うことがグッサリ刺さって傷つく人って、だいたい、自肯定感が低くなっちゃっていることが多いです。

はい、私です。

もうさんざん、しょうもないこと言ってチクチクしてくるやつへの文句(笑)を、このブログに書いてきましたからね(笑)。

 

でもそうやって、人のことばに傷つくということは、実は自分が一番そう思っちゃってるということなんです。

 

 

たとえば誰かが

「いい年して結婚してない人には、やっぱりなにかある。」

と言っているのを聞いて、

 

I子さんは

「ああ、やっぱり私は、なにかある、残念な人だと思われてるんだな。私はいい年して結婚もできない欠陥人間。女としての魅力ないんだな、売れ残りのかわいそうな人と思われてるんだな。みじめ。恥ずかしい。あーいっそもう、誰も私を責めることのない人里離れた山奥に移り住んで自給自足の暮らしを送りたい。」

と思ったとします。

 

そしてI子さんは、他の同世代独身女性たちも、そんなことを言われたら当然、自分と同じように、そのことばに憤り、傷つき、いたたまれなくなるものだろうと思っています。

 

だけど、違うんですよねー。

 

 

世の中には、I子さんと同世代で同じ状況でも、

 

「結婚なんか、別にどっちでもいいやん、自由やん。」

「今の生活楽しいし、私にはこっちの方が向いてる。」

「てか、結婚してても大してしあわせそうじゃない人もいっぱいいるやん。」

「そんなん言ってるけど、そいつなんぼのもんなん?ほんまに結婚してる人はみんな立派なん?」

「まだ結婚してないってことは、これから選び放題やん、希望しかない。」

「ふーん。」

 

で済ませる人がいるんです。

いるんですよ、奥さん!

 

 

つまり、ベースの考え方、観念、そして自己肯定感が違うんですよね。

I子さんは、自分はダメだ、価値がない、魅力がない、自信がない、と思っているから、それを刺激してくることばを全部うのみにして信じて、自分を責めてしまうんです。

 

 

逆に、この自分でいいわ、これがいいわ、よくやってるもん、好きだわ、って思えていれば、周りの人がどんなことを言おうと、それはそれ、人は人、私は私の精神で、

「ふーん。」

で済ませられるんです。

 

 

 

だから、周りの人どうこうより、自分の自己肯定感を見直すのが、根本的な問題解決になるよねということなんですが……

 

そうなんですがね。

そう言われて、一朝一夕に上がるものでもないんです、自己肯定感は。

 

今までの生い立ちとか、教育とか、もちろん生まれ持った性格とか、もういろんなものの積み重ねで今の自分があるわけですから。

 

「あなたの自己肯定感が低いのが問題です。それを上げればすべて解決します。」と言われたからって、「はい上げましたー!」とはなかなかならないんですよね。

 

 

でもやっぱり根本治療しないと、いつまでもチクチクすることが起こってくる。

でも時間はかかる。

がんばってもなかなか進まない。

なかなかしんどいのがなくならない……

 

 

 

そんなときはぜひ、根本治療と対症療法の両方の視点を持っていただけたらと思います。

 

 

たとえば、事故に遭ってけがをしたとします。

両手両足に打撲や骨折をして、1人で座ることもできません。

いつも痛そうなたとえで本当にごめんなさい。医療人なのでついそんなたとえばかり浮かんでしまいます。

 

必要な手術をして、炎症が引くのを待って、リハビリをして、じっくりと骨や筋肉が回復するのを待ちましょうね、焦らず気長に治していきましょうね。

これが根本治療とします。

 

でも、そうは言っても、治らないうちから、というかもう今日ただ今から、トイレにも行かなきゃいけないし、ご飯も食べなきゃいけない。

それを、どうする?

とりあえず、この包帯ぐるぐるであちこち痛い状態で、トイレはどうやって済ます?

尿器を使おうか?

それも難しいならおむつにする?

ポータブルトイレ(簡易の移動できるトイレ)を設置する?

介助できる人は家にいる?

そんなことを考えないといけません。

 

完治するまでも、生活していかないといけないのです。

完治するまでの時間も、その人の大事な人生の一部です。

できるだけ快適で、その人に合った生活をできるようにした方がいいのです。

 この、当面何とかするのが、対症療法。

 


 

これを、さっきのI子さんの話に当てはめてみると、

 

周りの人に言われることで傷ついてしまう、それは自分の自己肯定感が低いのが、原因です。

だから自己肯定感を上げていきましょう。

これが根本治療です。

 

でも、そんなにすぐは上がりません。

すぐに上がればもちろん、それでいいんですよ!

上がるまで、毎日辛いです。

じゃあ、とりあえず、引っかかることを言ってくる人からとりあえず離れよう、

イヤなことばが入ってこない環境に自分の身を置こう、

親身になってくれる友達にやさしくしてもらおう、話を聞いてもらおう、励ましてもらおう、

自分の好きなことをしてちょっとでも楽しい気分でいよう、……

これが対症療法、とりあえずの当面の対処法です。

 

 

根本治療をしながら、並行して、当面の対処もしていくのです。

 

 

 

私は、根本治療にしか意味がないと思っていました。

イヤな人を避けるのは、根本解決になっていない。

自分の自己肯定感を上げなきゃ、どこに行っても同じことだ。

だから、逃げていないで、辛いこともがんばって、どんな人とも向き合って、強くならなきゃ。

 

変なとこまじめでストイックでした(笑)。

 

 

違うんです、根本的に解決する前から、どんどん楽していいんです。

とりあえず、その場しのぎで楽になっていいんです!

 

 

むしろ、そこで、「これは根本解決ではない、辛いことも乗り越えねば!」と痛い状況にい続けると、ますます自己肯定感下がります。

 

けがしてるのに、トイレの行き方工夫せずに今まで通りのやり方で無理して行っていると、骨や筋に負担がかかり、炎症がよけいにひどくなります。

行けないからって治るまでトイレに行かなかったら(無理だけど)、毒素がたまって他の病気になります。

治るものも治らなくなります。

 回復をかえって遅らせるんです。


 

だから、根本治療は一生かけてじっくり少しずつするつもりで。

「あれ、ちょっとよくなったかな?」って、自分の変化を楽しみながらちょっとずつするつもりで。

 

対症療法でとりあえず今すぐ楽になってください。

それはズルでもなまけでもなんでもありません。

むしろ、対症療法、当面の対策が、根本治療を促進するんです。

当面の対策ができていると、不快が減るので、根本治療にも腰を据えて取り組む余裕が出てきます。

 

対症療法を、あなどるでない。

 

 

 

とりあえず、楽しいことしよー。

好きな人といよー。

楽になろー。

 

堂々と。

 

 

あ、ちなみに、カウンセリングは、根本治療にも対症療法にも使えるツールです(//▽//)

 

 

 

ということで、心がしんどいときも、根本治療と対症療法の両方の視点を持つといいと思いますというお話でした。

 

 

 

 

 

 

【ご感想】自分のためにやる感覚を思い出せてきた。

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こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

 

カウンセリング・モニターにご協力いただいた方から、ご感想をいただきましたので、ご紹介させていただきます!

 

 

 

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【ご感想】りんごせんべいさま

Q1.いなこのカウンセリングを選んでいただいたきっかけや理由を教えてください。

いなこさんのブログを読んでいて、いいなあと思ったから。考えていらっしゃることに親近感がありました

 

 

Q2.カウンセリングを受けられて、気づきや変化、よかったことはありましたか。

 自分はどうしたいのか、よく考えるようになった。自信がなくて人の言う通りにしていた自分を思い出し、自分で考え行動できる人になるように変わっていきたい気持ちが芽生えるようになった。ライフワークも、いつの間にか他人軸になっていたけれど、自分のためにやる感覚を思い出せてきた。

 

 

Q3.いなこの改善点があれば教えてください。

私のために時間を気にしてくださって少し早く話してくださっていたかなと思いますが、ゆっくり話していただけたほうが、自分の中で噛み砕きながらより理解して話を聞けると思いました。

 

 

 Q.4その他、ご質問等あれば何でもお願いします。

 親身に話を聞いて下さりありがとうございました!

 

 

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りんごせんべいさま、ありがとうございました!

 

だんだんと早口になっていましたね、申し訳ありませんでした。

 

りんごせんべいさまは、何を隠そう、正真正銘、記念すべき私の初めてのクライアントさんでした!

そのためもあり、解決したい、なにか1つでも持って帰っていただきたい、とつい力が入ってしまいました(^^;

 

でも、人が人の人生を解決できると思うのはおこがましいですし、解決に躍起になる前に、目の前の方とじっくりお話しするのが1番大事だなあと再確認できました。

 

貴重なご意見をありがとうございますm(   )m

 

 

「自分のためにやる感覚」を思い出されてきたたとのことで、とてもうれしいです。

 

恋も夢も、すべては自分が幸せになるための、1つの方法に過ぎないと私は思います。

目の前のことに一生懸命なときは、なかなか気づきにくいのですが、「それを叶えること」自体にこだわるより、「自分が幸せかどうか」を感じてみてくださいね。

 

りんごせんべいさん、うれしいご感想をありがとうございました!

りんごせんべいさんらしい毎日を満喫されてくださいね。

ずっと応援しています(^▽^)

 

 

 

 

「感謝をしましょう。」のその前に。

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こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

はじめに、忘れないうちにお知らせを。

第2弾カウンセリング・モニター募集を、927日(日)の午前中に開始します。

ご興味ある方は、ぜひぜひご協力お願いいたします(^▽^)

リピート利用も大歓迎です!

ただし、予約のまとめ取りはご遠慮いただいていますので、今現在ご予約いただいている方でご希望の方がもしいらっしゃいましたら、そのセッションが終わってから、次の予約をお取りくださいませ。

よろしくお願いいたしますm(_ _)m

 

 

 

さて、今日は、ちょっと昨日の続きのような話をサラッとしたいと思います。

昨日はくどくどコテコテ長々としつこく書いちゃったので、今日はできるだけサラッと。

 

 

 

「感謝をしましょう」というフレーズも、心理とか自己啓発界ではよく聞きます。

感謝できることを挙げてみましょう、身近な人へ感謝してみましょう、みたいな。

波動的(笑)にも、感謝の波動は一番高いらしいです。

 

 

その通りだと思います。

 

感謝って、他人に対してするんだけど、「周りの人が自分のためにそんなにいろいろなことをしてくれていたんだ」と気づけるから、結局、自分がすごく癒されます。

「私、大事にされていたんだなあ」と実感できるから。

 

自分に対する感謝もありますよね。

「ここまでがんばってきてくれたこの体にありがとう」とか。

「今日まであきらめずに生きてくれてありがとう」とか。

 

運命みたいなものへの感謝もある。

「なんだかんだで私はついてるなー」、「守られてたなー」、「あのときあんなことが起こったからこそ今がある、結果オーライだったなあ」とか。

 

 

いずれにせよ、感謝というのは、「他人もOK、自分もOK」の状態です。

みんながOK。

すべてがOK。

誰のことも責めてない。

まさにwin‐winの関係ですよね。

だからすごく心地よいんです。

 

 

だから、感謝をしましょう。

感謝できることをみつけましょう。

ってことなんですよね。

 

 

 

でも、悩める人がそれを聞いて、

 

そっか、私に足りないのは感謝だったのか。ああ、そっか、感謝しなくちゃ、感謝しなくちゃ、ああ、自分はあんまり感謝できてないなあ、もっと感謝できることを探さなきゃ、ありがたいと思わなきゃ……

 

って、無理に感謝をしようとすると、

 

とってつけたような感謝で、なんだかしんどい。

 

っていうかなんで自分ばっかり感謝しなきゃいけないわけ?

わたしだってこんなにがんばってるのに。

私の方が感謝されたいくらいだわ。

 

そして感謝できない自分を責める。

 

自分は冷たいやつだなあ。

恩知らずだよなあ。

自分勝手なのかなあ。とか。

 

 

昨日の話では、感謝できないものは感謝できないんだから、しかたない。ってことだったんですよね。

 

そこで今日は、なんで感謝できないかって話をしようと思ったんですけど、それは、まだまだそういう状態じゃないからなんです、たぶん。

 

 

 

たとえばこんな話。

 

朝の通勤途中、駅の階段から落ちてけがをした。

頭を打ったようで、額から血が流れているみたい。

どこかはっきりわからないけど、とにかく全身が痛い。

痛い、立てない。

どうしよう。大変なことになった。

痛い痛い痛い!!!

怖い!!!

誰か、助けて……!

 

そこに通りかかった人が、救急車を呼んでくれた。

救急隊員がかけつけて、病院に運ばれた。

額の傷を縫って、打撲の処置もして、1週間入院になった。

 

すべての処置が終わって、痛みも少し落ち着いてきたとき、けがをしたその人は、救急車を呼んでくれた通りがかりの人や、優しい声かけを続けてくれた救急隊員、処置してくれた看護師や医師に心から感謝した。

 

 

この話に別に違和感はないと思うんですけど、感謝できるのって、すべてが落ち着いてからだと思うんです。

 

頭から血を流して、「痛い!」、「怖い!」の最中に、

「救急車呼んでくれてる人だって通勤途中なんだから!あの人、あなたのせいで遅刻しそうだよ?ちゃんとお礼言った?感謝しなよ!」

って言われても、無理ですよね。

いや、今それどころじゃないス。

 

「痛い痛い痛い!!!」の最中に、「救急隊員さん、ありがとうぅー!!!」って絶叫しても、隊員も引きます(笑)。

出血がひどくなる、大声出さないで!って言われると思います(笑)。

っていうかやっぱ無理やね(笑)、そんなときに感謝にまで頭が回らない。

 

 

処置が終わって、痛みが落ち着いて、自分の身の安全が確保されたとき初めて、

「ああ、そういえばあの時助けてくれた人、通勤途中ぽかったけど、自分の会社は大丈夫だったのかな。間に合ったのかな。急いでただろうに、見ず知らずの私のために・・・ありがたいな。退院したらお礼に行きたいな。」

って、自然と感謝の気持ちが生まれてくる。

 

そういうものだと思います。

 

 

だからまずは、いやだったこと、辛かったことを吐き出しましょう、

感情を感じきりましょう、

なんです。

 

 

 

感謝って、自分が落ち着いて、ある程度満たされたら、自然と沸いてきたりする。

大変だったことが何とかひと段落して、ふと振り返る余裕が出てきたら、感謝できることが1つ2つと見えてきたり。

 

 

だから、感謝しようとしても、なかなかそういう気持ちになれないときは、まだまだ自分が血を流してるんです。

痛い痛い痛い!!!

怖い怖い怖い!!!

まだそこなんです。

 

 

だから、その間は、無理に感謝なんてしなくていい。

先に、痛い、怖い、恨めしい、腹が立つ、悲しい、そんな気持ちを感じきったらいいんです。

感情を感じきって、少しスッキリしきたら、「あの人、腹が立つけど、あの人はあの人で辛かったのかな」、とか、「あの人も今思えば必死だったのかもな」、とか、「なんだかんだで愛されてたんだな」とか、そういうところにふと目がいったりする。

そこから感謝につながっていったりするんです。

 

 

感謝はたしかにした方がいいし、それによって自分も癒されるけど、それは、最終形態だと思っておいたらいいと思います。

上級編。

自分が苦しいのに、いきなり「周りの人に感謝しなきゃ!」って思ってもさらに「感謝できない自分はダメ」という苦しみが増えるだけ。

 

ある程度傷が癒えてきたら、「もしかしたら、感謝できることがあるんじゃないかな?」と視点を変えてみることは大事ですが、ぜんぜんそんな気分になれないなら、焦らなくていいです。

「まだ私には早いみたい。」

それでいいです。

 

ぜんぜんまったく感謝できない人は、それだけ傷が深いということです。

重症。

ギプスかちかちの包帯ぐるぐる。

手術終わってその傷癒えて痛み引いて全身麻酔が切れてしゃべれるようになってからでいいよ、感謝のことばは。

じゃないと、先生も看護師も引くよ(笑)。

今日はすごく痛そうな例えでごめんなさい。

 

 

 

どんな人でも、満たされてきたら、感謝は自然と沸いてきます。

感謝は大事なもので、心地よいものだけど、それは最終段階のこと。

沸かないものを無理に沸かせようとすると、また昨日の話のように、感謝できない・したくないという自分の感情を抑えつけてさらに不満がたまって、逆にどんどん感謝から遠ざかっちゃいます。

ただでさえ苦しんでるのに、そこに「感謝できない」という苦しみまで作ってどうする(笑)。

 

 

「感謝しなくては」、「感謝できないなんて、自分は傲慢な人間だ」なんて自分を責めて、よけいなストレスを生まないでくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

感情は堂々と十二分に感じきる。湧き出た感情に、良いも悪いもないのだから。

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こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

今日も長くなりそうなので、前説なしに話し始めます。

 

 

 

感情をありのままに認めて感じきりましょう。

感情は、十分に感じきったら引いていきます。

感じたことにいいも悪いもありません。

 

なんてことを、心理系の話ではよく聞きます。

 

 

でも健気なみなさんはどうしても、「こんなこと思っちゃいけないかな」とか遠慮して、感情豊かなくせに感じきらずにモヤモヤしてしまうみたいです。

 

 

カウンセラー根本師匠は、

「感情は、『うピーこ』と一緒。全部出さないと便秘になっていつまでもスッキリしない。」

などという例え話をよくされますが、わたくしにはそのようなおシモな例えはちょっと……。

ですので、感情をありのまま認めてそのまま感じるということ、特に、「こんなこと思ってはいけない、こんなこと思うのは悪い」と思ってしまうという場合にフォーカスして、わたくしなりの異なる例えでお話ししてみたいと思います。

ああ、たとえピー入りでもあのようなことばを書いてしまっただなんて……ああ眩暈。

 

 

 

たとえば、カレーの味(あのワードの後にカレー話かよ・笑)が苦手で嫌いな人がいたとして、それを聞いた友達が、

 

「え?

カレー嫌いなん?

嘘やろ??

あんなにおいしいのに???

いやそれは、それはさすがにおかしいわ。

ないわー、ほんまないわー。

だってカレーって言ったら普通は万人が好きな食べ物やで?

それはダメ、ちょっと普通じゃないわ、ちょっとおかしい。

っていうかハウス食品の人が、今のバーモントカレーの味にたどり着くのにどんだけ苦労したかわかってる?

どんだけの人が汗と涙流したと思ってる??

てか、そもそもインドの人に悪いとか思えへんの?

冷たいよなあ、ほんま冷たい。

そういうとこやで?

人の気持ちも知らんといけしゃあしゃあと嫌いとか。

ほんまよう言うわ。

信じられへん。

カレーおいしいと思いーや!!!」

 

って言ったらどうですか?

 

 

 と、言われましても、って話ですよね。

 

 

 

そういうことです。

 

 

 

たしかに、カレーは万人受けする食べ物かもしれない。

好きという人が多いと思います。

でも好きじゃない人にとっては好きじゃない、

それはどうしようもないことですよね。

べつにハウスを否定する気もインド人を否定する気もないけど、でも好きでもないものを好きとは思えないですよね。

 

いいも悪いもないですよね?

 

 

そういうことです。

 

 

感情の話を味覚という感覚の話で説明するというのはなんとなくややこしい気もするけど(^^;;

 

 

あるいは、ミシュラン五つ星のレストランだからって、おいしいと思わなきゃいけないというわけではないですよね?

思わなきゃいけないというか、おいしいものはおいしいし、おいしくないものはおいしくないし、それを人がいいとか悪いとか決められないですよね?

人それぞれ。

 

ミシュラン五つ星しかお口に合わなくても、床ベッタベタの換気扇ギットギトのラーメン屋が一番や!って思ってても、どっちも仕方ない。

自然にそうなんだから。

本人も選べない。

 

 

茶美豚のポークソテー バルサミコソースにローズマリーを添えて

より

豚の生姜焼きがよろしいわ、

って人がいてもいいし。

 

 

子どもなんかそのへん、自分の気持ちに忠実ですよね。

せっかくおしゃれでおいしいお店来てるのに、プラスチックの器で持参のアンパンマンカレーよろこんで食べてたりする(笑)。

それいつでも食べれるやん。

私の甥っこ(笑)

 

 

 

好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌い。

悲しいものは悲しいし、嬉しいものは嬉しい。

淋しいものは淋しいし、平気なものは平気。

腹が立つものは腹が立つ。

勝手にそう感じるんだから。

いいも悪いもないですよね?

 

それだけです。

 

 

 

感情とは、自分が「感じるもの」であって、わざわざ作るもの、きれいに成形できるものではないです。

 

ただただ勝手に湧いてくるもの。

 

それ以上の意味はありません。

無理に作ることはできません。

変えることもできません。

あなたが感じるもので、自分が感じるしかないんです。

そこは不可侵領域。

 

 

だからたとえ、

親友が、上司が、恋人が、配偶者が、親が、

 

冷たいこと言うな

そんな風に思うなんてひどいやつだ

こんなに大事にしてあげてるのに

どんだけ大変だったか

人の気も知らずに

恩知らず

そこは感謝するとこでしょ

ありがたいと思わなきゃ

感謝しなさい

普通はそんなこと思わない

お前は恵まれてる方だ

贅沢だよ

あんたのために頑張ったのに

もっと大変な人もいる

そんな親不孝な話聞いたことない

考えが甘い

いつまで根に持ってるねん

しつこいな

いつまでも悲しんでても仕方ない

いい加減切り替えたら?

いい加減大人になったら?

 

とか言ったって、

 

嫌なものは嫌だし、

嫌いなもんは嫌いだし、

大事にされてると思えないものは思えないし、

感謝できないものはできないし、

不満は不満だし、

不足と思うものは不足だし、

しんどいものはしんどいし、

許せないものは許せないし、

悲しいものは今でも悲しいし、

切り替えられないものはなかなか切り替えられない、

大人になれないものは大人になれない。

 

 

それでいいんです。

とりあえず感情としては。

 

っていうかそう思うんだから、仕方ない。

そこは不可侵領域。

感情は作れるものじゃないから。

人にとやかく言われたってどうしようもないんです。

そこは自分の領域だから、自分できっちり守ってください。

 

湧いてくる泉に、無理やりふたしても、ゴボゴボゴボゴボ!って突き上げられるのはわかるでしょう?

そんな感じで、感情を押さえるって、無理なことなんです。

湧いてくるものに無理にふたして押さえつけてたら、いつか爆発して吹っ飛ばされますよ(笑)。

 

流してあげて。

 

 

 

もひとつおまけに言うなら、相手にも感情があります。

それも不可侵領域です。

 

だから、「あなたにそんな風に思ってほしくない」と感じるのも自由なんです。

 

 

あなたの感情を相手が否定してくるとしたら、あなたがそう感じることで、相手は自分が否定されたように感じて悲しいのかもしれませんね。

 

でもそれも不可侵領域だから。

相手は相手でそう感じる。

だから仕方ないし、単にそう感じてるだけで、あなたが責められるものでもない。

 

 

誰かに自分の感情を否定されてしんどいなら、「そんなこと言ったって、ここは不可侵領域。

私の気持ちは私のもの。」

そう思って結界を張ってください。

 

あるいは、「こんな風に思っちゃいけない」と、自分が自分を責めているなら、これまでに、そんな風にありのままの感情を、誰かに否定された経験があるのかもしれませんね。

 

それが染みついて、「こんなこと思っちゃダメだ」って、自分で自分の泉に無理くりふたしてる。

 

 

体力いるでしょー?

 

ゴボゴボ突き上げてくるもんね。

 

今まで長いこと、おつかれさんでした(笑)。

 

 

 

白鳥麗子でございます」って知ってますか?

鈴木由美子さん作の今や古い漫画ですが、私は、松雪泰子さんと萩原聖人さんキャストのドラマをリアルタイムで楽しんでた世代です(笑)。

 

ご存じないという方に軽く説明すると、名前からして超ド級のお嬢様でぶっちぎりの美人である白鳥麗子さんが、高校時代、クラスメイトの哲也くんに告白されるんです。

ほんとは麗子さんは哲也くんのことが大好きなのですが、周りの女子が、「まさか麗子ほどの女が、哲也みたいな普通の男と付き合うんじゃないでしょうねー?ガッカリだわ。哲也あんた身の程知らずよ!」とか言うんですね。(ほんとは哲也くんは女子の間で人気なので、麗子さんに取られたくないという嫉妬からわざとそんな言い方してるんですけどね。)

 

 

 そこで哲也くんが言ったこと。

 

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しかたねーだろ

好きなもんは好きなんだから

 

 

 

 

 

キャー!!!

 

でしょ?

 

かっこいいでしょ??

 

 

まあこれをかっこいいと思うのは、単なる私の感情なので人それぞれですが(笑)、自分の感情に正直でいるって、別に非難されることではなく、すごく潔くてかっこいいものだと私は思います。

伝え方には工夫がいりますが。

 

 

ということで、自分の感情を否定されそうになったら、あるいは自分で否定しそうになったら、哲也くんになりきって、

 

「しかたねーだろ

○○なもんは○○なんだから」

 

ってとりあえず心で思っといてください。

  

 

 

 

それで、誰にも遠慮せず、自分の感情を認めて感じきったら、スーッと引いてきます。

醜い感情も認めて感じきったら、和らいできます。

他人の気持ちを思いやるのは、その後。

 

湧き出る泉を押さえつけないで。

流してあげて。

 

 

としつこい例えで長くなりましたが、そういうことです。

とにかく感情なんてうんこと同じなんで、つべこべ言わんと全部出してスッキリしてしもたらええんですわ。(結局言っちゃうっていう・笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たしかに生きづらいのに、明確な原因がわからない。

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 こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

 

今回、カウンセリング・モニターにご協力くださった方の中に、私のカウンセリングを選んだのは、このブログタイトルの「それなりに……」に惹かれたから、あるいは「このような方に特におすすめです」欄の、「壮絶な経験がないのになぜか生きづらい方」というのに当てはまったから、という方が何名かいらっしゃいました。

 

私のこだわりポイントで足を止めていただけてうれしいです(^▽^)

 

 

 

これは、まさに私の人生で。

 

育った家庭が特別不幸だったというわけでもないし、学校でいじめられていたということもない、無理にいい子を演じていたつもりもない、学校を普通に出て、普通に就職して(細かな挫折はそりゃありますけどね)、友達もいるし、仕事もそこそこできているし、お金に特別困ることもない。

 

 

でも、幸せ?と聞かれると、「まあ、それなりに。」とニヒルな笑顔で答えるのが精一杯だったんです(笑)。

 

 

なにか、生きづらい。

べつにこのまま一生生きていける、とは思う。

 

でも、人生、なんだかパッとしない感が拭えない。

人生、こなしているだけのような気がする。

生活のために生きている。

「死にたい」とか、そこまでの強い衝動はないけれど(たまにすべてが嫌になって死にたいとか言いたくはなることはある・笑)、でも、こなすだけの人生って、なんのために生きてるんだろう。

 

そんな感じでした。

 

 

でも、大した原因が見当たらないから、困るんです。

 

友達に相談しても、「いなこは愛されて育ってる感じやのに、何でやろなあ?」と言われていました。

 

たとえば、「虐待されていた」とか、「学生時代、ひどいいじめにあった」とか、そういう明らかに辛いことがあれば、解決のためのとっかかりがつかみやすい気がするんです。

でも、今の生きづらさにつながるような、そういう明らかな原因が見当たらない。

 

それはそれで、絶望するんです。

 

この生きづらさは気のせいなのか?

いやいや、でも明らかにパッとしない、モヤモヤしてるよね、私の人生。

心から幸せ!とか、心から安心、とか、ないような気がするもん(瞬間的にはありますよ、もちろん。でも、人生全体で見たら、なんか納得いかないんです。)。

でも、誰に聞いても、さしたる原因はわからない。

この「生きづらさ」は、やっぱり気のせいで収めなきゃいけないのか?

人生ってこんなもん?

ずっと、「それなり」で生きていかなきゃいけないの?

 

 

そして、なんせ「それなりに」うまくいっているので、その違和感に気づくのが遅れます。

大きな事件が起こりにくいですから。

そこそこは、できてるんです。

人からも、いい人生のように見られることもありますし。

 

 

育った家も、まあ普通だし、学校も普通にいけたし、就職も普通にして、そこそこ仕事がんばって、……

 

私が違和感を明確に意識しだしたのは、30歳前後かもしれません。

小さな違和感は、今思えばそれまでにもたくさんあったと思います。

 

それまでの生活って、周りの友人たちと横並びなんですよね、割と。

周りの人と生活スタイルがそんなに変わらない。

同じ学校の人や職場の人は、だいたい生活歴が自分と似ていますから。

でも30歳くらいから、それぞれ、結婚したり、子どもができたり、したいことをきわめて仕事で各々エキスパートになってきたり。

 

いつかは好きな人と結婚すると思っていたのに、気づけば心から大好きな人とうまくいったことがない。

今まで遊んでいた友人たちが、家庭を持って、今までと同じように一緒に遊べなくなってきたり。

もちろん独身の友人もいますが、独身同士で徒党を組んでいつもつるんでいるのもなにか違うし。

 

仕事も、就職したての頃は、夢中でやっていたけれど、ある程度できるようになって落ち着いてきた今、さて、これがほんとに自分がしたいことだったのかな?と。

 

気づけば私は仕事中心の生活だけど、それも、意図してそうしたというより、なんとなく流れでそうなったという感じ。他のみんなは、プライベートでも、熱中できる趣味があったり、恋愛があったり、家庭があったりするよなあ。

 

私の人生には、何もないような気がする。

 

いや、何もないことはないです、あるんですけど、むしろいっぱいあるかもしれないんですけど、ぜいたくとはわかってるんですけど、でも、なんかパッとしないんです。

っていう感じ。

 

そういう感じで、ふと立ち止まり始めたのが、30歳前後だったと思います。

 

 

 

話はそれますが、カウンセラー根本師匠の、なにかの読み物で見たのですが、自分が行く学校や会社は、結構「他人軸」で選んでいることが多いんです。

 

どういうことかと言うと、高校や大学って、この学校で何がしたいか?なんてじっくり考えて選んだ人は、今の日本では実は少ないと思うんです。

だいたい偏差値で、自分が行ける中で一番いい高校、大学を選んだ人がほとんどだと思うんです。

「偏差値軸」という名の他人軸ですね。

もちろん、大学は学科があるので、その程度に自分の興味は何かと考えますが、それでも、「就職に強い学部」のような選び方をする人もいます。

もちろん、それも1つの選び方だから、それでもいいんですけどね。

 

会社も同様。

内定をもらった中で、一番大手、一番名の通っているところ、一番条件の良さそうなところに入るというのが、よくある自然な流れだと思います。

 

だから、本当にこの学校なのか?

そもそも本当に進学したいのか?

本当に自分のしたいことは?

なんて突き詰めて考える時間って、意外となかったりする。

 

それでふと、就職してある程度仕事もできるようになって落ち着いたときに、「これが自分の本当にしたいことなのか?」なんて思ったりするんです。

そこで、条件は置いといて、自分の本当にやりたいことをやろうと転職する時が、初めて「自分軸」で行う大きな決断だったというケースも多い。

 

 

まさにそうだったかもなあと思います。

いや、そうは言ってもその時々で、自分の興味に沿って選んできましたし、私はそれぞれの母校が好きですし、前の職場も好きですし、そこに後悔はありませんが、でも、条件抜きで、本気でやりたいことに向き合ってきたかっていうと、カウンセラー目指して必死の今現在(笑)と比べると、そこまでではなかったなあと思うんです。

 

 

 

話がそれましたが、そんな感じで、私の場合は、30歳ころから、なんか違うかも、なにか生きづらい、と明確に感じ始めました。

 

 

だから「'それなりに'うまくいっている」のモヤモヤ感がばかにならないことは、よくわかるんです。

解決の糸口も見えないし。

 

 

でもね、よくよく見ると、やっぱりありました、原因があったんですよ、奥さん。

自分は、やっぱり我慢していたんだなとか、「べき」にとらわれていたんだなとか。

当たり前になっちゃってて、自分ではなかなか見えなかったんです。

私自身も、ごく最近、このカウンセラー修行を始めてから、一気に気づきが進んだところですので(笑)、まだ途中ですが、だんだんと点と点がつながってきて、だいぶ生きるのが楽しくなってきました。

主体的に生きてる感が持ててきたんです。

 

 

そんなわけで、自分がずっと悩んできたことでしたので、そんな人のなにかヒントになればいいなと、このブログタイトルを考えました。

 

‘それなりに’うまくいっている →を→ ‘おもいっきり’しあわせに

 

「思いっきり」というと、なんだかすごいことを想像しますが、べつに、社会的に有名になって巨万の富を稼いで、ハイスペックイケメンと南の島で毎日遊んで暮らす、という意味ではありません。(それもいいな。笑)

 

幸せ?と聞かれたとき、「まあ、それなりに。」という不満の含みを忍ばせずに、「うん。」とはっきり心から答えたいということです。

べつになんてことない日常でも。

自分が、「幸せ。」って思えたら、それでいいんです。

それ以上のゴールはありません。

 

 

 

でもまあほんと、「それなりに」うまくいっているから、そのままでもいけるっちゃあいけるんですよね。

人生そんなもんと思って暮らしている人も、たくさんいると思います。

自分がそれでいいなら、何の問題もないと私は思います。

 

私は、それは嫌だったんですよね。

思いっきり、自分を発揮してみたい。

「それなり」ではなく、思いっきり自分を発揮したら、どんな世界が見えるのか、どんな自分が出てくるのか、それが知りたかったんです。

 

 

 

「問題」をすべて解決しないと、幸せになれないとは思わないし、100%解決するということもないんじゃないかと思います。

何の偏りも揺れもなくなったら、もうそれ、生きてない(笑)。そうか仙人。

 

だから、私のカウンセリングは、「問題」を解決する、かわいそうだね、辛かったね、というより、それを足がかりに、自分というものをいっぱい知って、「思いっきり」の世界を見てみよう?

「それなり」で、そこそこできてるんだから、自分の「思いっきり」を知っちゃったら、とんでもないことになるんじゃない?

最後には、そういうところへ行きたいなというイメージです。

 

 

自分に生まれたから、自分を思いっきり使いこなしたい、そういう感覚かな。

結局、自分が好きなんですね。

自己否定しながら、結局自分が好きなんです(笑笑)。

自分マニア(笑)。

 

あなたもそうでしょー?(笑)

悩んでる時点で、生きたい!自分の人生を生きたい!って思ってる証拠ですよ!

自分の人生ぜんぜん諦めてない証拠。

いいやんいいやん♪

 

 

今週後半くらいには、また次の募集をしようと思っているので、「それなり」の方も、明らかに辛い方も(笑)、よかったら話しに来てみてくださいね。

 

 

 

 

‘それなりに’うまくいっている →を→ ‘おもいっきり’しあわせに

 

そんな感じです。