こんにちは、カウンセラーいなこです。
はじめに、忘れないうちにお知らせを。
第2弾カウンセリング・モニター募集を、9月27日(日)の午前中に開始します。
ご興味ある方は、ぜひぜひご協力お願いいたします(^▽^)
リピート利用も大歓迎です!
ただし、予約のまとめ取りはご遠慮いただいていますので、今現在ご予約いただいている方でご希望の方がもしいらっしゃいましたら、そのセッションが終わってから、次の予約をお取りくださいませ。
よろしくお願いいたしますm(_ _)m
さて、今日は、ちょっと昨日の続きのような話をサラッとしたいと思います。
昨日はくどくどコテコテ長々としつこく書いちゃったので、今日はできるだけサラッと。
「感謝をしましょう」というフレーズも、心理とか自己啓発界ではよく聞きます。
感謝できることを挙げてみましょう、身近な人へ感謝してみましょう、みたいな。
波動的(笑)にも、感謝の波動は一番高いらしいです。
その通りだと思います。
感謝って、他人に対してするんだけど、「周りの人が自分のためにそんなにいろいろなことをしてくれていたんだ」と気づけるから、結局、自分がすごく癒されます。
「私、大事にされていたんだなあ」と実感できるから。
自分に対する感謝もありますよね。
「ここまでがんばってきてくれたこの体にありがとう」とか。
「今日まであきらめずに生きてくれてありがとう」とか。
運命みたいなものへの感謝もある。
「なんだかんだで私はついてるなー」、「守られてたなー」、「あのときあんなことが起こったからこそ今がある、結果オーライだったなあ」とか。
いずれにせよ、感謝というのは、「他人もOK、自分もOK」の状態です。
みんながOK。
すべてがOK。
誰のことも責めてない。
まさにwin‐winの関係ですよね。
だからすごく心地よいんです。
だから、感謝をしましょう。
感謝できることをみつけましょう。
ってことなんですよね。
でも、悩める人がそれを聞いて、
そっか、私に足りないのは感謝だったのか。ああ、そっか、感謝しなくちゃ、感謝しなくちゃ、ああ、自分はあんまり感謝できてないなあ、もっと感謝できることを探さなきゃ、ありがたいと思わなきゃ……
って、無理に感謝をしようとすると、
とってつけたような感謝で、なんだかしんどい。
っていうかなんで自分ばっかり感謝しなきゃいけないわけ?
わたしだってこんなにがんばってるのに。
私の方が感謝されたいくらいだわ。
そして感謝できない自分を責める。
自分は冷たいやつだなあ。
恩知らずだよなあ。
自分勝手なのかなあ。とか。
昨日の話では、感謝できないものは感謝できないんだから、しかたない。ってことだったんですよね。
そこで今日は、なんで感謝できないかって話をしようと思ったんですけど、それは、まだまだそういう状態じゃないからなんです、たぶん。
たとえばこんな話。
朝の通勤途中、駅の階段から落ちてけがをした。
頭を打ったようで、額から血が流れているみたい。
どこかはっきりわからないけど、とにかく全身が痛い。
痛い、立てない。
どうしよう。大変なことになった。
痛い痛い痛い!!!
怖い!!!
誰か、助けて……!
そこに通りかかった人が、救急車を呼んでくれた。
救急隊員がかけつけて、病院に運ばれた。
額の傷を縫って、打撲の処置もして、1週間入院になった。
すべての処置が終わって、痛みも少し落ち着いてきたとき、けがをしたその人は、救急車を呼んでくれた通りがかりの人や、優しい声かけを続けてくれた救急隊員、処置してくれた看護師や医師に心から感謝した。
この話に別に違和感はないと思うんですけど、感謝できるのって、すべてが落ち着いてからだと思うんです。
頭から血を流して、「痛い!」、「怖い!」の最中に、
「救急車呼んでくれてる人だって通勤途中なんだから!あの人、あなたのせいで遅刻しそうだよ?ちゃんとお礼言った?感謝しなよ!」
って言われても、無理ですよね。
いや、今それどころじゃないス。
「痛い痛い痛い!!!」の最中に、「救急隊員さん、ありがとうぅー!!!」って絶叫しても、隊員も引きます(笑)。
出血がひどくなる、大声出さないで!って言われると思います(笑)。
っていうかやっぱ無理やね(笑)、そんなときに感謝にまで頭が回らない。
処置が終わって、痛みが落ち着いて、自分の身の安全が確保されたとき初めて、
「ああ、そういえばあの時助けてくれた人、通勤途中ぽかったけど、自分の会社は大丈夫だったのかな。間に合ったのかな。急いでただろうに、見ず知らずの私のために・・・ありがたいな。退院したらお礼に行きたいな。」
って、自然と感謝の気持ちが生まれてくる。
そういうものだと思います。
だからまずは、いやだったこと、辛かったことを吐き出しましょう、
感情を感じきりましょう、
なんです。
感謝って、自分が落ち着いて、ある程度満たされたら、自然と沸いてきたりする。
大変だったことが何とかひと段落して、ふと振り返る余裕が出てきたら、感謝できることが1つ2つと見えてきたり。
だから、感謝しようとしても、なかなかそういう気持ちになれないときは、まだまだ自分が血を流してるんです。
痛い痛い痛い!!!
怖い怖い怖い!!!
まだそこなんです。
だから、その間は、無理に感謝なんてしなくていい。
先に、痛い、怖い、恨めしい、腹が立つ、悲しい、そんな気持ちを感じきったらいいんです。
感情を感じきって、少しスッキリしきたら、「あの人、腹が立つけど、あの人はあの人で辛かったのかな」、とか、「あの人も今思えば必死だったのかもな」、とか、「なんだかんだで愛されてたんだな」とか、そういうところにふと目がいったりする。
そこから感謝につながっていったりするんです。
感謝はたしかにした方がいいし、それによって自分も癒されるけど、それは、最終形態だと思っておいたらいいと思います。
上級編。
自分が苦しいのに、いきなり「周りの人に感謝しなきゃ!」って思ってもさらに「感謝できない自分はダメ」という苦しみが増えるだけ。
ある程度傷が癒えてきたら、「もしかしたら、感謝できることがあるんじゃないかな?」と視点を変えてみることは大事ですが、ぜんぜんそんな気分になれないなら、焦らなくていいです。
「まだ私には早いみたい。」
それでいいです。
ぜんぜんまったく感謝できない人は、それだけ傷が深いということです。
重症。
ギプスかちかちの包帯ぐるぐる。
手術終わってその傷癒えて痛み引いて全身麻酔が切れてしゃべれるようになってからでいいよ、感謝のことばは。
じゃないと、先生も看護師も引くよ(笑)。
今日はすごく痛そうな例えでごめんなさい。
どんな人でも、満たされてきたら、感謝は自然と沸いてきます。
感謝は大事なもので、心地よいものだけど、それは最終段階のこと。
沸かないものを無理に沸かせようとすると、また昨日の話のように、感謝できない・したくないという自分の感情を抑えつけてさらに不満がたまって、逆にどんどん感謝から遠ざかっちゃいます。
ただでさえ苦しんでるのに、そこに「感謝できない」という苦しみまで作ってどうする(笑)。
「感謝しなくては」、「感謝できないなんて、自分は傲慢な人間だ」なんて自分を責めて、よけいなストレスを生まないでくださいね。