'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

美しさとは、躍動感。

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こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

 

すっかり秋めいてきましたね。

 

今日は中秋の名月

大阪は昨日の夜雨が降ったので、いろいろ流されて今日の空はすっきり。

きれいな月が見られそうです。

 

とはいえ、月を見ようとベランダに出ても、向かいのマンションの人と目が合うだけかもしれない(笑)。

 

 

 

そろそろ終わりに近づいてきた、カウンセラー根本裕幸お弟子講座の仲間と、「みんな変わったね」という話をしていました。

もちろん良い方に(笑)。

 

みんなぞれぞれ、自分以外の人については、変わった変わったと言うのですが、自分のことになるとピンときていなくて、ほんとに自分のことはわからないんだなあとおもしろかったです。

まあ私も、例にもれず(笑)。

 

 

講座のなかで、自分と向き合う課題も多々あるので、その中でみんなさまざまな禊(笑)を受けて、よけいなものがそぎ落とされて、本来の自分に戻っていっているんだと思います。

 

 

本来の自分に戻ると、誰しも例外なく美しくなります。

 

 

そう、目がぱっちり二重になって、鼻がにょきにょきと高くなってきて、唇はいい感じに厚くぽってりして、フェイスラインはシャープになってきて、ついでに歯並びもよくなって、白くもなってきて。

 

ということではないのですが。

 

 

ここで言う「美しさ」とは、そういう造形の美ではなく、「躍動感」のようなニュアンスで言っています。

 

 

みとれてしまうような人、心を強く惹かれるような人って、躍動感があるんじゃないかと思うんです。

 

 

たとえば、スポーツ選手が一番輝いているのって、スポーツをしているとき。

もちろん、試合後にテレビに出られて、ちゃんと髪形をセットしたりメイクをしたりして笑顔で話している姿も素敵です。

 

だけど、圧倒的な迫力があって、胸に迫る魅力があるのって、やっぱりスポーツ中の姿じゃないかと思うんです。

 

 

試合中は、髪の毛も乱れて、女性でもメイクはしていなくて(シンクロ、フィギュアは除く)、笑顔でもないけれど(シンクロ、フィギュアは除く)、それでも、目を離せないような鬼気迫る魅力を放っています。

 

 

そういう躍動感。

 

 

そのものが、最もそのものらしくあるときに、圧倒的な美しさが放たれるんじゃないかと思うんです。

 

 

この躍動感がある人に、人はどうしようもなく惹きつけられる。

 

 

 

これを考えるとワクワクするんです、私は。

 

 

この躍動感というものは、顔がどうとかスタイルがどうとか、そういう造形美は関係ない。

性別も関係ない。

年齢も関係ない。

仕事の業種も関係ない。

肩書も裕福さも関係ない。

 

どんな人も放つことができるんです。

その人がその人らしくあれば。

誰もがもれなく、美しくなれる。

 

派手なパフォーマンスのない事務作業だとしても、それが好きな人が熱中していれば、圧倒されるし、オタクで一見かっこよくない趣味でも、なりふり構わず極めていれば、趣味の違う人からも一目置かれたりするんです。

 

生きている限り、いくらでもいつからでも放つことができます。

 

これはワクワクする。

 

 

そして、それぞれが躍動感をもって生きれば、当然、世界も躍動感あふれるものになります。

 

 

 

だから、本来の自分を生きることで、自分が幸せになるのはもちろんなのですが、それによって他の人も恩恵を受けるんです。

 

本来の自分で生きるのは、自分勝手ではない。

 

それぞれが本来の自分を生きれば、おのずと社会貢献になるんです。

 

 

それを一生をかけてやっていくのが、生きること。

 

そう思うと、生きるのも結構楽しいなあと。


まあ、本来の自分に戻すための荒療治的ハプニングにはときどき見舞われますけどね(笑)。

それに怒ったり嘆いたりするのも織りこみ済みの、自分を生きる旅です。

 

 

 

美しくありましょう。

それぞれの躍動感を、めいっぱい放ちましょう。

 

 

 

あー、月も見える前から、おだんご食べすぎたー。