こんにちは、カウンセラーいなこです。
今回、カウンセリング・モニターにご協力くださった方の中に、私のカウンセリングを選んだのは、このブログタイトルの「それなりに……」に惹かれたから、あるいは「このような方に特におすすめです」欄の、「壮絶な経験がないのになぜか生きづらい方」というのに当てはまったから、という方が何名かいらっしゃいました。
私のこだわりポイントで足を止めていただけてうれしいです(^▽^)
これは、まさに私の人生で。
育った家庭が特別不幸だったというわけでもないし、学校でいじめられていたということもない、無理にいい子を演じていたつもりもない、学校を普通に出て、普通に就職して(細かな挫折はそりゃありますけどね)、友達もいるし、仕事もそこそこできているし、お金に特別困ることもない。
でも、幸せ?と聞かれると、「まあ、それなりに。」とニヒルな笑顔で答えるのが精一杯だったんです(笑)。
なにか、生きづらい。
べつにこのまま一生生きていける、とは思う。
でも、人生、なんだかパッとしない感が拭えない。
人生、こなしているだけのような気がする。
生活のために生きている。
「死にたい」とか、そこまでの強い衝動はないけれど(たまにすべてが嫌になって死にたいとか言いたくはなることはある・笑)、でも、こなすだけの人生って、なんのために生きてるんだろう。
そんな感じでした。
でも、大した原因が見当たらないから、困るんです。
友達に相談しても、「いなこは愛されて育ってる感じやのに、何でやろなあ?」と言われていました。
たとえば、「虐待されていた」とか、「学生時代、ひどいいじめにあった」とか、そういう明らかに辛いことがあれば、解決のためのとっかかりがつかみやすい気がするんです。
でも、今の生きづらさにつながるような、そういう明らかな原因が見当たらない。
それはそれで、絶望するんです。
この生きづらさは気のせいなのか?
いやいや、でも明らかにパッとしない、モヤモヤしてるよね、私の人生。
心から幸せ!とか、心から安心、とか、ないような気がするもん(瞬間的にはありますよ、もちろん。でも、人生全体で見たら、なんか納得いかないんです。)。
でも、誰に聞いても、さしたる原因はわからない。
この「生きづらさ」は、やっぱり気のせいで収めなきゃいけないのか?
人生ってこんなもん?
ずっと、「それなり」で生きていかなきゃいけないの?
そして、なんせ「それなりに」うまくいっているので、その違和感に気づくのが遅れます。
大きな事件が起こりにくいですから。
そこそこは、できてるんです。
人からも、いい人生のように見られることもありますし。
育った家も、まあ普通だし、学校も普通にいけたし、就職も普通にして、そこそこ仕事がんばって、……
私が違和感を明確に意識しだしたのは、30歳前後かもしれません。
小さな違和感は、今思えばそれまでにもたくさんあったと思います。
それまでの生活って、周りの友人たちと横並びなんですよね、割と。
周りの人と生活スタイルがそんなに変わらない。
同じ学校の人や職場の人は、だいたい生活歴が自分と似ていますから。
でも30歳くらいから、それぞれ、結婚したり、子どもができたり、したいことをきわめて仕事で各々エキスパートになってきたり。
いつかは好きな人と結婚すると思っていたのに、気づけば心から大好きな人とうまくいったことがない。
今まで遊んでいた友人たちが、家庭を持って、今までと同じように一緒に遊べなくなってきたり。
もちろん独身の友人もいますが、独身同士で徒党を組んでいつもつるんでいるのもなにか違うし。
仕事も、就職したての頃は、夢中でやっていたけれど、ある程度できるようになって落ち着いてきた今、さて、これがほんとに自分がしたいことだったのかな?と。
気づけば私は仕事中心の生活だけど、それも、意図してそうしたというより、なんとなく流れでそうなったという感じ。他のみんなは、プライベートでも、熱中できる趣味があったり、恋愛があったり、家庭があったりするよなあ。
私の人生には、何もないような気がする。
いや、何もないことはないです、あるんですけど、むしろいっぱいあるかもしれないんですけど、ぜいたくとはわかってるんですけど、でも、なんかパッとしないんです。
っていう感じ。
そういう感じで、ふと立ち止まり始めたのが、30歳前後だったと思います。
話はそれますが、カウンセラー根本師匠の、なにかの読み物で見たのですが、自分が行く学校や会社は、結構「他人軸」で選んでいることが多いんです。
どういうことかと言うと、高校や大学って、この学校で何がしたいか?なんてじっくり考えて選んだ人は、今の日本では実は少ないと思うんです。
だいたい偏差値で、自分が行ける中で一番いい高校、大学を選んだ人がほとんどだと思うんです。
「偏差値軸」という名の他人軸ですね。
もちろん、大学は学科があるので、その程度に自分の興味は何かと考えますが、それでも、「就職に強い学部」のような選び方をする人もいます。
もちろん、それも1つの選び方だから、それでもいいんですけどね。
会社も同様。
内定をもらった中で、一番大手、一番名の通っているところ、一番条件の良さそうなところに入るというのが、よくある自然な流れだと思います。
だから、本当にこの学校なのか?
そもそも本当に進学したいのか?
本当に自分のしたいことは?
なんて突き詰めて考える時間って、意外となかったりする。
それでふと、就職してある程度仕事もできるようになって落ち着いたときに、「これが自分の本当にしたいことなのか?」なんて思ったりするんです。
そこで、条件は置いといて、自分の本当にやりたいことをやろうと転職する時が、初めて「自分軸」で行う大きな決断だったというケースも多い。
まさにそうだったかもなあと思います。
いや、そうは言ってもその時々で、自分の興味に沿って選んできましたし、私はそれぞれの母校が好きですし、前の職場も好きですし、そこに後悔はありませんが、でも、条件抜きで、本気でやりたいことに向き合ってきたかっていうと、カウンセラー目指して必死の今現在(笑)と比べると、そこまでではなかったなあと思うんです。
話がそれましたが、そんな感じで、私の場合は、30歳ころから、なんか違うかも、なにか生きづらい、と明確に感じ始めました。
だから「'それなりに'うまくいっている」のモヤモヤ感がばかにならないことは、よくわかるんです。
解決の糸口も見えないし。
でもね、よくよく見ると、やっぱりありました、原因があったんですよ、奥さん。
自分は、やっぱり我慢していたんだなとか、「べき」にとらわれていたんだなとか。
当たり前になっちゃってて、自分ではなかなか見えなかったんです。
私自身も、ごく最近、このカウンセラー修行を始めてから、一気に気づきが進んだところですので(笑)、まだ途中ですが、だんだんと点と点がつながってきて、だいぶ生きるのが楽しくなってきました。
主体的に生きてる感が持ててきたんです。
そんなわけで、自分がずっと悩んできたことでしたので、そんな人のなにかヒントになればいいなと、このブログタイトルを考えました。
‘それなりに’うまくいっている →を→ ‘おもいっきり’しあわせに
「思いっきり」というと、なんだかすごいことを想像しますが、べつに、社会的に有名になって巨万の富を稼いで、ハイスペックイケメンと南の島で毎日遊んで暮らす、という意味ではありません。(それもいいな。笑)
幸せ?と聞かれたとき、「まあ、それなりに。」という不満の含みを忍ばせずに、「うん。」とはっきり心から答えたいということです。
べつになんてことない日常でも。
自分が、「幸せ。」って思えたら、それでいいんです。
それ以上のゴールはありません。
でもまあほんと、「それなりに」うまくいっているから、そのままでもいけるっちゃあいけるんですよね。
人生そんなもんと思って暮らしている人も、たくさんいると思います。
自分がそれでいいなら、何の問題もないと私は思います。
私は、それは嫌だったんですよね。
思いっきり、自分を発揮してみたい。
「それなり」ではなく、思いっきり自分を発揮したら、どんな世界が見えるのか、どんな自分が出てくるのか、それが知りたかったんです。
「問題」をすべて解決しないと、幸せになれないとは思わないし、100%解決するということもないんじゃないかと思います。
何の偏りも揺れもなくなったら、もうそれ、生きてない(笑)。そうか仙人。
だから、私のカウンセリングは、「問題」を解決する、かわいそうだね、辛かったね、というより、それを足がかりに、自分というものをいっぱい知って、「思いっきり」の世界を見てみよう?
「それなり」で、そこそこできてるんだから、自分の「思いっきり」を知っちゃったら、とんでもないことになるんじゃない?
最後には、そういうところへ行きたいなというイメージです。
自分に生まれたから、自分を思いっきり使いこなしたい、そういう感覚かな。
結局、自分が好きなんですね。
自己否定しながら、結局自分が好きなんです(笑笑)。
自分マニア(笑)。
あなたもそうでしょー?(笑)
悩んでる時点で、生きたい!自分の人生を生きたい!って思ってる証拠ですよ!
自分の人生ぜんぜん諦めてない証拠。
いいやんいいやん♪
今週後半くらいには、また次の募集をしようと思っているので、「それなり」の方も、明らかに辛い方も(笑)、よかったら話しに来てみてくださいね。
‘それなりに’うまくいっている →を→ ‘おもいっきり’しあわせに
そんな感じです。