'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

人生のどん底にいる人へ。ー大丈夫。季節は巡るし、プロセスは完璧だから。

人生のどん底にいる人へ。ー大丈夫。季節は巡るし、プロセスは完璧だから。

 

 

'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

今(3月19日16:19)私は、梅田の阪急百貨店でこれを書いています。

午前中、こちら方面へ来る用があったので、その後こちらへ、、、

 

 

はい。

阪急のフランスフェアに、劇団四季オペラ座の怪人トークショーがあるということで、のこのこやってきちゃったのですよ。

 

 

 

3時間半前に着いたけど、もうほとんど埋まってましたよ席が。

でも何とか座れた。わくわく。

でも大理石風(笑)の階段状の座席なので、お尻が冷たいよ。

 

ほんとに自分がおもしろい。

私は何でここまでしてるんだろう。笑

 

あと1時間ちょっと。

どなたがいらっしゃるんだろう。わくわく。

 

待ち時間の間、手持ち無沙汰なのでブログを書いています。(おい)

 

 

こちら大阪は、季節もすっかり春めいてきました。

先週は少し寒さが戻ったけれど、今週はお天気こそ崩れるものの、気温は高そうです。

 

 

季節は巡りますが、人生の季節も巡るなあと最近感じています。

 

カウンセラーの勉強を始めたのが約3年前です。

 

そこから、カウンセラー修行と並行して、というか必須事項として、自分を知ること、必要があれば癒すこともしてきました。

 

それでも、後悔の気持ち、自分を責める気持ちなどが、なかなかなくならず、半ばくじけそうにもなりました。

過去のことのように言っていますが、ついこの間のことです。

 

ですが最近、何かうまくいかないことがあったとき、あるいは、他の人と比べてできていないなあと思うときに、自動的に自分を責めることがずいぶん減ったなあと感じています。

 

まったくないわけではないのですが、「あーうまくいかない。いっていない。」と感じたとき、自動的に、

「ほんとに私は中途半端。つまらない人間。」

と、自分を否定し、嫌な気分になっていたのが、

 

「まあ今はそういう流れなんだろう。」とか、

「これも私に何か必要があって起こっているのかも」とか、

「(想定していたコースより)こっちの方が私にはいいということなのかも」とか、自動的に否定する前に、ちょっと立ち止まることができるようになってきました。

 

それと同時に、自分が思うより、私は人に受け入れられているのかもしれないということを信じられるようになってきました。

 

 

それだけで、ずいぶん気分がいいものです。

 

なぜそうなってきたか、いろいろと理由はあると思いますが、今までしてきたことすべてが功を奏してきたのだと思います。

 

また、3年前転職してから、思えば私の人生で1番と言っていいほど苦しく不安で辛い時間を過ごしましたが、そこからいろんなことを学び、自分を知り、最近少し落ち着いてきたことで、流れを信頼できるようになってきたのかもしれません。

 

あんなにどん底だったのに、ここまで浮上できたのだから。笑

 

 

もがいたことは、すぐには結果が出なくても、いろんな形で実になっているものなんですね。

そして、もがくのも疲れて何もしたくなくなっても、季節は巡る。

誰にでもまた、春はやってくる。

 

 

だからもう、これから先は、絶対生きてやる、と思っています。

めちゃくちゃ人生楽しんで、生きてやる。と。

 

この間まで、こんなに辛いことばかりなら、別に生きる意味ないなあと思っていたのに。

 

私は、楽しく生きてやりますよ。

まだまだ、この世でしてみたいことがたくさんあるから。

 



なかなか出口が見えない人、

いろいろやっているのに、効果がなくて心折れそうな人、

今、人生のどん底にいる人へ。

 

大丈夫です。

もがいてもいいし、何もしたくなければじっとうずくまっていてもいい。

どうやっても、必ず季節は巡ります。

状況は変わっていくし、スーッと軽くなるときは必ず来ます。

 

プロセスは完璧。

どうしようもないときからずっと、私のお守りことばはこれでした。

プロセスは完璧。

必要なことが、必要な時に起こる。

これが真実です。

これ以上の今はなかったし、何1つ後悔しなくて大丈夫。

 

だから大丈夫です。

安心してくださいね。

 

もしそんなこと信じられないくらい辛いときは、話しに来てくださいね。

 

 

 

やっっっばっ!!!!!

まさかのファントム岩城雄太さんと、クリスティーヌ牧貴美子さんと、ラウル岸佳宏さんが登場しました!!!!!

この写真を見ていただきたいので、
本編関係ないけどオペラ座劇団四季のブログカテゴリーに入れさせてもらいますね!



さっきまで大阪四季劇場で公演されてたこの主役の3名が来られるなんて。

終わった後、あまりの興奮に思わず隣のショートの美しい女性に「すごかったですね!!!」と話しかけてしまいました。笑

関東からいらっしゃって、さっきまでマチネをご覧になっていたそう。

しかも岩城さんと牧さんのファンだとのこと。

最高の遠征やん!よかったですねーーー!!!

連絡先聞けばよかったー。四季友できたかもしれないのにー。

万が一ご覧になったら連絡ください!!!笑

 

 

【カテゴリー一覧】

 

 

LINE公式登録はこちら

LINE特典について

ID  @567icozp

 

 

 

www.aikoingk.com

 

 

 

 

▽いなこの雰囲気はこんな感じです。

「やわらかい関西弁が聞き心地よい」とのありがたいお声をいただいています(‘∀‘)

m.youtube.com

 

 

▽お問い合わせ、ご意見ご感想はコチラ 

 

 

 

「ノートルダムの鐘」をちょこっと心理学的に考察②ーエゴの対極にあるものー

 ノートルダムの鐘」をちょこっと心理学的に考察②ーエゴの対極にあるものー

 

 

'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

さて前回は、ノートルダムの鐘を題材に、エゴとはなんぞやについてお話しました。

 

今日はその続きで、怖れでいっぱいのエゴと仲良く付き合うには?というお話をしたいと思います。

▽考察その①はこちら

「ノートルダムの鐘」をちょこっと心理学的に考察①ー怖れに基づいたエゴの声とはー 

 

劇団四季ノートルダムの鐘」の感想はこちら

石にならないでよカジモド・・・劇団四季「ノートルダムの鐘」を観てきました! ←簡単なあらすじも書いてます

怪物と人間の違いを教えてほしい―劇団四季「ノートルダムの鐘」を観てきました!

 

 

ここからネタバレありですよー!

 

 

エゴは、過去に傷ついたマインドだとお話ししました。

なので、エゴをおとなしくさせるには、過去に傷ついたときの痛みに寄り添ってやるといいんですね。

 

怖いね、怖いよね。

どうしてそう思うの?

何が怖い?

どうなると思ってるの?

本当にそうなるの?

それは絶対に真実なの?

 

エゴが何を怖れているのか、どうしてそう思うようになったのか、そこをよく見つめて寄り添っていくと、エゴは静かになっていきます。

 

 

そして傷ついた過去の記憶があるなら、それを癒していきます。

 

あのときの自分は自分なりにベストを尽くしたこと。

相手は相手で必死だったこと。

誰も悪くなかったこと。

自分が愛されていなかったわけではなかったこと。

過去のあのできごとがすべてではないこと。

あの時と今は違うこと。

 

そんなことを認めて、許していきます。

 

 

これが、不安で暴れるエゴとの付き合い方なのですが、それと並行して、エゴの対極にある声に耳を傾けるというやり方も有効です。

 

 

エゴは、怖れに基づいたマインドなのですが、怖れと対極にあるものは何でしょうか。

 

愛です。

 

人の行動の動機は、突き詰めるとすべて、怖れからのものが、愛からのものかに分けられます。

 

なので、愛に基づいたマインドの声に耳を傾けるんですね。

 

 

愛に基づいたマインドは、たとえば、ハイアーセルフであったり、神様であったり、守護霊であったり。

急激にスピリチュアルですが。笑

 

エゴも、ハイアーセルフも、どちらも自分の中にあるマインドです。

結局はどちらも自分自身なのですが、イメージしやすい象徴として、ハイアーセルフや神様を想像していただいたらと思います。

 

ハイアーセルフでも、神様でも仏様でもご先祖様でもいいし、自分を愛してくれたおじいちゃんやおばあちゃんでもいいし、尊敬する恩師でもいいし、今の状況を乗り越えた後の自分でもいいかもしれません。

 

エゴと対極の存在とは、自分のことを心から信じ、愛してくれる存在であれば何でも結構です。

そこはお好みで。

 

 

先のカジモドのように、何かに失敗したり、不安をあおられるようなできごとがあったときは、ついエゴの声に引っ張られそうになります。

そんなときは、エゴの声に寄り添いつつ、

自分のことを心から信じて愛してくれている存在なら、

こんなとき何て言うだろう?

と問いかけてみてください。

そして、怖れに基づいた声ではなく、愛に基づいた声の方へ意識を向けていきます。

 

 

ちなみに、エゴの声を信じているときは苦しく、愛に基づいた声を信じているときの方が気分がいいはずです。

 

それは、愛に基づいた声の方が、真実だからなんです。

 

そして怖れに基づいて行動すると怖れを増す結果が、愛に基づいて行動すると、愛に帰結するようになっています。

 

ただちょっと残念なことに、エゴの声は大きく、真実の声は小さいと言われているんですね。

エゴの声は、前回お話したように、アラームであり、余裕がないからけたたましいのかもしれません。

弱い犬ほどよく吠えるっていうのとちょっと通ずるものがあるかな。

ちょっとちがう?笑

 

 どちらの方が気分がいいか、自分が本当に望む幸せに導いてくれるのはどちらの声なのか、よく自分に問いかけてみてくださいね。

 

 

さてカジモドの場合は、愛からの声を届けてくれるのは、ガーゴイル(石像)たちだったのだと思います。

 

最初の簡単なあらすじでは書かなかったのだけど、ご存じない方のために軽く説明すると、大聖堂に置かれているガーゴイルたちは、カジモドの前でだけしゃべるんですね。

 

大聖堂の屋上の中だけで暮らしているカジモドにとって、彼らだけが友だちだったんです。

 

 

「石になろう」は、カジモドと、ガーゴイルたちの歌です。

 

 

エスメラルダ救出に失敗して帰って来て、自分に失望しているカジモドを、ガーゴイルたちがなだめ、寄り添い、励まします。

 

だけど、失敗してショックを受けた直後のカジモドなので、

君たちに何がわかるんだ、石のくせに、

君たちの甘いことばにそそのかされて酷い目にあった、

世間は冷たいというご主人様のことばを信じておとなしくしてればよかったんだ、

とやけになり、ガーゴイルたちに当たります。

 

そして、

何も感じなければどんなに楽だろう、

いっそ僕も君たちみたいに、石になりたい

と歌います。

 

だから、「石になろう」なんですね。

 

 

このガーゴイルたちとのやりとりも泣けました。

 

ずっとカジモドを信じてきてくれたガーゴイルたちを、ショック真っ只中のカジモドは、はねつけます。

 

そしてガーゴイルたちはついに、

もう口出しはやめるよ、

そうだよね、

私たちただの石だもんね。。

君は強いと信じてたのに……

と励ますのをあきらめてしまいます。

 

 

ほらーっ!!!

エゴの声に従ったら、ほんとに1人になっちゃうんだってば!!!

 

どんどん孤独になるカジモドに切なくなりながらも、やけくそになって、大事な人に甘えてひどいこと言っちゃったり、閉じこもりたくなる気持ちもわかる私。

 

 

この、ガーゴイルたちがあきらめる瞬間って、子どもの頃、何か気に入らないことがあって拗ねていたら、ついに母の堪忍袋の緒が切れて、

「何をふくれてんの!いい加減にしなさい!もう知らん!」

と怒られたときの絶望を思い出しました。笑

 

1番愛してくれてる人に見離される悲しさと怖さったらないですよね。

 

失望しヤケになるカジモドの姿が、そんな自分の思い出とも重なり、よけいに切なかったです。

 

 

歌として聞くと、

 

ガーゴイルたちの、「信じてたのに君は強いと」の部分の音楽が荘厳で、

ああ、本当に大事な人(人ちゃうけど)を傷つけてしまった、

ついに彼らまで失ってしまう、

今自分(カジモド)は取り返しのつかない大変なことをしてしまっているのだ

という感じがしますし、

 

カジモドの最後の

「こーこーろーーーーー閉ーざーしーてーーーーーーーーーー!!!」

のところからは、苦しい心の叫びが痛いほど伝わってきます。涙

 

 

ちなみにこのガーゴイルたちが、カジモドの前ではしゃべるというのは、ディズニーらしいファンタジーな設定ですが、カジモドの妄想というか、心の声という見方もあるようですね。

 

その見方で見たとしても、カジモドの脳内で、エゴの声と、自分を信じ愛してくれるハイアーセルフの対話として見え、納得がいきます。

 

 

元の英語の歌詞は、ガーゴイルがカジモドを励ますのをあきらめてしまうところの最後の「信じてたのに 君は強いと」という部分は、

We just thought that you were made of something stronger

となっています。

 

私たちはただ、君が(私たちmade of stoneより)何かもっと強いものでできていると思ったんだ

という感じでしょうか。

 

これも切ないなあと思いました。

 

いくらガーゴイルたちがカジモドを信じていても、自分たちは石像だから、どうすることもできない。

こんなに信じて応援しているけれど、自分たちは動いて実際に力になることができないもどかしさ。

石は確かに硬くて強いけれど、自分で決めて自由に行動することはできないんです。

 

だからこそ、カジモドはガーゴイルたちの希望の存在でもあるのではないかなと。

カジモドに、希望を托しているところもあるのかもしれないなあと。

そこまでカジモドに可能性を見てくれるガーゴイルたちは、ほんとにすごく温かい存在だなあと。

 

 

だからこそ、そんな存在を突き放してしまうほどの、カジモドのショックと悲しみも際立つんですよね。

 

ほんとは自分でも、そんなエゴの言うことは信じたくないし、そうじゃないと思いたいし、ガーゴイルたちの言うことを信じたいんです。

ガーゴイルたちが言ってくれることの方が真実だというのは、心の奥底ではわかっているんです。

八つ当たりしながらも、そんなことほんとはしたくないし、自分が不甲斐ないし、応えられないことが悲しいんですね。

大事な人たちを悲しませていることが苦しいんです。

元はやさしい子なんでね、辛いですわ。

 

 

それでふと思ったんです、私たちのハイアーセルフや神様やご先祖様も、このガーゴイルたちと同じかもしれないなあと。

 

ハイアーセルフがどんなに私たちを信じて愛して応援してくれていても、この三次元の世界では、最後は肉体を持った私たち自身が、自分で行動するしかないんですよね。

エゴの声ではなく、愛に基づいた声の方を、自分が選択して。

 

ハイアーセルフや神様やご先祖様は、この世界で肉体を持って生きている私たちに、可能性を見て、希望を託してくれているのかもしれない。

 

だから、自分を愛してくれる存在の声を信じて、めいっぱいこの世を生きようとあらためて思いました。

まあそれも結局は、自分の中にあるマインドなんですけどね。

 

 

 

 

しかしカジモドはすごいなあ。

外に出るたびに、酷い目に遭っているのに。(実は初めて外に出た時に、とても酷い目に遭っています)

勇気あるよなあ。

 

エスメラルダに出会ってからのカジモドなら、

「こんなとき、エスメラルダなら何て言うだろう」

 と、彼女も愛の声を届けてくれる存在になったのかもしれませんね。

 

 

この「石になろう」は、

「傷ついた男性性」や、「ロックマン(「岩男」って「石になろう」にピッタリすぎなんだが)」という観点でもお話しできるのですが、しつこいのでノートルダムシリーズはこれにて一旦閉幕といたします。

 

私の道楽にお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

オペラ座の怪人と違い、1回観ただけで、よくもあっさい感想と考察を書けたものだな、失礼なことをしてしまったかもしれないと、途中、他のファンの方の感想などを拝見したりして怖くなりました。笑

特に、感想後編をアップした次の日辺りに、カジモド役の飯田達郎さんと、フロロー役の野中万寿夫さんのインタビュー記事がネットにアップされていて、グハァとなりました。

私なんかがこんな浅はかに語ってよい作品だったのかと(ー ー;)

 

だけどそもそも立派なことを書けると思う方がおこがましいし、感想に正誤もないしということで、走り切らせていただきました。

1回観ただけの人が書いたもの以上でも以下でもありませんので、どうかお許しくださいませ。

 

ただ、最初の感想で、フロローさまの役職として書いた「司祭」が、ほんとは「大助祭」であったのに気づき、さすがにそれは後からフェアな形(笑)で書き直しました。

大変失礼いたしました。

そして、感想後編で書いた、カジモドになるところをあえて見せる演出は、劇中劇だからだったんですね。

わかってなかった(^^;;こちらも失礼いたしました。

それでもやっぱりあのシーンは感動だったことには変わりありません。

 

 

たくさんの方が読んでくださってうれしかったです!

書けて楽しかったです!

ありがとうございました(^▽^)

 

 

「罪の炎」と「石になろう」をダウンロードして聞いています。

ダークな2曲だなおい。でもどうしてもこの2つが好きなんだよう。笑

 

そろそろファントムさまにもお会いしにゆきたいなあ。

1月にお見かけして以来ですもの。

 

 

【カテゴリー一覧】

 

 

LINE公式登録はこちら

LINE特典について

ID  @567icozp

 

 

 

www.aikoingk.com

 

 

 

 

▽いなこの雰囲気はこんな感じです。

「やわらかい関西弁が聞き心地よい」とのありがたいお声をいただいています(‘∀‘)

m.youtube.com

 

 

▽お問い合わせ、ご意見ご感想はコチラ 

 

 

 

「ノートルダムの鐘」をちょこっと心理学的に考察①ー怖れに基づいたエゴの声とはー

ノートルダムの鐘」をちょこっと心理学的に考察①ー怖れに基づいたエゴの声ー

 

 

'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

さてちょっと間があいてしまいましたが、本日は以前の予告通り、「ノートルダムの鐘」の1シーンを題材にさせていただき、ちょこっと心理学的に考察したいと思います。

ノートルダムの鐘」といっても、ヴィクトル・ユゴーの原作や、それを元にしたディズニーのアニメ版などありますが、ここでお話しするのは、私が先日観劇した劇団四季のもの(原作小説を元にしたディズニーのミュージカルを日本版にしたもの)になります。

 

劇団四季ノートルダムの鐘」の感想はこちら

石にならないでよカジモド・・・劇団四季「ノートルダムの鐘」を観てきました! ←簡単なあらすじも書いてます

怪物と人間の違いを教えてほしい―劇団四季「ノートルダムの鐘」を観てきました!

 

 

さてさて、考察させていただくシーンは、「石になろう」です。

感想でさんざん書いた「石になろう」でございます。

 

 

ここからネタバレですよー!

 

 

私はねー、やっぱりあそこが1番グッときたんですねえ。

 

 

 

 

カジモドが、エスメラルダを助けようと行動するも、フロローの罠にかかり、失敗するどころか事態はよけいに悪くなるんですね。

 

「石になろう」は、カジモドが勇気を出してエスメラルダを助けようと挑戦したけれどうまくいかず、自分に失望し、希望を捨てて塞ぎ込もうとする歌です。

「石になろう」がどういうシーンかご存じない方は、こちらをご参照くださいね。

 

この歌詞が、まさに、「エゴの声」なんですね。

 

この「石になろう」の歌詞は、エゴが言いそうなことが、すばらしく網羅されているんです。笑

 

「現実を見ろ」とか、

「(励ますことばに対して)気休めはもうたくさん」とか、

「夢はいらない」とか、

「あこがれるのはやめた」とか。

 

そして、ご主人様(フロロー)の

「世間は残酷だ」

「隠れて生きろ」

ということばの方が本当で、そちらを信じる方がマシだ

と歌います。

正しくは「石になろう␣ノートルダムの鐘␣歌詞」でご検索ください。

 

このフロローの教えも、エゴの声ですよね。

今回は掘り下げませんが、フロローの思考、行動も、エゴな部分が大いにあると思われます。

 

 

そんな夢も希望もない悲しいことを言ってくるのがエゴなのですが、自分の敵かというと、そうとも言えないんですね。

 

エゴとは、いまやよく聞かれる用語ですが、怖れに基づいたマインドを指します。

マインドなので、もちろん自分の中にあるものです。

 

 

このときのカジモドのように、何か辛いことがあって、傷ついたとします。

 

そうすると、エゴは、もう2度と傷つかないように、防衛的な提案をしてきます。

また傷つくことを、エゴはすごく怖れているんです。

 

たとえば、失恋した経験から、

「もう恋なんてしない方がいい」とか、

「あんな素敵な人が私を相手にするはずないから告白なんてしないでおこう」とか。

 

彼氏に浮気された経験から、

「男なんてみんな浮気するものよ、男なんてあてにならない」とか。

 

何かに挑戦して失敗した経験から、

「チャレンジなんて無駄、無難に過ごすのが1番」とか、

「あんなのできるのは一部の恵まれた人だけだからやめといた方がいい」とか。

 

誰かに裏切られた経験から、

「人は裏切るもの、だから最初から誰も信じないでおこう」とか。

 

助けてもらえなかった経験から、

「もう誰も頼らず、1人で生きていく」とか。

 

こういった怖れに基づいた思考って、多かれ少なかれ、何かしら誰にでもあると思います。

 

 

エゴのこうした提案は、一見もっともらしく思えます。

そして、短期的にはうまくいくんですね。

 

たしかに、もう恋なんてしなければ、失恋することもない。

チャレンジしなければ、失敗することもない。

夢をみなければ、敗れることもない。

人を信じなければ、裏切られることもない。

人を頼らなければ、がっかりすることもない。

大聖堂に閉じこもって暮らしていれば、ある程度安全かもしれません。

 

 

ですが、長期的には、エゴのやり方に従っていくと、どんどんと人と分離し、孤独になり、破滅の方へと導かれます。

 

人との関係を断てば、たしかに他人との摩擦はなくなります。

触れることもないのだから摩擦の起こりようがないですが、いくら安全で人との摩擦がないからといって、人を好きになる気持ちを抑え、したいことから目を背け、誰のことも信じず、誰にも頼らず、人と心から笑い合うこともなく1人で生きていく毎日に、ワクワクや充実感、満たされた気持ちや幸せがあるでしょうか。

 

傷つくことはなくとも、心が死んだようになってしまいます。

 

人とつながれたときにこそ、人は深いよろこびを感じることができるものだから。

 

 

 

 

怖れに基づいた防衛的な声という点では、エゴの声は、アラーム音のようなものと言えるかもしれません。

夢も希望もないことを言ってきますが、傷つかないよう自分を守ろうとしているんですね。

 

そっちに行ったらダメ!

どうせ傷つくんだから!!

絶対ダメ!!!

ダメったらダメーーーっ!!!!!

 

必死なんです。

いつかのようにまた傷つくことが、すごく怖いから。

意地悪というより、必死な怖がりさんなんですね。

 

 

ですから、エゴの声を無理に打ち消そうとすると、よけいに騒ぎ出します。

 

ポジティブに考えようと、無理にネガティブな自分の考えを打ち消そうとしたらぜんぜんそんなふうに思えず、よけいに気分が悪くなったことはありませんか?

 

エゴの元となっている怖れを無視して、無理に打ち消そうとしたら、「ダメダメダメ!!!ほんとにそっちは危ないんだってば!!!」と怖れからいっそう必死に警告し説得してきます。

 

 

ではどうすればいいのか。

……というお話は、長くなってきたので次回にいたしますね。

「もう恋なんてしない」から、「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」まで持っていかなきゃね!←鐘関係なくなってますやん

 

お読みいただきありがとうございました!!!

また見に来てくださいね。(らぶ)

 

▽続きはこちら

www.aikoingk.com

 

 

初めて豆苗の切れ端を再利用して育ててみました。
1、2日は無反応に見えて、私ってば豆苗も満足に育てられない女なのかしらんと思いましたが、
忘れた頃に見たらいい感じにボーボーになってました。
お母さん、いなこ豆苗育てられたよ!!! ←水につけて放置しただけ
中華風スープにして昨夜おいしくいただきました。
豆苗同士すんごいからまってこんがらがってましたわ。笑

 

【カテゴリー一覧】

 

 

LINE公式登録はこちら

LINE特典について

ID  @567icozp

 

 

 

www.aikoingk.com

 

 

 

 

▽いなこの雰囲気はこんな感じです。

「やわらかい関西弁が聞き心地よい」とのありがたいお声をいただいています(‘∀‘)

m.youtube.com

 

 

▽お問い合わせ、ご意見ご感想はコチラ 

 

 

 

怪物と人間の違いを教えてほしい―劇団四季「ノートルダムの鐘」を観てきました!後編

怪物と人間の違いを教えてほしいー劇団四季ノートルダムの鐘」を観てきました!後編

 

 

'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

さてさてやっと、劇団四季ノートルダムの鐘」の感想後編です!

▽前編はこちら

www.aikoingk.com

 

 

ここからバッチバチにネタバレしますよーーー!

 

 

前回は、「石になろう」について書いたのですが、もう1点、どうしても書きたかったこと。

 

それは、カジモドの初登場シーンについてです。

大まかなあらすじはこちらをご覧ください。

 

劇冒頭、フロローが、カジモドを育てることになった経緯が語られます。

そこでフロローに抱かれた赤ちゃんのカジモド(たぶん、いや絶対人形)は出てくるのですが、その後時は流れ、劇上の現在となり、主役である青年となったカジモドが初登場します。

 

 

私が書きたかったのは、そのカジモド初登場シーンなんです。

 

 

カジモドには、あらすじに書いたように、障害があります。

背中にはこぶがあり、

背骨は曲がり、常に前屈姿勢。

歩き方も、足が不自由そうな歩き方。

目は左目しか見えず、

話すのも不自由で、はっきり話せません。

 

それが青年になったカジモドなのですが、その姿で舞台に登場するのではないんですね。

 

"普通の"青年として、あるいは俳優さんとして、カジモド役の方が登場します。

 

カジモドの衣装を着ていないのはもちろん、背中も曲がっていない、こぶもない、白シャツを着たシュッとした男性が、軽く走りながら颯爽と、舞台中央に登場するんですね。

 

 

この日のカジモドは寺本健一郎さん。

 

その状態から、舞台上で、

背中にこぶとなる小道具をつけられ、

右目に墨を塗って見えないことを表現し、

カジモドの衣装である、カーキ色のベストを着せられます。

 

そこから、背中を曲げ、歩容を悪くし、「カジモド」になります。

 

"普通の"青年から「カジモド」になるところを、あえて見せているんですね。

 

 

その演出にどんな意図があるのかはわかりませんが、カジモドがどういう人物かを、ある程度予習していった私は、そこでボロボロ泣けてきました。

 

まだストーリー始まったばかりなのに、なんたる情緒不安定よ。笑

泣いてるのがバレないよう、静かに鼻をすするのが大変でした。笑

 

 

何の涙だったんだろう。

 

うまく説明できないのですが、そのシーンを見ながら、

ああ、そうやんな。

みんな、中身は同じ"ただの人間"やんな。

ということを感じていました。

 

 

そのシーンでは、

教えてほしい

人間と怪物の違いを

みたいな歌が歌われていました。

オペラ座ほど歌詞を覚えていなくてごめんなさい。笑

 

カジモドは、その醜い容姿から、フロローに、怪物のようだと言われてきたんですね。

"カジモド"とは、フロローがつけた名前ですが、できそこないという意味です。

 

だけど、この演出により、“怪物”の中身も、この“普通の”青年なんだということを、まざまざと見せつけられたような感じがして。

 

カジモドの"装備"を次々装着されるそのシーンが、

まるで生まれてくるときに、

神様に、

今世での自分の設定を与えられた瞬間のように見えて。

 

あるいは生まれてくるときに、

自分の魂が、

今世での自分の設定を選んだ瞬間のように見えて。

 

劇中の役が完成したという意味でも、

この世に生まれ落ちたという意味でも、

カジモド誕生の瞬間に見えました。

 

 

人はそれぞれ、生まれた瞬間に、いろんな設定を与えられます。

容姿や身体的なこともそうだし、人種や家柄などなど……

 

そうやって、人それぞれ、

いろんな設定を与えられて、

あるいはもしかしたら、

自ら選んだのかもしれないけれど、

中身はみな同じ、自由な魂なんだよなあ

みたいなことを感じたんですね。

 

それがすごく、胸に迫るものがあって。

 

無性に泣けたんですね。

まだ何も始まっていないのに。笑

 

カジモドは、身体が不自由でままならなくて、小さくなって生きているけれど、中身はこの身軽な青年で、自由な魂なんだよなっていう。

あー。すごく感動したのにうまく伝えられず、歯がゆし。笑

 

 

中身はただの人間というのは、フロローにももちろん言えることで。

 

聖職者として、清く正しく生きてきたフロローが、若く美しい女性エスメラルダに魅了され、欲望を抱き、どんどんと道を外れていくのですが、私は、フロローがエスメラルダに欲望を抱いたこと自体が悪いことだとは思わないんですね。

 

そこではなくて。

 

美しい女性、

しかも自分が悪とみなし

排除してきたジプシーの女性に、

魅了され、

欲望を抱いた自分を、

認められなかったこと。

 

"聖職者"の自分も、

ただの男であり、

ただの人間であるということに、

向き合えなかったこと。

 

問題があるとしたら、そこだと思うんです。

 

 

そんな自分を認められず、向き合えずに、

体のいい、もっともらしい、ウソの理由をこじつけて、

自分の欲望を満たそうとしたから、

おかしくなってしまったんだと思うんですね。

 

 

聖職者である前に、1人の男であり、1人の人間やねんから、いいやんか。

そんなに罪の意識を持たなくたって。

人間として、当然のことやん。

自分の気持ちに素直になればいいやんか。

 

 

、、、と私が言えるのは、現代日本に生きているからかもしれません。

 

あの時代、あの立場で、フロローが受けてきた教育を考えると、自分の中に湧いたそんな欲望を素直に認めるのは、そう簡単なことではなかったのだと思います。

フロローにとっては、これまでの自分が全否定されてしまうような、これまでの人生がすべてひっくり返ってしまうようなことですよね。

 

 

……とフロローのことを偉そうに言ったけれど、

こんなことは、状況は違えどいろんな場面で、

誰もがやったことのあることでもあります。

 

認めたくない、見たくない自分の感情に、

蓋をして、なかったことにしたり、

もっともらしいウソの理由をつけて正当化したり、

相手のせいにしたり、

遠回しにコントロールしようとしたり。

そういうことを人は、多かれ少なかれ、無意識にやってしまいます。

もちろん私も。

 

 

フロローは、悟りを得た聖職者然としているけれど、本当の悟りとは、清く正しく、絶対に間違わない立派な存在になるということではなく、自分も含めたすべての人が、ただの人間である、ということを受け入れるということではないかと思います。

 

悟りを得たことをステイタスのようにし、立派で特別な人間になろうとする人もいますが、それは、自分を着飾るアイテムを、物質的なものから精神的なものに変えただけ。

 

本当の悟りとは、誰もがただの人間であることを受け入れること。

醜い部分も、間違ってしまうことも含めて、すでに完全であることを知ること。

すでに完全であるから、何かになろうとしたり、どこかに行こうしたりする必要がなくなり、今ここを生きるだけでよくなること。

そういうことなのではないかと思います。

 

……と、話がそれてきましたが、その冒頭シーンがとにかく泣けました。笑

 

私も他の人も、いろんな設定を背負って、みんなほんとによくがんばって毎日生きてるよなあ、愛おしいなあっていう、人間愛的な涙だったのかもしれません。

 

ことばは少ないのだけど、胸に迫るシーンでした。

 

 

ということで以上、劇団四季ノートルダムの鐘」感想でした。

恋愛要素もあるけれど、人間ドラマっていう要素が断然強いかなと思います。

そしてカジモドが、とにかく素直に応援したくなるキャラクター!

健気で愛おしい主役です。

あと少しで京都を去っちゃうので、関西の方はぜひご一見あれ(^^)

 

 

次は、ちょこっと心理学的に考察シリーズを、「ノートルダムの鐘」で1記事だけ書きたいと思います。

ってまだ鐘続くんかい!笑

へへ、これ心理学用語の解説にわかりやすいなって思ったシーンがあって、どうしても書きたくて。

「オペラ座の怪人」をちょこっと心理学的に考察リーズは、感想と心理学的考察をごっちゃに書いちゃって、とっちらかって我ながら読みにくかったので(それなのに読んでくださったみなさま、ほんとにありがとうございます!!!)、今回は、感想と、ちょこっと心理学的に考察シリーズを分けました。

ということで、またぜひぜひ見にきてくださいねー!

ありがとうございました(^▽^)

 

 

www.aikoingk.com

 

 

京都は大阪より寒かった。
でももうすっかりあたたかくなって、
ほんの1週間ちょっと前のことなのに、遠い昔のようです。
季節はどんどん巡るなあ。

 

 

【カテゴリー一覧】

 

 

 

LINE公式登録はこちら

LINE特典について

ID  @567icozp

 

 

 

www.aikoingk.com

 

 

 

 

▽いなこの雰囲気はこんな感じです。

「やわらかい関西弁が聞き心地よい」とのありがたいお声をいただいています(‘∀‘)

m.youtube.com

 

 

▽お問い合わせ、ご意見ご感想はコチラ 

 

 

 

 【ご感想】観劇ブログになったとしても(!)いなこ様のカウンセラーの視点が主になっているので、やはりカウンセラーさんのブログやなあということです

 【ご感想】観劇ブログになったとしても(!)いなこ様のカウンセラーの視点が主になっているので、やはりカウンセラーさんのブログやなあということです

 

 

'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

▽こちらの記事

www.aikoingk.com

にご感想をいただきましたのでご紹介します!

 

 

【ご感想】

毎度おおきに ありがとうございます、ココロノマルシェでお世話になりました、まつきです。また感想送りたくなりました。

 

オペラ座以外の観劇記事も楽しく拝見しました!

私が感じるのは、観劇ブログになったとしても(!)いなこ様のカウンセラーの視点が主になっているので、やはりカウンセラーさんのブログやなあということです。

 

まさに今春、私は5年(そない長くない)勤めた会社を辞めて、何とか長年の目標の翻訳者に踏み出す為に暗中模索中です。実際は、実力つく前に見切り発車すぎて、何のめども立っていません。

やってもうたな~とも思っている時にこの記事が上がって、少し違うけれども遠くない心境だなと思いました。

 

いなこ様にお伝えしたいこと。いなこ様が、カウンセラーに一歩も二歩も踏み出してくれはったから、その記事を楽しんでいる人がいる。ココロノマルシェの回答で救われた人がいる。

今の状況は、まだいなこ様の望むものではないかも知れませんが、上記の事実は消えないものです。ですので私はいなこ様に、カウンセラーになってくださりありがとうございます、とお伝えしたい。

 

本当はね、もしカウンセリングを再開なさることがあればなあ…とも思うのですが、過労でのうつ病が治ったと医師に言われた後も、不安で受診が止められなくて。

もう薬も飲んでないですが、双方の為にも受診する間はカウンセリングを控えた方がいいわなと思っています。

 

でもね、そう思う人が大阪市内におるんやーっていうの、知っていてくださいませね!(場所関係ないけど笑)ほなまた!いつもおおきにありがとうございます!

まつきさま

 

 

 

 

まつきさん、またまたご感想をお寄せいただきありがとうございます!!!

 

ファンの方の劇団四季の感想って、「何月何日のキャストさんたちの、あのシーンがどうだった」とか、「あの俳優さんのその日の声の調子がどうだった」とか、そういうレポートが多いんですね。

 

そしてファンからすると、というか私は、そういうのを読むのがとっっても楽しいんです。

観に行っていなかった日は、「そうだったんだ〜(わくわくドキドキ)」と疑似体験できるし、次観る時の目の付けどころ(笑)の勉強にもなるし、観ていた日の分は、「あのシーンの時のことね、わかるーーーっ!!!」って共感したりするのが楽しいし。

 

だけど私の書いているものは、キャストさんたちのことというより、ストーリーの解釈だけです。

キャストさんたちのこととか書き出すと、いよいよ観劇ブログになっちゃうので自制してます。笑

なので、四季ファンの方にとっては、私のストーリー解釈なんかおもしろくないよなと思ったり。

 

かといって、カウンセラーブログとして読んでくださっている方には、私が四季四季言いすぎて、その暑苦しさについて来られないかもしれないなと思ったり。

熱量が違いすぎるとかえって冷めちゃいますよね(^^;;

 

要するに、私の四季の感想記事は、どこにもニーズがない気がしていたんですね。

それでも書きたいから需要無視で書いてるわけだけれども笑

 

 

だから、まつきさんの、

>観劇ブログになったとしても(!)いなこ様のカウンセラーの視点が主になっているので、やはりカウンセラーさんのブログやなあということです。

というおことばに、とっても励まされました!!!

意識しなくても、カウンセラーとしての視点が、自然に培われてきているのかなという自信にもなりました。

 

ありがとうございます(TT)(TT)(TT)

 

もう、大阪市内の、私の家から見てどっちの方角に足を向けずに寝たらよいのでしょう。笑

いつもいつもほんとにありがとうございます!!!

 

また、まつきさんの近況と私の近況が、少し似ていることからも、ご縁を感じずにはいられない。

まつきさんのその夢、応援させてください!!!

 

そして、うつ病を経験されたとのことですが、その件についても、それを経て、よくなってまた働けているということが、どなたかの希望になればと、快く掲載のご了承をくださいました。

 

本当にありがとうございます!!!

まつきさんの愛、必要な方に届けーーーっ!!!

 

 

カウンセリングについても心に留めていただきありがとうございます(^^)

お気持ちとってもうれしいです。

いろいろやり方を整備しないとと思いながら、ダラダラと募集せずにきてしまっていて(^^;;

 

大々的に募集はしておりませんが、まつきさん以外の方でも、ご希望の方はお気軽にお問合せくださいませ。

 

まつきさん、すべてを見透かしたような(笑)愛のあるご感想、本当にありがとうございました(^▽^)

 

 

ということで?次回ついに(笑)、「ノートルダムの鐘」感想の続きを書きますね。

お楽しみに〜!

 

 

【カテゴリー一覧】

 

 

LINE公式登録はこちら

LINE特典について

ID  @567icozp

 

 

 

www.aikoingk.com

 

 

 

 

▽いなこの雰囲気はこんな感じです。

「やわらかい関西弁が聞き心地よい」とのありがたいお声をいただいています(‘∀‘)

m.youtube.com

 

 

▽お問い合わせ、ご意見ご感想はコチラ 

 

 

 

自分の価値がわからない人ほどわかること

自分の価値がわからない人ほどわかること

 

 

'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

ほへー。

先週は、京都に行って、ノートルダムの鐘を観て、ぽわーとしたまま月末に入ってしまい、しかも、なんと思っていたより3日も早く月末が来たので(←わかってたはずだろ?)、心構えなく、なかなか月末業務に取り組めませんでした。

 

結果、詰め込み月末業務となり、めずらしく残業、その余韻たっぷりで、先週は寝不足のねむねむ週間となり、ブログも気になりながらもご無沙汰になってしまいました。

 

 

だけど週末には、カウンセラー同期のゆかさま(といつものように呼ばせていただきますね)と、フリータイムカラオケで歌いまくる予定があったので、がんばるべしと思っていたんですね。

 

と思っていたら、病気治療中のゆかさまの旦那さんの調子が悪く、入院されたとのことで、中止となってしまいました。

 

 

断りの連絡をもらったときは、月末業務と格闘中だったので、とりあえずあっさりと了解の旨を返信したのですが、月末の書類を鬼のスピードでさばきながら(心込めてやらんかい)、ゆかさまとの昔のエピソードを思い出していたんですね。

 

 

ゆかさまは、まだカウンセラーの講座で出会って

3ヶ月するかしないかくらいの、大して話したこともない頃に、

私がブログに載せている絵を見て、

「ブログに使う似顔絵アイコンを描いてほしい」

と注文してくれたんですね。

 

イラストレーターとして積極的に営業しているわけでもなく、

たくさん実績があるわけでもないのに、

「好きなテイストだから」と注文してくれたことが、

とてもうれしかった。

大して仲良かったわけでもなかったのに。笑

 

納品したときも、すごくよろこんでくれました。

 

 

ゆかさまのブログを見てもらうとわかるように、

彼女は、おいしいものや、美しいもの、楽しいこと、

気持ちいいことを見つけてきて、楽しむのがとても上手な人。

 

興奮や生き生き感が、ダイレクトに伝わってきます。

 

ゆかさまがそんなふうに楽しむことで、

その商品やサービスを作った人、

それに携わった人たちは、

自信やモチベーション、勇気やよろこびを

たくさんもらったことだろうなあと思います。

私がそうであったように。

 

私から見ると、彼女は、

自分の好きに忠実に、

それをよろこんで受け取って楽しむことで、

たくさんの人に幸せを与えられる人なんですね。

 

 

ということは、誰より、彼女のパートナーである旦那さんが、

そうだったのではないかと思うんです。

 

ゆかさまのことだから、これまできっと、旦那さんに、

これが食べたい、

それを買ってくれ、

あそこに連れて行けと

こき使って甘えてきたはず。

 

そうやって楽しむゆかさまを見て、

旦那さんは、自信や勇気やよろこびを

もらっていたんじゃないかなあと思うんです。

そして、それを叶えてあげられる自分のことも、

好きだったんじゃないかなあと。

 

だけど今、旦那さんは、病気の治療中で、

ゆかさまにおねだりをされることもきっと減って、

よろこばせてあげることができない(と思っている)。

してもらうことばかりで、してあげられない。

 

それが今、辛いのではないかなあと。

 

 

人って、誰かの力になれないことが辛いんです。

人ってそのくらい、人を愛したいものなんですね。

それが人間の本質なんです。

 

 

治療中の旦那さんに、もちろん無理は言えないだろうけど、

たとえば、

病院の帰りに好きなパンを買ってもらうとか、

手を握ってもらうとか、

今の旦那さんにも、ゆかさまをよろこばせられることって、

結構あるんじゃないかなあと思ったんですね。

 

ちょっとでもゆかさまをよろこばせることができたら、

旦那さんの自信にもなるし、

もっとよろこばせるために、もっと元気になりたいと、

欲も出てくるかもしれない。

 

ゆかさまが、旦那さんの希望だと思うんです。

 

 

 

私は医療の仕事をしていますが、

病状のいかんに関わらず、

希望のある人は強いということを、見てきました。

 

ゆかさまは、

好きなことを思いっきり享受して楽しむことで、

よろこびを与えられる人。

ゆかさまは、旦那さんの希望。

 

 

絵の注文を受けたときのことを思い出して、

あらためてあたたかい感謝が湧いてきて、

そんなことを伝えたくなり、

月末業務が終わった後、LINEしました。

 

そのことをゆかさまがブログに書いてくれていました。

ameblo.jp

本気で喜ぶ私を見せてあげようじゃないの!!だって。かわゆい。笑

 

 

私たちって、人を愛するとき、何かしてあげたいと思います。

その気持ちは尊いし、

してあげるのももちろんいいのだけど、

それに加えて、

「相手のよろこびになる」

という愛し方もあるんです。

 

相手に素直に甘える。

ほめことばに素直によろこぶ。

好きなことを思いっきり楽しむ。

欲しいものを遠慮なく欲しがる。

 

自分がそんなことをするだけで、相手によろこばれる?

私にそんな価値がある?

と、信じられない人ほど、

逆の立場になったとき、

どれほどそうされるのがうれしいか、わかるはずです。

 

人は、自分は人の力になれない、

よろこびになれないと感じたときに、

やさぐれ、心を閉ざします。

そして本当に、力を失くしてしまいます。

 

もしもあなたが差し出したもの・ことを、

相手がともすればお礼を言うのも忘れるくらい夢中になって、

楽しんで、よろこんでくれたら、

差し出したあなたは、

自分にはこんなにも力があったんだと、

めちゃくちゃ自信とよろこびが湧いてくるのではないでしょうか。

 

 

だからもうね、いい加減、受け取りましょうよ。

 

人を頼る。

ほめられたら素直によろこぶ。

欲しいものを遠慮なく欲しがる。

わかったかい、私よ?笑

 

 

ちなみにゆかさまは、

イラストアイコンを注文してくれた当時は

顔出ししていなかったのですが、

その後プロのカメラマンの方に、

ちゃんとした素敵な写真を撮ってもらい、

今はそちらの写真をアイコンにしています。

 

だけどTwitterのアイコンだけ、

まだ私のイラストのままなんですね。

ビジネス的には、アイコンは統一した方がいいと思うのだけど。

 

ゆかさまのことだから、私に気を遣っているわけではなく、

買ったものはとことん使い倒してやろう

という魂胆だと信じていますが(笑)、

私は、注文してくれた時点で、

永遠に色褪せないよろこびをもらってるから、

好きにしてくれてぜんぜん大丈夫だよん。

と、最後に私信としてこの記事を使わせていただきたいと思います。

読んでくれるかは知らんけど。笑

 

 

ゆかさまは今、こんな思いで、

旦那さんや自分と向き合いながら、

カウンセラーとしても精力的に活動中です!

 

 

会社員経験も豊富なゆかさまのサービスで、

あなたが少しでも楽に元気になってくれたら、

それがゆかさまのよろこびになります(^_-)

カウンセリングはもちろん、お茶会、講座と

いろいろやってますので、ぜひぜひご活用くださいねん。

 

 

 

四季の「ノートルダムの鐘」の感想の続きも、予告通りもう1つ書きたいので、待ってくださっている方、もうちょーっと待っててくださいねー!!

 

 

【カテゴリー一覧】

 

 

LINE公式登録はこちら

LINE特典について

ID  @567icozp

 

 

 

www.aikoingk.com

 

 

 

 

▽いなこの雰囲気はこんな感じです。

「やわらかい関西弁が聞き心地よい」とのありがたいお声をいただいています(‘∀‘)

m.youtube.com

 

 

▽お問い合わせ、ご意見ご感想はコチラ 

 

 

 

石にならないでよカジモド・・・劇団四季「ノートルダムの鐘」を観てきました!前編

石にならないでよカジモド・・・劇団四季ノートルダムの鐘」を観てきました!前編

 

 

’それなりに’うまくいっている→を→’おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

劇団四季ノートルダムの鐘」を観てきました!

 

一観客として感想を言いたくなったので、今日は単純に感想を書きたいと思います〜。

 

 

四季の「オペラ座の怪人」ついて熱っぽく書いていた私ですが、四季のもの全般を観ているわけでもなく、ミュージカルや演劇全般に詳しいわけでもなく、ただたまたま誘われて観た四季のオペラ座の怪人が大好きになったというだけなんですよね。

 

四季は、他には、「ライオンキング」と「アイーダ」を1回ずつ観たことあるだけです。

 

ノートルダムの鐘」は、今京都に来ているので、関西にいるうちに1回観ておこうかなーくらいの感じで、お正月に妹に会った時に誘って、昨日行ってきました。

 

白黒でレッドカーペットを歩く絵になるカップルさんと、写真を撮っている姉に気づかずスタスタ行っちゃう妹。笑

 

 

でもやっぱり、その1回分も、オペラ座に回した方がよかったかしらんと、普段ファントムさまに忠誠を誓っている私は、謎の罪悪感(笑)を感じて、気持ちが盛り上がりきらないままでいました。

 

ミュージカルってあらすじがわかりにくいことがあるので、何となく予習していったのですが。

 

 

あ、ここからネタバレしますよーーー!

 

 

あっさりとあらすじをご紹介すると、

1400年代のパリのノートルダム大聖堂司祭助祭であるフロローは、清く正しく生き、教会の中でもどんどん出世してきました。

 

そんなフロローとは対照的な、遊び人の弟は、ジプシーの女性との間に子をもうけて、病気で亡くなってしまいます。

 

その子は、病気か障害があって、醜い姿をしていました。

穢れたジプシーとの子ども、しかもこんなに醜い子どもなんて、と捨てようとしましたが、神の視線を感じ、畏れを抱いたフロローは、育てることにします。

 

ただし、大聖堂に閉じ込めて。

 

醜くて、パリで閉じこもって暮らしてるって、それはもはやファントムさまやん。笑
でもぜんぜん雰囲気は違うんですね。(当然。笑)
ファントムさまは”孤高の天才”って感じで、カジモドは”気はやさしくて力持ち”って感じかな。

 

 

その子に、"できそこない"という意味のカジモドという名前をつけ、醜い姿のお前は、世間に出たら、嫌われる、いじめられる、世間は冷たい、ここだけが安全なんだと言い聞かせて育てます。

 

カジモドは、そんな冷たいことばをかけられて育ちながらも、このご主人様だけが自分を守り育ててくれたと、フロローに従い、大聖堂の鐘をつく仕事を与えられ、外の世界に出ることなく過ごしています。

 

ご主人様には、外の世界は怖い冷たいところと教えられながらも、大聖堂の屋上から見る、街の人々の普通の暮らしに憧れを抱いていたカジモドは、青年になったある日、年に1度のお祭りの日に、初めてこっそり外に出ます。

 

そのお祭りで踊っていた、エスメラルダというジプシーの美しい女性と、ハプニングがあり仲良くなり、人に初めてやさしくしてもらったカジモドは、彼女にうっすら恋をします。

 

でも、彼女に恋をしたのはカジモドだけではなかったんですね。

 

フロローも、だったんです。

 

若く美しいエスメラルダに魅了されますが、それまで、ジプシーは街の治安を乱す悪として、彼らを排除するのが大きな仕事の1つだったフロローは、そんな自分の思いに戸惑い、罪悪感を抱きます。

人間として当然の欲望だけれど、聖職者として、「清く」、「正しく」生きてきたフロローは、それを素直に認めることができなかったんですね。

そんな自分の感情に戸惑い、怖れ、忌み嫌い、自分を惑わす悪魔のようなあの女のせいだと考えようとします。

 

しかし自分の中に湧き上がる欲望を抑えることはできず、姿を隠して、今まで行ったこともないようないかがわしいお店(笑)を巡り、彼女を求めて夜の街を彷徨い歩きます。

 

そうしてエスメラルダを見つけ出したフロローは、素直に好意を伝えるのではなく、穢れているジプシーのお前も、大聖堂に住めば更生できるからここに住んで学べば救われるだろうと、もっともらしい理由をつけて、自分のものにしようとします。

 

でも、自由を愛するエスメラルダ姐さんは、もちろんそんな申し出をキッパリ断り、フロローの歪んだ欲望も見抜きます。

 

そこから、フロローの狂気の沙汰が始まります。

 

人の心を惑わすジプシー女を捕らえろと、自分の権力をフル活用して命令を出し、エスメラルダを捕まえようとします。

 

自分のものにならないなら、火あぶりにして殺してしまおうとするんですね。

 

そんなエスメラルダを、カジモドは勇気を振り絞って、助けにいこうとします。

 

 

・・・とまあ、簡単なあらすじはこんな感じです。

 

 

私はオペラ座では泣いたことないのですが、このノートルダムは泣きました。

四季で初めて泣きましたよ。

いや、泣いたからいいお芝居とかそうじゃないとか、そういうことではまったくないです。

ファントムさまはやっぱり私のナンバーワンだし。←聞いてない

 

私にとってオペラ座は、ファントムさまにうっとり、その世界にうっとり、、っていう要素が大きいのですが、ノートルダムはカジモドに共感って感じで泣けたんですよね。

 

感動の種類が違う感じです。

 

 

で、どこで泣いたかというとね、

「石になろう」のところですね。

 

 

エスメラルダを助けようと、カジモドは1度行動するんですが、フロローの罠にはまって、失敗するんですね。

そして、事態はより悪い方に行ってしまいます。

 

カジモドはフロローに連れ戻され、2度と外に出られないように、閉じ込められ、繋がれてしまいます。

 

そこで、カジモドは、すごく自分を責めるんですね。

 

僕がやったことで、かえって事態は悪くなった!

勇気を出してやったのに、何にもならなかった!

夢なんて見なければよかった!

ご主人様の言うことは、正しかったんだ。

 

僕は醜い。

世間は残酷だ。

 

もう2度と憧れなんて抱かない。

夢なんて見ない。

 

1人にしてくれ。

 

何も感じなければどんなに楽か。

 

心を閉ざして、いっそ石になりたい。

石になろう。

 

 

※歌詞、セリフそのままではないです。私の記憶の感じで書いてます。

 

 

このシーン、

ああ、人はこうやって、心を閉ざしていくんだな

というのが、痛いくらいわかって。

 

そしてこれは、私もよく知っている感情で。

 

ボロボロ泣けてきました。

 

 

勇気を振り絞って、挑戦したのに、

何にもならなかった。

夢見た自分がバカみたい。

誰の力にもなれなかった。

何の役にも立たない自分。

それどころか、人に迷惑をかけた、、

 

バカみたいバカみたい。

 

無駄に夢なんて見るんじゃなかった。

調子に乗って、挑戦なんてするんじゃなかった。

 

もう2度と夢なんて見ないし、挑戦もしない。

 

もう誰も何も信じない。

 

そうすれば、傷つくこともない。

 

何も感じず、何も夢見ず、静かに1人で生きていくんだ……

 

 

そうやって、人は心を閉ざすんですよね。

 

 

誰かの力になりたくて、勇気を出して頑張ったのに、何の役にも立たなかった。

 

辛いよね。

辛い。

 

情けなくて、惨めで、悲しい。

 

そんな気持ちは、何かに挑戦した人なら、1度は感じたことがあるのではないでしょうか。

 

勇気出して、新しいこと挑戦したけどうまく行かなかったとか。

憧れていた世界に入れたけど、もっとすごい人がいて、心折れたとか。

団体戦で、自分のせいで負けたとか。

好きな人に勇気出して告白したけど、振られたとか。

 

 

辛いですよね。

悲しい。

惨め。。

 

だけどこうして、カジモドのこととして、客観的に見ると、ぜんぜん惨めでも情けなくもないんです。

 

 

その痛みは、挑戦したからこその痛みやし!

まだ終わってないし!

よくやったよ!

めちゃくちゃかっこよかったよ、カジモド!!!

自分を責めないで!

自分を信じて!

信じて!

がんばれ!

がんばれ!

も一度がんばれ……!!!

 

 

泣きながら、そう必死で応援していました。

 

 

ここで、

世間は冷たい。

自分は無力だ。

そう信じたまま、心を閉ざして生きていくのか。

もう1度、世間と自分を信じて、挑戦するのか。

 

大きな分かれ道なんですよね。

 

 

カジモドは、もう1度、助けに行きます。

 

 

私も、ここ数年、環境の変化を経験し、自分なりには勇気を出して挑戦して、でも素直にうまくいったとは言えない状況だったので、すごく共感しました。

 

そして、この時のカジモドのように、自分を責め、心閉ざしがちだったなあと。。

自分を許せていなかったなあと。

 

 

だけど、カジモドを見ていたら、全然間違ってないし、その失敗は挑戦したからこそだし、まだ終わりでもないし……

そんなふうに思えて、自分を自然と許せる気持ちになっていました。

 

 

芸術って素晴らしいなあ。

理屈抜きで、心震わせてくれて、大事なことを教えてくれて、癒してくれる。

 

石になろうのカジモド思い出すと、また泣きそうです。

 

 

すばらしい作品をありがとうございました!!!

フロローさまも、ヴィランだけどかっこいいんですよねー。
白髪交じりの野中さんが十字切るの、かっこよかった。
四季に出てくるキャラクターは、悪役もなにもかも魅力的で困るわ〜〜。

 

 

長くなったけど、もうちょっとだけ感想書きたいので、また次回!

www.aikoingk.com

 

 

しかし、じわじわと観劇ブログになりつつあるよな、このブログ。笑

オペラ座記事が今も読まれていると、何よりうれしい気がしてしまう私は、カウンセラーとして何かが間違っているのでしょうね(-_-)

(いや、どの記事読んでくださってもうれしくありがたいのは大前提ですよ!!!いつもほんとにありがとうございます!!!)

 

 

【カテゴリー一覧】

 

 

LINE公式登録はこちら

LINE特典について

ID  @567icozp

 

 

 

www.aikoingk.com

 

 

 

 

▽いなこの雰囲気はこんな感じです。

「やわらかい関西弁が聞き心地よい」とのありがたいお声をいただいています(‘∀‘)

m.youtube.com

 

 

▽お問い合わせ、ご意見ご感想はコチラ