'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

「オペラ座の怪人」をちょこっと心理学的に考察①―怪人とペルソナー

オペラ座の怪人」をちょこっと心理学的に考察①―怪人とペルソナー 

 

 

ごぶさたしているうちにすっかり真冬になりました。

真冬どころか年末ですね。

 

'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

みなさまいかがお過ごしでしょうか。

私は無事年内の仕事を納めました.。

1年間無事故で終えられてことに大感謝です。

 

さて、ひさしぶりの更新ですが、しばらく好きなことを書きたいと思います(^^;

 

ちょくちょく劇団四季の「オペラ座の怪人」好きを公言してきましたが、冬休みの私の道楽として、「オペラ座の怪人」を、心理学用語をちょこっと交えながら書いていこうと思います。

 

もうオペラ座の怪人といえば名作中の名作なので、常々書きたいなと思いつつもこれを書くのはなかなか勇気が要りました。

私よりもはるかによくご存知のファンの方々がたくさんいらっしゃるし、いい加減なことは書けないなと。

 

かつ、このすばらしい芸術を、理屈こねて分析するというのが無粋な気もして。

芸術は理屈こねるものじゃなくて感じるものなんじゃないかと。

解釈は人それぞれだし。

 

だけど、だからこそ、好きなことを好きに書いていいかと思い、あくまでも「オペラ座の怪人」が好きな一・ファンの道楽として、気楽に書いてみることにしました。

 

好きだからちょっとでも作品に触れてたいのと、同じ思いのファンの方と繋がれたらうれしいなという気持ちで。

 

ということで、私めのこの記事が、もし由緒正しきファンの方のお目を汚すようなことがございましたら、ただただオペラ座の怪人が好きな浅はかな一・ファンが、自分の知っている範囲の知識で、好きに解釈して、ただ好きな気持ちだけで書いたものとして、寛大なお心で見過ごしていただけたらありがたき幸せにございます。←予防線がすごい

 

あくまでも、一個人の解釈ですのであしからずご了承くださいm(__)m

 

 

ということでということで、いつもこのブログを読んでくださっている方で、「オペラ座の怪人」を知らない、興味がない、という方にはあんまりかもしれませんが、とってもすばらしい作品なので、読んでみていただけたらうれしいです(^▽^)

 

 

逆に、ネタバレしたくない、人の解釈なんて聞きたくないという方は、ぜーーーったいに読まないでくださいねっ!

 

 

……と、本編に入る前に、前置きです。

前置き長いな。

 

おそらく「オペラ座の怪人」で、世界で1番有名なのは、アンドリューロイドウェバーのミュージカルだと思うんですね。

 

特別ファンでなければ、「オペラ座の怪人」とは、あの、ジャー!ジャジャジャジャジャーーー!という印象的な音楽のあれのことと思っている方もいらっしゃると思います。

 

そのジャー!は、アンドリューロイドウェバー作のミュージカル「オペラ座の怪人」であり、日本で上演されている劇団四季の「オペラ座の怪人も、アンドリューロイドウェバーのものです。

 

 

ですが「オペラ座の怪人」は、元は小説なんです。

フランスの、ガストンルルーという小説家によって、1910年に書かれました。

 

なので、その原作小説を元に、アンドリューロイドウェバー氏以外の方の手で作られたミュージカルとか映画もあるんですね。

まったく違う音楽とか、また違う解釈、人物像で。

 

 

で、私の好きなのは、アンドリューロイドウェバー版の「オペラ座の怪人」です。

というか、正確には劇団四季版ですね。

ちゃんと観たことあるのは四季版と2004年の映画(こちらもロイドウェバー版)のみだから。

 

劇団四季で上演されているのは、アンドリューロイドウェバー版を日本向けに訳したものです。

 

だから、「劇団四季版」は、「アンドリューロイドウェバー版」なのですが、やはり日本語に翻訳したニュアンスや、演出の具合で、元の英語版とは少し違うというご意見もファンのみなさんの中であるようなんですね。

 

なのでここで私が書くのは、アンドリューロイドウェバー版の中でも劇団四季版についてなので、「四季版」と表記しますね。

 

 

ということで、長い前置きが終わったところで。

書いていきたいと思います。

 

 

 

ここからネタバレしますよーーー!

 

 

 

はじめに、「オペラ座の怪人」はよく知らないけど読んでやろうという方のために(いらっしゃったらありがとうございます!)、簡単なあらすじを書いておきますね。

 

 

日本でいうと明治時代後半頃(←世界史苦手な人)、フランスのパリのオペラ座で、奇妙な事件、事故が頻繁に起こっていました。

突然大道具が落ちてきたりとか。

 

それは、「怪人」の仕業だったんですね。

 

怪人とは、オペラ座の地下に棲む男なのですが、生まれつき顔に奇形を持つために世間から迫害され、人目を忍んでオペラ座の地下にひそかに住みつくようになりました。

その醜い顔を隠すために、仮面を被っています。

 

その怪人が、なぜそんなことをしているのか。

 

怪人は、オペラ座の若きコーラスガールであるクリスティーヌに恋をしていたんですね。

ずば抜けた音楽の才能を持つ天才であった怪人は、彼女の歌の才能を見出し、彼女をスターにし、自分の作った音楽を歌わせたかったんです。

 

そのために不穏な事故を起こしたり、オペラ座関係者を脅したりして、現プリマドンナを追い出し、クリスティーヌを主役にさせようとしていました。

 

 

ですが怪人は、クリスティーヌに恋はしているものの、その醜い姿を見せて受け入れてもらえる自信がなく、楽屋の壁越しに、自分は「音楽の天使だ」と名乗り、姿を見せることなくクリスティーヌに歌のレッスンを施します。

 

クリスティーヌは怪人の歌声に恍惚とし、また怪人の厳しいレッスンで、秘密裏に才能を引き出されます。

そしてオペラ座に対する怪人の圧力や嫌がらせも功を奏し(笑)、主役に抜擢、成功を収めます。

 

 

しかし、そこでクリスティーヌは、幼なじみであるラウルというイケメン貴族と再会し、恋に落ち婚約してしまいます。

 

怒った怪人はまたオペラ座で事件を起こし、クリスティーヌに自分の元へ戻ってくるよう脅します。

"音楽の天使"の醜い姿と正体を知り、さまざまな事件を起こしているのもその"音楽の天使"を装った怪人であったことも知ったクリスティーヌは、それでも恩師である怪人と、幼なじみのラウルの間で揺れ動き苦悩します。

 

そして最後はラウルと怪人の決闘となり……

 

 

と以上が簡単なあらすじになります。

 

 

今日は、怪人とペルソナについて書いていきますね。

 

 

 

怪人とペルソナ

 

「ペルソナ」とは、ご存知の方も多いかと思いますが、元は、演劇で使われる仮面を指します。

 

'person'の語源となったラテン語ですね。

 

心理学では、人の仮面、すなわち、人の外側に見せている面を指します。

 

このペルソナというのは、誰でも被っています。

 

職場のOLというペルソナ。

妻というペルソナ。

親の娘というペルソナ

などなど。

場面場面で見せる顔が少しずつ違うと思うのですが、ペルソナを付け替えていると言えます。

「役割」とも言えますね。

 

 

そして、自分のことを「悪い人間だ」と思っているほど、「いい人」のペルソナをつけようとします。

ペルソナを脱いだ、本当の自分は愛されないと思っているから。

必死で素の自分を隠して、いい人、素敵な人になろうとガッチガチになるんですね。

 

 

、、、ってか仮面て、怪人そのものやん!

 

そう、怪人は、心理的にも物理的にもペルソナを被っています。

ペルソナをわかりやすく説明するためのすばらしい題材になってくれている気さえします。

あらためて、深い作品だ。←浅い表現力

 

 

怪人の物理的なペルソナは、醜い顔を隠すあの仮面。

 

心理的なペルソナは、「音楽の天使」。

 

 

クリスティーヌに恋焦がれつつも、1人の男としては受け入れてもらえないだろうという怖れがあったんでしょうね。

 

だから、一・男性として、一・人間として名を名乗ることなく、「音楽の天使」というペルソナで、クリスティーヌにコンタクトを取った。

しかも壁越し。笑

ラウルなんか、クリスティーヌ見つけてすぐ名乗り出てるもんね、昔スカーフ取ってあげたこと堂々アピールしてるもんね、濡れ鼠になってね。笑

 

 

ずっと世間から受け入れられたことのなかった怪人ですから、自分が受け入れられるなんて信じられずに、怖れでいっぱいだったんだと思います。

 

「仮面に隠れて生きてきたこの人生」という歌詞が沁みます。涙

 

 

もし、その怖れを越えて、ありのままの自分をクリスティーヌに差し出せていたら。

 

「君のことを素敵だと思っているけれど、実は私は顔が醜くて、ずっと嫌われてきたから、本当の姿を君に見せて嫌われるのが怖いんだ。」

 

震えながらでも、緊張しながらでも、そんなふうに自分のそのままを差し出すことができたなら。

また違う展開になっていたかもしれません。

 

 

もし仮に、完璧なペルソナを被って、自分のダメ(だと自分が思っている)なところを隠して、愛してもらったとしても、結局は満たされないんですね。

 

「あの人が愛しているのは本当の私じゃなくて、ペルソナの私だ」

と感じるからです。

 

いや、「本当の私」って何なんって話で、ペルソナつけてる自分も含めて全部本当の私とも言えるのだけれど、「ダメな自分を隠さなきゃ……!」と怖れでガチガチで、ペルソナを必死に被り続けているのはしんどいものです。

 

結局ずっと、「私は愛されない」という虚しさを抱き続けることになります。

 

 

怪人でなくても、誰にだって人に見せたくないところはあり、自分は嫌われるのではないかという怖れを多かれ少なかれ持っています。

 

だからこそ、その怖れを乗り越えて、ありのままの自分を差し出すことは、人に勇気や愛を与えるんですね。

 

それがどれほど怖いことかは、みんな痛いほど知っているから。

 

 

あなたにも、1つや2つはあるんじゃないでしょうか。

 

人に見せていないところ、見せたくないところ、触れられるとサーっと気持ちが重くなってしまうようなことが。

 

それは、怪人のように容姿のことかもしれないし、才能や能力のことかもしれないし、性格かもしれないし、家族のことかもしれないし、黒歴史かもしれない。

 

私は、、もちろんあります。

ええありますとも。1つや2つや3つや4つ、、、。

 

 

誰もが多かれ少なかれ、ペルソナを被って生きています。

 

だけど大事な人には、怖れよりも、怖れている自分を丸ごとそっと差し出してみる、丸ごとの自分自身を与えることを選んでみてはどうでしょうか。

 

こわごわでもペルソナを外して、弱くてかっこ悪くて醜くてみじめで情けなくてウジウジしててずるくて卑怯で浅はかでアホでダメな自分(どんだけー)を差し出したら、そんな人を相手はどんなに愛おしく思うでしょう。

 

どんなに勇気づけられるでしょう。

 

自分を信頼して、丸ごと差し出してくれたことを、うれしく思うのではないでしょうか。

 

 

それが相手への何よりの贈り物となります。

愛となります。

そのとき人は、本当の意味でつながれるのかもしれません。

 

 

、、、ただ、怪人には、それをいきなり求めるのはさすがに酷だなあと思います(^^;;

受け入れてもらえた経験が本当にないから、そんなこと言われても、ちょっとやそっとじゃ信じられないよね。

ペルソナを外すなんて、怪人じゃなくても怖いのに。

 

だからこそ、ラストのクリスティーヌの最後の行動は、怪人にとっては衝撃だったんだと思います。

 

あの一件で愛というものを多少なりとも知って(それがたとえ男女の愛でなくとも)、その後の怪人の人生が、少しでも心穏やかなものであってほしいと、怪人推しの私は思うのです。

 

 

 

 

次回は、

怪人の母と罪悪感 について書きます。

お楽しみに〜。笑

 

 

 

 

 

 

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