朝、目が覚めたら、いつもと様子が違う。
階下から、仕事でこの時間にはいないはずの父と、同居はしていない祖母の声が聞こえる。
非日常な雰囲気を感じていると、階段を上ってくる父の足音がした。
「お母さん、赤ちゃん産みに病院行ってん。」
「いややー!!!」
私はうつぶせになって足をバタバタさせて泣いた。
これは、私がはっきりと思い出せる、最古の記憶である。
妹とは4つ年が離れている。
生まれ月は妹の方が2ヶ月早いので、正確には、私が3歳10か月の頃に妹が生まれた。
ここで書いたが、
https://www.aikoingk.com/entry/2020/05/09/080000
父の希望で母は専業主婦だった。
幼稚園も2年保育で、5歳になる年から通い始めたので、妹のお産での入院が、初めて私が母と離れたできごとだったのだと思う。
それまでは一人っ子で、預けられたこともなく、母とべったりだった。
だから初めて、
「この家にお母さんがいない」
ということが、怖く、寂しく、とんでもない事件だったのだろう。
父から聞いたその事実に絶望して、ありったけの大声で泣いたことを覚えている。
次の記憶は、その後母の病院に行ったとき。
母がご飯時で、出されたお膳にいちごがあった。
私がほしがると、「いいよ」と笑顔でくれた。
そして帰る時間になったとき私は、
「いやや、お母さんとおる!」
と、母のベッド柵にしがみついて嫌がった。
祖母に
「いなこちゃん、病院おったら注射されるよ」
と子どもだましの嘘をつかれ(笑)。
離れたがらない私を見る、母の困った笑顔が切なかった。
その次の記憶は、妹が生まれたとき。
赤ちゃんの名前について、
「ミエちゃんがいい」
と言ったが、幼児の戯言として処理され不採用(笑)。
なぜかその頃、「ミエちゃん」が自分の中でイケてる名前で、ミエちゃん推しだったことを覚えている(笑)。
その妹が産んだ甥が今、ちょうどその頃の私と同じくらいの年になる。
母親として育てている妹とは比にならないだろうが、それでも子どもという存在は、おばの私にも、いろいろなことを教えてくれる。
母は、こんな小さい子(私)を抱えながら、妊婦生活と育児生活を送っていたのか。
こんなに母を必要として独占したがる幼児と赤ちゃんの育児は、大変だったろうな。
いや、4歳違いは結構離れている方で、世の中にはもっと3歳、2歳、年子で産むお母さんも多いもんなあ。そりゃ大変よなあ。
親は完璧な人のような感覚でいたけれど、父も母も、子どもを持ったときの年齢は、今の私や妹より若かった。
ぜんぜ完璧ちゃうよなあ。
そりゃ迷うし、間違うし、余裕ないこともあるよなあ。
父と母である以外に、男と女でもあるし、ケンカもするよなあ。
ただのカップルやもんなあ。
まだまだ恋する気持ちもあるよなあ。
そりゃキャップも横かぶりするわ(←私を抱っこする若かりし頃の父の写真・笑)。
そんな風に、今、妹や友達が楽しみながら迷いながら子育てをしているように、親もしていたのだなあと、私より若い親を思い浮かべていとおしくも感じる。
一方で、子どもサイドについても、断片的ではあるものの、いつもの朝と違う空気感を悟ったことや、母の困った笑顔に切なさを感じたこと、祖母のことばが子どもだましの嘘であると見抜いたこと(笑)などを鮮明に記憶している(つもり)ので、今の甥を
「子どもは、大人が思う以上にいろいろなことをわかっている、かしこい」
という思いで見ている。
甥は話し出すのが遅かったが、話し出した2歳の頃から、わざと提示された色の名前を間違えてふざけていた。
人間って、2年ちょっと生きただけで、こんな冗談のニュアンスがわかるのか。
やっぱりかしこい。
だから私は、かわいすぎてつい赤ちゃんことばになってしまうが(迷惑・笑)、内容は決して子どもだましなことを言わないようにしている。
1人の人間として対話している。
(祖母を恨んでいるわけではありません(笑)。泣く子を前にすると、どうしても子どもだましで言いくるめたくなっちゃうよねー・笑)。
小難しい話をするわけではないが、いろんなことを感じている、わかっている前提で、私が知っている、感じていることを、率直に伝えようと心がけている。
とにかく、甥でもこんなにいとおしく、たくさんの気づきと幸せがあるのだから、自分の子だったらどうなんだろう。
私がしょっちゅう遊びに行って撫でまわしているので、よくなついているが、やはり母親である妹は別格だ。
やっぱりダントツはぶっちぎりで母親。
子どもは本当に母親が好きだ。
私がこんなに人に熱烈に必要とされることはあるかな。
世の老若男女すべてが、お母さんを熱烈に愛している。
お母さんはすごいな。
子ども、持ちたいな。
自分の遺伝子を残したい。
いきものとして、自然で、1番の目的を果たしたい。
苦労も喜びも含めて、こんなに豊かにしてくれる存在を持たないのは、何か人として大きく欠けているような気がしてしまう。
年齢的にもリミットが迫っているが、相手もいないしな。
他のことは自分でがんばれても、恋愛、結婚となると相手もあるしな。
一生を共にしたいくらい、自分も好きで相手も好きになるなんて、そんな人、この先できるかな。
甥っ子をかわいがりながら、そんなチクチクもよぎる。
子どもはいろいろ揺さぶってくれる。