中学の修学旅行は2泊3日のスキー旅行だった。
今はどうかわからないが、私の中学ではそのとき、旅行が終わって学校に到着する頃、それぞれ親が迎えに来て、荷物を一緒に持って帰る慣習があった。
うちも例にもれず、母親が自転車で迎えに来ていた。
私は、友達たちと、これでもかとはしゃいで2泊を楽しんでいた。
バスで旅行先から学校へ到着して、体育館で最後の先生のあいさつ。
家に着くまでが修学旅行です。
楽しい修学旅行も終わり、友達と別れてそれぞれ迎えに来た親と帰る。
体育館で友達と楽しそうにはしゃいでいた私をどこからか見ていたであろう母は、ニコニコ興味津々で私に質問をする。
「楽しかった?」
「うん」
「何食べたん?」
「別に」
あんなにはしゃいでいたのに。
私は母親に会ったとたん、不機嫌になった。
エリカ様そっくりだった。
顔のつくりが(ウソ)。
家に着いて、すぐに食卓についたら、父も聞いてくる。
「楽しかったか?」
「うん」
「何食べてん?」
「別に何って……」
どうして親は、子どもが外で何を食べたか知りたがるのだろう(笑)。
親の顔も見ずにぶすっっとして、手早く夕食を食べ、自分の部屋に上がった。
しばらくして母が上がってきた。
「疲れてるんやったら『ごめん、今疲れてるから明日話すわ』とか言ったらいいやん。
さっきまで友達とあんなに楽しそうにしてたのに。
お父さん、『いなこ、楽しなかったんかなあ』て心配してたよ?」
言いながら母は泣いていた。
私は何も言えず、謝りもできず、泣いた。
別に母に、父に、腹を立てていたのではない。
話せないほど疲れていたわけでもない。
もちろん母も父も、何も悪くない。
ただ、猛烈に照れくさかった。
2泊、親元を離れて友達たちと過ごした「大人」な自分と、
親のいる家に帰ってきてた「子ども」としての自分がうまく交わらず、たまらなく気恥ずかしかった。
そして、そっとしておいてほしいのに話しかけてくる親に腹が立ち、でも親は悪くないのにこんな態度しかできない自分にも腹が立ち、友達といたときの楽しそうだった自分と、家でのこの上なく不機嫌な自分とのギャップを見て、母は悲しいだろうと思うと申し訳なく、それでもそんな感覚を説明できるはずもなく、ただただ、ふてくされるしかなかったのだ。
その後、それについて説明することも謝ることもなく、自然にいつも通りに戻っていったのだろうが、その誤解を解くことはなく、そのことを思い出すと、親は悲しかっただろうなと、今でも胸が痛む。
親はもう、忘れているかもしれないが。
この場合、親サイドからみた私の気持ちと、私の実際の気持ちは、きっとすれ違っていただろう。
まさか私がそんなことを思っていたなんて、知る由もない。
親は私の不機嫌を見て、何か自分たちに怒っている、不満があると思ったかもしれない。
でも、私は、親は何も悪くないことはわかっているし、何も不満はなかったのだ。
ただただ、不器用で、不機嫌の理由を説明するのも恥ずかしかっただけなのだ。
そして、明るく思い出話をできない自分を申し訳なく思っていた。
不機嫌の裏には、親からはまっったく見えないけれど、親を思う気持ちもあったのだ。
誰かが不機嫌だったとき。
話しかけたのに、いまいちな反応だったとき。
つい、「あれ?気にさわったかな?」、「私なにか、悪いことした?」と思ってしまうことがある。
でも、それがあなたのせいである確率は、どれほどあるだろう?
私の修学旅行の件は、思春期特有の例かもしれないが、相手の不機嫌な反応は、いまいちな反応は、ただ、照れくさかっただけかもしれない。
なんと言っていいかわからなかっただけかもしれない、
他のことを考えていたのかもしれない、
ぼーっとしていただけかもしれない、
あなたではない他のことで機嫌が悪かったのかもしれない、
他に心配事があるのかもしれない、
体調が悪かったのかもしれない、
そういう顔なのかもしれない、
あなたのせいだと決めつけるのは、早計なのだ。
そして人は、近い関係の人、すなわち自分にとって大事な人に対してほど、不器用になってしまう。
大事に思うからこそ、いろんな思いが沸く。
気持ちが繊細に動く。
こだわってしまう。
喜ばせたい。
傷つけたくない。
わかってほしい。
こんな風にすれ違って、必要のない傷をたがいに負っている瞬間は、日々そこらじゅうに、たくさんあるのだろうと思う。
だから、「私、何か悪いことしたかな?」と気にやむ前に、
なにかこの人の事情があるのね、といったん軽く置いておきませんか?
そんなに心配しなくても、実は大丈夫なのだ。
ちなみに、高校の修学旅行では3泊したが、私はもうそんな不器用ではなかった。
普通モードで、みやげ話を持って帰ってきた。
しかし家に着いて父から、私が気を利かせて家族に送った、長野のきれいな絵ハガキに誤字があったことを指摘され、笑われた。
見てみると、ハガキの文末には、私の字ではっきりとこう書かれていた。
「 乱. 筆. 乱. 交. あ し か ら ず 。 」
私はまた、不機嫌になった。