ときどきコーヒーを飲みます。
必ず毎日飲む、何杯も飲むというほど好きではないのですが、コーヒーのいい匂いをかぎながらホッとするのが好きで、ときどき飲みます。
ケーキなどを一緒に食べない場合は、砂糖少々とミルクを入れます。
まず砂糖をスプーンに軽く1杯入れてかき混ぜます。
砂糖が完全に溶けたら、コーヒーの渦がクルクル回っているところに、ミルクを垂らします。
ミルクは混ぜません。クルクルの渦で、勝手にミルクがコーヒーと混ざるのに任せます。
そうやって混ぜずに飲むと、最初の2、3口で、ミルクを全部飲んでしまうことが多く、あとはミルクのないコーヒーになってしまいます。
本当は、最後の1口までまんべんなく、ミルクのまろやかさも味わいたいのです、私は。
でも、混ぜません。
1、2年前まではミルクも混ぜていました。
でもある時から、ミルクは混ぜなくなりました。
そう、あの日から。
テレビのグルメロケ番組か何かで、関根勤さんクラスの大物タレント(やっぱりうろ覚え)と、後輩タレント数名が、カフェでコーヒーを飲んでいました。
後輩タレントの1人が、コーヒーのミルクを混ぜて飲もうとしていました。
すると、大物タレントが、「ミルクを混ぜたらただのミルクコーヒーになっちゃうよ。混ぜちゃだめだよ。」と言いました。
それ以来私は、コーヒーのミルクを、一切混ぜなくなってしまったのです。
で?(笑)
私は、ちょろっと聞いたテレビタレントの一言で、コーヒーのミルクを混ぜなくなったのです。
それによって、ミルクを最初の数口で吸い込んでしまい(笑)、自分好みの味ではなくなっているのにも関わらず、です。
ふと聞いた何でもないことばが、なぜかスコーンと入ってきて、自分の思考とか、好みで吟味もせずに、それをずーっと守り続けているのです。
死んだ祖父の遺言でもなければ、就業規則でもありません。
たまたまちらっと聞いたテレビのひとことを、です。
自分が縛られているルールって、案外こんな、出典のよくわからない、自分にとって特に重要でもないことだったりします。
そうと気づかずに、無意識に妄信して、自分の快不快を無視してそれに縛られている。
専門家、通の人の意見ならなおさら、縛られてしまうことは多いでしょう。
たしかに専門家の意見は貴重で有効です。
だけど、本来の目的を忘れてはいけません。
専門家や通の意見を取り入れるのは、それでうまくいくというメリットがあるからですよね?
では、うまくいかせたいのはなぜでしょう?
それはつきつめると、幸せになりたいからですよね?
すべての目的は、幸せになることですよね?
専門家の意見を取り入れて、自分が幸せになるのなら、それで大正解です。
でも、それをやってみて自分に合っていないなら、むしろ取り入れることで幸せから遠ざかってしまっています。
試してみるのはとってもいいです。でもその結果合わないと感じたなら、専門家のその意見は堂々と不採用でいいのです。
外からの情報を採用する前に、ワンクッション、自分の感覚で吟味するのです。
世の中には素晴らしいメソッド、情報がたくさんあります。
有機野菜がいいとか、玄米がいいとか、早寝がいいとか、お風呂につかろうとか、運動をしようとか、紫外線を浴びない方がいいとか浴びようとか……
あれもこれもやらなきゃ、ステキ女子にならなきゃ、でも時間ない、体力ない、お金かかる、できなかったら体に悪いことしてる気がしてイヤな気分になる……
いやいや、結局イヤな気分になっていたら本末転倒なんです。
素晴らしい情報でも、あなたを苦しめるなら、採用しなくてもいいんです。
私のようにまじめで素直な人はきっと、自分でも気づかないうちに、さまざまなルールに縛られていることと思います。
何か追われているな、余裕ないかもと思ったら、
なんでこんなことしてるんだっけ?
なんでこんなにこだわってるんだっけ?と、
ルールの棚卸をししてみてください。
不要なものがみつかるやもしれません。
やっぱりぐっるぐるにミルク混ぜます。