【ご相談】頼まれごとを断れないで損ばかり。自分を傷つけるのをやめたい。―とてもやさしいあなたに具体的な対策を6点お伝えしますー
狂ったようにオペラ座シリーズを更新している最中ですが笑、おひさしぶりに、ココロノマルシェにいただいたご相談にお答えします!
人からの頼まれごとを断れず、損ばっかりしているという人はいませんか?
そういう人こそ報われるべき!
正直者がバカを見る世界はもうたくさん!!!
ということで、本日は オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェにいただいたご相談にお答えします。
▽元のご相談文はこちら
不当要求を回避して、本当に親切にすべき人を見分けられるようになるにはどうしたらいいのでしょうか? - ココロノマルシェ
※オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェでは、心理カウンセラー根本裕幸お弟子さん制度を修了したカウンセラーが、無料で相談にお答えします。
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【ご相談】不当要求を回避して、本当に親切にすべき人を見分けられるようになるにはどうしたらいいのでしょうか?
いつもお世話になっています。
仕事でもプライベートでも、お客さんや友人、知り合いから、私自身には関係のないこと(業務範囲外のこと)で「困っているので助けて欲しい、わからないことを調べて教えてほしい」「手を貸してほしい、協力してほしい」と要求されることが多くあります。
たぶん私だけじゃなくて皆あることだけど、私以外の人は上手く回避してるんだと思うのですが…
私は断ろうとしたときにムッとされることに耐えられなかったり、断って「無責任だ」「冷たいね」などと怒られたりした経験が何度もあり、大した労力じゃないし…と受けてしまうことが多いです。
それで受けたことが上手くいかず結果相手に怒られたりして、不当要求された上に怒られて、酷く傷つけられたり理不尽な思いをたくさんしました。
受けたことを上手く片付けられても更に不当要求を重ねられたり、利用されたり裏切られたりもします。
さらに周りからは「あなたが余計なことをしたせいで」と責められます。でもそうやって責めてきた人も、私に不当要求をして親切を求めてきます。
子供のころから、ワガママでヒステリックな姉の下でワガママや意地悪に耐えて生きてきたことが影響しているのかなとも思うのですが、そのことと向き合いたくても当時の感情や具体的なことをあまり覚えていません。
私は冷たい人にはなりたくないし、困っている人は助けたいです。でもその気持ちが自分を傷つけている気がして、もう人と関わるのが嫌になりました。
不当要求を回避して、本当に親切にすべき人を見分けられるようになるにはどうしたらいいのでしょうか?
ぱんださん
【いなこからの回答】
ばんださん、このたびはココロノマルシェにご相談をお寄せくださりありがとうございます。
周りの人からいつもお願いをされるぱんださんは、すごく親切でやさしい方ですね。
ぱんださんならやってくれるだろうということを、周りの人はよくわかっているんですね。
でも、その親切心ややさしさが、自分を傷つけている気がして、もうやめたいとのこと。
そうですね、すぐれた特性というのは、影響力が大きいので、どちらに振るかで、諸刃の剣となります。
使いようによって、便利な道具が凶器になったり、よく効く薬が毒になったりするのと同じ。
ぱんださんの場合、親切ややさしさが、人を助けることにもなるし、やりすぎると自分を削ることにもなるということですね。
さて、
>不当要求を回避して、本当に親切にすべき人を見分けられるようになるにはどうしたらいいのでしょうか?
とのこと。
その要求内容のいかんに関わらず、ぱんださんが、「不当」要求と感じることはすべて、不当です。
不当、、、というか、引き受けられるかどうかは、その要求の内容には関係ないんですね。
相手との関係や、自分のその時の状況などによって、何をどこまでやってあげられるか、あげたいかは変わりますから。
たとえば、自分の大事な子どもが危険な目に遭ったら、命をかけてでも守るという親御さんは多いでしょう。
逆に、自分が手を痛めていたら、ちょっと荷物を取ってあげるということもできないこともあります。
だから、本来は、不当要求かを見分けるのはごくシンプルで簡単なことで、
「自分がしたいかどうか」
だけで決めていいことなんです。
それが見分けられないということは、
自分が感じていることがわからないか、
わかっているけれど、その感情よりも他のことを優先しているということになります。
ぱんださんの場合、自分の感情より優先していることは、
人に嫌な顔をされないこと
冷たい人だと思われないこと
無責任な人だと思われないこと
などでしょうか。
この状態は、心理学的には「犠牲」といいます。
本当はやりたくないのに、何かを怖れてやることが、犠牲です。
動機が、「嫌われたくない」、「悪いやつだと思われたくない」というところから始まっているんですね。
さらにいうと、「嫌われたくない」、「悪いやつだと思われたくない」と思うということは、
「私は嫌われる」、「私は悪いやつだ」と思っているということです。
また、人の役に立たないと、私には価値がないという無価値感もあるのかもしれません。
それらの原因は、
>子供のころから、ワガママでヒステリックな姉の下でワガママや意地悪に耐えて生きてきたことが影響している
のかもしれませんね。
お姉さんのいうことを聞かないと、大変なことになる。
それが、その頃のぱんださんには、あまりに大変で辛かった。
「そんなことになるくらいなら、相手の要求を聞いておいて丸く収める方がましだ」と思うようになり、それが行動パターンとなったのかもしれません。
その奥には、単にお姉さんに辛く当たられることが辛かっただけではなく、
お姉さんに応えられないことが辛い。
役に立てない自分が不甲斐ない。
というやさしい気持ちもあると思います。
意識には上らないかもしれませんが。
以上が、いただいたご相談文から私が感じたことです。
では、具体的にどうしたらいいか、おすすめの方法をいくつかお伝えしますね。
①頼まれごとをしたら、「やりたいか/やりたくないか」をまず判断する
ぱんださんは、「できなくはないから」とか、「大した労力じゃないから」と、何かしら理由をつけて、自分に言い聞かせて、やりたくないことも多々がんばってされてきたことと思います。
その理由を抜きに、単純に、やりたいのか、やりたくないのかをまず、自分の中ではっきりさせる練習をしてみてください。
相手に言う必要はないので、遠慮は無用です。
いい人になる必要もありません。
ごく簡単なことでも、やりたくないならやりたくないと、シンプルに答えを出してみてください。
「ちょっとはやってもいい気もするけど……」とかはなしです。
グレーもオフホワイトもなし!笑
きっちり2択です!
② ①で出た自分の本音を意識して、その頼まれごとを引き受けるかどうか決める
本音が本当はやりたくないなら、絶対やってはいけません!!
とは言いません。笑
もちろんそうできるならそうしたらいいのですが、いきなりそれはハードルが高いです。
それだと社会で生きていく上では、摩擦が起きることもあるし、そのストレスの方が大きくなっては元も子もありません。
ただ、あまりやりたくはないけれど引き受けるとき、
自分の本音に気づいてやるのと、
何でもかんでも「やらなくてはいけない!」と自分の本音をごまかしながらするのとでは、
ずいぶん違います。
どうするにせよ、自分が、「本当はやりたくない」と気づくのがまず大事なんです。
嫌だけどやるときは、何かしらメリットがあるからやるわけですよね。
おとなしく聞いておいた方が、後々楽だとか。
「引き受けたくないけど、私はそのメリットを取るんだ。」
と、自分で選択している意識が持てると、ずいぶん楽です。
1番辛いのは、「選べない」ということだから。
自分で選んでいる意識が持てると、無理やりやらされている被害者から抜けて、主導権が自分に戻ってきます。
それだけでもずいぶんストレスは減ります。
③引き受けて、あるいは断って、どんな気持ちかをじっくり感じる
頼まれごとを引き受けて、あるいは断って、実際にどんな感情になったか、意識して感じてみてください。
引き受けて、どうでしたか?
相手がよろこんでいて、やってよかったなと思えた。
いいことできてうれしい。
せっかくやってあげたのに、あまり感謝されずに徒労感が残った。
とか。
断って、どうでしたか?
やらずに済んでよかった。
意外とすんなり断ることができて安心した。
かえって罪悪感にさいなまれた。
とか。
この、自分で意識して判断して、引き受けたり断ったりする経験を積み重ねることで、自分にとってちょうどいいライン、感覚ができてきます。
おそらく何でもやらねば!と引き受けてこられたぱんださんは、自分で引き受けるかどうか選択できるという感覚が乏しかったのではないでしょうか。
頼まれたら最後、自分に選択権はない。という感覚だったのではないでしょうか。
だとしたら、「依頼を自分で吟味して、受けるか断るか選択する」ということにおいては赤ちゃんのようなものです。
なので、いきなりうまくできなくて当然です。
「また無理して引き受けてしまったー。自分を大切にできなかったー。」とか、
「断ったはいいけど、うまく断れずに気まずくなっちゃったな、居心地悪いな。」とかいうことが起こってもおかしくないんです。
あかちゃんだもの。
みつを
あかちゃんだもの。だから、それでいちいちへこまなくていいし、自分を責めなくていいんです。
ということで練習が必要。
自分で選択して、どう感じるか。
自分はどんなことなら、どんな人からの依頼なら、やりたいのか。
断るならどんな断り方が言いやすいか。
自分の基準や感覚をつかんでいってください。
④自分が選択したことのメリットをしっかり受け取り、自分をほめる、認める
頼まれごとを引き受けるにしろ、断るにしろ、自分が選択した方のメリットを意識的に受け取ってください。
もし、断ると揉めそうだから、ほんとは嫌だけど引き受けたのなら、
「揉めごとは回避できたぞ、よかった。」
というふうに。
断ったなら、たとえ相手に嫌な顔をされたとしても、
「よく自分を守った!よくがんばった!」
と。
自分の選択を、けっして責めないでください。
そして何より大事なことは、嫌だけど引き受けた場合でも、その中にある自分の愛に気づくこと。
先ほど、本当はやりたくないのに、何かを怖れてやっているなら「犠牲」だと書きました。しかし、人間の心は、そんなにパキッと、愛か?犠牲か?と割り切れるものではありません。
自分の子どもだとか、大事な人のことでも、
「あーめんどくさいなーしんどいなーやりたくないなー、でもやるしかないかー」
と、愛と犠牲とが混じっていることも多々あります。
ぱんださんも、嫌々引き受けたことの中にも、
「相手が大変そうだな」
「力になりたいな」
という気持ちがあったと思うんです。
というか、そういう方ですよね、このことで悩むということは。
それは、やっぱり愛なんです。
だから、自分は愛があるやさしい人間なんだなということを、しっかり自覚してください。
自覚したら、その愛を、自分や大事な人に、もっともっとうまく使えるようになります。
⑤観察学習をする
以上のことと並行して、周りの人たちを観察してみてください。
え、そんな理由で断っていいの?という人、
そんなこともできないって言っちゃうの?という人、
あー、うまいこと角を立てずに断ってるなー。という人、
え、嘘の理由で断ってる!という人などがきっといるはずです。
落ち着いて周りを見ると、ぱんださんよりもっと低い基準で断っている、断り上手がたくさんいると思うんです。
それを意識的に観察してみてください。
ただ観察するだけでも、自分の中で、断ることへの許可がおりやすくなります。
またもう一方で、ぱんださんと同じように、断れないタイプの人がいたら、そちらの人もよく観察してみてください。
断れない人を客観的に見ると、どんなことばが思い浮かぶでしょうか。
そんな無理して引き受けなくていいのに!
もっと自分を優先したらいいのに。
しんどそう。
無理して笑ってるけど、イライラしてるの伝わるな。。。
そんなことを思うかもしれません。
自分には厳しくなるけど、客観的に見れば、そんなにひどいことを自分にさせているのかもしれない。
あの人に無理しないでって思うなら、私だってそう。
と、こちらも、自分をいたわる許可がおりやすくなります。
⑥お姉さんへの感情を感じて癒す
最後に、根本原因かもしれない、お姉さんのことについて。
これがほんとに根本原因かは、お話をもう少し詳しくうかがってみないとわかりませんが、1度やってみてほしいことをお伝えしておきますね。
当時のお姉さんへの感情や具体的なことを覚えていないとのこと。
なので感じるも何も、出てこないかもしれませんが、とりあえず、最近のことでも、この件とは直接の関係ないお姉さんへの不満でも何でもいいので、「お姉ちゃんのせいでこうなってるかもしれないのに!!!」など、どんなことでもいいから紙に書き出してみてください。
続けることで、当時封印したかもしれない感情が、蘇ってくるかもしれません。
感情は、感じることで癒されます。
我慢して辛すぎて封印したかもしれない感情を、呼び起こして感じて消化してしまいましょう。
以上が私のおすすめ具体策です。
どうだったかご感想お待ちしています(^^)
ずっと応援しています(^▽^)
ご相談ありがとうございました!
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▽いなこの雰囲気はこんな感じです。
「やわらかい関西弁が聞き心地よい」とのありがたいお声をいただいています(‘∀‘)
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