大事な人が失敗したとき。つい「もっとこうしたら」と言いたくなってしまうけれど。
'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせ
こんにちは、カウンセラーいなこです。
1人暮らしを始めてから使い続けてきたフライパンの焦げつきがひ
買ってしばらくは、目玉焼きを焼いても、フライパンを軽く揺する
えーもう!?
300回?500回?の使用試験にも合格!って書いてたのに!
と思って、いつ買ったか調べてみると(このブログに買い替えたこ
私は基本的に、毎朝玉子を焼いています。
単純に考えたら、半年毎日使えば、180回使ってることになるん
「300回」の試験と聞いて、すごい!これはいいものだ!という
そっか、300回なんてすぐにいっちゃうん
どうですかみなさん!
これが数字のマジックですよ!
私のようにボーッと生きてると、「何百回」とか言われただけで、
別に騙してはない。
さて先日、妹が、
「オムレツぶちまけてふつうに泣いた。」
とショートメールを送ってきたんですね、この写真とともに。
フライパンを振って落としたのか?たしかに上にも下にもぶちまけ
「今日はなんか作るのめんどうやなって思ったらこれや。」
というのを読んで、とっさに私は、
「めんどうなときは全部できあいのもの買い。
もっと手抜いたらいいよ。」
と返しました。
幼い子どもを抱えて、
正社員としてフルで働いてクタクタなんだから、
めんどうと思ったときくらい
もっと手を抜いてほしい。
妹に楽してほしい。
という思いからです。
だけど送った後、
この、
「もっとこうしたらいい」
というメッセージは、
ともすれば責められているようにも感じるよな。
とふと思いました。
聞けば、妹自身も、今日はできあいのものにしようか迷ったけれど
そこで私は、
「一生懸命作ったのに悲しかったな。
材料も使ってもうちょっとやったのにな。
栄養も考えてえらいえらい。
大変やったな。」
と追加で送りました。
そう、こういう、身近な人が何か失敗して悲しんでるときって、
「もうこれ以上悲しい目に遭ってほしくない」
という一心で、
「もっとこうしたらよかったのに」的なことを
つい言いたくなるんですよね。
自分の知ってるすべてをもって、
2度と悲しませないようにしてあげたいという、
善意からの思いではあるのですが。
だけどそれは時に、失敗して悲しんでいる本人には、
「なんでそんなことしたんだ」
「もっといいやり方があったのに、あなたは間違ったことをした」
というメッセージにもなり得るんです。
もちろん、取り方は人それぞれなのだけど、
失敗したときって、
言われなくても本人は、
「もっとああすればよかった」
と後悔したり自分を責めていたりするものだから。
追加で送ったメッセージを見た妹は、
「ありがとう(うるうるキラキラマーク)」
と送ってきました。
この、「もっとこうしたら」という声かけ、
身近な人にほど、遠慮がないし、大事だし、思い入れがあるし、だからこそ感情的になっちゃうから、ついしてしまいがちなんですよね。
ということは、
1番身近な人 = 自分
に、こういう声かけを1番している可能性が高いんです。
「なんでそんなことしたんだ!」
「もっといいやり方があったのに、お前は間違ったことをした!」
と、他人に言うよりもっと、キツいことばで。
言われなくてもね、
「もっとああすればよかった」
と後悔したり、自分を責めているんですよね。
あなただって。
だから失敗したときは、自分にこそ、
「悲しかったよね。
大変だったよね。
よくがんばった。
えらいえらい。」
と、努めてやさしくねぎらってあげてくださいね。
9月のカウンセリング、あとわずかです!
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