'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

貧乏よりも辛かったこと

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こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

最初にお知らせです。

第3弾・無料カウンセリング・モニターにご協力いただける方を、10月11日(日)に募集開始予定です。

ご興味ある方は、ぜひぜひご検討お願いいたします!!!

▽前回までの募集記事

www.aikoingk.com

 

 

さてさて、朝晩がひんやりするほどになってきましたね。

この間まで暑い暑いと言って、かき氷が食べたいと思っていた気持ちをリアルに思い出せなくなっています。

喉元過ぎれば熱さ忘れる。

人間の感情って、こんなもんです(笑)。

 

 

 

私は、「うちは貧乏」と思って育ちました。

 

父は、体力的にきつい仕事をしていた時期もあり、何度か転職して、40歳で最後の職場にたどり着きました。

その仕事が父には合っていて、これが自分の天職だと思ったと言っています。

 

でもそれまでの転職などもあり、母は、結婚してからお金で苦労してきたという感覚があったのだと思います。

 

「お金ない」的な発言をたくさん聞いて、私は育ちました。

 

 

お金の管理をしていたのは母です。

何か買わないといけなくて、母からお金をもらう時、

「今月ちょっとしんどいから……これ以上出されへんから……悪いけど……」

みたいなことを、眉をハの字にして、申し訳なさそうな、悲壮な、心許ないような表情で言いながらお金を渡す母。

 

 

その母の顔を見るのが大嫌いでした。

 

 

母としては、申し訳ないという気持ちがあったんだと思います。

そして、これ以上求められても応えられないという恐れ。

 

私は、こんなもんしか出してもらえなくて腹立つという気持ちや、もっとくれとか言う気はさらさらないのに。

そんな顔しなくても、十分わかってるのに。

 

 

早く自分でたっぷり稼いで、誰に気兼ねするでもなく、自由にお金を使えるようになりたいと思っていました。

そして、なんてことない顔で、親にもお金をあげられるようにもなりたいと。

 

 

それが、誰にも頼らず自分で稼ぐ現在の私を作ってしまったんでしょうね。

キャーーー!恐怖!恐怖!

 

 

 

でも、今振り返ると、うちは、そこまで貧乏だったのだろうか、とも思うんです。

 

借金取りに追われていたわけでもないし、明日食べるものに困っていたわけでもない。

持ち家(狭小だが)もあったし、私も妹もピアノに習字にそろばん(時代・笑)を習わせてもらっていたし、塾にも行ったりしていた。

父が休みのお盆には、毎年家族旅行もしていた(西は広島、東は岐阜までだが)

 

こうして振り返ると、まあ、やっぱりけっして裕福ではなかったですが(笑)、子どもとしては、それでも十分楽しかったんです。

他の家庭を知らないですしね。

別にそんなにぜいたくを望んでいなかった。

 

 

同じ経済状態でも、

母がけろっとしていたら。

「うちはお金ないよー!はっはっはっ!」

って笑い飛ばすような母だったら、

お金がないこと自体はそんなに気にならなかった気がするんです。

 

 

「お金がない」ということ自体よりも、母の悲壮な顔を見るのが、辛かったんだなあと思うんです。

 

 

母自身は裕福に育ってきたようなので、自分が親にしてもらってきたことほどのことを、自分の子にはしてあげられていない、本当はもっとしてあげたいのに、という罪悪感があったのだろうと思います、今思えば。

だから「あの顔」だったんだと、今ではわかるんです。

 

そして、母が必死の思いでやりくりしてくれたからこそ、習い事ができたり旅行ができたりしたんだとも思います。

 

また、母は生活さえできたら何でもいいと思う人ではなく、食器やインテリアにこだわったり、おしゃれしたりすることは好きでした。

我が母ながら、そういうセンスはよかったと思うし、生活の潤いみたいなものは忘れない人でした。

できる範囲で生活を楽しんではいたので、それはよかったなあと思っています。

 

ただ、基本的には明るい母だったので、お金のことも、悪いなんて思わずに、もっと開き直って明るくいてくれていたらよかったのになあと思うんです。

 

 

「十分なことをしてやれなくて申し訳ない」という母の罪悪感がさらに、「お金を出させて申し訳ない」という私の罪悪感を引き起こしていたんですね。

 

 

 

こんな、互いを思いやるがゆえのすれ違いって、日々そこら中に起こっている気がするのです。

 

 

「俺の稼ぎが少ないばっかりに苦労をかけて申し訳ない」

「連れて歩いて自慢できる女じゃなくて申し訳ない」

「淋しい思いをさせて申し訳ない」

「いい母親じゃなくて申し訳ない」

「いい学校に入れなくて申し訳ない」

「病気がちで申し訳ない」

「期待に応えられなくて、申し訳ない」

 

 

やさしいよなあ。

 

 

でも、申し訳なく思って暗い顔をしているより、あなたが笑っている方が、あなたを大事に思う人は喜んでくれます。

 

その、あなたが申し訳ないと思っていることがら自体より、あなたが笑ってくれているかどうかの方が、よっぽど大事なんです。

 

あなたが大事な人を喜ばせたいと思っているように、あなたの大事な人も、何よりあなたを喜ばせたいと思っているんです。

 

 

あなたが笑っていることって、そんなにも価値があるんです。

 

 

相手を喜ばせられなくて申し訳ないと思う、そのやさしい気持ちを、

「大好き、ありがとう」

にちょちょっと変換して、笑ってみてください。

 

 

 

でも最近気づいたんです。

不安で心許ないとき、私も、あのときの母そっくりな顔をしてる(笑)。

 

笑おう。

 

 

あー私も、

「お金使わせて申し訳ない」じゃなくて、

「ありがとうー!」って笑顔でお金もらえばよかったのかな。

そうかな?

そうかも。

 

これからは姫として生きるんだ(笑)。