あなたを傷つける地雷はいっぱいありますか?
‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
昨日は概ね理想の時間に寝て、睡眠リズムを取り戻しました!!!
職場自体は今日から始動なんですが、普段有給が取りにくいので、お正月休みに合わせて今日も有給を取ってお休みさせてもらっていました。
ちゃんとした時間に寝てスッキリしたので、朝から掃除して、ゆっくりお茶しに行ってと、この1週間したかったことをしました。
って、せっかく長く休み取っても、結局最後の1日になってやっとやるべきこと終わってるやーーーん!!!
今まで何してたーーーん!
なんでやねーーーん!!!
と後悔の嵐になりそうだったのですが、「年末の疲れを取るには1週間必要だったんだね」とやさしく自分に語りかけることにします。
あーショックのあまり、ぶたっぱな鳴らそかな。
お正月、妹一家と実家に集まっていたときのこと。
両親と、義弟が雑談していました。
私はその場にいたけれど、テレビを見ながらゴロゴロしていたので、その会話には直接は入っていなかったのですが。
ちなみに妹は甥を連れて電車を見に行っていました。(甥は季節を問わず電車を見たい病です・笑)
離婚した人か、1人身の芸能人か何かの話から派生したんだと思いますが、母が、
「今は1人でもいいと思うけど、年いったら子どももおらんと1人やったらさみしいと思うわ。」
と言ったんですね。
それを聞いた父は、
「いや、今はもうそんな時代ちゃうねんて。人それぞれやから。」
義弟も、
「そうですよ。うちの会社でも離婚した人もいっぱいいますし、普通ですよ。」
と父に加勢。
母はそれを聞いても、
「いやでも、年いって1人やったら、やっぱりさみしいって。」
と引き下がらず。
父と義弟は、本当にそう思っているのも半分、私に気を遣っているのも半分で、母に反論したんでしょうね。
だって私は、「年をとっても1人」の道を、今のところまっしぐらだから。
うちの母は、こういうところがあるんです。
まったく悪気はないんです。
遠回しに、「だからあんたもいい加減結婚しなさい」とかイヤミを言っているわけでもないんです。
そこまで頭が回らないタイプ(笑)。
どっちかっていうと、天然で、見たものから感じたことを、素直に言っているだけ。
テレビに東大出身の人が出ていたら、
「この人すごいねえ、東大出てはんねんて。賢い人やわあ!」
と言うので、
「はいはい、どうせ私はしがない私大の出身ですよ。」と私が拗ねた気分でいたら、
今度は、たたき上げの社長みたいな人を見て、
「この人中卒で苦労しはってん。えらいわあ!」
と言っていたりする。
ああ、私が東大行けなかったからイヤミを言っている訳じゃないのね、こういう人なのねうちのお母さんは、と理解しました。
どこと張り合ってんだ私も(笑)。
学歴があるのがいいとか悪いとか、確固たる考えがあるのでもなく、ただ感じた感動を口にしているだけなんですね(^^;;
それを聞いた人がどう思うかとかまで気を配れずに。
優柔不断で気を遣うときは遣うんですけど、天然の少女のようなところがあります。
こんなんだから、他意はないんだとわかってくれる人とか、自己肯定感の高い人じゃないと、誤解されて付き合いが続かないだろうなあと思います。
そりゃ嫁姑はうまくいかないだろうなって思ったり(^^;;
母のOL時代からの親友に「カッちゃん」という人がいるのですが(誰だ・笑)、その人は本当に聡明でやさしい人なんだろうなあと思います(笑)。
感謝(笑)。
父は、その場にいる人全員がいやな気分にならないようにと、しゃべりながら同時進行で考えられるタイプ。
義弟も、気を配れてやさしくておおらかで、とにかくいいやつです。
まあとにかくそういう母なので、時折、「え、それ言う?」っていう会話が繰り広げられることがあるのですが、今回、私の心は、凪いでいました。
そういう話になると、母に悪気はないとわかってはいても、どこかいたたまれない気持ちにはなっていたんです。
私のことを直接言っているんじゃないとはわかっていても、
「それって私もやん、私のことやん。私はさみしい存在なわけ?ダメな人生なわけ?」
「父ちゃんと弟に気ィ遣わせてる私、情けない、恥ずかしい。」
って。
今までだったら、母のストレートなことばにも、父と義弟の気遣いにも、両方に少しずつ傷ついて、いたたまれなくなっていました。
だけど今回は、凪いでいた。
別にどう思われてもいいや〜。
ずっとこのままかどうかもわからんし〜。
私はしたいこともいろいろあって楽しいし〜。
かわいそうと人が思ってたっていいや。
反論も傷心も、どっちも必要ないと思った。
なんか私、ちょっと変われたのかな?って思いました。
自己肯定感が上がったのかな、ちょっとだけ。
いやそうじゃなくて、単に今、カウンセラー活動を始めたりして、いろいろしたいことがあって気が紛れているだけかもしれない。
でもどちらにせよ、心が平穏になったのはいいことだ、楽になったなあと思いました。
去年は、カウンセラー・根本裕幸お弟子さん制度に参加して、心のことを学び、いろんなタイプの仲間とも出会って語り合いました。
みんな、たくさん私の価値を伝えてくれたし、恥ずかしいことも情けないことも、互いに深掘りしつつ(笑)率直に話す機会が増えたのは確かです。
今思えば、これまでも、私の価値を見ていてくれた人はいたけれど、とにかく受け取れなかった。
自分の価値を信じられなかったんです。
多少いい、くらいじゃ意味がない、ずば抜けていないと意味がない、みたいな信念もあったし(笑)。
口に出して伝えてくれる人もいたし、わざわざ口には出さないけれど、価値を見てくれていたんだ、やさしかったなあ、大事にしてもらっていたなあと、今さらながらに思うこともたくさんあります。
この1年弱で、カウンセラー修行を仲間とする中で、口に出して魅力を伝えあい、互いに受け取れない受け取れないと言い合いながら、今になって、少しずつ浸透してきたのかもしれない。
他のみんなは癒されて、「今は幸せです(キラキラ)」とか言い出してるのに、私だけいつまでたってもぜんぜん変わらないなあって思っていたのですが(笑)。
本当に本当に感謝です。
自分で自分を認められないと、地雷がいっぱいあったんです。
自分を傷つける地雷が。
もう、そこかしこに。
前の職場では、自分より若い後輩が患者さんと、
「いやあ、僕もいい年なんでねえ、早く結婚しないとねー。」
「あんたもう30か?そら早よ結婚して子ども作らな。」
とかいう会話を繰り広げているのを遠目に聞くだけでも、グッサリきていました。
30でヤバいなら、もう私は化石?死んだ方がいいってこと?
そこまでは言ってない(笑)。
自分の自己肯定感が低いからだとは、頭ではわかっていました。
後輩も患者さんも、私の方を見て言っている訳でもないし、普段から仲良くして慕ってくれている人たちです。
それでも、やさしいから口に出さないだけで、本音では、
「あの人は、売れ残りの残念な人」
と思われているんじゃないかと傷ついていたんです。
患者さんは高齢の方が多かったので、そういう話題になりやすかったんですよね。
あーそのときの気持ち思い出すと泣きそう(笑)。
かといって、気を遣われてもまた傷つくんです。
結婚とか子どもとか、私の前でそういう話題をしないようにしようと気を遣わせている、私は気を遣われるみじめな存在。。。
私が気にしていそうだから、気を遣ってくれていた人もいると思います(笑)。それもやさしさなんです。
とにかく、思わぬところで傷つくんですよね、自分を認められないと。
楽しくしていても、自分が気にしていることの話題がうっかり出ると、一気に沈んだり気疲れします。
ゆったりできる場所がどんどん少なくなっていきます。
日本の面積は377900km2あれど、私が安心して過ごせる面積は、絶対的な味方である友人とか妹とかの側2m2くらい。
そして、本当は残念な人と思っているんじゃないかと疑い出すと、うまく笑うこともできなくなってきます。
でも、なんか私、ちょっとは自己肯定感を取り戻しつつあるのかもしれない。
そしてこれまでも、結婚しているとかしていないとかとは別で、私の価値を見てくれている人はたくさんいたのかも。
ただただ私自身が、一般的なレールに乗っていない私を責めていた。
ほんとは、疑わずに、そのままいつも通り、目の前の人と笑っていればよかったのかもしれないなと思えてきました。
ちょっとは変わってきたのかな、私。
それを思うとね、うれしいんだけど、自己否定の塊で、私、これまで数々の不可解な言動してただろうな、扱いづらかったんじゃないかな、いろんな人に不義理をしたなって、また切なくなっちゃうんですけどね(笑)。
だけどそれもまた、過程ですよね。
あなたを傷つける地雷は、今もいっぱいありそうですか?
それ、あなたが仕掛けたみたいなんです、どうやら。
自分で仕掛けたものだから、撤去できると思う。
安心して暮らせる面積増やしましょ。
カウンセリングで。(笑)
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