'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

【第3弾】無料カウンセリング・モニターにご協力いただける方を募集します!

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【第3弾】無料カウンセリング・モニターを募集いたします!

おかげさまで満席になりました!(10/13現在)

ありがとうございます(^▽^)


11月15日(日)20:00〜

▽現在募集中です

https://www.aikoingk.com/entry/counseling-tester-final

   

 

 こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

第1弾、第2弾の無料カウンセリング・モニター企画、おかげさまで満席となりました。

ありがとうございました!!!

 

つきましては、第3弾募集を行いますので、ご興味ある方は、ぜひぜひどうぞご協力お願いいたします。

リピート利用も大歓迎です!! !

 

 

 

▽内容はこちら

 

3ヶ月先まで予約の取れない心理カウンセラー・根本裕幸師匠のもと、血のにじむようなカウンセラー修行を積んでまいりましたが、このたび本格的にカウンセラー活動を始動すべく、カウンセリングモニターにご協力いただける方を大募集いたします!

 

内容は、一般的なカウンセリングと同様です。

無料で、いなこのカウンセリングを受けていただき、その後、簡単なアンケートにお答えください。

差し支えなければ、個人が特定されない範囲で、ご感想をブログにてご紹介させていただけたら大変ありがたいです。(強制ではありません)

 

 

 

 

「悩んでいる人=問題」ではありません。

 

私は、問題、悩みというのは、それを足がかりに、その人が自分を知っていく一過程だと考えています。

 

ですが、自分というものは、自分が一番知っているようで、意外と知らないものです。

鏡や映像なしに、自分の全身を、自分の目で直接見ることは一生できないのと同じで、自分の心も、自分だけではなかなか見えないのだなあと、私自身が自分と向き合いながら、感じてきました。

 

だから、カウンセラーを、心の鏡として使う。

 

自分に訪れた「問題」をきっかけに、自分という人間を、カウンセラーという鏡に映し出して、見てみてください。

鏡を見ようとしたきっかけは「問題」であったとしても、そこにはきっと、まだ知らなかった、愛おしい生き生きした自分の姿が、映し出されることと思います。

 

自分が一生、片時も離れず付き合っていくのは自分だけ。

その自分をよく知れば、これからの人生が楽しみになります。

前から自分が持っていた道具に、「こんな機能があったのか!」と発見したとき、とてもうれしくお得な気分になるように、「自分には、こんな魅力があったのだ」と気づけたら、毎日が、これからの人生が、おのずと楽しみになるのです。

 

自分が持っている魅力を発揮できるのは、他でもない自分だけ。

それを発揮できる唯一の人物が、その存在を知らなければ、その魅力は永遠に世に出ることなく、なかったことになってしまいます。

それはあまりにもったいない。

 

いなこという鏡にあなたを映して、自分を知ってみませんか。

お気軽〜に、ご活用ください、よろしくお願いいたします(^▽^)

 

 

 

いなこのカウンセリングは、このような方に特におすすめです

☑一度きりの人生、思いっきり開花したい方

☑特別壮絶な過去があったわけでもないのに、なぜか生きづらい方

☑そこそこいい人生なはずなのに、幸せ?と聞かれると、「まあ、それなりに。」とニヒルな笑顔で答えるのが精一杯という方

☑先の人生が何となく不安で、圧倒されてしまう方

年金問題とか、老後2000万円問題とか、聞きたくない方

☑自分は結構いいものを持っていると思うのに、いまいちパッとしない人生だなあと思う方

☑パッとしないどころか、自分の人生は完全に失敗の人生だと思っている方

☑いつも自分が決めたことと逆のことの方が正解だった気がしてしまう方

☑わざわざカウンセラーに相談するほど辛いできごとがあったわけでもないが、なんだかモヤモヤしている方

☑わざわざカウンセラーに相談するほど辛いできごとがあった方

☑なんだか自分ばかり損している気がする方

☑周りにデリカシーのないことを言うやつがいて傷つけられるという方

☑なにか失敗して人に迷惑をかけてしまうと、誰も私を知らない街に引っ越して、一から人生をやり直したいと思う方

☑世のため人のためなら大概のことはがんばれる方

☑でも気づけば人を助けるばかり相談に乗るばかりで、私のことは一体誰が助けてくれるのよ、とぷんぷんしている方

☑そうは言っても人の相談に乗るのは嫌いではない方

☑自分への批判のことばは100%信じて、自分へのほめことばは100%信じない方

☑だけどほんとは自分はもっともっと評価されていいはずと心の底では思っている方

☑周りは見る目のないやつばかりという方

☑自分のすばらしさを世に知らしめたい方

☑なにごとも笑いに変えて場を盛り上げるのが好きだけれど、その奥にある自分の繊細さやかわいらしさにも気づいてくれるすてきな男性が現れたらいいのにと思っている方

☑長女です。独身です。妹はとっとと結婚したとです。長女です、長女です……という方

☑恋愛経験極少が恥ずかしくて、だから恋愛に自信が持てなくて、それでますます経験積めなくて、、という悪循環に陥って年々どうしようもなくなってきている方

☑恋愛経験極少というわけではないけれど、そういえば心から大好きな人とうまくいったことがない、うん、1回もないわという方

☑転職しようかな、転職するのよそうかな、ぐるぐるぐるぐる考えている方

☑いなこのブログが好きな方

☑いなこのブログは別に好きというほどではないけれど、なんとなく気にはなる方。

 

 

 

▽これまでにいただいたご感想

ご感想 カテゴリーの記事一覧 - 'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

 

 

 

 

募集要項

 

【方法】 Zoom(オンライン会議システム。パソコンやスマートフォンがあれば使用可能。)にて実施。

顔を出したくない方は、映像をオフにできます。初期設定はオフです。

私は原則として顔を出しますが、「見るに堪えない」という方は、お気軽にお申し付けください。そっとオフにいたします。

 

【時間】50分間

 

【料金】無料(Zoom使用時のインターネット通信料はご負担ください。)

 

【日時】

  11月 6日 (金)   20:00〜

  11月 7日 (土)   14:00〜

  11月13日(金) 20:00〜

  11月14日(土) 14:00〜

  11月19日(木) 20:00〜

  11月22日(日) 10:00〜

  11月27日(金) 20:00〜

 

 

 

ご予約いただきました後、自動返信メールが届きます。

その後3日以内に、詳細のご説明メールをお送りします。

 

 

ご注意事項

※精神科や心療内科にて治療中の方は、主治医の治療方針があり、また、カウンセリングにて症状が不安定になる恐れもありますので、残念ですが原則ご遠慮いただいております。

※妊娠中の方におかれましても、残念ですが今はご遠慮くださいませ。

※対象年齢は、原則20歳以上の方とさせていただきます。18歳以上の方は、保護者方の同意書をいただけましたらお受けできます。ご相談ください。

 

 

 よろしくおねがいします!!!

 

  

 

▽お申し込みはこちらから

ws.formzu.net
ご質問、リクエスト、イラスト依頼など各種問い合わせも、こちらのフォームから受け付けております。

 

 

 

 プロフィール

高校時代に心理学という学問を知り、カウンセラーになりたくて大学で心理学を専攻する。

しかし、当時、カウンセラーは仕事が少ないということであっさり諦め、心理学と少し関連のある医療職に就く。

14年ほどとある医療法人で医療職として働き、管理職も経験させてもらうが、これが本当にやりたいことかなと迷いだし、一度きりの人生、もっと気軽にやりたいことに挑戦しようと、2020年5月、副業可能なところに転職する。(転職先も、副業が可能というだけで、同じ医療職)

自分で転職を決めたくせに、これでよかったのか悩みに悩んで怖くて怖くて不安で不安で検索の鬼と化しているときに、3ヶ月先まで予約の取れない心理カウンセラー・根本裕幸師匠のブログを見つけ、奇跡的にすぐにカウンセリング予約が取れる。

カウンセリングで師匠にすっかりとりこまれてしまい、うっかり弟子入りする。

転職後、初めての夏が本格的にやってきた頃に、やっとこれでよかったのかもと思えるようになる。

大学時代、「食べていけなさそう」ということで、カウンセラーをあっさり諦めたが、やっぱり人との関わりが好きなんだわ、戻るべくして戻ってきたんだわ、と思う2020年秋。

「’それなりに’うまくいっている」から、「’おもいっきり’しあわせ」へ向かって歩きだした。

 

なにごともギリギリにならないとできないが、ひとたび熱中すると寝食を忘れるようなところもあり。臆病なチャレンジャー。一見おとなしくやさしく見えるようだが、話すとおもしろい、スパイス利いてると言われてきた。たくさんの矛盾を抱えた存在。ギャップの魅力ということにしておこう。相談者さんにはすごくやさしくするので安心してください。

大阪生まれ、大阪在住。学生時代実習で、雪の積もる冬の京都福知山市に1か月と少し住んだことはあり。

生家は父母妹の4人家族。現在は一人暮らし。

未婚。結婚歴なしのアラフォー。願望はあるし、異性に恋する気持ちは知っている。

認定心理士

 

【身長】157cm

【足のサイズ】22.5〜23cm

【スリーサイズ】B91 W58 H85(だったら人生変わってたのかもしれない。)

【視力】近視の乱視。普段は裸眼だが免許の条件等は眼鏡等。

【好きなもの】キウイ、メロン、柑橘類全般、鶏のから揚げ、ポテト、とろろごはん、かやくごはん、十割そば、和食全般、明治軒のオムライスと串カツとポタージュ。川、海、滝、温泉など澄んだ水のあるところ。山も土に適度な水分があるので好き。緑の多い公園のある都会。神社やお寺、商店街などがある、昔から人の息づかいがあった町。静かで放っておいてくれる広いカフェ。居酒屋の匂い。居酒屋のおしぼりの匂い。私の仕掛けるなんの意味も得もないコントに乗りきってくれる人。私の言うことに遠慮なくつっこんでくれる人。出かけた後に地図を見て自分がいたところを振り返ること、高いところから知っている街を見ること、気の置けない人とゆったり過ごすこと、旅先で旅館についた後の夕ご飯までの静かな時間。ポンジュース、歌うこと。幼児の雨がっぱ姿。哺乳類全般。国松ちえりさん、清瀬まさ子さん。

【嫌いなもの】そのままのチーズ(ピザなど、火が通っていれば可)、そのままの牛乳、甘すぎるお菓子、せかされること。納豆は食べず嫌いで長年挑戦したいと思っているけれど流れたまま今日に至る。

【好きなことば】人間万事塞翁が馬地産地消

 

ちなみに、ブログ内のイラストはいなこ画です。

女性のしなやかさ、かわいらしさ、透明感を表現。かわいい、きれいの中にも、どこか生活感のにじむシーンを描くことで、不器用にも日々を一生懸命生きる女性を応援したいのです。

 

似顔絵、ウェルカムボードなど、イラストのお仕事もも受け付けています。お問い合わせはフォームまたはプロフィール欄のメールからお願いします。

※注:アイコンは自画像ではありません。期待しないで。

 

 

 

 

 

 

 

ポジティブの押し売りがしんどいときは、「楽観的な悲観主義」がオススメです。

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こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

寒い。

 

 

世の中、ネガティブよりポジティブがいいという風潮がありますが、私の心にずっと残っている、こんなことばがあります。

 

 

楽観的な悲観主義

 

 

高校のとき、現国の、教科書かあるいは実力テストの問題文か何かで読んだエッセイにあったことばです。

なんとなく、ずっと頭に残っていました。

 

 

 

私の記憶の範囲で書くと、、、

 

日本人は、農耕民族であった。

農業は、天候に左右される。

天候は、人間の力では、どうしようもない。

がんばって育てた農作物が、日照りや大雨、台風などで、だめになることもある。

 

だから、

「がんばっても報われないこともある。

ものごとは思い通りにはならない。」

という考えが染みついている。

この点においては、悲観主義であると言える。

  

しかし、ものごとは思い通りにならないという前提があるからこそ、

「それを気に病んでもしかたない。

なるようにしかならない。」

と考えている。

その点では楽観的といえる。

 

このように、日本人は、

「楽観的な悲観主義

で、やってきたのである、、、

 

こんな内容でした。

たぶん。

 

 

今回この話を書くにあたって、キーワードで検索してみましたが、見つけられませんでした。

筆者のお名前やタイトルなどの出典不明で書いちゃってごめんなさい。

わかる人がいたら教えてください!

 

 

 

この考え方って、割としっくりくるというか、ちょうどいい、楽になる考え方だなあと思うんです。

 

完全なポジティブ、楽観主義でいるのは、性格的に無理がある、かえってしんどいという人は多いと思います。

 

すべてが思い通りになる、うまくいくとは、なかなか信じこめないというか。

 

生きていれば、思いもよらない、自分ではどうしようもできないハプニングに見舞われることもありますからね。

 

 

だけど、

「しょせん、すべてが思い通りになることはない」

という前提に立っていれば、ジタバタしても一緒、というスタンスでいられます。

むやみにがっかりすることもない。

 

 

むりくり、すべてを前向きにとらえる!っていうのより、

この「楽観的な悲観主義」の方が、

歴史的、遺伝子的にも、日本人に合っているのかもしれない。

 

心理学的に言えば、

「サレンダー/surrender:降伏する」

ってことと似ているかもしれませんね。

 

流れを信頼して、身をゆだねる。

 

 

一般的には、ポジティブに価値を置かれがちです。

でも、それを押しつけられてちょっとしんどいときは、

「楽観的な悲観主義

このスタンスを私はとる!というのもいいんじゃないでしょうか。

 

 

 

なにかにつけて、「ネガティブやな〜」と言われるいなこからの提言でした。(笑)

 

 

 

豊かさとは。お金を貯めれば貯めるほどいいというわけでもなくて。

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こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

また一段階肌寒くなった気がしますね。

1ヶ月で、着る服がガラッと変わりそうです。

 

 

 

昨日、うちは貧乏という話(笑)をしたので、その流れで今日は、お金、豊かさについて書こうと思います。

 

 

お金って、大事だしほしいものですよね。

減らしたくはない。

できるだけ手元にいっぱい置いておきたい。

 

 

だけど、お金自体には価値がないんです。

いや、なくはないか・

どないやねん。

 

 

お金って、それ自体を握りしめているだけでは意味をなしません。

 

福沢諭吉肖像画として秀逸なので飾っておきたい、あの紙質が好き、といった場合を除いて。

 

 

お金は、なにか自分のほしいものと交換するからこそ、できるからこそ、価値があるんです。

 

もともと、そういうツールですもんね。

 

 

 

むかしむかし、きれいな水が潤沢に流れる川沿いの村に、米を作るのが得意な男がいた。

 

うちには米は潤沢にあるけれど、魚も食べたいなあ。

でも魚ってなかなか獲れない。

つかもうとしても勘がよくてすばしっこいし、にゅるっとしてすぐ逃げられる。

でも魚もほしいよなー。

 

 

一方その頃。

 

海辺の村に、魚を獲るのがうまい男がいた。

 

今日もまずまずの獲れ高。

でも、ガツっとお腹にたまる米もほしい。

でもあんな気長に何ヶ月もかけて米を作るって、性に合わないんだよなー。

おっと、魚も早く食べなきゃ、腐ってしまう。

 

 

そこで2人は出会った。

 

この米と、その魚、交換しよう。

 

 

これで、それぞれの食卓は少し豊かになった。

 

 

ある時、米を作るのが得意な男は、野菜も食べたくなった。

 

以下同文。

 

 

そんなことを繰り返しているうちに……

 

他の食材と交換するために、いちいち米を持ち運ぶのってたいへん。

重いし。

 

そうだ、もう現物をいちいち持ち運ばなくて済むように、貝殻を使って交換しよう、そうしよう。

 

この米、器に1杯分を、この貝殻3個ということにしよう。

 

その魚1匹は、貝殻何個分?

その野菜は?貝殻何個で交換してくれる?

 

 

 

これが、お金の始まりですよね。

三文ドラマで失礼しました(笑)。

 

 

 

お金を使うことに、

「減ってしまう」

「損する」

というイメージを持つ人は多いと思います。

 

 

だけど、お金を使うということは、本来は、

自分の食卓を色とりどりにする、彩りゆたかにする

ということなんです。

 

米だけだった食卓に、魚が乗り、野菜が乗り、お肉が乗っていくように。

 

 

お金を使うということはまた、自分の得意と他人の得意を分かち合うということ。

助け合うということ。

 

 

お金を払う方も、もらう方も、お互いに豊かになっているはずなんですよね。

 

お金を介するから、それが見えにくくなっているだけで。

 

 

だから、「お客様は神様」というのも、ちょっと違うかなと私は思っています。

 

売る側も、買う側も、お互いにありがたい存在で、いつも対等。

 

お互いに、

「ラッキー!」

「得した!」

「豊かになった!」

って思える交換であるはずなんですよね、本来は。

win-winの関係。

 

 

 

買い物をしたのに、ラッキー感がない、豊かになっている感じがしないとしたら、

「安いから」という理由で、大して欲しくないのに買っていませんか?

 

あるいは逆に、「高いから」という理由で、本当に欲しいものを諦めて、どこかイマイチなものを妥協して買っていませんか?

 

 

 

お金を使うとき、罪悪感がある、値段にためらってしまう時は、お金はもともと、物々交換を楽にするために生まれただけのものだということを思い出して、

 

これを買ったら、私の生活は彩りゆたかになるかな?

 

そういう観点で吟味してみてください。

 

 

ちょっと背伸びした金額でも、

「うん、彩りゆたかになる!」

とウキっとしたら買ってみたらいいし、

 

「うーん、そうでもないかな。」

と思ったら、どんなに安くても買わない。

 

 

 

とにもかくにもお金を貯めまくる、ということが重要なんじゃないんです。

それが「豊かである」ということではない。

 

お金を使って、うきっとできることが、暮らしが彩りゆたかになることが、豊かなんです。


お金に苦労した経験があると、ついつい手元に置いておきたくなるけど(^^;;

 

 

 

 

 

 

 

貧乏よりも辛かったこと

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こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

最初にお知らせです。

第3弾・無料カウンセリング・モニターにご協力いただける方を、10月11日(日)に募集開始予定です。

ご興味ある方は、ぜひぜひご検討お願いいたします!!!

▽前回までの募集記事

www.aikoingk.com

 

 

さてさて、朝晩がひんやりするほどになってきましたね。

この間まで暑い暑いと言って、かき氷が食べたいと思っていた気持ちをリアルに思い出せなくなっています。

喉元過ぎれば熱さ忘れる。

人間の感情って、こんなもんです(笑)。

 

 

 

私は、「うちは貧乏」と思って育ちました。

 

父は、体力的にきつい仕事をしていた時期もあり、何度か転職して、40歳で最後の職場にたどり着きました。

その仕事が父には合っていて、これが自分の天職だと思ったと言っています。

 

でもそれまでの転職などもあり、母は、結婚してからお金で苦労してきたという感覚があったのだと思います。

 

「お金ない」的な発言をたくさん聞いて、私は育ちました。

 

 

お金の管理をしていたのは母です。

何か買わないといけなくて、母からお金をもらう時、

「今月ちょっとしんどいから……これ以上出されへんから……悪いけど……」

みたいなことを、眉をハの字にして、申し訳なさそうな、悲壮な、心許ないような表情で言いながらお金を渡す母。

 

 

その母の顔を見るのが大嫌いでした。

 

 

母としては、申し訳ないという気持ちがあったんだと思います。

そして、これ以上求められても応えられないという恐れ。

 

私は、こんなもんしか出してもらえなくて腹立つという気持ちや、もっとくれとか言う気はさらさらないのに。

そんな顔しなくても、十分わかってるのに。

 

 

早く自分でたっぷり稼いで、誰に気兼ねするでもなく、自由にお金を使えるようになりたいと思っていました。

そして、なんてことない顔で、親にもお金をあげられるようにもなりたいと。

 

 

それが、誰にも頼らず自分で稼ぐ現在の私を作ってしまったんでしょうね。

キャーーー!恐怖!恐怖!

 

 

 

でも、今振り返ると、うちは、そこまで貧乏だったのだろうか、とも思うんです。

 

借金取りに追われていたわけでもないし、明日食べるものに困っていたわけでもない。

持ち家(狭小だが)もあったし、私も妹もピアノに習字にそろばん(時代・笑)を習わせてもらっていたし、塾にも行ったりしていた。

父が休みのお盆には、毎年家族旅行もしていた(西は広島、東は岐阜までだが)

 

こうして振り返ると、まあ、やっぱりけっして裕福ではなかったですが(笑)、子どもとしては、それでも十分楽しかったんです。

他の家庭を知らないですしね。

別にそんなにぜいたくを望んでいなかった。

 

 

同じ経済状態でも、

母がけろっとしていたら。

「うちはお金ないよー!はっはっはっ!」

って笑い飛ばすような母だったら、

お金がないこと自体はそんなに気にならなかった気がするんです。

 

 

「お金がない」ということ自体よりも、母の悲壮な顔を見るのが、辛かったんだなあと思うんです。

 

 

母自身は裕福に育ってきたようなので、自分が親にしてもらってきたことほどのことを、自分の子にはしてあげられていない、本当はもっとしてあげたいのに、という罪悪感があったのだろうと思います、今思えば。

だから「あの顔」だったんだと、今ではわかるんです。

 

そして、母が必死の思いでやりくりしてくれたからこそ、習い事ができたり旅行ができたりしたんだとも思います。

 

また、母は生活さえできたら何でもいいと思う人ではなく、食器やインテリアにこだわったり、おしゃれしたりすることは好きでした。

我が母ながら、そういうセンスはよかったと思うし、生活の潤いみたいなものは忘れない人でした。

できる範囲で生活を楽しんではいたので、それはよかったなあと思っています。

 

ただ、基本的には明るい母だったので、お金のことも、悪いなんて思わずに、もっと開き直って明るくいてくれていたらよかったのになあと思うんです。

 

 

「十分なことをしてやれなくて申し訳ない」という母の罪悪感がさらに、「お金を出させて申し訳ない」という私の罪悪感を引き起こしていたんですね。

 

 

 

こんな、互いを思いやるがゆえのすれ違いって、日々そこら中に起こっている気がするのです。

 

 

「俺の稼ぎが少ないばっかりに苦労をかけて申し訳ない」

「連れて歩いて自慢できる女じゃなくて申し訳ない」

「淋しい思いをさせて申し訳ない」

「いい母親じゃなくて申し訳ない」

「いい学校に入れなくて申し訳ない」

「病気がちで申し訳ない」

「期待に応えられなくて、申し訳ない」

 

 

やさしいよなあ。

 

 

でも、申し訳なく思って暗い顔をしているより、あなたが笑っている方が、あなたを大事に思う人は喜んでくれます。

 

その、あなたが申し訳ないと思っていることがら自体より、あなたが笑ってくれているかどうかの方が、よっぽど大事なんです。

 

あなたが大事な人を喜ばせたいと思っているように、あなたの大事な人も、何よりあなたを喜ばせたいと思っているんです。

 

 

あなたが笑っていることって、そんなにも価値があるんです。

 

 

相手を喜ばせられなくて申し訳ないと思う、そのやさしい気持ちを、

「大好き、ありがとう」

にちょちょっと変換して、笑ってみてください。

 

 

 

でも最近気づいたんです。

不安で心許ないとき、私も、あのときの母そっくりな顔をしてる(笑)。

 

笑おう。

 

 

あー私も、

「お金使わせて申し訳ない」じゃなくて、

「ありがとうー!」って笑顔でお金もらえばよかったのかな。

そうかな?

そうかも。

 

これからは姫として生きるんだ(笑)。

 

 

 

 

 

【ご感想】信頼できるパートナーを求めて悩んで、もがいている自分ってなんか健気で可愛いヤツやん、って思えました。

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こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

カウンセリング・モニターにご協力いただいた方から、ご感想をいただきましたので、ご紹介させていただきます!

 

 

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【ご感想】Yさま

 

 

Q1.いなこのカウンセリングを選んでいただいたきっかけや理由を教えてください。

 

根本先生のブログを拝見して知りました。

 

トラウマがある訳ではないけど生きづらいという項目に共感したと。

実はブログのイラストを拝見し、この綺麗かつ繊細なイラストを書かれる方は、心の綺麗な方だろうなぁ、と思ったことも理由のひとつでした。

 

 

Q2.カウンセリングを受けられて、気づきや変化、よかったことはありましたか。

 

今まで自分の頭の中で浮かんでいた考えを今回言葉にしたことによって整理ができ、たくさんの気づきを得ました

 

自分が恋愛をしようとする時には両親の存在が頭をよぎり、潜在意識の中で良い娘であろうとしていたことに気付きました。

ひとりの大人の女性として感情のままにパートナーを選べばいいんだよ、と肯定して頂けたことで勇気が出ました

 

男性へのイメージって、どんなもの?という質問に答えていくなかで、こんなにも悪いイメージを持っていたんだと気付きました

付き合ったら、、という妄想ばかりが膨らんでいて、話していくうちに自分の恋愛思考は思春期男子だったんだという気付きもありました(笑)

 

いなこさんがおっしゃってくださった、漫画の主人公として自分を捉えてみると楽しいよという言葉が印象的でした。

 

今まで一度も異性とお付き合いしたことがないことはコンプレックスでしかありませんでした。けど、信頼できるパートナーを求めて悩んで、もがいている自分ってなん健気で可愛いヤツやん、って思えました

 

これからは無理をせず、男性と対等にもっとフランクに接していけたらいいな、と思いました。

 

 

Q3.いなこの改善点があれば教えてください。

 

初めてのカウンセリングで緊張していたんですが、いなこさんの柔らかい笑顔ですぐに緊張が解けました。今日初めてお話させて頂いた気がしなかったです。

ずっと前から知り合いの頼れるねえさん的な親しみを持って話をさせて頂きました♪

 

個人的には敬語で固い感じではなく、友達と話しているかのような距離感が心地良かったです。

 

すみません、改善点なしです(笑)

 

 

Q.4その他、ご質問等あれば何でもお願いします。

 

頂いたメールを見て、とても心が温かく優しい気持ちになりました。ありがとうございます。自分に自信を無くしたときには、眺めようと思います(^^)

 

 

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Yさま、熱いご感想をありがとうございました!

とてもとても励みになります!

 

イラストにも目をとめていただきうれしいです(^▽^)

「心の綺麗な方…」のくだりの推測、イイ線いってます!

(笑)

 

 

大したトラウマがないのに生きづらいということ、人それぞれの理由があるとは思いますが、これまでの生き方が窮屈になってきて、バージョンアップするときが来ているともとらえられます。

 

そして、漫画の主人公として自分を捉えてみるという方法、これは私自身がよくやる戦術(笑)なんです。

 

どんなに悲惨な状況でも情けない状況でも、自分は漫画の主人公で、これは物語の途中なんだと思って見てみれば、まだまだこれから大どんでん返しがあるはずって信じられるし、笑えるし、応援したくなるし、決して情けない存在ではないってわかるでしょ?
 
コンプレックスを抱えてわちゃわちゃしてる主人公、めちゃくちゃかわいらしくてけなげです。
 
そしてそれはきっと、他人から見た自分の姿なんです。
 
 
深刻に考えてもいいことないというのが、25年生きてきた私(ウソ)がたどり着いた結論です。
 
そうは言ってもやっぱり一旦は深刻に考えちゃいますが、さんざん深刻に考えてぐるぐるして泣いて怒ってしたあとは、「あ、そうだ、これは漫画だった。」って思い出すように(笑)しています。
 
時によって自分は、ラブコメなり、お仕事モノなり、ヒューマンドラマなりの主人公なんだと思って見てみてください。
おすすめです。
 
 
恋愛がうまくいかないとき、足りないのはたいてい魅力ではなく自信です。
「今までのやり方が悪かった」というより、今までああでもないこうでもないと考えて、いろいろがんばってきたYさまをきっちり認めて労った上で、大人の女性としてバージョンアップしていってくださいね。
 
Yさまあなた、めちゃくちゃけなげで愛おしい主人公ですよ!!!
読者みんなが続きを楽しみにしていて、ヒロインを応援しています。
 
もちろん私も、ずっと応援しています(^▽^)
 
 
ありがとうございました!!!

 

 

 

 

お局さまの涙

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こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

じわじわと食欲の秋を感じています。

甘いものがあまり好きじゃなくて、子どもの頃から、おやつにケーキを買ってもらうより、ポテトとか、チキンマックナゲットとか、たこ焼きを買ってもらう方がうれしかったのですが、食後になにかもう1つ、甘いものを欲している今日この頃です。

 

 

 

いきなりですが、私、「お局さま」ということばがなんだか苦手で。

 

自分のことを言われてるんじゃないかって思うから、というのも大いにあるんです。

 

結婚せずに、職場にいつまでも居座り続ける主のような、ベテラン女性社員。

 

まさしく、私のような人のことを指しているんだろうなあと、チックリきてしまうんです。

 

 

だけどそれだけじゃなくて、もともとあんまりそういうラベリングはしたくないと思う方なんです。

 

よく知る前から、外的な条件ですべてを一緒くたにして、「どうせ○○は」って言われるのが悲しい、悔しいって思う気持ちがわかるから。

 

 

「お局さま」以外にも、「今どきの若い子」とか、「ゆとり世代」とか、ちょっとネガティブなニュアンスで、ひとまとめにすることばってありますよね。

 

そういうのも、できるだけ言いたくないんです。

シャレで、冗談でわざということはありますが。

「大阪のおっちゃん」とかね(笑)。

大阪にも、上品な紳士淑女、無口な人、謙虚な人、シャイな人はいるんですよ!!!

 

 

 

お局さまの話に戻ると、お局も、そのラベルを外して1人の女性として見ると、そうなるに至った背景はあると思うんです。

 

 

日々外的な刺激を受けて、肥厚して固くなっていく足の裏のように(私の足裏はつるつるのふわふわです!(何の見栄・笑))、傷つくことやがんばらなきゃいけないことがたくさんあって、その過程で強く、ふてぶてしくなっていってしまった。

職場を立ち行かせることに必死で、自分の生活を守るのに必死で働いていたら、いつの間にか主のようになっていた。

 いつの間にか、煙たがられる側に。


外側は固くてガサガサでも、それを削って磨いていけば、中にはつるつるのふわふわが入っている。

見るからにつるつるのふわふわの女の子と同じように、みんな中身はそうなんだということを私は信じているのだと思います。

 

 

 

「お局」という発想がないのは、私のいる医療業界が、女性の多い職場だからというのもあるかもしれない。

医療というのは、看護職や介護職など、普通の企業に比べて女性の多い職場です。

だから男性の方が優位とか出世するという意識は薄い。

職場に年配女性がいることもまったくめずらしくないので、私に限らず、あまり「お局」という発想を、自分の業界で聞いたことがないです。

女性の先輩、上司にもかわいがってもらってきましたし。

 

 

いや、でも、いましたね、きっつい人も(笑)。

 

だけど、そんな人でも、硬い皮を削るなり磨くなりしていけば、つるつるのふわふわが出てくるということはわかるんです。

怖いけれど、本当はこの人が1番おびえているんだろうなあ、傷ついてきたんだろうなあというのは見えるんです。

 

でも嫌いですけどね(笑)。

私はお人よしではないので、本当はつるつるのふわふわと分かっていても、理不尽に攻撃してくる人は嫌いです。

必要であれば、仕事上はうまく付き合いますが、それ以上近づきはしません。

そういうマメさはないから。

その硬い皮をわざわざ削ろう磨こうとは思わない。

 

助けを求めていない人を助けることはできない。

 

でも「削って!」って本人が助けを求めてきたら、あるいは、なにかのきっかけで私がその人に興味を持って「あなたのその皮削りたい!」と思う瞬間がやってきたら、全力で削ります。

 

 

 

話がそれましたが、とにかく、「どんなにイヤなやつも、中身は同じようなもん」というのが、私の信条だと思います。

だから、年が上でも下でも、経歴があってもなくても、ヤンキーでもエリートでも、いやなやつでもいい人でも、私の基本スタンスは変わらない。

その人自身を見ています。

私のカウンセラーとしてのウリは、その信条かもしれない。

って言うとかっこつけすぎ大きく出すぎな気がしてしまう小心者です(笑)。

 

 

 

きっつい他部署の女性上司が、あるとき保育園帰りの子どもさんを連れてきているのを見て、「ああ、そうだよな、この人も、家では、妻でありお母さんなんだよな」と思いました。

 

職場のきつい人も、家に帰れば、誰かの娘であったり、恋人であったり、妻であったり、母であったりするんですよね。

 

どこかで傷ついて、がんばりすぎちゃった、強くなりすぎちゃった。

 

そうなったストーリーがあるんです。

硬い皮の奥に入っているのは、自分と同じ、つるつるのふわふわの、傷つきやすい人なんです。

 

 

 

でも、「お局」というワードを使う人は、きっとひどいことされたり傷つけられたりしたことがあるんだろうなー。

相―当―イヤなやつなんでしょうね、そいつ(笑)。

うん、わかるよわかる。

それもわかる。

そんなときは、仲間と安全地帯で思いっきり文句を言うんだ!

思いっきり口汚く文句を言ってちょっとスッキリすれば、そいつの奥にあるものに目を向けられるときが来る。

かも(笑)。

 

 

お局さまにも、あなたと同じように、人知れず涙する日はきっとあります、あると思います。

 

 

 

淋しいと思うのは当然、かまってほしいのも仕方ない。

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こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

中秋の名月の昨日は、月が光り輝いていました。

 

 

私には4歳の甥っ子がいるのですが、会うと、

「おねぎょ(私の呼び名)、見といてや!見といてや!」

と、自己顕示欲満載です。

 

見たところで、こまちとはやぶさタカラトミー製)の連結の瞬間だったり、家庭用トランポリンで跳ねているのを見せられたりするだけで、大したものではないのですが、とにかく、見てほしいみたいです。

まあ言われなくても、かわいいのでこちらはずっと見ていたいのですが。

 

大人になると、見てほしいとか、かまってほしいとか、そんなことをあからさまに言うのは恥ずかしい、いやがられると思うので控えめにするけれど、人間って、本当はこんなものかもしれないなとも思うのです。

 

 

 

こんな心理学の実験があります。

 

アカゲザルの赤ちゃんを、ケージに入れて育てるのですが、ケージには2つの「お母さん」を置きます。

 

両方とも、本当のお母さんではなく、ハリガネで円筒形の胴体を作ったものに、顔をつけたお母さんです。

 

1つは、ミルクの吸い口がある、ミルクの出るハリガネお母さん。

もう1つは、ミルクは出ないけれど、ハリガネの体に毛布を巻いたお母さん。

 

そこでおさるの赤ちゃんを育てます。

 

 

赤ちゃんがどのように過ごすかを観察すると、普段はほとんど毛布のお母さんに抱きついて過ごし、おなかが空いたときだけ、ミルクのお母さんのところに行ってミルクを飲みます。

飲んだらまた、毛布お母さんのところに戻っていきます。

 

 

そして、このおさるの赤ちゃんを急に驚かせたら、どっちのお母さんのところに行ったかというと、やはり、毛布お母さんにしがみついたのです。

 

 

つまり、おさるの赤ちゃんは、ミルクをくれるお母さんより、ミルクすなわちエサはくれないけれど、毛布のやわらかい、あたたかい肌触りのあるお母さんを、「お母さん」と認識していたということなんです。

 

 

このような実験は、動物の一生にも影響を与えるので、今は、倫理的な観点、動物愛護の観点からもされていません。

 もう50年以上も昔の実験です。

 


ただこれは、動物にとって、いかに「ぬくもり」、「愛着」のようなものが必要か、ということを示す実験となりました。

 

エサさえくれていたらいいというわけではないのです。

何のお腹の足しにもならない、ぬくもり、愛着というものを、動物は求めているのです。

 

 

そして、おさるさんでさえそうなのだから、いわんや人間をや、なのです。

 

 

人間は、生き物としては、おさるより知能が高いです。

知能が高いということは、それだけよけいなことを考えるということ(乱暴な解釈・笑)。

おさるさんでさえ、何の腹の足しにもならない「愛着」を求めるのだから、もっといろいろ考えちゃう人間は、ごはんが食べられて、生活できたらそれだけでいいとは、なおさらならないのです。

 

淋しいし、かまってほしい。

そんな思いが生じるのは、当然のことだと思うのです。

 

 

そしていろいろ考えちゃう人間だから、大人になって賢くなればなるほど、

「こんなこと言ったら迷惑かな」

「これはわがままかな」

とますますいろんなことを考えて、淋しい、かまってほしい、もっと私を見てほしいという当然の気持ちを言えなくなります。

 

 

淋しいと思うのは当然。

かまってほしいのも仕方ない。

 

心から甘えられた経験がないのなら、なおのことです。

 

 

だから、淋しいと思うことを、情けない、申し訳ない、ダメだなんて思わなくていい。

 

淋しい、かまってほしい、もっと私のことを見てほしい、そんな気持ちが沸いてきたら、

「そうだそうだそりゃそうだ。おさるさんだってそうなんだもの、いわんや人間をや。」

と自分に言ってあげてください。

独特な声かけ(笑)。

 

 

淋しいのはおかしくない、思ってもいいって自分で思えたら、それだけで少しホッとできるかもしれません。

 

そこからその淋しさをどうするかは、いろんな方法があるだろうけど、とりあえず言える人に言ってみるのもいいかもしれません。

 

「何だか淋しくて。声が聞けるだけでも安心するから、3分だけ話させて。」

そんな風に言ってみる。

 

気丈に見える人でも、みんな同じ人間だから、こちらから素直な気持ちを話したら、案外共感しあえるんじゃないかなあ。

 

そんな弱気なこと言ってちゃダメ!もっと強くならなきゃ!とか説教されそうになったら、逃げてー!

「今私、そういうモードじゃないんで」って。(笑)

どうしても話せる人がいないなら、私に話しにきてくれたらいいです!