'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

【ご相談】何をしても自己否定につながってしまう場合について―エゴの声と対話してみる―

【ご相談】何をしても自己否定につながってしまう場合について―エゴの声と対話してみる―

 

 

今年は空梅雨なのだろうか。

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

梅雨入りしたとはいえ、いまいち降らない大阪です。

来週も晴れ予報が多いなあ。

晴れは晴れで気持ちいけれど、雨がしっかり降って、本格的に真夏になるまで少し時間稼ぎをしたい私です。

 

 

さて、自己否定に代表されるエゴの声は、傷ついてきた自分の声とも言えます。

ということは、エゴの声が大きくうるさい人は、それだけたくさん傷ついてきたということ。

そして、傷ついてきた分と同じだけ、希望も見てきたと思うのです。

自己否定の声が騒がしいときは、無理に打ち消さず、寄り添って対話してみてください。

ということで、本日は オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェにいただいたご相談にお答えします。

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オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェでは、根本裕幸お弟子さん制度を修了したカウンセラーが、無料で相談にお答えします。

どなたでも何度でも匿名でご相談いただけますので、お気軽にご利用ください(^▽^)

 

 

【ご相談】何をしても自己否定につながってしまう場合について

いつも様々な相談へのご回答を参考にさせていただいてます。

自己否定が強く何をしても自己否定につながってしまう場合について、相談させていただきます。

現在30歳を過ぎ、周りはどんどん結婚していく一方で私は彼氏も好きな人もいません。

不安や焦りから、自分から動かないとと思って婚活パーティーに行ったりアプリをやってみても成果はなく、出会いを探すことに気が乗らなくなってきました。

パートナーがいる楽しさや幸せも知っているからこそ、また恋愛したいと思うし優先順位が低い訳ではないと思うのですが。

なんで幸せになれないんだろうと自問自答する中で、両親の嫌だなと思うところが自分にも当てはまるなとか、自分のダメなところばかり目について嫌悪してしまいます。

自分にダメ出しする声が、頭の中でグルグルしています。

自己肯定感を上げようと自分の長所を考えてみても大したことないとか無理矢理あげてる感じで嘘っぽいし、自分のダメなところの方が現実的で本当の自分のような感じがします。

自己否定を繰り返す日々に疲れ、何とかしたいと思って好きなことをやるに取り組んでみても、好きなことをやってる自分を否定的に見てしまいます。

彼氏もいないのにそんなことやってる場合?と頭の声が聞こえて楽しめず、だんだん自分が楽しめることが何なのかわからなくなってきました。

疲れてるのかもしれないから自分を緩めよう!とマッサージを受けたりダラダラ過ごしてみても、お金や時間を浪費しているように感じ、自己否定につながります。

それが私だからしょうがないと思おうとしても、いやいやダメでしょこのままだと何も変わらないよと頭の声がうるさいです。

前までは行動してる方がエゴの声に立ち向かえると思い、男性と出会うために色々行動してたのですが、今はそれも気力が湧かないのでどうしたらいいものかと思います。

思考ばかりが働いて、不安や焦りに支配されてるのかもしれません。

何をやってもエゴの声に邪魔される場合はどうアプローチしていくのがいいのか、アドバイスいただきたいです。

よろしくお願いします。

sさん

 

 

【いなこからの回答】

sさんはじめまして。

いなこと申します。

このたびはココロノマルシェにご相談をお寄せくださりありがとうございます。

 

さて、何をやっても自己否定してしまう。

その自己否定ぐせを辞めようとしているのに、そのための行動さえ否定してしまう。

しんどいですよね。

 

好きなことをしたり、自分を緩めようとしたりされているとこことですから、sさんはもうすでにいろいろと心のことをご自分で調べたり勉強されたりして、取り組んでこられたのだと思います。

 

そして、その自己否定の声は、エゴの声だと気づいてらっしゃる。

気づくということが大事なので、もう少しですよ(^^)

 

 

とはいえ、エゴの声はなかなか手強いものですよね。

私も、「エゴ」という概念を初めて知ったとき、

「こんなに現実的で堅実な考えが、真実の声ではなくエゴの声なの?」

と驚いた記憶があります。

一見(一聞?)、もっともらしく聞こえるんですよね。

 

その一方で、この声が真実でないなら、どんなにいいかと、一縷の希望を見た気もしました。

 

 

そう、エゴの声は、真実ではない。

真実の声と対極にあるものです。

 

 

ここで簡単に、「エゴ」というものがあまりピンとこない方のためにご説明すると、

エゴとは、1人の人の中にあるさまざまな人格のようなものうちの1つです。

生きていく中で、傷ついて、ひねくれてしまった自分の人格です。

 

だから、エゴは「怖れ」を土台にしていて、

もう2度とあんな辛い思いはしないように、2度と傷つかないようにと、防御しようとするんですね。

 

なんだ、防御するんならいいやつじゃないか、と思われるかもしれません。

 

ただ、エゴの、2度と傷つかないように防御するやり方とは、

人を頼っても助けてもらえなかったら傷つくので、人に頼らない。

人を信じて裏切られたら傷つくので、信じない。

夢を見て破れたら傷つくので、幸せへの挑戦をしない。

というように、人との関わりや、前に進むことを断ち、ただ1人ですべてを抱えこみ、現状に留まらせるやり方なんです。

 

このやり方は、一時的にはたしかに自分を守れるかもしれません。

誰とも関わらず、夢も見なければ、がっかりすることはなさそうです。

 

しかし、長い目で見ると、このやり方では、孤立し、分離していきます。

 

誰にも頼らず、人を信じず、希望ももたずにずっと暮らしていけば、傷つくリスクは減ったとしても、人とつながる何よりのよろこびもなくなってしまいます。

そして、人を頼っても助けてもらえない、信じたら裏切られる、夢を見てもがっかりするだけ、と信じ続けて生きていくことになります。

 

それはやはりさみしく、しんどい生き方ではないでしょうか。

 

と、なんだかちょっと怖い説明になりましたが、エゴって誰にでもあるものなので、「私当てはまるわ!」と思った方も、安心してくださいね。

私もエゴちゃんを放し飼いしてきたので大丈夫です。

とてもすくすく元気に大きく立派に育ちました(^^)   ←

 

 

とまあ冗談は置いといて、エゴは、傷ついた人格と言いました。

ということは、傷ついてきた経験が多いほど、エゴは大きくなります。

 

だから、sさんの中で、それだけエゴが騒がしいということは、それだけ傷ついてきた経験がたくさんあったのではないかと思うんです。

希望が叶わなくて悲しかったり、がっかりしたり。

どうでしょう、思い当たるところはあるでしょうか。

 

エゴの声を根本から穏やかにするには、その辺りの痛みを癒していくのがお勧めです。

カウンセリングであれば、そこを詳しくお聞きしたいところです。

 

 

さて、たくさん傷ついてきたということは、一方で、本来sさんは、

たくさんの希望を持ち、

人が好きで、

人を信じられる人だということではないでしょうか。

 

sさん、sさんは、本当は、そういう人なのではありませんか?

 

希望を持ち、人が好きで、人を信じていたからこそ、その過程で、驚き、がっかりし、傷つく経験が多かったのかもしれません。

本来は希望いっぱいだったけれど、まだいろいろなことがわからない幼い頃の経験で、まちがって解釈して、まっさらなやわらかなハートが傷ついてしまったのかもしれません。

 

だからきっと、元の、希望に満ちたsさんに戻れます。

 



 

 

 

エゴは、傷ついてきた自分の人格の1つで、防衛するものと言いました。

ということは、エゴは、新しく挑戦しようとしているときにこそ騒ぐんです。

 

そんな変化なんて求めるな、挑戦なんてするな、どうせまたがっかりして傷つくだけだから!と。

 

怖いんですね。

 

 

今、sさんの中で、それだけエゴの声がうるさいということは、

sさんが情熱を持って変わろうと挑戦されている証拠なんです。

 

そんなsさんを、私はやっぱり讃えたい。

 

 

ただ、エゴは怖がっている。挑戦を、変わることを。

 

エゴはああ見えても、エゴなりにsさんを守ろうとしているんですね。

自分の一部でもあります。

 

だから、エゴをただ悪いものとして徹底抗戦するのではなく、

「そんなに怖いのねー」と寄り添ってみてください。

 

無理に抑え込もうとすると、あっちも抵抗して暴れますのでね。笑

 

 

寄り添いつつ、

「何が怖い?

どうなると思ってる?

何がいや?」

と、聞いてみてください。

 

「こんなことしてても何にもならない?

彼氏もいないのに、こんなことしてる場合じゃない?

こんなことしてたら、どうなりそう?」

 

「それって本当?

絶対そうなる?

100%?

絶対の絶対の絶対???」

 

 

エゴと丁寧に対話していくと、いつか

「うぐっ、それは……」

と答えに詰まると思います。

あ、もちろんエゴの方が、です。笑

 

だってエゴは、真実の声じゃないから。

 

 

エゴが答えに詰まったら、

ほほーう。やっぱりそれはたった1つの真実ではないんだね。

じゃあ私は、どんな真実を信じたいだろう。

と考えてみてください。

 

自分が幸せになる真実を選択すると決めてください。

 

何度も、何度も。

 

 

この対話は、頭の中でだけやると、いつもくせで、声の大きなエゴに自動的にやり込められがちです。

なので、ぜひ紙に書いてやってみてください。

 

 

落ち着いて、自分が信じたいものを明確にしてから、好きなことや、体を緩めることなどをあらためてしてみてください。

 

前とは違って、ゆっくり「今ここ」の感覚を、味わえると思います。

 

 

とはいえ大きく育ったエゴの声はなかなか手強いので、他の人に話を聞いてもらったり、もちろんカウンセリングを受けたりすることもお勧めです。

 

 

ずっと応援しています(^▽^)

ご相談ありがとうございました!

 

 

 

 

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この程度で「ある」と思いたくない私

この程度で「ある」と思いたくない私

 

 

梅雨の晴れ間の大阪ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 

'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

洗濯物をおもいっきり干しました。

 

 

さて、「あるものを見る」ということが、目下の私の課題です。

 

本当はいろんなものがある、持っているんだけど、

どうしても、

あれがない、

これが足りない、

減った、

に目が向いてしまいがちなんですね。

 

それは、お金や物質など経済的なものから、

自分の価値、魅力といったあらゆる豊かさにおいて。

 

豊かじゃないと感じている人は、

この、「ない」にばかり目が向くループにはまっているかもしれません。

 

 

と偉そうに言ってみましたが、

私自身が、自分の価値を感じにくかったり、

ないもの、失ったものに目がいって不安になったりすることが多いのです。笑

 

これまでもブログに何度か書いてきましたが、

今年になってそれをいろんな人に指摘され、助言をもらってきました。

 

そこで妹と一緒に、毎日自分の「あるもの」を言い合うことにしました。

 

「あるもの」を呟くためだけのLINEグループを作り、

「今日も無事故無違反で終われた」とか、

「3食食べられた」とか、

「家族が元気で生きてる」とか送り合うわけです。

できるだけたくさん。

どんなささいなことでもいいので。

 

1人でも書き出してたけど、人とやる方が続くのでね。

 

 

まだやっと1週間経っただけなのですが、

やっぱり私は「ある」のハードルが高いんだなあと実感しています。

 

例に書いたように、ささいなことでいいので、

「ある」を探すわけですが、

一応LINEには打つものの、内心、

「あるっていったって、この程度のものでは別にうれしくないなー」

と感じていることもあります。笑

あるものに挙げているけれど、本当はぜんぜんそうは思えていない。

思いたくない。笑

 

または、

「あるって言っても、この程度のものはみんな持ってるしなー」と、人と比較していたり。

 

 

こういう気持ちが、不足感や不満、不安となるんですよね。

よーくわかったわ。笑

 

 

私は、すごくて、人よりずば抜けているものでないと、「ある」とは認めたくないんですね。

 

「ある」のハードルがほんとに高い。

 

だから、自分の価値も、この程度だったら誰でもできるし……とか思ってなかなか認められないわけだ。

 

 

 

 

まあそれがいい、悪いは置いといて、その状態だと、幸せは感じにくいですよね。

 

同じ状態でも、この「ある」のハードルの高さによって、

幸せと感じるかどうかって変わってくるから。

 

幸せは主観的なものであり、感じるものだから。

 

ハードルを下げまくることができたら、今すぐにでも幸せになれるわけです。

 

 

それに、この程度ではうれしくないと思っていることも、

いざ失ったら、めちゃくちゃ大事なことだったということに気づくものです。

自分や家族の健康なんて、その最たるものですよね。

 

自分や大事な人の健康が脅かされたときや、災害に遭ったときなんかは、

普通に寝起きして、ご飯食べて、仕事に行ける。

これができていたなんて、めちゃくちゃ幸せだったなあって思います。

 

うん、やっぱりありがたいことっていっぱいあるよね。

 

 

ということで、この取り組みを、続けていこうと思います。

 

みなさんもよければやってみて、いかに自分が恵まれているかを感じてくださいね(^^)

 

 

 


 

 

 

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「助けてください」が言えないあなたへ。助けたい人と助けてもらいたい人の需要と供給は。

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すっかり梅雨景色となりました。

 

雨のしずくがきれいだった。

 

 

'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

湿気がものすごい大阪です。

あちー。

 

 

さて、私たちはたいてい、

「困っている人を助けましょう」

と教えられてきました。

 

そうですよね?

 

家庭でも、学校でも、そこによって強弱はあるものの、

たいていの人が、

困っている人がいたら助けることは、良きこととされ、

それができたら褒められ、

それができる自分を、誇らしく思ってきたのではないでしょうか。

 

 

……ということは、

この社会には、

「助けたい人」

「助けることのできる自分が好きな人」

がうじゃうじゃいると思われます。

 

 

その一方で、

「人に迷惑をかけないように」

と教えられてきた人も多いのではないでしょうか。

他にも、「迷惑をかけない」の亜型として、

「自分のことは自分でやる」とか。

 

こちらも、環境により強弱はあるものの、

多くの人が、

迷惑をかけずに自分のことは自分でやることを美徳として育ってきていると思われます。

 

 

……ということは、

人に迷惑をかけずに自分のことは自分でやりたい人が多い

人に助けられたくない人が多い

と考えられます。

 

 

これは大変!

 

助けたい人が多いのに、

助けてもらいたい人は少ない。

 

「助けたい」の供給過剰が起こっています!

需要と供給のミスマッチ!

「助けたい」のインフレ!

 

 

……とか考えていたら、

もしかして、もっと「助けて」って言ってもいいのかも。

 

困っている人がいたら助けるぜー!とウズウズしながらアイドリングしている人って結構いるのかも。

 

なんて思いました。

 

 

私は心理学を勉強して、

人様には「1人でがんばらなくていいんですよ」なんて言うくせに、

未だに未だに自分は、人を頼るのが苦手だからさー。

 

 

 

 

実際、何かハプニングが起こったり、誰かが具合悪くなったりしたら、

目が覚めたように張り切って、

力が湧いてきて、

でもとてもやさしい気持ちで、

人のために場のために、あれこれ動き回った経験のある人は少なくないのではないでしょうか。

 

なんせ「困っている人がいたら助けましょう」って、幼き頃から英才教育されてきたんだし。

 

でも教育の賜というだけでなく、

犠牲ではない、ほんとの愛から助けたいっていう気持ちは、みんなどこかに持っているんですよね。

余裕さえあれば、みんな人に貢献したいっていうのが人の本質だと思います、私は。

 

 

なのに一方で、人に迷惑をかけてはいけない、自分のことは自分で(≒人に助けを求めてはいけない)って教えこむなんて、なかなかの矛盾だよなー、ダブルスタンダードだよなー。

混乱しちゃうぜ。

 

 

ということで、ほんとは助けてほしいけど、無視されて誰も手を差し伸べてくれない気がして怖くて「助けて」と言えないときは、

私たちは「困っている人がいたら助けましょう」という英才教育を受けてきた、という事実を思い出してみてください。

 

 

「助けてください」と発することは、

愛の需要と供給のバランスをとり、

愛をうまいこと循環させていくのに貢献するんです(^_-)

 

 

 

 

 

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ほめことばが受け取れず、とっさに全否定したり、微妙な表情になったり、受け流してしまう人に質問です。

 ほめことばが受け取れず、とっさに全否定したり、微妙な表情になったり、受け流してしまう人に質問です。

 

 

昨夜は本格的に冷房をつけました。

 

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

私は真夏でも湯船につかるんですが、昨日のお風呂上りはさすがに暑くて。

それでも夜は涼しいので、今シーズンはまだ冷房をつけていなかったのですが、昨日のお風呂上がりはさすがに暑い。

 

冷房つけようかな。

 

でも近所の人、どこもまだつけてなさそう・・・と窓際で耳を澄まして近隣の部屋の室外機の音を聞き取ろうとする私。

 

て、何たる他人軸!

別につけたかったらつけたらいいやん!

 

まだ誰もつけてないのに1番乗りでつけるのはちょっと……という謎の他人軸が残ってるんですね。

ということでつけました快適。

 

 

さて、罪悪感にまみれていたこのところ、そんな状態だと、自分のいいところなんて見えなくて、自分がブログ書くことにもまったく価値が見出せなくて書けなかったんです。

 

そんなの書いて誰の何の役に立つんやろ。

私の言うことなんて、何の説得力もない、と。

 

書くエネルギーがなかったというのもありますが。

 

 

それでも、時々感想をくださる方がいたり、価値を伝えてくれる方がいたりで、気持ちもちょっと落ち着いたときに、そんな方たちに背中を押してもらって、ありがたいことに少し抜けました。

ありがとうございます(^^)

 

 

とはいえ本当に、価値とか魅力など、自分へのありがたいことばって、なかなか受け取れないものなんですよね。

せっかくすごくうれしいことを言ってくれているのに、とっさに全否定したり、微妙な表情になったり、受け流してしまったり。

私ほどではないにしろ(笑)、世の中、受け取りすぎて困る人と、受け取らな過ぎて困る人とだったら、圧倒的に後者の方が多いと思います。

 

 

ということで今日は、自分へのほめことばが受け取れない、というとき、冷静になって自問してほしい質問を2つ書きます。

 

 

その1

あなたをほめてくれる人は、そんなにバカ舌なんですか?

精神科医名越康文先生が、YouTubeかネット記事かでこんなことをおっしゃっていました。

ソースが探せずごめんなさい。そして私の記憶の中のことばなので正確ではないことをご了承ください。

 

相手がほめてくれることを受け取らないというのは、相手が、「これ美味いから食べてみ」と勧めてきた食べ物を、「こんなもん食えるかい!お前はどんな舌しとんねん!」と突き返すようなもの。

あんたの舌はバカ舌だと言っているようなものだ。

 

といった趣旨のことをおっしゃっていました。

 

なるほどなあ。

 

「舌」というのは比喩表現ですが、要は、相手の感性を全否定しているということですよね。

もしかしたら、相手はあなたに感動さえしているかもしれないのに。

 

 

ということで、ほめことばが信じられないというあなた。

 

あなたをほめてくれる人は、そんなにバカ舌なんですか?

 

その人の感性は、そんなにもくだらなくて信じられないのでしょうか??

 

 

その2

あなたをほめてくれる人は、そんなに信頼できない人でしょうか?

いや、食べ物という第三者(物)を勧められたのならそんな突っぱねることはしないよ。

「私本人」を目の前にしてほめられているから、信じにくいんだよ。

だって、本人を前にして、ネガティブなことって言いにくいし……

 

という反論が浮かんだあなた。

 

たしかに。

それも一理あるかもしれません。

 

気を遣ってくれている部分もあるかもしれません。

 

じゃあ、気を遣うのはなぜ?

 

それは、あなたをよろこばせたいから。

「よろこばせたい」というほど積極的なニュアンスではないとしても、少なくとも「不快にさせたくない」ということだと思います。

 

いずれにせよ、それって結局、あなたへのやさしさであり、愛です。

 

その、あなたをほめてくれた人は、口ではほめて、内心は、「うえーこいつほめことば本気にしてやがんの〜きっも〜〜〜」とか思うひねくれ坊主なんでしょうか?

もしイエスだったら、その人お疲れのようですね(^^)で終わりでいいと思います。笑

その人は、そんなに人として信頼に足らない人物ですか?

 

言ってくれたほめことばがどれだけ真実かより、その人がそこに込めてくれたあなたへの愛を感じてみましょう。

 

ほめことば自体がすっと信じられないときは、それが真実かどうかにこだわらず、相手の愛を丸ごとありがたく受け取りましょう。

 

向こうだって、勇気を出して心を込めて贈った愛を、まるごと受け取ってもらえた方がうれしいに決まっています。

 

だからごちゃごちゃ考えず、愛としてありがたく受け取る。

 

それでオーケーです。

 

 



 

本当は、相手が信じられないんじゃなくて、相手にそんなに良くしてもらえる自分が信じられないんですよね。

自分の魅力が信じられない。

自分が信じられないんです。

ほんとはね。

 

ほんとはそこにアプローチしていくといいんだけど、それはいきなりハードルが高いので、まずは人が言ってくれたことばをありがたいきっかけにしてみる。

 

 

ほめことばが受け取れず、とっさに全否定したり、微妙な表情になったり、受け流してしまうときに、冷静になって自問してほしい質問。

①あなたをほめてくれる人は、そんなにバカ舌なんですか?

②あなたをほめてくれる人は、そんなに信頼できない人でしょうか?

 

とっさに打ち消す前に、一呼吸して、自問してくださいね(^▽^)

 

 

 

 

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自分を責めてしまう。後悔が止まらない。その自分責めを聞いているもう1人のあなたは、どんな顔をしていますか?

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‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

間が空いての更新となってしまいました。

 

全国おおむね梅雨入りして蒸し暑くなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 

私は、またまた罪悪感ウェーブが来て、心はあまり元気ではありませんでした(^^;

カウンセラー活動もちょっとしっかりお休みしようかなあなんて思っていたけれど、話を聞いてくれる人や価値を伝え続けてくれる人たちに助けられ、ブログを更新しようと思えた次第です。

 

そんな間も、ブログをのぞいてくださっていた方、本当にありがとうございますm(__)m

 

 

さて、罪悪感とはほんとうに手ごわいものですね。

私だけ?笑

 

カウンセリングを勉強しだして、私なりには少しずつ少しずつ変わってきて、癒しも進んできたと思ってはいるのですが、

そうすると、過去の自分がいかに他人軸だったか、自分を知らなかったか、

平たく、俗っぽく言うと、いかに傲慢だったかに気づき、そこに罪悪感を感じていました。

 

浅はかだったなあ。

もっと聡明であれば。

申し訳なかったなあ。

 

そしてそんな自分は、けっして許されない。

 

そんな罪を背負った自分は、一生幸せになれないだろう。

 

そんな悲しみと苦しさにまみれていました。

 

 

おいおい、一体何やらかしたんかいなと思われるかと思いますが、

転職したことです。

えーまたその話―?と思われるかもしれません。私のブログを以前から読んでくださってる方は。笑

はい、その話です。

 

 

詳細は長くなるので割愛しますが、

やりたいことに本気で挑戦しようと思ってした転職でしたが、

実際には、前の職場への甘えとそれによる不満だとか、自分への過度な期待だとか、

そんなものがいっぱいあったんだなあと今になって感じるんです。

 

私には、あれもない、これもない、このままじゃだめだと思っていたけれど、

本当は、たくさん「あった」。

有形無形、たくさんのものが与えられていたし、愛されていた。

持っているものの価値に気づけていなかった。

当たり前と思って感謝できていなかった。

それに気づけず、受け取れていなかったんだなあって。

 

そんなに愛されていたのに、それに気づけず、大事にできず、感謝も足りずに、

恵まれたところを捨ててしまった私は、きっともう、あの頃以上に幸せにはなれない。

バチが当たる。

一生悔い、償いながら、生きていくしかないんだと思っていました。

 

「お願いします、許してください……」と思わず声が出てしまうくらい、苦しくなっていました。

 

 

だけどその考えを妹に話したとき、

「そんな、当たり前のことに気づけず感謝できてなかったことなんて誰にでもあることやん!

仕事辞めるのなんか自由やん!

誰の許可もいらん!

そんなことでバチ当たるなんてない!

そんな悲しいこと言わんといて!」

と言ったんですね。

 

 

私はそのとき、本気の本気でバチが当たって一生幸せになれないと思っていたので、妹にそう言われてやっと、

「あれ、これは少し行き過ぎた考えなのか・・・?」

と思えました。

ほんと言うと、今もまだ、「許されないんじゃないか」という気持ちはちょっと残ってます。笑

 

 

で、妹のことばを受けて、「そうか、これはあまりに自分に酷い考えなのか・・・?」と思い直し、そんな酷いことばを、自分が、自分の核となるもう1人の自分(みたいなのがいるとして)に言っているとしたら、そのもう1人の自分はどんな顔をして聞いているだろうと思って、絵を描いてみたんですね。

 

 

そしたらこんな感じになりました。

 

 

 

きっと、そのもう1人の自分は、

「自分が悪い」

「申し訳ない」

「情けない」

「ごめんなさい」と、

すべてを1人で一心に受けて、何も言い返せず、黙ってうつむいて、肩を落として小さくなって、ただただ音もたてず静かにぽろぽろぽろぽろとめどなく泣いていると思ったんです。

 

 

めちゃくちゃかわいそう・・・・・・(大号泣)

 

 

この、

「自分が悪い」

「申し訳ない」

「情けない」

「ごめんなさい」と感じているもう1人の自分の気持ちが、私の不安感であり罪悪感になっているんですよね。

 

要は自分で罪を作って、自分で罪を感じているんです。

 

 

そりゃそんなふうに言われ続けたら、自信もなくなるし、何もする気になれないよなあと、ある意味納得しました。

 

 

それで、この絵の子を何度も何度もなでて、

ごめんね、辛かったよね、いっぱいいっぱい勇気出してがんばってくれたのにね、ごめんね、ありがとうね、大好き、ありがとうねと何度も泣きながら言いました。

 

 

 

 

 

人は自分に1番厳しくて、他人には絶対に言わないような辛辣なことばを自分にはかけている。

だから親友に言うように、自分にことばをかけてみて。

なんて言ったりします。

 

もしあなたが自分を責めていたり、後悔していることがあったとして、

そのことばを、あなたがもう1人のあなたに言っているとしたら、

どんな顔をして聞いていると思いますか?

 

もしよければ、絵に描いてみてください。

あんな適当な絵↑でいいから。笑

 

そして、その子の横に、いつも自分が自分を責めていること、後悔していることも書き出して、そのことばの矢印を、全部その子に向けてみてください。

 

そのことばたちを、

全部私が悪いんだ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいと、

1人で一心に受けているもう1人のあなたは、どんな顔をして聞いているでしょう。

 

もちろん脳内イメージだけでもいいんだけど、私は絵にすることで一層、あの子がすごく愛おしく思えました。笑

 

 

そうやって少しでも、自分に厳しすぎるのかもということに気づいてください。

どの口が言うか。

 

まずはそこから。

 

 

 

 

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【ご相談】家庭環境が原因で生きづらさを抱える人がしなくてはいけない努力に納得できません。―あなたをみくびらないでください―

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ご無沙汰しております。

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

 

生まれた環境が過酷で、自己肯定感が低く育ってしまった。

そのために、心の勉強をしたり、カウンセリングを受けたり、幸せに育った人は一生しなくていい努力をしなくてはいけない。

持っている者はさらに与えられ、持っていない者はさらに奪われる……?

これは理不尽、踏んだり蹴ったりではないか。

そんな風に、私も思うことがあります。

そんな理不尽を、存分に怒ったり嘆いたり悲しんだりしたっていいのですが、だけど自分をいつまでもそんな理不尽に嘆くことしかできない無力な存在だとみくびり続けないでいただきたいのです。

 

ということで、本日は オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェにいただいたご相談にお答えします。

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オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェでは、根本裕幸お弟子さん制度を修了したカウンセラーが、無料で相談にお答えします。

どなたでも何度でも匿名でご相談いただけますので、お気軽にご利用ください(^▽^)

 

 

【ご相談】家庭環境が原因で生きづらさを抱える人がしなくてはいけない努力に納得できません。

ずっと思っていることがあります。

愛情を感じない家庭で育ったため生きる意欲が弱く、とても生きづらいです。

私は自己肯定感をあげたりなどに取り組まないと生きづらいままでしょうが、どうして苦しんだ私がさらにそんな面倒な努力までしないといけないのでしょうか?

「このために生きてる」というような生きる希望は現状ありません。

皆様のご意見を伺いたいです。

辛くてたまらずカウンセリングを利用したりする料金も相当な金額がかかっています。

社会人ですのでそれを自分のお給料から払っています。

その料金を親に支払ってもらうのが筋なのではと思うようになりました。

本当はこんな相談もしないですむ、カウンセリングのページなど見ることもないような人生を歩みたかったです。

アドバイスをいただきたく宜しくお願いいたします。

Aさん

 

 

【いなこからの回答】

Aさん、このたびはココロノマルシェにご相談をお寄せくださりありがとうございます。

 

本当に、そうだなあと感じました。

 

生まれついた家庭環境のせいで生きづらくきたのに、なぜさらに努力しないといけないのか。

これ以上しんどい思いをしろというのか。

世の中には、カウンセリングになんて一生触れずに生きていく人もいるのに。

 

本当にそうだと思います。

 

本当にそうだと思う私ゆえに、何をお伝えしたらいいのか。

私が何をお伝えできるのか。

悩みました。

 

一見してはわからないけれど、誰にでも苦しいときはあるものですよ、というのもありがちな気休めのような気がするし。

他の人だってそこそこしんどいんだから、みんな同じと思って我慢しようっていうのはなんだか違う。

 

うーん。

まだ悩んでいます。笑

 

だけど私も共感するところがあったから、何かしらお答えしたくなったのですよね。

 

 

心理学の世界では、起こることは必然で、すべては自分が選んでいると言われます。

自作自演、とも。

 

ですがこのことは、適切に伝わらなければ、

ときに凶器になると私は感じています。

 

こんなに苦しんでいるのに?

私は何とか幸せになりたいと、ずっとがんばってきたのに?

今苦しんでいるのは、私が選んでいると?

つまり私が悪いと?

自業自得だと?

 

もし仮に、そうだとしても、

それを頭でわかったとしても、

どうしていいのかわからない。

今の苦しい状態から、どうやって幸せを選ぶ思考に変えていけばいいのかわからない。

そうなれる自信も希望もない。

そうこうしているうちにも、どんどんと時間は過ぎていく。

苦しいまま、変われないまま、報われないままに、時間だけが過ぎていく……

 

やり場のない怒りと、深い悲しみと、絶望に打ちひしがれてしまうかもしれません。

 

 

Aさん、まずは怒っていいです。

理不尽ですよね。

どうして、自分が何か悪いことをしたわけではないのに、

たまたま生まれついた環境のせいで苦しんでいるのに、

さらに苦しんで、努力して、お金も払って、それを何とかしないといけないのか。

理不尽です。

 

存分に怒っていいです。

 

怒ることに、

罪悪感を感じたり、

まちがっているとたしなめたり、

怒ったって何も変わらないのだからと理屈をつけてやめようとしなくていいです。

 

だって私は今、理不尽に感じているんだもの。

存分に怒っていいし、泣きたくなれば泣いてください。

その思いを書き殴ってもいいです。

 

怒って怒って怒り尽くして、泣き尽くしたら、

その怒りは少しずつ薄らいできます。

怒るのにも疲れてくるかもしれません。

 

そうなってから、私はどうしていきたいのかとうことに、

思いを馳せていただけたらと思うんです。

 

 

生まれついた環境に恵まれなかった。

これは本当に、不運だったのかもしれません。

 

だけど、それをこの先も恨み続けるということは、

被害者であり続けるということ。

「私には、この問題を解決する力はありません」と宣言し続けること。

「私は無力です」と宣言し続けることなんです。

 

 

>「このために生きてる」というような生きる希望は現状ありません。

とおっしゃっていますが、そうおっしゃるということは、

Aさんは、本来は、生きる希望に満ち溢れることができる人なんだと思います。

 

本当に希望に縁のない人であれば、

生きる希望のないことは問題にならないから。

気にならないから。

本当は、希望と情熱に溢れる人なのに、

それがうまく発揮できずに、苦しんでおられるということなんです。

 

本当は、Aさんには、その力があるということなんです。

 

 

「起こることは必然で、すべては自分が選んでいる」

というのは、

自業自得だからあなたが悪いんですよということでもなく、

諦めなさいよということでもありません。

 

自分が自分らしく生きるために、この問題を必要としたということなんです。

 

自分らしく生きるために、その問題を活用する必要がある。

天賦の才を発揮するために、その問題が必要だった、ということ。

 

そのための問題だから、むしろ乗り越える力があるというより、

問題ができた時点でその答えも出ているんです。

答えのために、問題があるんです。

 

 

問題、Aさんの場合で言えば、

>愛情を感じない家庭で育った

ということかもしれません。

 

その問題は、Aさんの本質や才能という答えを際立たせるための演出と言ってもいいかもしれません。

 

 

いや、苦しんでいるのに、「演出」なんて軽いことばでこんな風に言われると腹が立つかもしれませんね。

私も、「辛いことがあった分、人にやさしくなれる」とかいう文言を聞くたびに、「いや、人にやさしくなっても自分は苦しいことばっかで何もいいことないやんけ。やさしくなんかならんでええからとにかくとっとと幸せにしてくれ」って思っていました。笑

 

だけどとにかく、自分をみくびったままではいないでほしいんです。

Aさんの持つ力を信じてほしいんです。

 

 

 

 

 

 

ただ1つ、その力を発揮するためには、

AさんがAさんとして生きていくことを受け入れなければいけません。

Aさんとして生きることに、肚をくくる。

 

「こんな環境に生まれなければ……」というところに留まり続けるのは、

Aさん以外の他の人になろうとしているということです。

 

こんな環境に生まれていない別人であったなら……と夢想することだから。

 

 

どうやったって、自分以外の人になることはできない。

それは事実です。

もちろんこれは、Aさん以外の誰にも言えることですが。

 

 

だから、たくさん理不尽なこともあったけれど、

その理不尽も含めて、「これが私」とまずは受け入れる。

 

受け入れるも何も、そんなことわかってるよ、という話ですが、

なんでこんなに不公平なんだ、理不尽なんだと嘆いているだけでいることをやめるということです。

 

 

理不尽で、不公平だけど、それを受け入れた上で、

さて、ここからどうするかな。とこれからを見据えられたとき、

問題が活用され始めます。

 

 

がんばって生きてきたAさんだからこそ、

その先の世界を見せてあげたいと、思いませんか。

Aさんの力を信じて。

 

 

嘆いているだけに留まるのをやめると言いましたが、まずは嘆いてくださいね。

繰り返しになりますが、まずは怒り狂っていいし、泣きたければ泣いてください。

 

ただ、それがひと段落したら、Aさんを、嘆くだけの無力な人だと見くびったままでいないでください。

 

Aさんには力があります。

Aさんは、Aさん以外のものに翻弄されっぱなしの無力な被害者ではありません。

 

Aさんは、自分の人生を創っていける、力のある人です。

 

嘆いても怒ってもいいけれど、そのことは、どこかで信じていてください。

 

 

ちなみに、どうしてこんな努力をしないといけないんだと疑問や怒りが湧いてきたのはいい傾向だと思います。

私にはこんな扱いふさわしくない!と思えているわけですから。

エネルギーも湧いてきています。

カウンセリングの効果も出てきているのではないでしょうか(^^)

 

腹の立つ気持ち、悲しい気持ち、カウンセリングでもぜひそのまま話してみてくださいね。

 

 

ずっと応援しています(^▽^)

ご相談ありがとうございました!

 

 

 

 

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【ご相談】人に意見されるのがすごく怖いです―人の意見と自分の価値が直結していませんか?それらには何の関係もありません―

【ご相談】人に意見されるのがすごく怖いです―人の意見と自分の価値が直結していませんか?それらには何の関係もありません―

 

 

暖房器具を掃除したりエアコンを掃除したりして、夏支度を終えました。

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

朝晩の寒暖差はありますが、さすがに昼間は夏っぽくなってきました大阪です。

気になっていた夏支度を終えてスッキリ(^^)

 

 

さて、人に否定的な意見を言われるのは、誰だって気持ちのいいものではありません。

だけど、人に意見されるのが過度に怖い場合は、人の意見と自分の価値がくっついてしまっているのかもしれません。

自分の価値、そんな大事なものを人に預けていると、それはそれは生きづらいです。

 

ということで、本日は オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェにいただいたご相談にお答えします。

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【ご相談】人に意見されるのがすごく怖いです

私は昔から気の強い同性が怖くて仕方ありませんでした。

どうしても嫌なことを言われたりされても意見できません。

それが歯がゆいのですが、その場に立つと頭が真っ白になります。

今は2児の母親になり、ママ友や昔の友達とは誰とも連絡取ってません。

かわりに旦那(自営業で一緒にお店をしてます)から同じようにきつく言われたりするので、また何か言われるかもって怖くなります。(根本さんのワークをやっておりますので少しずつ回数は減ってきました)

今日は思いっきって旦那にもっと休みたいなぁと言ったらすごい苛つかれました

自分の思いを伝えたのに認められるどころか1日イライラされてしまいました

本当の自分になりたいのですが、攻撃されるのが怖いです

母親は小さい頃から常に忙しくてイライラしてよく怒られてました。

父親は婿養子で肩身が狭く放任でした。

曾祖父が、とても権力強くてみんなが我慢して生活してるのでイライラをよくぶつけられてた感じがします。

3人兄弟の真ん中で上が兄下が歳の離れた妹がいます。

一応家族のお恨み帳的なものはやりましたが、そんなに進みません

同性の人たちのことは結構汚い言葉で発散しました。変わりたくて、根元さんのブログも毎日寝不足になるまで見てやめられません。なんだかおかしいです。

本当はねもとさんのセッションもすぐにでも受けたいのですが、そんなに沢山のお金をなかなか用意できず、うだうだしています

どうしたらいいのでしょうか?

とら吉さん

 

 

【いなこからの回答】

とら吉さん、このたびはココロノマルシェにご相談をお寄せくださりありがとうございます。

 

さて

>昔から気の強い同性が怖くて仕方ありませんでした。どうしても嫌なことを言われたりされても意見できません。

とのこと。

 

だけど、同性だけじゃなく、

>かわりに旦那(自営業で一緒にお店をしてます)から同じようにきつく言われたりするので、また何か言われるかもって怖くなります。

とのことですので、

相手の性別いかんを問わず、

とにかくつけてくださったタイトルの通り、

「人に意見されるのが怖い」

ということなんですね。

 

とら吉さんは、人の意見と自分の価値がごっちゃになっているのはないでしょうか?

 

たとえば、旦那さんとのエピソードとして、

>今日は思いっきって旦那にもっと休みたいなぁと言ったらすごい苛つかれました

と書いてくださっています。

 

きっとこのとき、とら吉さんは、

自分が「もっと休みたい」と言ったことで、

お前はまちがっているとか、さぼっている、やる気がないとか、ダメだとか、責められているように感じられたのではないでしょうか。

 

だから、怖かったり、落ち込んだり、落ち着かなかったのではないかと思うんですね。

 

 

それはなぜか。

 

「旦那が私に苛ついている」=「私が悪い」

という図式が、とら吉さんの中でできあがっているからです。

「私が悪い」は、「私は嫌われている」、「私はダメだ」などに言い換えていただいてもOKです。

 

旦那さんの態度 = とら吉さんの価値・評価

になっているんですね。

 

 

だけど実際には、このとき起こっている事実は、

「私は思いっきって旦那にもっと休みたいなぁと言った」

「旦那はそれを聞いて苛ついていた」

というだけなんです。

 

=「私が悪い」ではないんです。

 

だから、「ああ、旦那が苛ついてるな。」で終わってもいいことなんですね。

 

 

これは、他人軸であるとも言えます。

旦那さんの言動という軸に、とら吉さんは振り回されているんですね。

 

おそらく旦那さんに限らず、他の人にも、

自分に対して肯定的な言動をしてくれたら私の価値はある、

否定的であれば私の価値がない、

といったような図式ができあがっているんです。

 

だから人に意見されるのが怖くなるんですね。

人が何と言うかに、自分の存在意義がかかっているから。

自分の価値というすごく大事なハンドルを、他人に預けているということです。

出会う人で会う人が何と言うかで、自分の価値があっちに行ったりこっちに行ったり。

それはもう、しんどいですよね。

怖いです。

 

 

もし、人の意見と自分の価値はなんら関係ないと思えていれば、

たとえ自分のことをダメという人がいても、

嫌いだという人がいても、

「私のことをダメと言う人がいる」以上。

「私のことを嫌いだと言う人がいる」以上。

で終わる話なんです。

私の価値とは無関係。

 

ただそれだけのことなんです。

 

だから、人に意見されても怖くありません。

 

 

なのでまず、

人の言動と自分の価値は何ら関係がないのだ

ということを頭に置いておいてださい。

 

そのことを自覚するだけで、少しは気が楽になっていただけるのではないでしょうか。

 

 

そうは言っても、自分への否定的な言動を見聞きするのは気持ちのいいものではありませんよね。

ほめてくれる、認めてくれる方が、安心して過ごせるし、やる気も出るってもんです。

わかるわかる、そりゃそうだ。

 

それは普通です。

みんなそんなものだと思います。

 

だから、否定的な意見をされることで、怖くなったり、落ち込んだりすることも、自分に禁止しなくていいです。

また気にしてしまった、なんて責める必要もありません。

そこでそれを責めると、また悩みが増えてしまいますからネ。

 

怖いなー。

こいつ、イヤなものの言い方するな。

あー嫌いだわ。

見る目ねーな。

とか思ったっていいです。

 

進まなかったお恨み帳をそこでやってみてもいいです。

 

実際に口に出して抗議してもいいです。

 

なるべく距離をとるのもいいですね。

 

表向きは、「なるほど〜。さすが〜。勉強になります。私はまだまだだなあ。」と平和的に対処して気分よくさせてあげて、うまく転がしてあげるのもいいですね。笑

 

 

人の言動は、自分の価値と関係ないということを知った上で、

とはいえ否定的な意見は気持ちのいいものではないから、具体的にどういう対策を取るか。

そうすることが、自分を大事にすることだと私は思います。

 

 

 

 

そう言われても、もしかしたらすぐにはそうは思えないかもしれませんね。

それは、

>母親は小さい頃から常に忙しくてイライラしてよく怒られてました。父親は婿養子で肩身が狭く放任でした。曾祖父が、とても権力強くてみんなが我慢して生活してるのでイライラをよくぶつけられてた感じがします。

といったところが関係しているのかなあと思います。

 

子どもの頃から、身近な家族の顔色をうかがわざるを得なくて、

人の言動と自分の価値を結びつけるクセがついているのかもしれません。

 

 

その思い込みを紐解いて、癒していくのにカウンセリングを利用するというのは良いと思います。

でもたしかに、費用の問題もありますよね。

わかります。笑

 

それは、とら吉さんが「やってみよう」と思ったときが受け時です。

焦らなくても、自分がこうなりたいなあと思う未来の自分の姿に投資しようと心から思えた時で十分だと私は思います(^^)

 

 

ということで私からは、まず手軽できることの提案です。

 

①人の言動は、自分の価値と関係ないということを知る。

  ⇒誰かに否定的な意見を言われたとき、

   その意見はこの世の絶対的な100%の真実であるか検討する。

   そしてイコール私の価値に影響するものかを検討する。

   「・・・と言う人がいる。以上。」と口に出して言う。

 

②とはいえ否定的な意見は気持ちのいいものではないから、具体的にどういう対策を取るかを考えて実行する。

 

 

否定的なことを言われたら、

即座に自動的に、「私が悪い」という図式が

とら吉さんの中でできあがってしまっていると思うので、

自動的にそう思いこんで落ち込む前に、

いったん立ち止まって、

上の2点を検証してみてくださいね。

 

 

ずっと応援しています(^▽^)

ご相談ありがとうございました!

 

 

 

 

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