暑い。
もう6月か。
夜でもさすがに暑くなってきた。
暑くてべとべとしながらSNSを眺めていた私は、前の職場の直属の上司が投稿した、山肌から流れる澄んだ冷たそうな水の写真に惹かれて、思わずコメントしてしまった。
「これが大阪ですか??きれいな冷たい水に癒される……」
しばらくして、
「そやでー。昔、職場で泊まった交野のコテージ近くやで。いい景色。」
とコメント返しがあった。
2、3年前に、職場のみんなで泊まってBBQをした、ほとんど京都に近い大阪の山の中の写真だったようだ。
その後すぐに、その上司がLINEに直接メッセージをくれた。
3月半ばに最終勤務を終えてから、この上司と連絡を取るのは初めて。
「新しい仕事ぼちぼち始まったかな?」に始まり、お互いの近況を報告しあった。
コロナが本格的に流行りだした頃に去ったので、その後どう対策していたかなどを聞く。
みんなが働いている姿が、リアルに目に浮かぶ。
職場のうちの部門のメンバーで、LINEグループを作っていた。
業務連絡や、外部の勉強会のお知らせのシェア、みんなで遊びに行ったときのバカな写真を共有したり、男子が多かったので、サッカーのワールドカップをそれぞれ自宅で観ながら、リアルタイムでやいやい言い合ったりしていたこともあった。
私は、実勤務最終日の夜、帰宅するとすぐに、そのグループから退室した。
みんなは、ドライなやつだと思ったかもしれない。
上司も、私がもうあまり関わりたくないのかもしれないと思って、なんとなく気を遣ってくれていたような気がする。
そうじゃない。
みんなのメッセージを見るのが、耐えられなかったのだ。
自分が職場を辞めて、部外者になった状態で、日々の何でもない業務連絡などを読むのは耐えられないと思った。
職場の近況なんて、聞きたくなかった。
そう、クラブを引退してから部室を訪れる感じ。
ついこの間までここにいて、後輩たちも再訪を歓迎してくれているのに、なぜかまったく見え方が変わってしまった感じ。
この間まで自分の居場所だったのに、遠く感じる、よそよそしく感じる部室の感じ。
自分はもう、部外者になってしまった。
自分の時代は、終わった。
自分が退職してから、グループLINEにあがるメッセージを見たら、きっとそんな淋しさに襲われるであろうことが、怖かった。
だから、勤務最終日にLINEのグループからすみやかに退室することは、ずっと決めていた。
コロナが流行って、飲み会もできなくなったのは、私にとってある意味都合がよかった。
昔の仲間と、しばらくは会わずに済む。
「今はちょっとあれやから、落ち着いたらまたご飯いこう。」
多くの人とそう言って別れた。
自分から辞めたのに。
この退職は、少なくとも退職を決めた時点では、「手放し」という観点からは、完全に失敗だった。
リスクを冒して、慣れ親しんだ場を捨てて、挑戦するのかどうかを迷っていたとき、
「手に持っているものを手放さないと、新しいものは手にできない。勇気を出して先に手放そう。」
そんな風に発信している読み物をたくさん読んだ。
そんなことばに背中を押されて、「そうだ、今は辛いし怖いけど、手放してみよう」と退職を決めた。
しかし、その決断が正解だったのか不安で不安でどうしようもないときに、根本裕幸師匠のブログを見つけた。
師匠は、転職を迷っている読者の方の相談に、
「迷っている方には転職より、まず休職をお勧めします。今は疲れているかもしれません。」
「職場を変えても、自分が変わらなければ、また同じことが起こります。」
「落ち込んでいるときに下す選択は、その人らしくないことが多い。」
そんな風に答えていることが多かった(ように思う)。
もちろん、相談者さんの状況はそれぞれで、ケースバイケースであるから一概には言えないし、私が解釈して記憶している範囲のことなので、正確ではないが。
そして、どうやら私がしようとしている退職は、師匠の言う「手放し」ではないようだった。
「手放し」というのは、「無理やり投げつけて捨てる」というようなものではなく、ゆっくりと手を開いて、感謝してそっと放す、そういうようなものらしかった。
そのとき私が感じていた自分の退職は、ぎゅーっと固く握りしめている手の指を、無理やり力技で1本1本開かせて離させる感じ。あるいは、すっかり根を張ってしまった木を、無理やり根っこをブチブチ引きちぎりながら抜く感じ。
痛いよう、痛いよう、ずっとここに居たいよう。(ダジャレからの韻踏み)
自分から辞めたのに。
意味が不明。
前にも進めない、後にも退けない。
ただただ辛かった。
私は行き詰まっていただけ。恵まれた職場を辞めるのではなく、一度ゆっくり休んだり異動して、ここで続けるのが正解だったのかもしれない。
単に、研鑽し続けることがいやになっただけ、努力するのがいやになっただけで、こんなことでは、いくら違う仕事をしてもまた同じことになるだけかもしれない。
もう何年も、この仕事に興味持ててないなあ、私はダメな上司だなあ、だからきっと、もう私は上からも下からも評価されていないよなあ。そんな風に自分を責めている状態で下した決断だから、これはやっぱり私らしくない決断だったのかも。そうだ、本来の私は、元々私は、職場に感謝して、上司も部下も、みんなが好きだったのに。
ああ、このブログに、もっと早く出会いたかった。
そしたら私は、こんな思いをして退職なんてせずに、切り替えてここでやれていたんじゃないか。
師匠もブログで、「『もっと早く根本さんに出会いたかったです』とよく言われます。」というようなことを書いていた。
ほんまそれ!!!
「でも今出会ったんだから、やっぱりこれがベストなタイミングなんですよね。」とも。
退職を決めてから、このブログに出会ったということは、私はこれでよかったということなのだろうか。
わからないわからない。正解、だれか正解を教えて。
アンサー、アンサープリーズ。
上司にも、決めたものの淋しい気持ち、不安な気持ち、思っていた以上に自分の帰属意識が強かったことなどは、感じたままに話して聞いてもらっていた。
何年も前から、今の仕事に熱中できていないことも話していた。
それでも、「そんな時期があってもいい。俺だってそんな時あるし。」と許してくれていたのだ(なんていい職場だ・涙)。
だから、退職を申し出たときも、ついにこの日が来たか、という感じであった。
「そりゃいろいろ考えるよなー、俺だって考えるもん。」
上司も自分の働き方について考えるところがあったようで、互いの考えを、ときどき話し合っていた。
いろいろな思いを話し合っていたので、私は、その上司への今年の年賀状に、
「これからどうなるのか全くわからないけど、1年後、お互いに笑っていましょう。」
と書いた。
上司は、その一言を覚えてくれており、
「とりあえず、1年後笑えるようにお互い頑張ろねー」ということばでLINEのやりとりを終えた。
あんなに痛いのは、「手放し」ではなかった。
執着していたのかな、恵まれた環境に、慕われていた自分に、活躍していた過去の自分に、過去の栄光に。
いや、癒着?そういえば、癒着の概念が、いまいち感覚的にピンと来ない。師匠のDVDを見てもテキストを見ても、この間のケーススタディでも出てきたけど、いまいちつかめない。
自分に深く関わるキーだから、無意識に避けているのか?私は癒着体質なのか?
あーわからないわからない。自分のことになるとさっぱりわからない。
鏡が必要。ミラー、ミラープリーズ。
上司の投稿にコメントできたのは、引きちぎって引っこ抜いた痛みが、少し癒えてきたからかもしれない。
実際、転職前に感じていた不安はほとんど和らぎ、あの職場が好きだったという思いは今もあるものの、それだけが選択肢ではないという気持ちにはなってきている。
あそこも居心地よくて好きだったけれど、これから進もうとしているカウンセラーへの道も、また違った感じでおもしろそう、と。
もう6月か。
もうあと半年で、あの年賀状の時点からみた「1年後」になるのか。
半年後、私は笑ってるかな。
どうかな。
うーん……笑ってるかも。
だって私、今ももう結構笑ってる。
夏が来る頃には、世間の状況的にも、自分の気持ち的にも、昔の仲間と飲みに行けるようになるかもしれない。
なつかしーい!
そう笑って部室の後輩に会いに行くように。