私の育った家は、父と母、妹と私の4人という、ありふれた家族構成で、私は、愛されて育ったと思う。
両親とも、子どもに興味のある人で、私が話し出すと、手を止めておもしろそうに聞いてくれた。
だから、授業で聞いた新しい知識や、友達のおもしろいエピソードなどがあれば、家に帰ったら親に話そうといつも考えていた。
そのおかげもあり私は、人と話すことが好きになった気がする。
両親も、基本的には仲がよかった。
と思う。
基本的には。
(および腰・笑)
夕食は家族4人全員でとり、私たち子どもが中心に話し、子どもたちが食べ終わって居間に行った後は、両親がまだ食べながらビールを飲みながら、他愛ない話を1時間くらいするのが日常であった。
家族が仲がよかったであろうことを端的に表すエピソードとして1つ挙げるなら、
父が変顔をして母に後ろから抱きついて、胸をわしづかみにして揺らし、「ホルスタインちゃーん!」と言うと、
母が「もうー、やめてよー!」と怒り笑い、
私と妹が「こらー!やめなさーい!」と父をたたいて退治する。
この話をすると、
「『ホルスタインちゃん』の娘なのにどうしてあなたは……?」
と言う目で私を見てくる人がいる。
私は父方似なんです!!!(怒怒怒)
(父方の女性陣は、「スレンダー体型」が多い。笑)
父がふざけて悪者になり、母と子どもたちがつっこむ。
そんなパタンで笑っていることが多かった。
ホルスタインちゃんの一連のくだりを、幸せエピソードの一例として挙げるのは、賛否あると思うが(ただ父が変態なだけ?でしょうね。笑)、書いていてもやっぱり、そこそこ幸せな家庭で育ったように思う。
なのに。
どこか生きづらい。
どこか生きづらいのだ。
はっきりと、「これは、生きづらいということなのかもしれない」と意識し始めたのは、30過ぎたあたりかもしれない。
心から「幸せ」となかなか思えない。
人生そんなもんだと思っていたが、どうやらそうじゃない人もいるみたいだ。
生きづらさの原因は、これまでの生い立ちの、どこかにあることが多い。
でも自分は、家庭に大きく問題はなかったように思うのに、なぜ生きづらさがあるのか、どこにその原因があるのか、自分でも不思議だった。
でも、よくよく見てみたら、ちらほらと、もしかして?と思い当たることが見えてきたのである。
楽しい家庭、大好きな家族の影に隠れて自分でもはっきり認識していなかった、私の生きづらさの原因かもしれないものたちが。
それが、「本当の原因」なのかはわからないが、少しずつ書いていこうと思う。
これからの私の、心からの幸せのために。
そして、そこそこ恵まれている方だと思うのに、どこか生きづらい、疲れている、幸せと心から言えない、そんな人の何かの参考になると、なおうれしいです。
その2へつづく。