'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

生きづらさの原因を探る その3「母の悲しそうな笑顔と遠慮がちなことばに、私はコントロールされていたのかもしれない。」

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お母さんの涙はみたくないの。

お母さんが泣くくらいなら、わたしが泣くね。

 

 

 

 

おはようございます、カウンセラーいなこです。

  

私の生きづらさの原因を探る旅()の続き、今日もよかったらお付き合いください。

 

 

その2で、「子ども時代に明らかな苦悩はなかったはずなのに、生きづらいのがふしぎだった」と言って書き出しましたが、いきなり祖母と母の関係が悪かったと書いたので、今自分で読み返すと、「明らかな苦悩あるじゃねーか!」とつっこんでしまう書き出しだと思いました()

 

あー、書き方まちがえたなあ()

 

 そうじゃないんです。

祖母とは同居していなかったし、いつもいつも嫁姑の抗争に巻き込まれてしんどかった、それが辛かったとか、そういう悩みがあったわけではないんです。

 

問題の焦点はそこじゃないんです。

 

私の祖母と母、嫁姑関係は悪かったと書きましたが、今日は、それにまつわるエピソードを1つお話しして、私の生きづらさの本当の原因に焦点をあてられたらと思います。

うまく伝えられるだろうか(笑)。

 

 

子どもの頃、お正月やお盆などには、祖母の家にいとこ家族たちと集まっていた。

お昼過ぎから集まって晩ごはんをみんなで食べて過ごす。

 

子どもたちは子ども同士で遊ぶ。

たまにしか会わないいとこたちと遊んでいると楽しくて、帰りたくなくなる。

 

全員大阪なので、みんな祖母の家から車で30分以内で行き来できるところにいるのだが、いとこたちは、そのまま祖母の家に泊まると言い出す。

 

いなこちゃんも泊まろうと誘われる。

 

私も泊まりたい。

 

 

 

でもそこで母が、こっそり私に言う。

 

 

 

「いなこちゃん泊まったら、お母さん寂しいわあ。」

 

 

 

絶妙な、泣き笑いのような笑顔で。

 

 

 

 

スピーチロック。

 

 

 

医療や介護の現場で、認知症があったり、脳の病気で錯乱状態になったりしている時に、立てないのにそれがわからず立ってしまったり、点滴など必要なチューブを抜いてしまったりする方に、患者さん、利用者さんの身を守るため、やむを得ず車椅子にベルトをつけたり、手にミトンをつけたりすることがある。

 

その他の方法が本当にないのか検討して、身を守るためにどうしようもない場合の最終手段としてのみ、家族の同意をとって行うことがあるのだが、もちろん、人が人を拘束するということはあってはならないことで、正当な理由のない身体拘束は、人権侵害、虐待にあたる。

 

 

身体拘束が虐待であるということはわかりやすいが、ことばによる拘束も、虐待となる。

 

たとえば、足の筋力が低下していて、1人で立つと転倒してしまう方が、それをわからず立とうとしている時、「立たないで!」などときつい命令で動けなくすることも、ことばで自由を奪い、拘束していることになるので、医療や介護に従事する者は、それを虐待として認識し、注意しなければいけないと言われている。

 

そういう、「ことばによる拘束」を、「スピーチロック」というのだが。

 

 

 

 

スピーチロック。

 

 

母のあの時のことばは、これに似ている、と思った。

 

 

けして、きつい言い方ではないけれど、私をロックするには十分な効力があった。

 

 

母にはもちろん、意識的には私をコントロールするつもりはなかったと思う。

基本的には愛情深い人で、そんなに計算するタイプでもない。

 

むしろ、自分の子どもを姑の家に泊まらせるのに抵抗があるけれど、そんなことは言えない、子どもに対しても遠慮があるから、「行くな!」とはっきり言えず、そんな言い方になってしまったのだろう。

 

結果的に、私が1番嫌いな言い方に。

 

 

 

自分では行くなと言えない。

私の「自由意志」で、泊まらないと言ってほしい。

 

 

泊まりたい。

泊まりたい。

泊まりたい。

でもお母さんはとても悲しそうな顔をしている・・・ 

 

 

私はいとこの、泊まろうという誘いに、「うーん」と言いよどむしかなく、結局泊まらなかった。

 

お母さんが悲しそう。

 

そんな顔の母を振り切って泊まれなかった。

 

 

気配りする叔母が、「いなこちゃんはお母さんがいいんやんな。」と笑顔でうまくおさめてくれる。

 

 

私そんな、お母さんの元を離れて泊まれないような子どもじゃないのに!

ほんとは私も泊まってみんなと遊びたいのに!

 

泊まれないこと、誤解されたことについて、大きなフラストレーションを抱えて。

 

 

 

嫁姑の仲が悪かった、ということ自体以上に、母のこの、

はっきり言えないけれど、かと言って全部自分の中に収められずに微妙に漏れ出てしまう本音、それに縛られたことは、思い出せばポツポツある。

 

 

基本的には、両親とも無理強いをしたりしないし子どもが好き、他の人にもいい人という印象なので、全面的な不満、不幸は出てこなかったのだけれど、よく考えれば、親が好きで、だからこそ思いやって、言いたいことを言えない、我慢してしまうということは結構あった。

 

 

親に対して我慢するなんて、子どもらしくないのかもしれない。

でも、親の気持ち、ひいては他の人の気持ちを考えて我慢することは、私の中で割と当たり前になっていて、自分でも30年間くらい、それが苦悩である、「普通」ではないとは、気づけなかったのである。

 

 

 

とりあえず、生きづらさの原因の1つめ。

 

家族が好きだった、母が好きだった。

だからこそ、母の悲しむ顔を見たくなくて、自分の本当の思いを抑えて我慢することがあった。

母も同じく、子どもを思うがゆえに、言いにくいことは歯に絹着せてものを言う()が、でもどこかしらからは本音が漏れ出てしまい、私はそれを、いつもうかがっていた。

 

 

 

その4に続きます。