なんだか長いこと、こじらせてきちゃったなあ。
愛ゆえに、らしいんだけど。
おはようございます。
長くなってきました、「生きづらさの原因を探る その5」です。
母は、遠慮して強く主張しないという話だったが、父と母の夫婦げんかでも、言い争うというのをほとんど見たことがない。
たいていのパタンはこう。
父が無神経なことを母に言う。
夫婦という単位の外側にいる第三者の私から見ると、今思えば、父としては悪気がない、男の人特有の無神経さだったり、自覚なく言い方がきつかったりする感じ。
そんな言い方しなくても、とは思う。
そして、母はそれに腹を立て、父を無視する。
聞こえないふり、塩対応。
でも父は何でそんなに怒っているのかわからない。
父が話し合おうとしても母はそれに応じない。
言わなくてもわかれ!自分の胸に聞いてみろ!という感じなんだろう。
母の方は、それだけ我慢していることがあったり、言ってもどうせわかってもらえないという思いがあったのかもしれないけれど。
まあ、夫婦のことだし、どっちもどっちですな(結婚1度もしていないお前がえらそうに言うなってね・笑)。
けんか期間中、父には超絶塩対応だが、子どもには別人のように笑顔で話してくる母。
父に対するのとは不自然すぎるくらいいつも通りに。
そして、「お父さんにご飯できたって言ってきて」とか、子どもを介して用件を済まそうとする。
いつもよく会話して仲がよい感じなので、普段とのコントラストがきつすぎて、家の中が暗―くなるのだ。
うっっっざーーー!!!
今思い出してもうざすぎる!!!(笑)
母はただただちょっとめんどくさい女だったんですね(笑)。
大人になった今、自分の女友達が、旦那がこんなこんなで腹立つから無視してる、と言ったら、「そっかそっか、そりゃ腹立つよねー」と、普通に共感の返事をすると思う。
そんなに深刻になることもない、ただの痴話げんかだ。
夫婦なんだから、そんなこともあるだろう、くらいのことだ。
けれど、子どもの私にとっては、親のそんな雰囲気は深刻だったし、大っ嫌いだった。
とりあえず、そういう夫婦喧嘩は、おそらくちゃんと話し合うこともなく、数日したら、時とともに自然に治っていく感じだったのだが。
私は、「イヤなこともはっきり主張する」、というサンプルを、あまり見ずに育っているとも言える。
そこでぎゃあぎゃあ言い合ってくれたら、止めに入ったり、文句も言えたのかもしれない。
それはそれでしんどいかもしれないが(笑)。
バッレバレなのに、「お父さんとケンカしている」なども母は言わないし、子どもの私も、それに触れる勇気がなかった。
なんだか、まとまらなくなってきたが、とにかく、うちの家族、特に母は遠慮がちで、それがかえって、こちらにも遠慮させたり、顔色をうかがったりさせることにつながっていたように思う。
だから私は、自分の本当の希望や悩みを言うと、親を悲しませるんじゃないか、心配させるんじゃないかと思って、我慢して言えないことが、結構あったんだなと今振り返ると思う。
もうそれが結構当たり前で習慣になっていて、自分がそんなに我慢していて、それが自分をどことなくしんどくさせていたなんて気づかなかったのだけれど。
こんなことを言ってはいけない、親を困らせてはいけないと、本当の思いを言えずに、でもそれが悲しくて腹立たしくて、ふくれてぶすっとした顔をしていることがよくあった。
親はなんで私が不機嫌なのかわからず、
「何が気に入らんの?そんなふくれてたらあかん。女の子は笑ってた方がかわいい。」
と結局私が怒られて、「あんたらのために我慢してるのに!言えるわけないやん!」と悔しくて悲しくて泣くということが、よくあった。
あー、結局母親とおんなじことしてる(笑)。
私もめんどくさーーーっ!(笑)
昔、ダウンタウンの松ちゃんが、「チキンライス」という歌の作詞をして、浜ちゃんが歌っていたのだけれど、
「子どもの頃、家族でたまに外食したとき、自分はいつも安いチキンライスを頼んでいた。豪華なものを頼むと、親に悪い気がして気を遣っていた。」
というような内容だった。
泣ける歌詞だけど、こういうことって、案外あるんじゃないかなあ。
子どもも結構親に気を遣っていたりするのだ。
子どもも子どもなりにいろいろ考えているのだ。
ただただ無邪気なだけじゃないのだ。
そして、その根底にあるのは、子どもなりに親を思う愛、なのだ。
クサいようだけど、やっぱりそうなのだ。
次回最終回!どうまとめるのか?まとまるのか?(笑)
その6へ続きます。