'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」  そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

あの人のあの言動は本音100%なのか・・・?いやあ違うね、違うよね、だって私が違うもん。

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人の本音なんてわからないよねー。そうよねー、だよねー。

てか私、自分の本音もよくわからないわ。そうよねー、だよねー。

 

 

 

 

おはようございます、カウンセラーいなこです。

 

 

あなたは、どのくらい人に本音で話していますか?

自分の思いをどのくらい、表情や行動にそのまま表していますか?

 

何%くらい?

 

 

何%?と聞かれても、相手との関係にもよるし、内容にもよるし、一概には言えないですよね。

 

 

いつもいつも100%、本音本心を伝えています。100%思っていることだけを行動に移しています!という人は少ないと思います。

 

 

そんなにおもしろくない冗談でも、笑ってあげるとか、

大して行きたくない誘いだけど、「行きたーい!」って返すとか、

めんどくさいなあと思いながらも、「いいよいいよ」と手伝ってあげるとか。

 

これらは、自分のちょっとネガティブな気持ちを隠して、角が立たないようにしているバージョンですが、反対もあります。

 

 

本当はほめられてすっごく嬉しいのに照れくさいから、別に大したことないですという顔をするとか、

善良な気持ち、やさしい気持ちがあるのに、恥ずかしくて悪い態度をとるとか、

本当は好きだけど、自分なんかが好きになったら迷惑かな、拒絶されるのではという緊張や恐れでそっけないふりをするとか。

 

こういう、ポジティブな気持ちなのに、いろいろな考えが邪魔して、素直にそのまま表せないっていうこともあるんですよね。

 

 

曖昧バージョンもあります。

別にいいも悪いもないけど、何て言っていいかわからなくて「うん……」と気のない返事をしたり。

 

 

 

正直で素直を売りにしている私でも(?)、そのままのこと表せてないなーということはあります。

このブログに書いている思いは、その時々で思ったことを書いているつもりですけどね。

普段の生活でも、できるだけ思ったことを率直に伝えようとはしています。

 

それでも常に100%ではないなあ。不可能だ。

 

 

 

人間は、社会的な動物だから、そういうものなんです。

100%本音で生きる(他者に対していつでも本音を100%表出する)ってできなくても、仕方ないというか、普通のことだと思います。

どんなに率直な人でも、照れとか、その場のルールとかで、多少の脚色を入れて表出することはあるでしょう。

そういうものです。

 

 

 

なのになのにそれなのに、です。

 

他人の反応については、意外と、それがその人の100%の本音であるかのように解釈していることが多かったりします。

 

 

すてきだなと感動したことを伝えたくてほめたけど、「別に」という反応が返ってきた。

「あー、ぜんぜん私のほめことば信じてない、私の感動伝わってない。受け取ってくれない」ってがっかりしたり。

 

「ああ私が話しかけたときだけ、反応いまいちだなあ、嫌われてるのかな」とか。

 

「なんてそっけない返事!ああ、この話はいやなんだな、怒ってるのかな」とか。

 

 

本当は、ほめられてめっっっちゃくちゃ嬉しいけど、真に受けたら恥ずかしいかな、かっこ悪いかな、とか考えて、「別に」的態度をとっているかもしれないんです。

 

本当は、あなたに興味があって好きで、緊張して恥ずかしいから、そっけない態度になっているかもしれないんです。

 

気のない返事をしたのは、何て答えていいかわからず、とりあえず曖昧に答えただけかもしれないんです。

 

 

 

そうやって、お互いにいろいろ考えたりして、すれ違っていくんですよね。

これがドラマや映画だったら、観ている第三者の私たちは、

「そうじゃないんだよぉー!!!なんでそうとるかなー!!!」と、2人のすれ違いにやきもきするところなんですけど。

 

自分のことになると、めっきりわからない(笑)。

 

 

たぶんいろんなところですれ違いまくっているんでしょうね。

それでも必要なご縁はつながると思っていないと、やってられないくらいに(笑)。

 

 

 

まあだからね、そんなに相手の反応を気にすることないよってことなんですよね。

いろんなこと感じて考えて、自分の中のいろんな検問を通り抜けて、最終的に出せるものだけを出しているんですよね、人の反応って。

 

これは人様に出していいのか?という検問をパスできなかったものたちもあるのです。

 

やっさしい気持ちが、「恥ずかしさ」の検問にひっかかってそぎ落とされたりね。

浮きたつ気持ちが、「冷静であれスマートであれ謙虚であれ」という検問にひっかかったりね。

 

 

 

逆に、ネガティブな本音をオブラートに包んで出してしまうバージョンのことを考えると、

「じゃあ、相手からいい反応が返ってきても、信じちゃいけないってこと?真に受けてよろこんじゃいけないってこと?」っていう疑問というか残念感が沸いてきた方もいるかもしれません。

 

 

それは、こういう解釈につなげることもできます。

 

本当は、そんなにおもしろくない冗談なのに笑ってくれたとしたら、

行きたくない誘いだけど「行きたーい」と答えてくれたのなら、

めんどくさいけど「いいよいいよ」と手伝ってくれたのなら、

それは「やさしさ」の検問にひっかかって、相手を傷つけないようにというやさしさを持たされたのかもしれません。

 

「口ではいいこと言っといて!本音じゃないのね!!!」と怒ったり悲しんだりすることもできるけど、「それはやさしさゆえなんだ」、とも解釈できるんです。

 

 

どっちにしろ、やさしさがいっぱいあるんです。

すべては、愛なんです。すべては、愛だ、アイーダアイーダ劇団四季なんです。(違)

 

 

 

また、「私がこんなにしんどいのに無理してやっていることを何で気づいてくれないの!?気にかけてくれないの!?」と相手にやさしさとか思いやりがないと腹を立てて嘆いているときも、相手に特別思いやりがないのではなくて、単に、「あなたがやっているのだから、あなたはやりたくてやっているんだろう」と解釈しているだけ、ということもあります。

 

あなたがいまいちな相手の反応を見て、「ああ、嫌なのね……」と判断しているように、相手も、頑張ってやっているあなたを見て、「ああ、頑張りたいんだな、やりたいんだな」と思っているだけ、ということもあります。

 

 

 

とまあ、何ごともどうとることもできる、なんだかヘリクツのように感じました?

そうです、ヘリクツです、いつものように理屈こいてます。

 

 

で、ついでにもうちょっと理屈こくと、相手の反応をどう解釈するかに、またアレが関わってくるんですよ。

心理界におけるもしもボックス、アレがあればすべてが叶うというアレです。

 

そう、みんなでせーの!

 

自θ肯※…

 

 

声が小さい!もう1回!!!

 

自己肯定感―!

 

 

ありがとうございます、そうです、そうなんです。

 

 

相手の本心を100%クリアに解釈するって難しいし、どうせ無理だし間違ってるとも言えますけど、自己肯定感の高さによって、どっち側に間違うか、が変わってきたりします。

いまいちな反応が返ってきたとき、自分を否定していると、「ああ、嫌われてる、いやがられた。やっぱり私はダメだわ」という解釈になりがちだけど、自分イケてるやん♪って思ってると、「は・はーん、さてはこいつ、照れとるな。」とニヤリと口角上げることもできるのです。

 

自分の見たい世界を見ているというのは、こういうことなんですね。

 

 

 

ちなみに(?)、これを読んで、「本音をあまり言えてない自分はだめだなー」とか、別のところを気にしだしたあなた、新たに悩みを作らないでください(笑)。

本音を言えてないってことは、あなたの表出ルートの途中には、「やさしさ」の検問が、関所が、いっぱいあるということです。

こんなこと言ったら相手に悪いかな、いやな気分になるかなっていう検問にいっぱいひっかかってオブラートを持たされてしまうんです。

 

または、「こんなこと言ってしまって嫌われたくない」という、自分を守るやさしさの検問もあります。

 

とりあえずやさしさだらけだから、そこを責めないで。

 

 

 

てことで、自分は100%本音を表出しているわけじゃないのに、他人はなぜか100%本音を表出しているものと思っているフシがある、そして本音なんてどうとでも解釈できるし、本音を出しても出さなくてもどちらでもいいし、とにかく何でもありですというお話でした。

何でもありなら書かなくてよかったのか…?

 

 

朝に書いて、今日は出勤もないのでタイムリミットもなく、9時に間に合わなかった、ははー、ごめんなさーい(笑)。