沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
おはようございます、カウンセラーいなこです。
朝からいなこの知的なところが見えてしまったかもしれません。
言わずと知れた、平家物語の冒頭ですが、仏教の価値観を表すものだそうです。
栄えた者もいつかは衰える。
そういうものだよ、すべては無常なんだよ、だから調子いい時も調子に乗ってたらいけないよ。
そういう、戒めの意味でもとらえている方は多いのではないでしょうか。
仏教の真の教えがそういうことかは知りません。(おい・笑)
私がこれを知ったとき(やっぱり教科書だったのかなあ?)、そうか、なんだか悲しいことだなと思った記憶があります。
たしかに、どんなに人気の俳優だってアイドルだって、ピークがあって、第一線を退く時が来る。
自分が1番輝いていた、華やかな舞台から降りる時が来る。
後から来た人が、その舞台に上がる時が来る。
あーその感覚、自分では味わいたくないなあ、なるべくそうなりたくないなあ。
できることなら、最後まで栄華を極めたままで、ずっと「盛者」でいたいなあ。
でもね、「盛者」が「衰者」になったとしても、その後も、人生は続くんですよね。
平家物語では、滅ぼされちゃったかもしれませんけど。
全盛を極めたアイドルが、もうトップアイドルではなくなったとしても、まだその人の人生は続いています。
いままでいた舞台では、「盛者」じゃなくなっても、その人の人生という舞台には、ずっと立ち続けてるんですよね。
だから、盛者必衰かもしれないけれど、それは、「ある1つの舞台で見れば」、ということだと思うんです。
今まで見てくれていた人の舞台は降りるかもしれないけれど、自分の人生の舞台はそれでもずっと続いていて、また違う舞台に立つ。
今までの舞台を見てくれていた人からは、「盛者」が「衰者」になったように見えるかもしれないけれど、舞台を変えてまた違う形の「盛者」になることはできると思うのです。
トップアイドルでなくても、こういう感覚を感じることは、きっと誰でもいつかはありますよね。
いわゆる世代交代的な。
職場で、自分は新進気鋭のルーキーでもてはやされていたのに、いつの間にか珍しい存在ではなくなり、後輩が台頭してきた。花形の仕事を後輩がするようになってきたとか。
お肌の衰えを感じて、若い子には負けるわ(森高。あの人は全然負けてないけど・笑)と感じるとか。
スポーツで、レギュラーメンバーじゃなくなったとか。
そういう、これまでの「盛者」だった感覚から降りるとき、一抹の、どころか五抹くらいの寂しさを感じるけれども、また違う舞台に立つと考えると、それはそれで楽しくなってくるんですよね。
これまでとはまた違った楽しさ。
トッププレイヤーを降りて、今度は後進育成に励むとか。
若さを追求したおしゃれから、上質な大人のおしゃれを研究するとか。
気軽に違う分野に手を出してみるとか。
今までと同じ「盛者」ではなくても、ずっと形を変えて栄えることはできるんです。
こう書くと、栄えることだけがいいこと、みたいに思われるかもしれませんが、そういうことではなくて。
昔あった輝きを失っちゃった、と思っても、まだまだ違った形で楽しめますよ、という話です。
だから、なにかを失っちゃったなあ……と悲しくなったとき、寂しくなったとき、「人生終わった」とか、「人生詰んだ」とか思いつめる必要はなくて、ああ、舞台が変わったんだな、と切り替えて、新しい楽しみを見つけてください。
いろんな舞台を経験することで、ますますあなたの深みは増し、魅力増し増しになっていきます。
妙齢の女が自分の慰みに書いた記事だと笑っているそこのあなた、思う存分笑うがいいわ、私の方がもーっと笑ってるわよ!!!オーッホッホッホッホッ!!!!!(←謎の負けずぎらい)