4月末に前の職場を退職して、5月から今の職場に移った。
退職を決めたのはもう、半年以上前なのに、未だにふと、
「私、本当にあの職場を辞めたのか」
と信じられない気がするときがある。
私があの、なじみの職場を辞めたなんて。
よく思いきったなあ、最後はもう、勢いだったかもなあ。
カウンセラー・根本裕幸お弟子さん制度にも、同時期に入門したから、5月からすっかり生活が変わってしまった。
新しい職場での働き方、カウンセラーの勉強と宿題、ブログで発信する毎日。
やることに追われていて日々を振り返る余裕があまりないけれど、生活がガラッと変わりすぎて、前の職場にいた頃の自分をとても遠く感じる。
そして、ふと孤独も感じることがある。
こんなにすべてがガラッと変わった人が、今の自分の周りにはいない孤独感。
これまでの友人もいるし、弟子仲間もいるし、職場の人たちもいるのだけれど、職場も変わって、同時に新しい挑戦もして、で、家庭もなく1人で家に帰って消化している、こんな状況を分かち合える人はいないよなあという孤独。
みんな何かしら、職場なり、家庭なり、どれか1つは継続しているよなあ。
今の私は、職場も、カウンセラー修行もどれもが新しくてまだよそよそしい。
家に帰って、「新しい職場疲れるわー」と言える人もいないし。
心もとなくなると、前の自分が懐かしくなる。
あの頃は平和だったなあ。
決まったリズムで仕事に行って、なじみのメンバーと過ごして。
帰ったらさっさとご飯作って食べて、ちょっとだらっとして、できるだけ、早く寝て。
今はブログの更新やカウンセラー講座の宿題もあるし、忙しくはなっているので、
あの頃に戻りたい気もしている。
いやいやでも、新しいことを始めたワクワクもあるし。
大きな目的を持ってやることがある毎日は充実している。
今はちょっと大変でも、これからどう展開していくかの楽しみもあるし。
それでもやっぱりちょっとはさみしいし、心もとない。
でも、退職する前、挑戦する前に感じていた不安は、ほとんどなくなってるなあ。
いろんなことが変わってしまったさみしさはあっても。
転職に対する不安の1/3くらいは、もしこの転職が「逃げ」だとしたら、そんな動機では、うまくいくはずがない、という罪悪感のようなものから来ていたかもしれない。
大きな不満はなく、恵まれた環境で働かせてもらっているのに、それを逃げの理由で辞めるなんて、バチが当たるんじゃないかと。
だから、本当に「逃げ」ではないのか、何度も自分の気持ちを見つめて、前向きな理由を探していた。
明確な答えは未だにわからない。
もう少し時間がたってからかな、これについて私が本当に俯瞰できるのは。
でも。
「バチ」とは何ぞや?
逃げでもなんでも、別にバチ当てられる必要はないのでは?
バチ当たり信仰。
「そんなことしたらバチ当たるよ」とか、「あの人あんなことしたからバチ当たったんやわ」とか、そんなことを聞かされて育ってきたからかなあ。
ほんとバチって、なんやろう(笑)。
別に逃げでもなんでも、バチ当てられる必要はないよな。
誰が当てるんだ?
神様?仏様?
動物は、痛いこと、怖いことからは迷わず逃げるよな。
今したいことに飛びつくよなあ。
「バチ」を恐れて、苦痛に耐えたりしないよな、たぶん。
動物がしていることって、いたってシンプルであるがゆえに、真理に近い気がするのだけど。
もしこの転職が、「逃げ」だったとしても、そこから幸せになったっていいじゃないか。
楽しくなったっていいじゃないか。
一時的に大変なことが起こっても、それはバチじゃなくて、何かの学び。
1つの経験に過ぎない。
そんなふうに「バチ」から解放されると、なお不安は軽くなる。
逃げかどうかわからないけど、とりあえずこの道を選んだんだから、それに集中すればいいか。
バチが当たるという、謎の罪悪感(笑)。
前の生活を思うと、変わってしまったさみしさはあるけど、うん、不安はだいぶなくなったなあ。