私のことを見抜ける目を持つ人は、少数である。
‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
大みそかです。
ぜんぜん予定通りに進まず、やりたいことの1割くらいしかできていません(笑)。
だけど今日くらいは、自分の成長を振り返りたいものですな(笑)。
1up。
5年以上前だと思いますが、石井ゆかりさんの講演会みたいなものに行ったことがあるんです。
めずらしいでしょ?
朝日カルチャーセンター主催で、大阪の堂島というところに来られるというのを、石井ゆかりさんのブログで知って、すぐに申しこみました。
その頃、石井ゆかりさんを知りたてではまっていて、ブログを毎日見ていたんだと思います。
この講演会を最後に、人前に出るのはしばらくお休みにしようと思いますって書かれていました。
今思えば本当に貴重な会。
よく申し込みできたな。
石井ゆかりさんが顔出しされる会なんてそうそうないし、そんなに大きな会場でもないし。
なのに私ったら眼鏡を忘れて!!!
バカバカバカバカーーー!!!
ぜんぜんゆかりさんの顔わからなかった(笑)。
いなこ一生の不覚!!!
で、帰りにおみやげとして、カードをもらったんです。
名刺サイズのカードが封筒に入っているので、出口で1枚取ってかえってくださいって。
おみくじみたいなもので、星占いのように生年月日とかは関係はないけれど、引いたものがそのときの自分に必要なものだという考え方、ビブリオマンシーみたいなものですって。
すごく控えめな方なので、ちょっとしたおみやげにどうぞって感じだったのですが、石井ゆかりさんが、1つずつ手書きでひとこと書いてくださったのを1人ずつもらえたんです。
すごいでしょ!
で、私が引いた封筒を開けると・・・
純粋。
私、純粋なのかな?
そのときは特にピンと来なかったけれど、素敵なことばだし、何より石井ゆかりさんがくださったものだし、直筆だし、パスケースに入れてずっと持っています。
それでね、私が何でこんなに自信がないんだろうっていうことの答え。
いろいろあると思うのですが、薄々見えてきたことが1つあって。
私、やっぱり純粋なんだと思います。
自分のことを自分で純粋呼ばわりするヤツがあるか、って嘲笑されると思うのですが(笑)。
基本的に、人のこと好意的に見るし、みんながうまくいったらいいなと思ってる。
誰かが幸せになったら、誰かの幸せが減るものでもないし、みんなで幸せになるという落としどころは必ずあると思っている。
私がそんな風に思っているなんて、信じてもらえなくてもいいです、でもとりあえず言うだけ言わせて(笑)。
いやもちろん、競争心とか、損得勘定とか、細かいズルをするとか(おい)はありますよ。
にんげんだもの。いなを
でも、ベースはそんな風に、おだやかではあるんです。
子どもの頃からそんな風に思っていたけれど、そうは思えない人もたくさんいるんだなというのも感じてきました。
それはそれで、その人が悪人というより、傷ついてきたんだろうなあと思います。
うがったり、疑ったりしないと、自分を守れなかったんだと。
だから、それを責めるつもりは毛頭ないんだけれど、でも、そんなに私がおだやかな考えで、みんなにやさしい気持ちでいるなんて信じられずに、誤解される経験も多かったなと思うんです。
こっちが100%好意でしているのに、好意的すぎて信じられないとか。
純粋すぎて信じられない、いい人すぎて信じられない、みたいな。
自分でこんな風に言うのはめちゃくちゃ抵抗あるー!!!
だからあえてひねくれた悪いこと言う癖がついたのもあるかも。
あとは、見抜いている本質をズバリ言うと、きっとこの人は傷つくから、何も気づいていないふりをしてとぼけるとか、我慢するとか、誤解されても自分が悪者になったまま収めるとか。
そういうので、親に我慢していることもいっぱいあったなあ。
本当はこうしたいけれど、そんなことを言うと、親は困るんじゃないかと思って、言わない。
言わないけど、本当の気持をわかってもらえなかったという悲しい気持ちは残る。
それで半泣きになっていたら、
「何をムスッとしてるの?そんなムスッとしてたらあかん。笑った方がかわいいのに。」
とか言われてしまう。
で、あんたのために我慢してるのに!!!って涙が出てくる。
我慢することもだけど、それ以上に、その奥にある自分のやさしい気持ちを誰も知ることがないことが、悲しかった。
本当は、こんなに親を思ってのことなのに、その気持ちは一生誰にも知られることなく、葬られる。
その上、それを説明できない自分の不器用さ。
やさしい気持ちがあるのに、表向きは、それとは正反対に、ムスッとして、結局親を困らせてしまっている悲しさ。
そんなことで、人知れず、いっぱい泣いてきた気がします。
今思えば、うちの親は、頭ごなしに抑えつける感じでもなかったから、言えば、そうかそうかと聞いてくれただろうに。
何か不機嫌だけど、何でかわからないって、よけいに困ったと思います。
親は割と、ほめてくれる方だったし、私は自分に本当に自信がないかというと、そうでもない気がするんです。
たぶん自分は大丈夫って、信じているところもある。
自分がそんなにくだらない存在ではないっていうことは、どこかでわかっている。
でも、こういう経験から、
「私はいいものを持っているのに、見いだしてもらえない。気づいてもらえない。」
そういう自信のなさがあるんです。
いくら自分がいいものを持っていても、世間には、わかってもらえないんじゃないか。
これまで、いっぱいわかってくれる人もいましたし、気の合う人も、見いだしてくれる人も、寄って来てくれる人もいました。
でも、いまひとつ、気持ち的にブレイクできないのは、
「私のことを見抜ける目を持つ人は、少数である。」
そういう思いがどこかにあるからな気がします。
「私のことを見抜ける目を持つ人は、少数である。」
キャー!もう自信ないどころか、自信過剰やないかい!!!(笑)
何様や!!!
うぬぼれにも程がある!!!
もうあきれて読むのを止めている人がいるかも(笑)。
でも、私がそんな風に思っているということは、同じように思っている人が他にもいるんじゃないかと思って書きました。
モニターセッションをさせていただいて、すごくいいものを持っているのに、その価値に気づいていない、出すのを遠慮している方が本当に多かったので。
全員かも(笑)。
何より私が人を疑っているのかな。
もっと信じたらいいのかな。
世間を。
世間に見いだしてもらえる自分を。
細々とカウンセラー活動を進める中で、少しずつ少しずつ、自分の生きづらさのが癒された1年でした。
1人1人言い出すときりがないんだけど、たくさんの出会いに感謝です。
今読んでくださっているあなたです。
ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。
例年だと、もう石井ゆかりさんの年間占いが公開されてるなあ。
今日はそれ見て寝よう。