'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

【ご相談】すべての問題は自作自演って、これ以上私に頑張れと言うのですか?―心理学は人を裁く道具ではないんです―

【ご相談】すべての問題は自作自演って、これ以上私に頑張れと言うのですか?―心理学は人を裁く道具ではないんです―

 

 

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

本日は オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェにいただいたご相談にお答えします。

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自分が生かされている意味 | ココロノマルシェ

 

オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェでは、心理カウンセラー根本裕幸お弟子さん制度を修了したカウンセラーが、無料で相談にお答えします。

どなたでも何度でも匿名でご相談いただけますので、お気軽にご利用ください(^▽^)

 

 

【ご相談】自分が生かされている意味

何で私だけこんな目にあうんだろう、と複雑な気持ちになり、モヤモヤしています。

 

私は小さい頃から家族に女だから、1番下だからといじめられました。

幼稚園、小中高もいじめにあい、大学でもアカハラ、仕事でもパワハラがきっかけで精神疾患になりました。

友達にも心無い事を言われ疎遠になり、今は友達と呼べる人はいません。

 

何回も自ら命を絶とうとしました。

でも怖くて出来ませんでした。

変な事言うようですが何かに誰かに止められているような感覚があり、諦めて今に至ります。

 

去年最愛の人と結婚し、義家族にも可愛がられ、幸せになれたと思っていました。

今年になって妊娠が発覚したものの、医師から初期流産する可能性が高いと告げられ、1番恐れていたものを目の当たりにしました。

自分の体を傷つけるより、辛いです。

 

私はどうなってもいいから、元気に産まれて欲しい。

この子のためにどんな事があっても受け入れよう。

少しの可能性を上げる為に、できることは色々やりました。

 

しかし検査する度に、現実を見ては失神しそうになりました。

手術でなく自然に任せている為、まだ小さく成長していながらも、お別れが来てしまうのかなという不安があります。

 

その時に、私をいじめた親や人は何故あんな事しておいて生きてるの?

意味がわからない。

私は子どものためなら、命を絶っても良いと思っているのに、何故子どもが悲しい結果になってしまうの?

と理不尽さを感じるようになりました。

 

子どもは生まれる前から運命が決まっているとありますが、仮に自作自演だったら何が原因だったの?と自分を問い詰めています。

こんなに苦しい目にあっているのに、まだ何か足りないの?と。

 

重いテーマで扱いにくいかもしれませんが、辛かったのでご相談させて頂きました。

あめさん

 

 

【いなこからの回答】

あめさん、このたびはココロノマルシェにご相談をお寄せくださりありがとうございます(^^)

 

はい、心理学では、「すべての問題は自作自演」と言います。

 

本当に辛いときにこれを言われると、本当に辛いものがありますよね。

自分が悪いんだ!と責められているようで。

 

まず「自作自演」ということばがいけない。

 

あまりいい文脈で使われないことばですもんね。

かまってちゃん女子が自分で事件を起こしてキャンキャン騒いでる、みたいな(^^;

 

でも心理学では、自作自演している人を責めるために、そんなことを言っているのではないんです。

 

 

私たちは、生まれて以降、常にジャッジにさらされてきました。

 

生まれたときはおそらく、それだけでかわいがられていました。

 

けれど、少し経てば、

歩けるのがいいこと、

しゃべれるのがいいこと、

自分でトイレに行けるのがいいこと、

自分で着替えられるのがいいこと、

親の言うことを聞くのがいいこと、……と

何かにつけて良し悪しを教え込まれてきました。

 

「よりよく」、「成長できるように」、これはいい、それはだめ、というジャッジを無数に受けてきたんです。

 

だから私たちには、何事にも、「良い/悪い」や「優劣」があるという思考が染みついています。

 

どんなものに出会っても、「良い/悪い」のジャッジを、呼吸レベルで自然にしてしまいます。

 

 

そこで、

「すべての問題は自作自演」

なんてことばに出会おうもんなら、

自作自演している自分が「悪い」んだとジャッジしてしまうんですね。

そんな「悪い」自分を責められているような気になってしまうんですね。

 

 

だけど心理学は、人を裁く(さばく)道具ではありません。

「裁く」ではなく、「捌く(さばく)」道具です。

 

心理学は、人を裁いて、善悪をジャッジするものではありません。

人の複雑になった心を捌き、解いて明らかにし、幸せに生きるために使うものなんです。

 

良し悪しをジャッジするクセがついていると(程度の差こそあれ万人についていると思います。もちろん私も)、つい、どんないい道具でも、自分を裁く道具にしてしまいます。

 

それはとてももったいない道具の使い方です。

 

ぜひ、幸せのために心理学を利用してくださいね。

 

 

ということで、「すべての問題は自作自演」とは、

 

問題は、何か生きづらいものの見方をしているために起こっている。

その見方を手放したくて、自分で問題を無意識に起こしていると言える。

自分で起こしたものだから必ず自分で解決できるし、むしろより自分らしく生きるためのギフトになる。

 

という意味なんです。

 

「あめさんに足りないものがあることが原因だ(だから自業自得だよ)」という意味ではまったくありません。

 

 

と言われてもなお、ほんとに辛いときは辛いですよね。

もうこまっしゃくれた講釈はええねん。どんな理由であれもう問題とかほんっまにいらんねん、もううんざりやねん。これはマジで。マジでフリとかじゃないから。マジで1ミリもおもんない、もうええって。

って私も思います。

 

 

ご懐妊されて、「子どものためなら、命を絶っても良い」とも感じておられるのならなおさら、「私の親はどうして、子どもである私にあんなことができたのだろう」と思われるかもしれません。

 

そして、どうしてこんなに私が大事に思っている子どもが危険な目に遭うのだろう。

 

それなのにどうしていじめた人間たちが、のうのうと生きているのだろう。

 

と理不尽に憤られるのも当然だと思います。

 

 

ただ、あめさんをいじめてきた人たちは、意図的に意地悪をしていたのなら、実はすごく苦しかったのだと思います。

 

意地悪する人は、悪い人というより、弱い人です。

 

自分の心と向き合えない。

自分の痛みを感じるのが怖すぎるので、誰かをいじめることでごまかすしかできない。

誰かをおとしめることでしか、自分の価値を保てない。

 

そんな弱さを抱えている人なんです。

 

 

人をいじめることで、一時的にすっきりした気がしても、その場しのぎでごまかしただけ。

 

意識には上らないかもしれませんが、心の奥は罪悪感でいっぱいです。

 

自分の痛みもごまかしているだけなので、いつまでも痛いまま。

 

そんな人が幸せとは、到底思えません。

だから、ざまあみろと思ってていいんですよ。←コラ

 

 

そういう訳で、あめさんをいじめた人たちは、あめさんが思うほど、のうのうとは生きていないと思います。

そう見えたとしても、心中穏やかではないはずです。

 

 

だからね、強いあめさんは、その人たちの弱さを許してあげましょう。

 

 

 

 

 

なんてことは言いません。

 

 

あめさんは、自分の人生以外のものに、一切責任を負う必要はありません。

 

弱い人がいようが、たとえそれが自分の親であろうが、自分の人生を捧げてどうにかする義務なんてないんです。

 

 

あめさんが責任を負うのは、自分の人生だけ。

 

その責任とは、

どんなことがあっても、

自分を「不幸な人」にしない

ということです。

 

 

いじめられたりと辛い思いもたくさんされてきたのだと思います。

本当に、よくがんばって生きてこられました。

 

でも、あめさんを「不幸な人間」にしないください。

 

被害者の殻の中で、人生を終えないでください。

 

あめさんの人生の時間を、その人たちへの恨みにではなく、今、自分の幸せのためにできることに使ってください。

 

 

最愛の人や、そのご家族にも出会えたとのことですし、幸せなこともたくさんあったと思います。

 

その幸せをしっかり見てください。

その幸せをしっかり受け取ってください。

めいっぱい感じてください。

 

お子さんが心配な状況だとしても、「かわいそうな子」、「不幸な子」にしないでください。

あめさんとお子さんが出会えたこと、よろこびをくれたこと、たくさん幸せなこともあると思います。

どんなことがあろうと、それらの幸せをなかったことにして、「不幸な子」にしないでください。

 

 

生きていると、時に本当に理不尽に思えることもありますよね。

 

辛いことばかりがやってくるなら、生きている意味もないんじゃないかと、自分の人生を疑いたくなることもあります。

 

それでも、自分を不幸な人にしない。

自分を被害者のままにしない。

自分の人生を、誰かへの復讐の時間にしない。

自分の人生を、ヤケになって投げ出さない。

 

生きている意味は、その先に、自分で見いだすものかもしれません。

 

辛い時には酷かもしれません。

 

でもこれが、真の意味で、自分を大事にすることだと思います。

 

そうやって生きていけば、何がどう自作自演なのかも、見えてくるかもしれません。

 

 

理不尽なことに、しっかり怒ってもいいです。

怒ってください。

でも、「不幸な人」にならないでください。

 

あめさんは、「不幸な人」ではありません。

「大変なこともあったけれど、幸せになれる人」です。

幸せな人です。

 

 

 

何よりも何よりも、お身体お大事になさってくださいね。

 

ずっと応援しています(^^)

ご相談ありがとうございました!!!

 

 

 

立派過ぎる伊勢神宮の鯉。

 

 

 

 

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