‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに。
こんにちは、カウンセラーいなこです。
寒くなってくると、やっぱり洗濯物の乾きが悪いですなあ。
朝から干していても、素材や干し方によっては、乾ききっていないことがあります。
願い、欲求、夢。
「○○したい」
「○○したら幸せになれるはず」
そんな風に思う「○○」って、誰にでもあるんじゃないかと思います。
その○○を何でしたいのかを考えてみることの効能について、今日は書いてみたいと思います。
私のしている医療職は、病気や障害によって患者さんがしたいけどできなくなったことを、できるだけ実現するお手伝いをするというのが仕事です。
学生時代、先生から、こんな話を聞きました。
ある生徒が実習で担当した患者さんに、したいことを尋ねたら、
「まんじゅうが食べたい」
とおっしゃった。
でもその患者さんはのどが詰まりやすい病気で、おまんじゅうのようなものを食べるのは禁止されていたので、
「残念ですが、それは難しいですね。」
といった話をして終わった。
先生は、その学生が実習から帰って来て、その話を聞いたときに、
「なんで、『どうしておまんじゅうが食べたいんですか?』って聞かなかったの?
患者さんの希望を叶えられるチャンスだったかもしれないのに、もったいない。」
と指導をしたそうです。
まんじゅうが食べたいのは何でか、
その向こう側にある思いを聞いてみたら、違う形で叶えられたかもしれないということなんですね。
たとえば、「まんじゅうが食べたい」ということばの奥には、
①ことばそのまま、おまんじゅうが好きだから食べたい
②甘いものなら何でもいいから食べたい(甘いものの代表として「まんじゅう」と言っただけ)
③お腹がすいたから、何でもいいから食べたい(食べ物の代表として「まんじゅう」と言っただけ)
③みんなでおやつを食べるような、団らんの時間がほしい(団らんの象徴として「まんじゅうを食べる」という行為を言っただけ)
こんな風に、ことばの奥には、各種違った思いがあるかもしれない。
①だったらダイレクトには希望に添えないけれど、
②なら、のどの通りがいい甘いものなら食べてもらえる
③なら、のどの通りがいいもので何か食べてもらえる
④なら、食べ物にこだわらず、団らんの時間を作ればいい
というように、少し変形して工夫すれば、叶えられるかもしれないんです。
この、「何でそれがしたいのか?」をつきつめてみる作業って、自分の欲求、希望、願い、夢を叶えるときにも有効なんですよね。
おなじみのたとえ(笑)、
「結婚したい」
というやつでも、
何で結婚したいのか?を自分に問いかけてみる。
1人がさみしいから?
人と暮らすのが好き?
子どもが欲しい?
老後が心配?
男の人が好きだから?
扶養に入りたい?
世間体が気になる?
複数あることもあると思います。
で、その願望の奥にある真の望みがわかったら、「結婚」という手段にこだわらなくてもいいかもしれないんですよね。
また、結婚するにしても、どういう人とどういう生活をしたいかが明確になる。
より自分の希望がクリアになって、満足できる可能性が高くなります。
ただただ結婚したい、とにかく何でもいいから結婚したい、結婚さえできれば何でもいいと、その向こう側にある思いを見つめずにすると、
「あれ、叶ったのに私、幸せじゃない……こんなはずじゃなかった。」
となる可能性があるということ。
そこからでもどこからでも、自分が真に望むものを知って築いていくことは十分可能です!
「○○したい」って思っているうちは、それにとらわれすぎて、なんでそれがしたいのかという自分の真の望みが、自分でもよくわかっていなかったりするんです。
自分の望みが自分でわからないなんて、なんでやねんの極みですが。
こだわっているときって、案外そんなもんなんです。
でも、したいことがあるなら、「何でしたい?」とかちまちま考えずに、力づくでやっちゃう生き方も私は好きですよ。
いなこに好かれたところで何になるって?おっしゃるとおり(笑)。
力づくで進むうちにわかってくること、やってみて初めてわかることってたっくさんあると思うので。
ただ、
欲しいものを手に入れたはずなのに、なんか幸せじゃない。
得たいものがなかなか手に入らない、一体どうしたら私は幸せになれるの?
と疲れちゃったときは、
「私は何でこれがしたいんだろう?」、「これをしてどうなりたいんだろう?」、「どういう気分になりたいんだろう?」と問いかけて、
「○○したい」の向こう側を、のぞいてみてください。