'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」  そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

親離れの儀式

親離れの儀式

 

 

昨日はすごく寝苦しい夜でした。

 

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

冷房もつけて、明日に備えて早くにベッドに入ったのに、何でかなかなか寝付けませんでした。

何度も寝返りを打っていたら、雨が降ってきて、激しい雷。

低気圧のせいで寝苦しかったのかなと思って時計を見ると、ベッドに入ってから2時間近くも経っていました。

雷の方は、光ってから音が鳴るまでの時間が少しあったので、大丈夫と思いながらも、地響きのするような雷に、電気をつけたりすると雷に見つかりそうな気がして、目を閉じて息をひそめていました。

暗い中で目を閉じて稲光と音を感じていると、プラネタリウムで、宇宙空間から雷が起こっている地球の様子を見ているような感じがしてきて。

不思議な、何かすごい星に自分は住んでいるんだなあと思っていました。

 

 

さて、私は、自分に都合のいいように解釈するのが苦手なんですね。

 

先日、そのことについて、何人かのカウンセラーの方たちとお話しできる機会があったんです。

いくつか質問をしていただいて、気づいたことを書き留めておきたいなと思いまして。

 

私自身も、相談者さんには、平たく言えば、悩んでいることの別の側面、(たいてい悩んでいるときは、悪い側面ばかり見ていることが多いので、それに対して)いい面に目を向けるようお勧めしているのですが、そういう自分は、自分のこととなるとそれが苦手で。

 

いいように解釈しようと思っても、

そんな甘い話はない

そんなに簡単にうまくはいかない

この程度で安心してはだめだ

と、不安材料を探そうとしてしまうんですね。

 

それでやっぱり不安になるという(笑)。

 

 

そう思うようになったきっかけは何かと問われて考えたら、父なんです。

 

父は、早くに父親(私の祖父)を亡くし、その後、母親は働き通しで、お金もなく、さみしい子ども時代を過ごしたそうなんですね。

 

そういう大変だった思い出があるからか、

「人生そう簡単にはいかない」

「そんな甘い話はない」

みたいなことをよく言っていたんです。

 

うちの父は、厳格なタイプでもないので、それをこんこんと子どもに言って聞かせるという感じでもなかったのですが、勧善懲悪のような話が好きで、だからまじめに生きなきゃ、というオチとともに、笑い話の締めとして、そういうことをよく言っていたんです。

 

 

ああ、私は、父の教えをずっと守ってきたんだなと、改めて思いました。

 

そして、父の、子どもの頃のさみしかった話は、子どもだった私には、インパクトがありすぎた。

子どもだった父が、さみしさや貧乏を我慢して、いろんなことを諦めてきたことを想像すると、すごく切なかったんです。

 

ずっと、私は、そんな父に、もっと自由で、可能性がたくさんの世界があるんだと知ってほしくて、幸せにしたくて、それを基準にがんばっていたんだと、思い知らされたんです。

 

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そんなことは、このブログの初期から書いていたことなんですね。

親のために生きていたのでは?とカウンセリングで言われたこともあったし。

ずっと同じようなところをうろうろはしているんです

 

でも、最初に言われたときは、「それもあるかな、そうかもしれない」くらいだったのが、だんだん、ピンとくるようになってきて。

 

いろんなことがだんだんと浸透してきて、気づきが深くなっていくというか、層の深いところに触れるようになってきたという感じです。

 

 

転職して、前の職場の人に対する罪悪感は、最近薄れてきたものの、また別の罪悪感の存在を感じていたんです。

 

「間違ったことをしてしまった。」

「調子に乗ってしまった。」

「天の教えに背いてしまった。」

というような罪悪感。

 

その、天の教えというのは、父の教えだったんです。

 

父が、

「多くを望みずぎず、謙虚に生きなさい、人生そう簡単にうまくはいかないから。」

と言っていたように感じていたんです。

そんなこと、言ったことはないのに。

父の口癖や、思い出話から、私はそんなメッセージを受け取り、自分に刻み込んでいたんですね。

 

 

何年か前に、両親を車に乗せていたとき、私の前の職場を通りかかったことがあったんですね。

そのとき父が、私の職場を見て、「いなこはこんな大きいとこに勤めてるねんな」と言ったんです。

 

父はそんな風に子どものことをほめる傾向の人だし、実際は何とも思っていなかったかもしれません。

だけど私は、父のそのことばを聞いて、満足でした。

 

前の職場も、その地域では大きな病院の1つで、地域の人はみんな知っているグループ病院だけど、大阪の人みんな知っているような大病院ではありません。

今の職場もそこそこの規模だけど、ハコとしては前より小さいし、前の職場に比べると歴史は浅いです。

 

前の職場を辞めた今、そのことばを思い出すと、胸が痛むことに気づいていたんです。

父をよろこばせるような職場にいたかった、父をよろこばせられるような立派な仕事について、立派な立場でいたかった、という思いに、私は縛られていたんです。

 

父は残念に思っているんじゃないかと、勝手に私が感じて、罪悪感を感じていたんですね。

 

 

だから、この転職が、すごく間違ったことをしてしまった感じが、ずっと拭えなかったんです。

 

 

ずっと、父をよろこばせたくて、自慢の娘でいたくて、幸せにしたくて、私は、それを軸に生きてきたのかもしれないのです。

 

要は、今回の転職は、「やりたいことをやる」とか以前に、

「親離れ」という意味があったんだと、やっと自分で、気づいたんです。

結局は、親離れの儀式だったんです。

 

 

もう、私は、お父さんが大好きだったんです。

もう降参です。

 

 

おばさんのファザコン話なんて誰も聞きたくないと思うのですが(笑)、このことに気づいてから、少し楽になったんですね。

天に背いた罪悪感や、これからの不安が少し薄れて。

 

 

もう、今日は寝不足で頭が回らないので、ここまでにします。

 

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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