'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」  そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

自己肯定感が高いとは、こんな感じでしょうか……?

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おはようございます、カウンセラーいなこです。

おはようでもないな。

 

 

少し間が開いてしまってごめんなさい。

 

ちょっと休憩していました。

 

毎日書いていたものを予告もなく途切れさせるのは、読んでくださっている方に失礼かなと思いながら、いやでも、休みますごめんなさいって謝りすぎるのも、まるでみんなが私のブログを楽しみにしているかのような思い上がりか?とか、いつものように(笑)いろいろ考えながらも、あ、もう今日の更新時間は過ぎてしまったーとお休みお知らせのタイミングも失ってここまで来ました。

 

 

 

とりあえず、いい記事が書けるよう鍛えるためにも、毎日続けてみようと思いながら書いていでも、「とりあえず続ける」ということを第一目標に、なんでもいいから記事をあげるのと、自分のコンディションを整えて、いい気分で書けたものをあげるのでは、どっちがいいんだろう?ということを最近は考えていました。

 

書くこと自体は嫌いではないけれど、「とにかく毎日続ける」というのが少し負担ではある。

「ちゃんと」毎日続けなきゃ、みたいな思いがあるからなんでしょうけどね。

 

毎日継続するのも大事だけど、書いた人のエネルギーが伝わるって言うしな。

 

別に誰に強制されているでもないしな。

 

そんなことを思っているとき、話した弟子仲間が、「毎日更新にはこだわらず、私は書きたいと思った時だけ書いてる。」と言っていました。

 

 

 

それを聞いて、よし!私もそうしよう!と決心したわけでもなく、そっかーと何となく聞いていたのですが、次の日、ランチをしたショッピングモールで、日傘を失くしました。

 

多分トイレで化粧直しをしたところに置き忘れたんだと思う。

そこに立てかけたのは覚えてる。滑らないよう、倒れないよう、傘の先端を床のタイルの溝に引っかけて、洗面台に持たれかけさせたのは覚えているから。

 

 

ショッピングモールを出たときに気づいて、戻ってトイレを探したけどなく、警備室にも届いておらず。

たぶん清掃の人が持っていったけど、まだ警備室には届いていないのかもしれない。

コロナ隆盛のこのときに、見知らぬ人間の落とし物日傘拾って使いたいやつはいないよな(^^;;と思いながら。

 

また来週仕事でそこに行くので、その時もう1度警備室に聞いてみようと思ったのですが、それまでの日差し、どうしよう。

 

 

今年買ったばかりだったんだけどなー。

でもデザインをとても気に入ってたかと言えば、微妙にそこまででもなかった。

もちろん、売り場の中では1番いいと思ったのを買ったのだけど、これ!とピンと来て買ったのではなかった。

 

あの子が私の元を去ったのは、私がそんなに気にいっていないのを察したからかなあ……

 

そこから、日傘が気になって、今度は絶対気にいるものを買おうと、帰ってすぐ、ネットで検索し出しました。

 

でもこれ!!!と思ったものは売り切れてる。

もう8月ですもんね。

 

果てしなく日傘検索してました。

 

これは持ち手のデザインが微妙、遮光性はどうなんだろ、材質が安っぽいな、もっとピンとくるものがあるのではないか、、、

 

7時前に帰って、そこからずーとずーと、10時くらいまで。(病気)

 

 

 

 

そこで、切れました(笑)。

あ、もう明日のブログは無理やな。

やめよ。

 

 

ということで、なんとなくどことなく、ブログを書くことを、結局はいったん止めたかったんだと思います。

とんでもない時間、日傘探してしまったことであきらめがついたというかつかせたというか(笑)。

 

 

そんなこんなで、おかげさまでゆるゆる過ごしておりました。

 

 

この間に、自分の波動(笑)を整えようと。

 

波動を整えるといっても、なにか特別な修行に出たわけではありません(笑)。

 

ただ普通に過ごして、生活リズムを整えていました。

 

 

 

その間にいくつか気づきがあったので、1つずつ書いていこうと思っているのですが、

 

 

 

やはり自分は、自分を否定しすぎだったなあと気づいたし、自分がしてきたこと、持っているものをあまりにも過小評価していたし、たしかに愛されて育ったけれど、うちの家にもひずみはあったし、私はたくさん我慢してきたのだということなどに気づきました。

 

それらを経て、今進んでいる道は、自分の人生は間違いじゃないと、またさらに確信を持てました。

 

 

 

この1週間ほどの気づきについて、自己肯定感がまた1段階、回復した気がします(笑)。

「回復」と言ったのは、もともと人は生まれ落ちたときは、気を遣ったり自分を責めたりせずに、ただただ自分の快・不快に従って行動しており、あるがまま、すなわち自己肯定感が高い状態です。育つ過程で、善悪や優劣を学び、このままの自分ではいけないと考えるようになり、自己肯定感に傷がつきだすのですね。

そう考えると、ある意味、社会性を身につけるという発達過程において、自己肯定感がある程度下がるのは仕方のないことのように思います。だから自己肯定感が低低だったとしても、そんなに自分を責めないで(おめーな)。きっとその分、あなたは立派な社会性を身につけて、社会に適応してがんばってきたはずです。

ということで、「回復」という語を使いました。

 

 

 

自己肯定感が回復すると、こんな感じなのかなと思ったことをあげていくと、

 

①自分の選択に自信が持てる

自分の認識や考え方が間違っていて、どこか損をするような生き方、パッとしない生き方をしている気がしていましたが、自分がしてきたこと、自分が持っているものを改めて見直したら、自分はよくやってきたなあ、私なりにではあるけれど、よく頑張ってきたのだ、自分なりにはちゃんと成果も出してきたのだと思えました。

それによって、今の自分の選択や今していることについても、これでいいのだと自信が持てる気がしています。

 

 

②先への不安が減る

これまでの自分の選択に自信が持てると、これからも大丈夫だと思え、自分の人生は自分で創れるという感覚が何となくわかります。

幸に限らず、一見不幸にみえることさえも、すべて自分が望んで起こしていることだということは、知識としては知っていたものの、完全にしっくり納得はいっていませんでしたが、自分の人生は自分で創れるし、結局望みを叶えるように進んでいっているのだと思うと、先への不安がぐっと減りました。

 

③時間ができる

 自己肯定感が回復すると時間ができるってどういうこと?って話ですが、はい、少し飛躍していますね(笑)。

 自分の選択に自信が持てないで、自分の人生は自分以外の環境やどうしようもないなにかに翻弄されると思っていると、やりたいことをしていても、こんなことして意味があるのかな?役に立つのかな?などという思いが頭のどこかにあり、動きが重くなっていました。そういう思いがブレーキをかけ、したいこと、好きなことでも、なかなか取りかかれないのです。

 しかし、自分の人生は自分で創れると思えると、すべてはつながっていい方に行くと信じることができ、それならば過程こそを楽しもうという気になれます。どうせ最後には、自分にとってもっとも望ましいゴールにたどりつくのだとしたら、今自分がすべきことは、その過程をいかに楽しむかということだけ。

いい意味で(?)自分の人生を映画のような、ゲームのようなものに感じられると、多少の困難でも、さあどう攻略してやろうと、楽しみになってきます(これは言いすぎか・笑)。

 で、心の重しがとれて、すぐに動けて取り掛かれるので、結果、効率がよくなり、同じ時間の中でもいろんなことができるようになりそうです。

 

 

まとめると、自己肯定感が回復すると今が楽しくなる、ということですかね。(知らんけど)

 

 

 

こんなの、もともと自己肯定感が高い人からしたら、そんなもったいつけていうこと?っていう程度の当然のことだと思いますが、自分を否定して否定して、それとは裏腹に(笑)自分には絶対価値があるはずと葛藤してきた私には、価値ある気づきであり、そんな風に、悩んで悩んで泥くさく、もう1度自己肯定感を回復させようとしている私だからこそ、そこで困っている人にできることがある気がしています。

 

 

天然で自己肯定感が高い人はもちろん素敵だけれども、養殖には養殖の良さがあるってことよ!(たとえ合ってる?笑)

 

だから、似たような方がいたら、一緒にやっていきましょう!

 

 

 

とか言いながら、1週間後くらいにはまた「自分はダメだ」のスパイラルに入るかもしれないけれど(笑)、そんなこんなを繰り返して一進一退しながら、自分の人生を楽しみながら作っていくのだと思います。

 

 

 

ということで、この数日の気づきをまた書きますね。

定時更新ではないかもしれませんが。

 

よろしくお願いいたします。