'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

友達がどんどん移り変わっていく私は変?

友達がどんどん移り変わっていく私は変?

 

 

A子さん(仮名)より、こんなリクエストをいただきました。

 

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

 

ありがとうございます(^▽^)

 

「交友関係に切り込んで」というざっくりとしたリクエストなので、思いついたことを気ままに書いてみますね。

 

仲良くなる人や好きな人が短期間で変わる・・・

短期間ってどのくらいか、人によって感じ方はそれぞれだと思いますが、ありますね、そういうこと。

 

っていうか、私も割とそっちタイプかもしれない。

 

ありがたいことに割と友達には恵まれてきたと思うのですが、かといって、ずーっと続いている友達ってあんまりいないかもしれない。

 

幼稚園からの幼馴染とずっと続いてるという人とかいるじゃないですか?

私にはそういう友達がまったくいないですね。笑

 

どうしても今の環境が似ている人との方が話が合うし、自然と連絡したり遊んだりするのは、その時々で、今いるコミュニティの人に移り変わっていってます。

今だったら、今の本業関係の人と、カウンセラー仲間がメインかな。

 

いや、別に昔の友達と絶交したという訳でもなく、年賀状やSNSでつながっていたりとかはするけど、自然と疎遠になっていってることが多いです。

 

でも、絶交したわけではないけど、かといってわざわざ積極的に会いたいとも思ってないかも。笑

今の生活でやりたいこともいろいろあるし、やっぱり今の環境が似ている人と話している方が、話が通じておもしろいから。

同じ悩みとか楽しみとか、あるある話とかね。

 

今の環境が似ている人って、私の場合は、

 

○独身/既婚に限らず生計を自分で立てている人

○自分のために何か学んでいる人(私が絵とかカウンセリングとか、本業以外に学びを続けていることがあるから。)

○医療関係の人(本業が医療系だから)

○心の話が通じる人

○趣味が同じ人(オペラ座の怪人ファンの人とかジャルジャルファンの人とかのSNS見て共感したりコメント欄で交流できる時間は、気楽で楽しい時間です。でもこれは友達とまでは言えないな。笑)

 

ですかね。

 

「心の話が通じる人」については、業界が違っても同じことを感じていたりして、そういう人とは引き合うように出会って交流することになるなあと思います。

A子さんのいう、潜在意識で引き合うというのは、あると思います。

それを言うと、すべての出会いがそうではありますが、この人合うわー!っていう出会いはありますよね。

 

学生時代仲良くても、今、たとえば専業主婦で、興味や話題が子どものこととか旦那さんのことがメインという人だと、私とは興味関心が違うので、今はそんなにしょっちゅうは話したいことはないと思うんですよね、お互いに。

 

だけど、久ーしぶりに会ったら、やっぱり気の合う要素はあるので、違う畑でも感じることは似ていたり、境遇は違っても似たような学びを得ていたり、昔ばなしで大笑いしたりすることはあります。

めったに連絡とらないけれど、やっぱりいいなーってうれしくなる。

 

 

 

で、心理学とかスピリチュアル界隈で、「ステージが変わると出会う人が変わる」とか言いますが、そういうのはあると思うんです。

 

あると思うんだけど、あんまりこの言い方は、言い方と使い方によっては私は好きじゃないんですね。

 

私のステージが上がったので、もう低いステージのあなた方とはいられません、さよなら。

って感じで、これまで出会ってきた人に失礼な感じがするから。

上から目線の選民意識で、結局競争の世界の罠にはまったままで、気づきを得てなくってそのことにも気づいていないって感じがするから。

ワオ辛口

 

いや、このことばの本質は、そういう意図ではないと思いますけどね。笑

 

でも、あると思うんです、ステージが変わると出会う人が変わるということは。

どないやねん

 

ステージが上がる、要は、自分が気づきを得て視座が上がると、話がドンピシャで合う人、話しごたえのある人、会っててワクワクする人っていうのは変わってきますよね。

 

だけどそうなったのは、これまで出会ってくれた人たちのおかげでもあると思うんですよ。

その時々で、自分を支えてくれたり、楽しませてくれたり、時には摩擦があったりで、自分を磨いてくれた人たちだと思うんですね。

 

で、ほんとに視座が上がった人は、そのこともよく理解していると思うんですね。

 

 

だから、ステージが上がったら出会う人が変わるというのは、これまで出会うことがなかったような人たち、自分が憧れていた人たちと直接関われるようになるということで、出会いが豊かに広がるということで、これまで合っていると思っていた人とは合わなくなるかもしれないけど、だからあなたたちと私は住む世界が違いますと切り捨てるのではなく、自分のバックにこれまで出会ってくれた人たちが味方としてついてくれているというイメージかな、私の中では。

どんどん味方が増えていく感じ。

 

 

ただ、自分が自分を粗末にしていたから、そこに付け込んできたようなと人は、それに気づいたら、「ステージが変わったのでさようなら」でいいと思います。

それもまた、広い意味では、自分が気づきを得るために必要な出会いであったと言えるのですが、そういう人は要らないですね。笑

たとえば自己肯定感が低いときに、素敵と思って好きで好きですがっていた男が、目が覚めたらクソしょうもないモラハラ男と気づいた、とかあるじゃないですか。

なんであんなやつ好きだったんだろ?みたいな。

そういうのは、ステージが変わると出会わなくなると思います。

要は自分がそういう人に興味がなくなっちゃうから、その辺にいても目に入らない、関わりを持たなくなるということですね。

 

 

ということで、自分がどんどん変化している人は、友達も変わっていきやすいかもしれないですね。

変化って、引っ越しするとか、社会人になるとか、結婚するとか、離婚するとか、子どもを持つとか、そういう物理的な変化と、それに伴う心理的な変化。

そういうのがどんどん変わっていくと、交友関係や気が合うなと思う人も変わっていくのが自然だと思います。

生き物だから変化して当然。

 

じゃあ昔からの友人とずっと続いているという人は、成長していないのかというと、そういう訳でもないと思います。

新しく友達になるのが億劫という人見知り度合いとかもひとそれぞれ違うし、マメに連絡するタイプかどうかというのもあると思います。

もともと自分軸で生きていたから、昔からドンピシャで合う友達と出会えていたのかもしれないし。

 

いずれにせよ、自分が心地いいなら、友達が移り変わろうが、ずっと同じだろうが、問題にしないことだと思います(^^)

「友達」という呼び方や定義にもとらわれなくていい。

その時々で、心地よい関係を築くことに集中したらいいと思います。

 

こんなんでよかったかしらん。

リクエストありがとうございました(^▽^)

 

 

この記事を書きながら、地元のレストランでは料理がうまいとほめられて働いていたけれど、東京に出て有名レストランで修行したらコテンパンにやられて、でも地元のレストランの温かく送り出してくれたみんなを胸にがんばって、ちょっとずつ成長して認められていく、みたいな松潤のドラマがあったなと思い出しました。

東京に出て明らかにステージが変わって出会う人も変わるんだけど、これまで応援してくれてた人が胸にいるのっていいよね。

調べたら「バンビーノ」というドラマでした。

内容は、いい加減な記憶なのでぜんぜん違うかも。笑

 

 

 

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