'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

今のあなたに、ほんとのほんとに必要なことをしていますか?

 

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

念願の片づけをできました!

お弟子講座が終わってから(もう1か月ぞよ・笑)、資料とかが積んだままでずーっと気になっていたのでスッキリ。

明日もやりたいこといっぱいやろう。

 

 

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中学生くらいの頃かな、担任の先生が、

「何かについて注意すると、本当に注意しないといけない子は聞いていなくて、言わなくても十分できている子がもっと注意するようになる。」

みたいなことを言っていたのを、何だかずっと覚えています。

 

たとえば、「人の話をちゃんと聞きましょう」と注意をすると、

もっと人の話を聞かなきゃいけないような生徒は、その注意に無頓着で当事者意識がなく、

十分に人の話を聞けていて、あなたに言ってるんじゃないよ、という生徒ほど、より一層「ちゃんと聞かねば!」と気を引きしめる。

 

いやいやいやいや、あんたのことだよ!

で、あんたのことじゃないんだよ!

集団を相手に話するって、難しいですね(笑)。

 

 

それでふと思ったんですが、昨今の女性たちは、向上心が高くていくつになってもよりよく生きようと学び続ける人が多いなあと思うんですが。

 

学び続ける人の中にも、こういう現象がある気がして。

 

つまり、いろいろ学んでいるけれど、本当にその人に必要なことには近づこうとしていなかったり。

反面、もう十分ですよ、ということがらについては、もっともっと、まだまだまだまだと学びを深めていたり。

 

特に「心」の学びという分野においては、そういうことが多い気がする。

 

 

たとえば、人間としての自分自身を磨くということはもうそこそこできている気はするけれど、

女性として、恋愛は?パートナーシップは?ということには、はなはだ自信がない人。

 

「女性として」、「恋愛」、「パートナーシップ」というところこそ、グイッと足を踏み込んで、人の力を借りて学んでみればいいのに、そこには近づかない。

で、「人間として」とか、「仕事術」とかの勉強を、ずーっとやってる。

 

本当は、今の自分に必要なのは、恋愛系なんじゃないかということは、うっすら感じているのに。

 

 

遠い世界のように感じて。

よそごとのように感じて。

場違いのような気がして。

自分はそういうのを学ぶレベルにさえ至っていない感じがして。

 

 

でも、自分に本当に必要な学びは、ときに、自分が本当に自信のないこと。

 

 

学ぼう、やってみようという気持ちになるには、まったく自信がなければ難しいのかもしれないなあ。

やったら私にもできるんじゃないか?っていうビジョンを描けなければ、やってみる気にさえなれないし。

 

 

結局、学ぼうとするのって、「ちょっとはできること」なのかもしれない。

本質的に必要なことは、無意識に避けちゃっているのかもしれない。

 周辺をうろうろするだけで、けっして自分から、核心に触ろうとはしない。

 


拗ねていないで、その殻を破って出ておいで。

なんてわざわざ親切に誘導してくれる人は、大人になるとなかなかいないからなあ。

いや、誘導してくれる声があっても、やっぱり必要な人にほど、届いていないのかも(笑)。

 

 

まだ、逃げていたいのかもしれないし、

変わりたくないのかもしれないし、

時が来ていないのかもしれない。

 

でもいつかは素直に、本当にどうしようもないことに、ガツッと着手してみたいものですなあ。

やはりあんさんの話でしたか(笑)。