'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

【ご相談】再開発で変わっていく街の姿への喪失感―移ろい変わりゆくことがさみしいあなたへ―

【ご相談】再開発で変わっていく街の姿への喪失感―移ろい変わりゆくことがさみしいあなたへ―

 

 

月末業務を順調に片づけられていて、ごきげんです。

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

明日で滞りなく月末業務が片付きそう。

これで週末を心おきなく迎えられるー!

しあわせだー。

 

 

さて、なじみの場所が変わってしまうことに、一抹のさみしさを感じたことのある方は、少なくないと思います。

自分の力ではどうしようもない、やむを得ない、だけどどうしようもなくさみしい「変化」とどう向き合えばいいのか。

それは、「変化をどうとらえるか」と、「今の充実」にあると思います。

 

ということで、本日は オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェにいただいたご相談にお答えします。

元のご相談文はこちら

 

オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェでは、根本裕幸お弟子さん制度を修了したカウンセラーが、無料で相談にお答えします。

どなたでも何度でも匿名でご相談いただけますので、お気軽にご利用ください(^▽^)

 

 

【ご相談】再開発で変わっていく街の姿への喪失感

大学時代を過ごした福岡県

就職で地元に帰ってしまったけれど 半年に一度は福岡に足を運んでしまう

なかでも

いつでも賑わっていて 大好きな天神の街

誰かとの特別な思い出があるわけじゃない 私はいつも一人でこの街にくるから

それでも

人の手が巧みに入った 本気を感じさせるような 街の演出、イベントたち

みんなこの街の雰囲気(具体的に言えば何なんだろう…)が大好きで

この街をもっと素敵にしてあげたい、この街を喜ばせてあげたい 愛したい

誰とも話さなくても そんな人々の気持ちを感じて こんなに居心地がいいんだと 今は思う

 

ところが

数年前から再開発の計画で、大好きだった天神の面影がひとつずつ無くなっていく

久々に訪れた天神

いつもショッピングをしていた商業施設が

さら地になっていた衝撃 あるいは あんなに賑わっていたビルが白いフェンスで囲まれている、無機質さ 物悲しさ

その光景に 思いのほかショックを受けている自分がいることに気づいた

他県の 街に 何をこんなに感情を揺さぶられているんだろう

涙が出るのはなんで?

特別な思い出だって特にはない 週一訪れていた程度の日常はあったけれど

 

「大好きな場所がなくなる」というのはこんなにも 心に穴が開くようなことなんだ

どんなに写真に残しても その場所の空気は2度と吸えない

写真じゃ思い出すのに情報が少なすぎる

人じゃないから もらった言葉も ないわけで

 

この喪失感に 対象となる人 はおらず、

対「場所」 の喪失感です

とてもふんわりしていますが、

思いの外ショックで 街のことばかり考えてしまいます

クロージングとか、供養とか、お別れの儀式とか、恩返しとか、そういった要素があるような気がしつつ、

この感情と前向きに向き合うアイデアについて どのようなものがあるでしょうか 

お教えください

ゆこさん

 

 

【いなこからの回答】

ゆこさん、はじめまして。

いなこと申します。

このたびはココロノマルシェにご相談をお寄せくださりありがとうございます。

 

福岡県。

友人が福岡にある大学の大学院に行ったので、私も1度だけですが遊びに行ったことがあります。

大宰府天満宮にお参りして、海の中道でサイクリングして観覧車に乗って、ソフトバンクホークスの試合を観て(当時はダイエー)、もつ鍋食べたり、もちろん中洲の屋台でラーメンを食べたり。

天神の商業施設にも行きましたが、あそこのことかなあ、なんて思いながら読ませていただきました。

いや、私が行ったのは20年近く前のことなので、それこそずいぶん変わっているんでしょうね(^^;;

 

天神のような都会は、どんどん変わっていきますね。

1年経てば、風景がまったく変わっていることも少なくないですよね。

 

私も、変わりゆくことに一抹のさみしさを感じるタチなので、とても共感できます。

(私が以前勤めていた職場が去年新築移転し、私が長年過ごした職場は今、更地になっているそうですが、さみしすぎてまだ見に行く勇気がありません!笑)

 

 

とつぜん話を変えますが、少し前にテレビで、生物学系の研究をされている教授が、こんなことを話されていました。

 

「これからは、国際結婚も増えていって、日本人の顔は、今の西洋人に近づいていくだろう。

100年後(?うろ覚え)には、『日本人の顔』は、今とは違うものになっていると思う。

そう言うと、日本人のオリジナルの顔がなくなるのは残念だ、残しておきたいと言う人がいるが、今私たちが、『これが日本人だ』と思っている顔も、変わり続けてきた結果だ。

ずっと前から常に変わり続けているのだ。」

 

何事も変わることをさみしいと感じやすい私でしたが、このお話を聞いて、腑に落ちるものがありました。

 

 

「変えたくない」と思っていても、常に変わっているし、

「これが原型である」と思っているものも、歴史の中で変わり続けてきたものである。

自分が原型だと思っているものもまた、たまたま自分が居合わせて見た、一時的な形にすぎない。

 

 

それで言うと、

ゆこさんが大好きな福岡の街並みも、

これまでの歴史の中で、変遷してきた1つの時代に、たまたまゆこさんが居合わして目撃できたものであって、

馴染んだ街並みが変わるのはさみしいけれど、

ゆこさんが出会う前から、福岡にはいろんな時代があり顔があり、常に変わり続けている。

 

変わってしまうのは、今に始まったことではない。

 

 

そう思うと、特別悲しいことではない感じがして、少しさみしさが和らぎませんか?

私だけ?笑

 

 

再開発されているということは、福岡の街を、より良くしようと動いている人たちがいるということ。

今も変わらず、街は人々に愛されているということです。

そしてそれは、街が生きているということでもあります。

 

生きているのものは、常に変化しています。

心電図を見てもわかるように、生きていれば、動きがある。

動いているから生きている。

ピーッと一定の線になってしまって、何の変化もなくなったものは、生きていません。

 

 

ゆこさんの愛していた街並みは変わってしまうけれど、街を愛する人たちのソウルは、形を変え生き続けている。

なくなってしまったわけじゃない。

そして、ゆこさんが好きだった街並みも含め、これまでのすべてが礎となって、これからの街並みがある。

 

 

ゆこさんも同じですね。

大学を卒業し、大好きだった街を離れて、地元に帰って就職された。

それもまた変化ですし、福岡の街からすれば、あのとき、ゆこさんを失ってしまったとも言えますが、なにも悲しいことばかりではなくて、ゆこさんは、前に向かって生きていかれたわけです。

 

ということで、ゆこさんが大好きだった一時代の街並みに立ち会えたことに感謝して、

これまでもこれからも、愛していかれるのはいかがでしょうか。

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そしてもう1点お伝えしたいこと。

 

先に述べたように、私も、

>対「場所」 の喪失感

を強く感じることはあるのですが、

それを突き詰めると、

「そこで過ごした日々が好きだった」

「その頃の自分が好きだった」

ということにつながるのではないかなあと思ったりします。

 

>特別な思い出だって特にはない 

とおっしゃっているのですが、

目立ったエピソードはなかったとしても、

ゆこさんは、福岡で過ごした毎日がとても気に入ってらっしゃったのではないでしょうか。

 

その大学の学生であった自分を誇りに思っていたとか、

そこでの一人暮らしが充実していたとか、

学生生活がすごく楽しかったとか。

 

 

「荒城の月」でも(唐突)、昔栄えていた城の変わりように対する寂しさ、諸行無常感がうたわれていますが、

城の変わりようの向こうに、

単なる城の景色だけではなく、

そこに息づいていた城の人々を見ているのではないかと思うんです。

 

 

ゆこさんも、街並みそのものだけでなく、街の雰囲気や人々についても触れられていますね。

 

そんな風に、充実した時間を過ごせていたとしたら、そのこと自体、すごく幸せなことだと思います。

 

 

ただ、さびしさ、喪失感が大きすぎるなら、どこかに、

「あの頃が1番楽しかった」とか、

「あの頃の自分が1番輝いていた」

といった思いはないでしょうか?

 

もしかしたら、その頃の自分が大好きで、その頃の自分と紐づいている福岡の街並みに、心をとらわれてしまうのかもしれないなあと思いました。

 

そういう時代があることは、やっぱり幸せなんだけれども、もしとらわれすぎてしんどいなら、今をさらに充実させる、今に夢中になる、ということがおすすめです。

 

人って、

「今が楽しい」

「今が好き」

「今の自分が好き」

と思えていると、

過去のことは過去のこととして、大事ではあるけれど、思い出としてまとめることができたりします。

もちろん、時には切なく胸が痛むことはあるけれど。

 

なのでもしも、好きだった昔の街並みの変化に胸が痛んでしんどすぎるなら、

今の環境で好きなこと、

感謝できること、

今の自分だからこその魅力などに、

意識的に目を向けてみてください。

 

 

こんな詩的な文章でさみしさを絶妙に表現できるゆこさんは、感性が非常に豊かな方だと思います。

だからこそ、数年過ごした街のすばらしさをたくさん見出すことができたし、愛することができたんです。

 

ゆこさんが愛した街並みや街の雰囲気、街の人々の要素は、ゆこさんの中にある要素です。ゆこさんの内側にある魅力を、街に映し出したものです。

だからそんなにも街と共鳴できたのです。

 

そして、ゆこさんの中で、福岡の街でのすべては生きていて、今のゆこさんを作っていますよ。

ゆこさんの血となり肉となっていますよ(^^)

 

 

 

さて、少しはさみしい気持ちが和らぎましたでしょうか。

でもなんだかんだいっても、完全にはさみしさはなくならないよねー(笑)。

私がそうだから(笑)。

 

さみしさを感じているのはしんどいけれど、その素敵な感性をゆこさんの魅力として大事になさってくださいね。

 

 

しかし福岡の人が、こんなに自分の街を慕ってくれている県外の人がいるって知ったら、めちゃくちゃうれしいと思う!

福岡の方、読んでたら一番下の↓お問い合わせでもコメント欄でもいいので、ゆこさんにひとことください!!!

 

 

ずっと応援しています(^▽^)

ご相談ありがとうございました!

 

 

  

11月のカウンセリングは、

10月31日(日) 20:00〜

受け付けいたします。

縁あるあなたとお話しできることを楽しみにしております(^▽^)

 

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▽いなこの雰囲気はこんな感じです

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