おはようございます、カウンセラーいなこです。
先週、天橋立にグランピングに行ったと書きましたが、
まつられている文殊菩薩さまは、知恵を授けてくださるそうです(今さらとか笑わない!笑)。
お寺の境内に行くまでの参詣道の木に、かわいらしい扇子がたくさんつってありました。
扇子型のおみくじで、引いた人たちが、おみくじをつって帰ったものでした。
あ、こちらです。
そのかわいらしさに惹かれ、私もおみくじを引くことにしました。
結果は……大吉!!!
「わー」とうれしかったものの、次の瞬間、私の頭に浮かんだことは、
「もしかして、大吉しかないのでは?」
という思いでした。
そこでおみくじがつってある木の下に行ってよく見ると、「凶」はなく、すべてが「末吉」以上でした。
文殊菩薩さまの、やさしいお心遣いなのでしょう。
ちなみに「中吉」と「吉」ってどっちがいいのと思いません?
大吉―吉―中吉―小吉―末吉―凶の順にいいそうです。
私は、「やっぱりそうか……」と思いました。
もともと、悪いものが出ないようになっているんだ、これは「真の大吉」ではないから、真に受けてはいけないな。
いやいやいやいや!!!
です(笑)。
我ながら、なんで手放しで、
「やったあ、大吉だー!!!」
と喜べないのか、つっこみどころ満載で、もはや笑ってしまいます。
「凶」はないにしても、一番よいとされる「大吉」をまぎれもなく引いたのだから。
仮にもし、一番下の末吉が出ていたらどうだったでしょう。
私は、そのまま真に受けて
「ああ、やっぱりあまりよくないんだな、私の運勢は」
と気にしていたと思います。
この思考では、一生幸せになれないなと、苦笑しました。
だって、「大吉」を引くという幸運が起こっているのに、いやいや、そんなの真に受けてはいけないと、幸運を認めていないのだから。
幸運がない、起こらないのではなくて、起こっても起こっても自らないことにしているのです。
なんでそんな風に思ってしまうのか。
私の場合、「喜びすぎて後でがっかりしたくない」、「ぬか喜びしたくない」という思いが強い気がします。
ぬか喜びしてがっかりしたトラウマでもあるのかな。
あまりすぐには思いつかないけれど。
でもこのパタンは、ほめられた時も同じです。
ほめられるのはうれしいけれど、お世辞を真に受けてがっかりしたくない、そういう思いがあって、3割くらいしか受け取れずに来ました。
あーもったいないー。
幸運とか幸せは、ちょくちょくと起こっているのに、結局カウントしてないんですよ。
それで「大していいことがない」って。
ええかげんにせえ!って話ですよ。
これには文殊菩薩さまもお手上げです。
よく会社の社長が、面接で「あなたは運がいい方ですか?」と聞いて、「いい方です」と答えた人を採用するとか言いますけど、それはとても理に適っていると思います。
誰にでも、運がいいと思えることも悪いと思えることも起こるけれど、どの側面に注目できるかで、それが本当によいできごとになるか悪いできごとになるかって変わってきますからね。
結果、「自分は運がいい!」と思っている人は、運がいいようになっていくんです。
そういう人を雇った方が、自然と会社もいいようにいくでしょう。
・・・・・・だめじゃん、私、社長に採用されないじゃん(社長って誰・笑)。
ねー、わたし口だけは立派でしょー(笑)。
まあ人間は、リスクを回避する本能が強いので、つい予防線を張って警戒させて、危険を回避させるために、ネガティブな考えに傾きやすいという理由もあるとは思うんですけどね。
でもでも、やってきた幸運を自らないものにしといて、なのに「いいことがない、パッとしない」と嘆くという意味不明のゲームから、私はもう降ります。
もうなんでも、ほんっっと、好きなようにいいように解釈しよう。
とりあえず、「大吉」を享受するぞー!
「金運 思いのまま」って書いてた、やーん、どうしよ♡
文殊菩薩さま、疑ってしまってごめんなさい、人間の弱いこころをお許しくださいませ。
みなさんも、いいことは8分目に受け取って、悪いことは拡大解釈していませんか?
リスク回避のために、ネガティブ思考に陥りやすいのが人間ですが、自分を幸せにする思考を選びましょうね(私と一緒に(←訓練中・笑))。
最近こんな気づきが多いな。
ネガティブをついに捨てる時が来たのか。