'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」  そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

効率の悪い人生。

効率の悪い人生。

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先日、BTSの「Dynamite」を歌えるように練習してるって書いたのだけど、元は、他の人の「踊ってみた動画」を見かけたとこらからだった。

 

それが十分かっこよかったので、他の人が踊ってもこんなにかっこいいなら、本家はどれだけかっこいいんだろうと思って見てみたのがきっかけで。

 

やっぱり本家はキレがいい。

あんな蹴りを入れて、体幹ブレずヨタつかず着地できるってすごい。

これだけ動いてるのに、安定して歌えてるってすごい。

あの、男の人の、カッコつけて自信満々に髪をセットするしぐさ(笑)はなんでかっこいいんだろう。

「ネクタイ緩める」と張るくらいかっこいい(笑)。

オペラ座の怪人もしてたな。

 

 

そんなこんなで、それまで何となく街でラジオで聞こえていた、ちょっといいなと思う歌の中に、BTSが結構あったなと思い、改めて他のも聞いてみた。

っていうか「Boy With Luv」だけだけど。

 

聞き馴染みのあるやつで印象的なやつを。

 

 

そしたら、

あ、これやばい。

なんか切ない。

 

曲調と、エコーのかかった?ストリングスの効いた?(素人なのでよくはわかりません)感じが切ない。

 

 

発表が、2019 年夏か。

 

あーちょうど、退職を決めた頃。

 

これがラジオで頻繁に流れていた頃、

私は退職の日までを毎日カウントダウンしながら、切ない気持ちで、この曲を通勤の車のラジオで聞いていたんだろうな。

 

このメロディラインと、その頃の切なかった気持ちが結びついていて、

さらにあの頃、毎日切なくてやりきれなかったときの自分が思い出されてかわいそうで、久しぶりに切なくなってしまった。

 

 

やばいやばい。

やっと最近、新しい道を機嫌よく歩けるようになってきていたのに。

 

 

もう、前の職場のことをさみしく思い出すことも減って、

今なら元同僚たちともフラットに会えそうだと思えてきて、

今の職場の人たちにも、気持ち的に馴染めてきて、

今度こそ、「これかもしれない」と思える仕事……カウンセリングに出会えた気がしてきてたのに。

 

 

この曲のメロディが、一気にその頃の切なさを連れ帰ってきてしまった。

 

 

思えばこれまで私は、この「切ない」という感情に、何度も足を止められてきた気がする。

 

 

「悲しい」とも「さみしい」とも、少し違う感情。

 

ほとんど「負」の感情だけれど、どこか少しだけ、甘さもあるような。

 

 

 

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 この自分の中にある「切なさ」の正体を突きつめると、

「この世は、諸行無常だとわかっているから。」

という答えに行き着く気がする。

 

悲しいことも、楽しいことも、すべて時間の経過が流してしまうような無常さ。

 

どんなに好きで、楽しくて、ずっと忘れないでいようねと盛り上がっても、他人も自分も必ず忘れて、日常に忙殺されてしまう。

 

どんなにいい思い出があっても、みんなそれぞれ、今の生活があって、ずっと一所に留まることはできないこと。

 

その繰り返しが人生なのかもしれないと気づいたときの気持ち。

 

これまで自分を通り過ぎていった、たくさんの人たちが、今どこで何をしているのか。

どこかで元気にしていることは喜ばしいけれど、なのにもう二度と会うこともないというさみしさ。

 

わざわざ連絡をとって会いに行くほどの熱はないけれど、何となく会いたい気持ち。

でもやっぱり会うほどではないのだけれど。

自分でもよくわからない(笑)。

 

学生時代のクラスメイトとか、前の職場の人たちとか、今会っていない人たちと、普通に毎日当たり前のように一緒に過ごしていたことを、懐かしく思う気持ちかな。

 

 

 

私はたぶん、「祭りのあと」感が、人より苦手なんだと思う。

 

ずーっとこのままでいたいっていう気持ち。

 

そういえば、子どもの頃、お正月は、私たち子どもの学校が休みで、父も仕事が休みで、毎日家族全員で過ごして、父の休みの最終日には大きな神社へ初詣に行って外食して、その最後、また家族がバラバラに学校や仕事に戻っていくことを切なく感じていた。

 

クリスマスに、母と妹と3人で、心斎橋に行って、大丸でプレゼントを買ってもらって、外食をして帰る帰りの地下鉄も、喜びより切なさの方がよく覚えている。

 

いとこたちと集まって遊んで帰るときも、毎回泣いていたし、私はかなり小さい頃から、「永遠に続かない」ということに、切なさを感じていた気がする。

 

また日常に戻れば、すぐに忘れてその日常が楽しくなるのだけれど。

 

忘れて楽しくなって、切なさなんて消えてしまえば楽なのに、そうやって忘れて楽になってしまうことさえ、切なく思う気持ちもある。

 

 

 

誰にも何にも永遠はないことを、私は常に冷静に、頭のどこかに置いている気がする。

 

だから何かと、切なさに絡めとられてしまう気がする。

 

 

 

この「切なさ」がなければ、私はもっとスマートに、効率的に、早足で、人生を歩けていた気がするのに。

 

誰も気に留めないようなところで、

誰も足を止めないようなところで、

私だけが切なさに囚われて、しばらく動けなくなってしまうことが多かった。

 

なんと効率の悪い我が人生よ。

 

 

 

ここで感じる、この「切ない」という感情は、きっと誰にもわからないだろうと、わざわざ口にして説明することもなく。

 

 

だけど一方で、切なさなんてわからなそうな、あっけらかんとした、情緒も趣きもなさそうな人たちに、救われてきたところもある。

 

切なさに浸ろうとすれば、いくらでも浸っていけて沈んでしまいそうだけど、現実的で即物的な人たちが、そんな私のおしりをたたき(笑)、笑い飛ばし、日常のタスクに戻してくれた。

 

だから私は、笑いが好きなのかもしれないな。

笑いは、つい感傷的になりがちな私を、いつも助けてくれる。

 

 

 

それでもやっぱり時々は、切なさに共鳴してしまう。

 

 

そして意外にも、枯れ葉舞う秋より、真冬の寒さ厳しいときより、暗い夜よりも、春のあたたかで穏やかなお昼間のときにこそ、切なさに襲われる。

 

静かで穏やかであたたかい今も、刻々と時間は過ぎている。

こんな日も、みんな変わらず一生懸命、日常生活を営んでいる。

何でかそれを、切なく感じる。

 

 

 

あのまま前の職場にいたら、繰り返しの毎日を、馴染みの仲間たちと同じ空間で、今日も変わらず穏やかに過ごしていたかな。

新人さんを迎える準備をしている頃だな。

 

そんなパラレルワールドで、相も変わらず生きている自分を想像したら、それはそれで愛おしい気がする。

 

 

切なさに浸ってしんどいくらいなら、あれやこれやとやることのある今が、結局私には、ちょうどいいんだろうな、悔しいけれど。

 

とにかく切なさは、ときに私の多くを占める感情だけど、感じているのはしんどい。

いつものお笑い世界に戻ろう。

ちっ、Dynamiteだけにしときゃよかったぜ。

 

 

 

 

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