【ご相談】上に立とうとしてくるマウント気味の友人に対して、まんまと劣等感を感じてしまう―そんな1個人のものさしに測られながら生きていきたいですか?―
弱り気味で地面にダウンしているセミの横を通るのが怖いです。
‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
地面にひっくり返っているセミの横を通ると、その気配を感じてか、すごい音で飛び出したりするんですよね。
あっちもびっくりしてるだろうけど、こっちもびっくりするのよ。
いや、ひと夏鳴き続けて、お疲れさまです。
▽いよいよ明日。締め切りは本日中!「転職」が頭にちらついているあなたに贈る、心から納得できる選択をするためのワークショップ。ただいま最後の詰めをしています(^▽^)
さて、よけいな一言、言わなくていいことで、上に立とうとする人、いますよね(^^;
一見強くて自信のあるように見えますが、わざわざそんなことを言ってくるのは、そうすることでしか自分の自信を保てないのかもしれません。
・・・と、相手の心境はいくら考えても仕方のないこと。1番大事なのは、自分がその相手のものさしから降りることです。
ということで、本日は オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェにいただいたご相談にお答えします。
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どなたでも何度でも匿名でご相談いただけますので、お気軽にご利用ください(^▽^)
【ご相談】縁を切った友人への劣等感
父親が無関心、母親が過干渉という環境で育った弟がいる長女です。
家族と距離を置けるようになり、拒食症の回復期でいろいろと過渡期です。
私には母親代わりの友人がいたのですが、「ゆうこってほんと自信ないよね、私は自己肯定感高いけど」と言われたり、うつの私を心配した後に「私はうつにならないけどね。私って健康で恵まれてる」と言われたりするのが嫌ということに気づいて数年前に絶交しました。
嫌だったことを伝えて謝ってはもらったのですが、最後まで「本当に昔から自信ないと思ってたよ」と言われ、そのときの悔しさや惨めな気持ちが今でも消えません。
ここ3年ぐらい療養中で、何もしないで休めていることがありがたい一方で、「あの友人に弱っていることを知られたらまた見下されてしまう」という思いが頭をよぎってしまいます。
また、彼女には子どもがいたのに私にはいないこともコンプレックスです。欲しいと思ってはいるのですが、今は休むしかない状態なので、年齢的なこともあり焦ったり不安になったりしてしまいます。
この劣等感を払拭するにはどうすればいいのでしょうか?
ゆうこさん
【いなこからの回答】
ゆうこさん、はじめまして。
いなこと申します。
このたびは、ココロノマルシェにご相談をお寄せくださりありがとうございます。
なんていうか、そういう人いるよねって思っちゃいました。笑
悪気あってかなくてか、一言多い人。
またその一言が、えぐり気味というか、逆撫で気味というか(^^;;
お会いしたこともないくせに、絶交したとはいえ、ゆうこさんの一時は母親代わりであったようなお友達のことをそんなふうに言ってごめんなさい。
でも今日はそんなふうなことばっかり言っちゃうかも(-_-;
悩み相談して、親身になって聞いてくれたり、心配してくれた後に、
「私はそうじゃないわ。よかった。」
みたいな、ここで言わなくてもいいこと言っちゃうのはなぜでしょう。
私が思うに、1つは、何の悪気もない場合。
人の気持ちに、少し鈍感なだけという場合。
他意はないけれど、相手の話を聞いた後に、「私はどうかな?」とふと考えたところ、私は違うなと思ったのでそれを口に出しただけということ。
そういう人もいると思います。
「今この文脈でこれを言ったら、もしかしたら傷ついてしまうかも。」
「マウント取ったように聞こえてしまうかも。」
ということがわからないだけの人。
その場合は、そういう人なんだなと流してしまえばいいですね。
何の悪意も他意もないのだから。
もう1つは、少なからず悪意というか、相手の上に立っていることを示したいという意図がある場合。
ゆうこさんは、
>嫌だったことを伝えて謝ってはもらった
んですよね。
まずそれがすばらしい!
勇気を出してよくがんばられました!
この行動が、自分軸の道です。
で、そうやって、はっきりと嫌だったと伝えて、謝ってももらったのに、その後やっぱり
>最後まで「本当に昔から自信ないと思ってたよ」と言われ
たとのこと。
なので、このお友達の場合は、単に鈍感なだけじゃないのかもしれないなあと思ってしまいました。
では、どうしてわざわざそんなことを言うのか。
そのお友達もまた、自信がないのかもしれません。
ゆうこさんには自信があるように見えていたかもしれませんが、
自分は誰かより'マシ'と思ったり
誰かを自分より'下'に置くことで、
自分は大丈夫だと確認したかったのかもしれないし、
そうすることでしか自分の自信を保てなかったのかもしれません。
自分単体では、ありのままで自分を認められず、誰かより‘上’であると思うことでしか認められなかったのかも。
そしてお友達は、そのことに向き合えないのかもしれませんね、今はまだ。
そのことに気づいてもいないし、気づくのが怖いのかもしれません
一方ゆうこさんは、ご自分の弱っているところを、そのお友達に見せることができた。
お友達に劣等感を感じていることも認めて、こうして相談することもできている。
拒食症やうつを経験されて、見せざるを得なかったということもあるかもしれませんが、自分が弱っていることを認めて見せられるって、とても強い人がすることなんですよ。
弱い自分を見せて、人に助けを求められることは、自分を信じている人にしかできない。
弱い自分を感じるのは、惨めな気分になったりしますから。
それでも、自分や自分の可能性を信じることができる人にしかできないことです。
そのことをよく覚えておいてくださいね。
……とはいえ、そのお友達のほんとのところはわかりませんし、私の推測に過ぎません。
お友達の心境がどうなのかは、もうこれ以上考えなくてもいいと思います。
それより大事なことは、ゆうこさんがどうあるかということ。
そのお友達のいうことを真に受けて、劣等感を感じてしまうということは、お友達のものさしに乗っかっていることと言えます。
でも、そのお友達のものさしは、この世のすべてを正しく測るものなのでしょうか。
それによって、この世のすべてのものの価値を正しく測れるのでしょうか。
もっと言えば、測れるかどうかは置いておいて、ゆうこさんは、そのお友達のものさしに測られながら生きていきたいでしょうか。
価値観は人それぞれ。
こじらせ具合も人それぞれ。
いろんな偏見も持っています。
もちろんそれは私も含めてみんな。
それぞれが、独断と偏見で歪んだものさしを持っています。笑
そんな1個人の不安定かつ不確実なものさしで、人の価値は測れないし、無関係です。
ものさしの目盛りがぶっ壊れていることだってあるのですから。笑
というか、これらのものさしには正解がないですからね。
母親代わりだったというくらいのお友達だったから、いい思い出やお世話になったこと、感謝していることもあるでしょうし、すごく影響力は大きいのだと思いますが、そのことと、ゆうこさんの価値をその人にゆだねることとは別問題です。
感謝していること、いい思い出はそのままにしておいていいです。
ですが、それと、そのお友達のものさしの上で生きることは別問題。
そのことに気づいて、お友達のものさしからは降りてください。
同じ相手に対して、感謝することと、その人のものさしに乗らないことは、矛盾することではありません。
感謝したいところは感謝しつつ、嫌なところは嫌と拒否していいのです。
>家族と距離を置けるようになり、拒食症の回復期でいろいろと過渡期です。
と書いていらっしゃいますが、本当にそうなのだと思います。
ご家族やこのお友達と距離を置けたことなど、自分の不快に気づいてそこから守る行動ができている。
その調子です。
人のものさしから降りれば、療養中で休んでいること、弱っていることをお友達に知られたとしても、
「そうなの〜、ゆっくり休ませてもらえてありがたいの〜。私って恵まれてる〜(キラキラ)」
ってどや顔で言えますよ。
・・・ってやんわりマウント取り返したくなりますが、同じ土俵に乗るのはやめましょう。笑
というか、本当に人のものさしから降りられたら、マウント取り返して復讐してやろうという気にもならないと思います。
そのくらい幸せになってくださいね。
なによりなによりそこに集中!
いい過程をたどっておられますから(^^)
ずっと応援しています(^▽^)
ご相談ありがとうございました!
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▽いなこの雰囲気はこんな感じです。
「やわらかい関西弁が聞き心地よい」とのありがたいお声をいただいています(‘∀‘)
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