'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

人目が気になるとき、不安に呑みこまれそうになったときに効くことば。「と、観測している自分がいるだけ。」

人目が気になるとき、不安に呑みこまれそうになったときに効くことば。「と、観測している自分がいるだけ。」

 

 

こちら大阪は、うららかな陽気の土曜日です。

いかがお過ごしでしょうか。

 

'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

4月のカウンセリング、募集中です(^▽^)

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うららかな中、今日は受診日。

今日も3万ほど、気前よく払ってきてやりましたよ!パーンと、パーンとね!笑

何の話?という方はこちらをどうぞ。笑

「お金がない」のつづき③―大事なのは自分で選ぶこと ー

 

 

さて、

お金がない から始まった私の気づきについて、

どこからどう書けば伝わりやすいだろうと考えているのですが、いろいろありすぎて難しい。

 

大きな気づきの1つに、

「人目とか他人の言動を気にしても意味ない」

と実感したことがあります。

 

今日はとりあえず、それを書こうと思います。

 

 

上記の記事にある、

「ある」を見つけるワークを続けているのですが、

本当に、「何を見るか」がめちゃくちゃ大事だと思い知ったんですね。

 

というのも、そのワークがじわじわ効いてきたのに加え、

あるとき、おすすめで上がってきたある動画に、ダメ押しされたんです。

 

その動画で、こんなお話を観たんです。

 

ジョージ・バークリーという哲学者があるとき、

「誰もいない森で木が倒れたら、音はするのか?」

という問いをしたらしいんですね。

 

 

どう思います?

 

 

いや、誰がいようがいまいが、

木が倒れたら、音するでしょ。

と思いましたか?

 

 

そのジョージさんは、

「誰もいない森では、音はしない」

と考えたんです。

 

 

音というのは、

物体が振動することで空気を振動させ、

その空気の振動が鼓膜を揺らし、

それが電気信号になって脳に伝わり、

音として認知されます。

 

ということは、

誰もいない森では、

揺らされるべき鼓膜がないから、

音はしない

ということなんですね。

 

え、なんか怖い。(なにが?)

 

 

音波の受容器である耳がそこにない、

すなわち

音を観測する人がいないなら、

 

音は鳴っていない

 

ということなんです。

 

 

有名な思考実験らしいので、

ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

私はこの話を聞いて、

ほんとに、自分が何を観測するかがすべてなんだな

とあらためて思ったんです。

 

この世に何があろうとなかろうと、

自分がそれをあると感じられたらあることになるし、

ないと感じたらないことになる。

 

観測者の意識がすべてを創っているんです。

 

聴覚のような、物理的に計測できる知覚でさえそうなんだから、

愛だとか悪意だとか、物理的に計測できないものなんて、ほんとにそう。

 

耳という感覚受容器がなければ、

音波が発生しても音が鳴っていないことになるのと同じで、

 

相手がどんなに愛をもって自分にやってくれた行為であっても、

受ける自分がその愛に気づいて受け取らなければ、

自分の世界では、その愛はなかったことになるし、

 

悪意を持って何かをしてくる人がいても、

その悪意に気づかなければ、

別にどうってことないできごとになる。

 

観測者次第で、世界は変わるんです。

 

 

数ヶ月前私は、

ある人に嫌われてるんじゃないか、

不快にさせてしまったんじゃないかと気にして、

ちょっと気分が落ちていたんですね。

 

それをカウンセラー仲間に言っても、

「考えすぎ」

「妄想劇場」

「何でも自分と結びつけて、よっぽど自分が好きなのね」

なんてな感じで、苦笑失笑の嵐だったんです。笑

 

いやいや、

その相手のことば尻とか、

微妙なニュアンスを直接見てないから、

みんなはわからないんだ。

たしかにあの人は、私を嫌がっていたんだ。

怒っていたんだ。

信じてくれよ!

と思っていたのですが、

1人だけおばけ見てしまった人みたい。笑

そういうのもぜーんぶ、

私がそう観測しただけ

のことなんですね。

このバークリーさんの理屈で言うと。

 

 

「私に怒っているAさんがいる」

と、観測した私がいるだけ

のことなんです。

 

ほんとにAさんが私に怒り狂っていようが、

私がそれを観測しなければ、

私の世界では、Aさんは私に怒っていないことになります。

 

だから、Aさんがほんとに怒っているかどうかは、問題ではないんですね。

その真偽を一生懸命考えても、答えはないんです。

 

Aさんがほんとに怒っていようがいまいが、

「Aさんが怒っている」と観測している私がいるだけ、

あるいは

「Aさんは怒っていない」と観測している私がいるだけ、

なんです。

 

 

こんなふうに、何を観測するかで、

世界線はガラッと変わってしまいます。

 

 

よく、

「この花を美しいと思えるのは、

あなたの心が美しいから。」

みたいなこと言いますが、

それはそういうことなんですね。

 

「美しい花だ」と観測する人がいるから、

美しい花は存在できるんです。

 

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ということで、

物事の絶対的な正解を追い求めたり、

「あの人は私のことをこう思ってるに違いない」とか、

「こんなことしたら、嫌われるんじゃないか」とか気にするのは無意味なんです。

 

どこまでいっても自分の観測しかないんです。

 

「嫌われている」と観測すれば、嫌われているし、

「好かれている」と観測すれば、好かれているんです。

 

人は誰しも、自分の世界線でしか生きられないから。

自分の世界線でそうなら、それが絶対なんです。

 

どこまでいっても、自分の観測しかありません。

 

 

これを心理学的には、

自分の心の内が世界に映し出されるということで、

「投影」と言います。

 

心理学とかが好きな方は、

投影だとか、

世界は自分が創るとか、

人は見たいように見るとかよく聞かれると思うのですが、

ちょっと違う角度から聞くと

さらに腑に落ちるかなと思い、書いてみました。

 

 

とはいえ私も今でも一瞬、

「あ、私ダメなやつと思われたかも」と嫌な気分になったり、

人と比較して、うぐっとなったりすることもありますが、

 

「……と、観測している私がいるだけ。」

と付け加えています。

それだけで心落ち着くんだからすばらしい。笑

それ以上うじうじ考えるのを辞められるしね。

 

 

このジョージさんは、森の木の思考実験で、

誰もいない森ということは、

その木を見る人さえいないのだから、

木も存在していないことになる。

だから、物理的なものは一切存在していなくて、

意識がすべてを作っているんだと主張したそうですが、

さすがにそれは極端すぎ!と批判されたらしいです。笑

 

だけど自分の意識がかなーり重要なことはまちがいないですよね。

 

何を観測するかで、人生は、かなーーーり違ってくると思います。

 

 

不安がいかにもリアリティをもって感じられて、

それが絶対的なものに思えて、

怖れに呑みこまれそうになったときは、

 

「と、観測してる自分がいるだけ。」

 

とつぶやいてみてください。

スーッと心が落ち着いて、地に足がつきます(^^)

 

 

 

 

その動画とは、ナオキマンという方のものです。

m.youtube.com

 

8:12頃に森の木の話があります。

長いけど、ぜんぶ観てみてもおもしろいですよ(^^)え〜声です。

 

 

 

昔に私も、ちょっと似たようなこと書いたことあったんですけどね。

どこまでいってもどのみち主観しかないんだから、Youの好きなように感じちゃいなよ!

ジョージさんの実験の方がパンチありますね。笑

 

 

 

 

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【ご相談】ずっと「一人ぼっち」な気がしています。―良好な家族関係の中で育ったのに、自己肯定感が低いのはなぜ?―

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昨日の晩、iPhoneのタッチパネルが反応しなくなりまして。

サイドボタンはいけるけど、タッチパネルがうんともすんとも言わず。

 

再起動しようにもタッチパネルが触れないから、電源を落とせない。

 

一晩寝かせたら何事もなかったように戻っているかなと期待したけれど、

今朝起きてもぜんぜん反応しない。

 

おい!どないなってまんねんiPhone13mini!!!

11月に替えたばっかりでっせ!!!

 

パソコンが修理から戻ってきたと思ったら、1週間もたたないうちに今度はスマホが動かん。

これはもう、どう考えてもおかしい!!!

 

朝起きるためセットしているアラームの、スヌーズを停止できない。

サイドボタンを押すととりあえず音はいったん消せるけど、スヌーズの停止はタッチパネルでしかできないので、9分ごとにアラームが鳴る。(地獄)

 

で、この間、パソコンが壊れたときに検索していたら、

「家電が壊れるのは、自分のステージが変わった証拠。自分の波動が変わったから、それまでの古い持ち物の波動と合わなくなって壊れる。特にパソコンやスマホなど電子機器は波動の影響を受けやすい。」

という記事がいくつか出てきたんですね。

 

もうこれや、これしかない。

私の波動が上がったんや。

そうとしか思えん。

そう思わなやってられん。

とにかく仕事終わったらすぐに前パソコン修理してもらった親切な店に滑りこも。

と肚をくくり、約3時間、9分ごとに鳴るアラームとの攻防を繰り返し(地獄)、サイドボタン押しが手慣れてきた頃、たまたま長押しになったら、なぜかタッチパネルが復活したんですね。

 

なんで???

 

結局原因も解決法もよくわからなかったけど、幸せ100万倍になりました。

スマホが動くだけでまるもうけ。

波動上がったわ〜。(違)

 

 

さて、恵まれた家族関係の中で、両親にも愛されて育ったはずなのに、

どうして私はこんなに自己肯定感が低いのだろう?と思ったことはありませんか?

不思議な気がしますよね。

それは、両親を愛しすぎなためかもしれません。

なんだか自分を生きていないような気がして、一人ぼっちと感じるなら、

大好きな両親の「子ども」から、独立した「大人の女性」に脱皮するタイミングがついに来たのです。

 

ということで、本日は オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェにいただいたご相談にお答えします。

元のご相談文はこちら

 

オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェでは、根本裕幸お弟子さん制度を修了したカウンセラーが、無料で相談にお答えします。

どなたでも何度でも匿名でご相談いただけますので、お気軽にご利用ください(^▽^)

 

 

 

【ご相談】ずっと「一人ぼっち」な気がしています。

自分の人生にはいつも「一人ぼっち」「孤独感」がつきまとっていて、それが憩いの場所だった趣味の場に顔を出していてとても辛いです。

そして、幼い息子にも自分が歩んで来た道(思考)に進んでしまいそうな片鱗が見え隠れしていて、とても焦っています…。

私は30代前半、パートで働きながら二人の息子(5歳、3歳)の母親をやっています。

(自己肯定感がとても低いという自覚があります。それと同時に完璧主義であるため、「自己肯定感が低いのにプライドが高い」というアンバランスさがあるなと思っています。)

主人や自分の家族、主人と実家との関係は、良好な方かと思っています。裕福ではないですが、お金関連もゆくる節約をしながら生活ができるくらいではあり、お金関連で悩んだことはこれまでありません。

両親は仲良し夫婦で、喧嘩をしていることは「二人とも機嫌が悪いな」と思ったことが数回あるかないかくらいです。

「○○(私)のお父さんとお母さん、すごく仲良いよね!あんな夫婦いないよ!」と言われないことがないくらい両親は仲が良いです。

私は三人兄弟の一番上で、弟が二人います。兄弟間も仲が良く、頻繁には連絡を取りませんが会えばペラペラ話す感じの仲です。

家族には恵まれているなと思っており、その部分に関しては悩みはないのですが、友人関連ではずっと悩みを抱えています…。

ずっと一人ぼっちだと思っていて、その孤独感がとてもつらく、自分の中に影を落としています。

どうにかしたくて自分から話し掛けたり、輪に入ったり、輪を作る方になったり。人見知りではないため、一人ぼっちをどうにかしようと行動してきたつもりです。

だけど、上手く馴染めなかったり、自分発信で輪を作れて広げられて、とても楽しかったのに1年~2年で繋がりがいつの間にか全部なくなっていたり。

しかも自分だけ、いつの間にかあぶれてポツンとしている形として。

保育園からほぼ持ち上がりだった小学校~中学校でも一人でいることは多くありました。

ですが、グループに所属していなかったり、ペアみたいな固定の友達がいなくても周りとは普通にその時々で話したり、読書や好きなアーティストがいたのでそこまで「自分はいつもあぶれる」という感覚はありませんでした。

ですが、高校で友達ができなかったんです。いじめられたり嫌われているわけではなく、クラスメートと話をすることは普通にしていて、お弁当もいろんなグループを日替わりで点々として食べたりしていました。

ですが、使ってもらっているのが申し訳なくて、ひとりで食べることも増えていきました。私が一緒にお弁当を食べている日といない日では、グループの人の顔が違って見えたからです。私がいると黙々と食べている感じで、会話も弾んでいたことがあったか記憶にないです…。

移動教室やペアを作る時間が本当に苦痛で、先生とやるのは嫌ではなかったのですが、「ひとり」が強調されるあの時間が本当に嫌でした。

辛過ぎて母に相談したところ、母はネットで「同じように悩んでいる人がいるから、○○だけじゃないよ」と寄り添ってくれたのですが、上手く友達を作れない自分を晒していることが恥ずかしく、申し訳なく思っていました…。そのため、それ以降はあまり高校の話はしなかったように思います。

ドラマや漫画のこと、音楽の話といった当たり障りない事を話題にしていた気がします。

部活でも居場所がないとずっと思っていて、周りのメンバーも自分のことで必死なように思いました。各々固定のペアを作って、それを離さない。みたいな。

そして私はそこからまたあぶれていて、部活が始まる前の体育館に入る前の時間が本当に嫌で嫌で、毎日逃げ出したいと思っていました。

ですが、一応部活推薦で高校に入ったので「逃げたらダメ」と思ってずっと頑張って立ち向かっていました。辛かったけど休まないで行っていました。

部活のメンバーで話を聞いてくれた子がいたのですが「考えすぎー!」と言われてしまい、それからは打ち明けるのをやめました。

途中で足を怪我したので部活をやめれば良かったのですが、マネージャーという形で残りました。三年間部活は辞めなかったのですがメンタルはボロボロで、三年生になってから引退までの数カ月は部活中に勝手に涙が出てくるようになっていました…。

でも誰もメンバーは声を掛けてくれなかったです。

顧問の先生(女)にも、恋愛事で悩んでいるのを表に出していると勘違いされていたらしく、「表に出すなら休めよなー」的なことを体育教官室に入る前に言っているのが聞こえてしまい、すごく悲しかったです。

大学では最初の一年半は友達ができて楽しく過ごしていました。ずっと続けば良いなと思うくらい楽しくて、気の合う友達もたくさんいて、嬉しかったことを覚えています。

ですが、2年経った頃にまたみんないなくなってしまい、3年生のときにはまた高校の時と同じ、グループを点在してひとりを誤魔化している毎日になっていました。

一緒に行動していた友達が他の子達と仲良くなり、一緒に居るのに私の方には背をずっと向けてお喋りを楽しんでいる…そんな状況がとても辛く、かなり悩んだ末にその子とは距離を取りました。

距離を取った後に「なんで?」と高圧的な感じで言われたので、メールでずっと抱えていた気持ちを打ち明けましたが返事はありませんでした。ですが、大学で顔を合わせても無視はされず、雑談はなんとなく出来てはいたので、元のように仲良くはなれなかったけれど気持ちは届いたのかな…と思っています。

この頃本当に辛く、心配はかけたくなかったのですが両親に友人関係が辛いことを話しました。一回目は寄り添ってくれたのですが、二回目は「またその話かい」みたいなリアクションだったので、それ以降は今も人間関係で何かあっても両親に話すことは早々ありません。

大学の頃は一人暮らしをしていたのですが、家にいる時の方がずっと心が穏やかだったように思います。

社会人になってからは、同僚は毎回クセのある人で大変ではあったのですが、カバーし合いながらなんとか仕事をこなしていました。

幸い先輩や上司には恵まれ、普通に過ごしていても「助かるよ」「頑張ってるね」「さすが!」と褒めてもらえることが多く、福祉関連の仕事だったので肉体的にキツイところはありましたが、仕事関連で人間関係に不満を抱くことはありませんでした。

飲み会になるとやっぱりあぶれるので、すごく苦手ですが…。

仕事関連は「仕事」と割り切っているので大丈夫だったのですが、趣味の場の人間関係はやっぱりうまく行かず。現在進行形で孤独と「自分はやっぱり一人ぼっちになる運命なんだ」と日々悲しみを募らせていて、とても寂しくて辛いです。

好きなアーティスト繋がりで何人かと仲良くなり、定期的に遊んだり、相談事を打ち明け合ったり、旅行に行ったり…と関係性は良かったと思います。

ですが、1~2年経ったことにパタリとみんなにそっぽを向かれてしまったように連絡がなくなり。SNSでも自分には反応が来ないのが辛くて、SNSは退会しました。

そんな折で自身の結婚式があったのですが、みんなが出席してくれはしたものの義理で出席してくれたんだろうな、申し訳ないな…と思い「おめでとう」の言葉も本当に言っているようには聞こえませんでした。

今では一人を除いて疎遠なのですが、他の元仲が良かったみんなとライブで顔を合わせるかも…と思うと胸がギュッとして苦しいです。私以外のみんなはまだ繋がっているようなので尚のこと…。

そして去年、ふとしたきっかけで小説を書くことが新しく趣味として生活に加わりました。もとから本を読むことが好きだったので、「自分で書く」というのは隠れた憧れでもあったからです。

SNSや投稿サイトで小説をアップすること、SNSを介して新しい繋がりができたとことはある意味目から鱗で、新しい刺激や環境はとてもキラキラしたものでした。

ですが、新しい趣味の場では今まで体験して来なかった執着される、マウントを取られる、陰口を言われているよとリークを受ける、嘘をつかれる、約束を破られる…などと言った嫌なことがあり、また(プロになるつもりは全くないですが)自分の作品も自分も求められていないと痛感する日々が悲しくて、辛いと思ってもいました。

小説を書くことは好きだったので、「これではいけない」と一度SNS環境をリセットしてリスタートしたのですが、結局他者の粗や自分にレッテルを貼る証拠を探したりしている日々に戻っている気がしていて、やっぱり自分は変われないんだなと絶望に近い諦めが身体を重くしています。

自分の居場所を少しでも自分で作れるよう、小説の書き方を勉強しても『自分にはセンスがない…』『自分は何をしても凡人でキラキラできない、誰からも求められない街人Aなんだ…』と落ち込むことの方が多いことも影響しているかもしれません…。

リセットした後も繋がってくれた人がいて、その繋がりは大切にしたいのに自分から壊してしまいそうな気がして怖く、前よりも話し掛けることに躊躇している自分がいます。どちらにせよ、離れてしまうまで時間の問題なのかもしれませんが…。

少し話は逸れますが、主人と出逢う前までは彼氏がいたことはありませんでした。

好きな人はいて、自分から告白することもありましたが、実ることは一度もありませんでした。

何回か紹介みたいな形や出会いがありそうな場所に足を運んだりしたのですが、一度デートまで出来ても二度目がない女でした。恋をする度に自分を嫌いになり、否定というレッテルをどんどん貼り付けていました。とても悲しくて辛かったです。

みんな普通に彼氏ができるのに、なんで自分はできないんだろう。そんなに魅力がないんだろうか…とずっと思っていたのを救ってくれたのが主人でした。

いつも大きな愛をくれる主人には今もとても感謝していますし、出会って、結婚して良かったなと思っています。

私のことを「太陽みたい」「目がキラキラしててキレイ」と言ってくれた人は初めてで、主人は今でも同じ言葉をかけてくれます。本当に有難いなと思っています。

保育園に通う二人の息子たちも優しくて、良い子で。主人と同じようなセリフや「大好き」と言って私を肯定してくれる、こんな劣等感の塊で出来損ないみたいな自分から生まれたとは思えないくらい、温かくて大切な存在です。

ですが、主人は自分が厳しく育てられたということもあってか、余裕がないときは高圧的な言い方(○○しろ。やめろ。など)で長男に厳しく声をかけるのです…。

(主人も長男です。ご両親とは比較的良好ですが、『良好になるように努力している』という感じがします。主人も頑張り屋さんで、同時にビックリするくらい自己肯定感が高く、運が良い人です。ですが、メンタルの弱さみたいなところの根っこは、寄り添ってはくれますが理解はできないという風に思っている印象があります。)

真面目で優しい長男は「わかってる」「ごめんなさい」と言いながらとても苦しそうで。

自分の言い分を言おうとすれば旦那が正論を被せ、聞いたとしても否定する言葉でねじ伏せるため、長男は何も言えないのです…。

主人が長男をコントロールしようとしている様子を見ていると、私は長男に自分を重ねてしまい、自分を見ているようで苦しくなってしまいます。

長男は保育園の出来事も、いつも嫌だったことを話します。私たちに吐き出せているうちは良いのかな…と思ってはいるのですが、同じネガティブなことをループして話すため、自分のことで精一杯なときは向き合ってあげることが出来ない事もあり、後から後悔することが多々あります。

つい先日の話です。

長男の自己肯定感が明らかに下がっていました(嫌な事を探す癖がついている、出来ないと主人に怒られるため我慢・委縮している、「わかったよ」を何度も口にしている)。

主人は正論を返してくる、疲れていて余裕がないから私の話を聞いてくれないだろう…と思ったら、いつ切り出すべきかわからず、辛そうな長男を見守ることしか出来ませんでした。

ですが、もう長男が限界なのが表情でわかり、主人がトイレに行った時に「○○はもう頑張ってるのにね。何回もダメダメ言われて嫌だったよね。お父さんも疲れているだけだけど、嫌な気持ちになるよね。お母さんもわかっていたのに、助けてあげるのが遅くなってごめんね」と声を掛けました、すると長男はボロボロと大泣きをして「お父さん嫌だよ。○○頑張ってるのに…」と辛かった気持ちを吐き出して「お母さんありがとう」と泣きながら溢したのを聞いて、私の目も潤んでしまいました。

もっと早く声を掛ければ良かったと思ったのと同時に、少し救われた気がしたのです。

主人にはあとからトゲのある言い方にならないよう、最近否定ていな言葉が多いこと、毎日頑張ってくれていることに感謝と心配をしていることを伝えました。

主人は何も言わなかったのですが、伝えれば受け止めてくれる人なので長男の気持ちが少しでも伝わってくれたら…と思っています。

自分の話がとても長くなってしまいましたが、長男はすごく頑張り屋さんです。ですが、私と同じくらい不器用で真面目で、自己肯定感がありません。加えて優等生タイプなので、保育園でも頼られる立場ではあるのですが「お友達とうまくやれない…」といつも悲しそうに話しています。自分で乗り越えるしかないため、見守ることしか出来ないとわかっていてもとても辛いです…。

主人の長男への接し方や自分を見ているような自己肯定感の低さを見ていると、長男が自分が歩んだ辛かった人生をなぞる未来ばかりが見えてしまい心配で堪りません…。

自分の自己肯定感も少しでもあげようと、先日からアプリを通して「いいこと貯金」として「良いことを見える化」して「良いことを探す、目を向ける」クセをつけることにしてみました。長男、次男、そして主人も交えて。

自分のできる範囲で長男と次男の自己肯定感を守ってあげられたら…と思っていますが、この方法で子供たちの気持ちは守れるでしょうか?

そして、私の人生に影を落としている「一人ぼっちになってしまう人生」から抜け出すにはどうしたらいいでしょうか。

今は新しい人間関係を築くことが怖く、作れないと諦めてもいるためママ友はひとりもいません。

母親教室でも自分だけあぶれている、仲が良い人が出来ないとひどく落ち込み、帰ってから主人の前で泣いてしまったこともありました。

子育てサロンでも、勇気を出して仲良くしたいなと思った方に話しかけて連絡先を交換したのですが、特にやり取りをすることなく自然消滅ばかり。

数少ない友人も、独身か子供がいない子ばかりなので話題を選んでしまうこともあり、話しをしていても気を使ってしまう・相手も使っているだろうなと思ってしまい、自分から距離を置いている感じです。

過去に、仲が良くなると大好きだった友達の粗がたくさん見えるようになり、直接ぶつけることはなくてもイライラすることが増える…ということが何度かありまして。。

友達が欲しいはずなのに距離が近付くと、心の内側では攻撃的になってしまう自分がわからず…。そんな自分が顔を出してしまい、誰かを傷つけることがあったら…と思うと怖いです。

過去に傷つけてしまった方もいて、その時々に謝罪はして和解はしていますが、申し訳なく思っています。

あと、仲良くなりたいと言ってくれた方がいても、その方は自分と考えやスタンスが合わないことが多く…。友達が欲しいと思っているくせに、選んでいるみたいな自分にも自己嫌悪しては反省会を一人で開くこともありました。

ふとしたきっかけで、自分はママ友は欲しくないとわかったので、そこに執着することはなくなりました。

マンガやドラマ、SNSでは「友達が多い方が人生キラキラ!」というのを浴びて、そうじゃないといけないと思い込んでいた節があることに気付いたからです。

私は「おひとりさま」で何かすることは嫌いではなく、むしろ好きで。一人で映画に行ったり、カフェで本を読んだりすることが好きで、落ち着く時間でもあります。

ただ集団の中で「独り」になることに恐怖に近い思いや劣等感、胸がギュッとして冷たくなることを覚えるのです…。

今はコロナで元々好きだったひとり時間を楽しめないため、小説を書くという新しい趣味もSNSの中の目が余計に気になってしまうのかなと自己分析してはいます。

SNSでしか繋がっていない友人もいるため削除は難しいのですが、開く頻度を減らしたり、ログアウトして心を切り離すようにしている最中です。

ですが、根っこの部分の「ずっと一人ぼっち」をどうにかしなければ、自分の人生はそこに囚われたままで苦しい。だけどどうしたら良いのか、もうわからない。

そんな時に根本裕幸さんの御本を偶然見かけ、手に取ったことをきっかけに、藁にもすがる思いでこちらにご相談致しました。

今この文章を打ちながら、

思い切って打ち明けたけれど誰も手を差し伸べてくれなかったらどうしよう。

頑張っていないことを答え合わせすることになったらどうしよう。

あなたも人に酷いことをしているんだから、当然のことが帰って来ているだけと言われたらどうしよう。

…と、正直なところブルブルと心が震えています。(今まで勇気を出して頼っても、握り返してくれた人はいなかったように思うからかもしれません。)

それに私にダメな部分がたくさんあるから、何処でも何度でもあぶれ、みんな私から離れて行くのだと思うので…。

本当はもっと頑張るべきなのかもしれません。ですが、すみません。頼らせて下さい。毎日が辛くて、身体がずっと疲れていて。少し休みたいです。

お忙しいところに支離滅裂な文章を送ってしまい(しかも長文で…)申し訳ないです。

今できる範囲のことをしながら、ご返信をお待ちしております。

よろしくお願い致します。

テオさん

 

 

【いなこからの回答】

テオさん、このたびはココロノマルシェにご相談をお寄せくださりありがとうございます。

 

とても感受性豊かで、

その感情と結びついた記憶をありありと語れる、

非常に女性性の豊かな方と感じました。

 

具体的なできごとをたくさん書いてくださっていて、

すべてに個別に触れていくのは難しいので、

私が気になった点を中心にお答えさせていただきますね。

 

テオさんが求めておられることに対しては

少し間接的な回答になるかもしれませんが、

自分と向き合っていただくきっかけになれば幸いです。

 

 

さて、ご相談文の中で私が気になったのは、

テオさんは、どこでどうして自己肯定感が低くなったのか?

という点です。

 

テオさんが感じてきた感情、

今感じておられる感情を拝読していると、

たしかにテオさんが自覚されているように、

自己肯定感が低い状態なのかもしれないと思いました。

 

だけどテオさんは、どうしてそんなに自己肯定感が低くなったのだろう?

 

自己肯定感が低くなるきっかけは、

人生の初期段階である幼少期の家族関係にあることが多いです。

お父さんやお母さんに否定されることが多くて、

自己否定グセがついちゃったとか。

 

だけどテオさんの場合、

家族関係が悪く、否定されて愛を感じられずに育ったかというと、

そうではない。

むしろ、ご両親ともごきょうだいともずっと仲がよく、

家族関係には恵まれていると自分でも思っている。

 

ご両親の夫婦仲も、お友だちにほめられるほどいい。

 

テオさんが、ご両親に悩みを話してみたこともあるくらいだから、

きっと大切に愛されてきたし、

テオさんもそう感じておられるんじゃないかと思うんです。

 

一見すると、自己肯定感は高くなりそうなんですよね。

だけど、低い。

 

 

もちろん自己肯定感の下がるきっかけは親子関係だけではなく、

他人との比較が激しくなる思春期の経験、

受験、

失恋、

社会人になってからの経験などいろいろあります。

だけどテオさんの場合、いじめや大失恋などとても大きなトラブルあったから、ということもなさそう。

 

 

で、やっぱり私は、ご家族との関係が気になったんですよね。

 

 

さてここからは、私の直感に賭けてお話しします。

なのでダダ滑りだったらごめんなさい(笑)。

 

 

テオさんは、ご両親が大好きではないですか?

大好きだし、感謝しているし、誇りにさえ思っているのではないでしょうか?

 

テオさんは、ご両親に愛されて育ったし、

ご両親の夫婦仲も、周りからほめられるほど仲がよい。

 

そんなすてきなご両親が大好きで、誇りで、

テオさんは、

そんなご両親の自慢の娘でありたい

と思って生きてこられたところはないでしょうか。

 

たくさん愛を注いでもらったし、

それに報いたい。

期待に応えたい。

両親にも、私を誇ってほしいい。

 

そんな思いが、

何をするときも、いつも頭の片隅にあったのではないでしょうか。

 

 

もしも思いあたるところがあるとすれば、

テオさんは、ご両親を愛するあまりに、

親軸で生きてこられたのかもしれません。

 

親とはいえ、自分とは別の人間です。

すなわち、親軸とは、他人軸の一種です。

 

ずーっと、他人軸で生きてきたから、

自分が置き去りになっていて、

今の苦しさにつながっているのかもしれないと私は感じたのです。

 

 

原点が親軸という名の他人軸だから、

親(他人)をよろこばせようという行動動機が身についてしまっているんですね。

 

他人がよろこぶか。

他人がどう思うか。

それが行動の原点になっているから、

他人がうれしそうにしていないと、

自分の価値がないように感じられる。

 

自分が好きかどうか、

したいかどうかより、

他人に評価されるかどうかで、その価値が決まる。

 

 

だけどそうやって、他人を気にしているとき、

自分の「好き」や「嫌い」、

「したい」や「したくない」は置き去りです。

 

自分の気持ちは置き去りになっているんです。

 

 

で、この状態を、

「自分とのつながりが切れている」

というんですね。

 

自分が何を感じているかがわかっていない状態。

 

 

「あーたそれ、自分とのつながりが切れてるわよ〜(デヴィスカルノ味)」なんて

失礼しちゃいますよね。

 

私もさんざん言われてきましたがな。(大笑い)

私は、これを言われるのは嫌いだったんです。

 

日々あれこれと感じて考えて、

ちょっとでも生きやすくなりたいと自分とも向き合って必死で生きているのに、

「自分とのつながりが切れてる」なんて。

 

まるで私が何もわかってないみたいじゃないか!

「あなたは自分を偽ってます」って言われてるみたい!

失敬な!!!

と見下されているような気分になっていました。

 

でも、見下していませんよ(笑)。

 

自分のほんとの気持ちって、

案外自分でもよくわかっていなかったりするということなんです。

 

 

そして、テオさんがおっしゃっている一人ぼっち感、孤独感というのは、

この、自分とのつながりが切れているときに感じるものなんですね。

 

実は孤独感は、誰といるとか何があるとかは、本質的には関係がないんです。

そんなこと言われてもすぐには理解しがたいと思うのですが。

 

 

自分の気持ちが、自分にさえわかってもらえていないとしたら。

 

自分とつながっていません。

自分とさえつながっていないのだから、

その気持ちは誰にも気づかれず、

ぽつんと一人ぼっちです。

 

自分とのつながりが切れているから孤独感を感じるというのは、

そういうイメージです。

 

 

f:id:inainaco:20210225234319j:plain



 

ということで、テオさんには、

 

ご両親が大好き

 ↓

そんなご両親の自慢の娘でありたい

 ↓

自分の気持ちより、ご両親をよろこばせること優先

他人に評価されること優先

 ↓

自分の気持ちが置き去り

 ↓

自分とのつながりが切れてしまう

 ↓

なんだかいつも一人ぼっちな気がする

 

ということが起こっているのかもしれません。

 

 

「いやいや、気がするんじゃなくて、

実際に物理的にも一人ぼっちなのよ!」

と反論したくなるかもしれませんが、

心の状態が一人ぼっちだと、現実も、そういうように見えるんですね。

 

サスペンスドラマのミスリードみたいなものです。

いかにもあやしく演出すれば、犯人に見えてくるんです。

あとで真犯人がわかったときには、その冤罪具合に、「なーんだ」と笑えてくるものなんです。

 

 

では、もしそうだとしたら、どうしたらいいのか。

 

ご両親の自慢の「娘」から、

1人の独立した「大人の女性」になる。

 

これが1つのキーワードです。

 

 

ご両親のよろこびそうなことをうかがってよろこばせるというのは、

実は子どもの愛し方なんですね。

 

大人の愛し方は、自分が真に幸せになり、その姿を見せること。

 

 

テオさんも、愛するお子さんがいらっしゃるからわかるかもしれません。

 

お子さんが、

 

自分の気持ちより、お母さんであるテオさんがよろこびそう(だとお子さんが一方的に想像している)ないい子になることを優先して、テオさんをよろこばせるための人生を送るより、

 

たとえテオさんの予想外な生き方であったとしても、自分の気持ちに素直に、生き生きと自由に生きている方が、

 

親としても幸せなのではないでしょうか。

 

 

「あーたそれ、子どもの愛し方よ〜(デヴィスカルノ味)」なんて言われると、

「あー、私は子どもの愛し方をしてたのか……

なんか恥ずかしい。」

と思われるかもしれません。

 

私もさんざん言われてきましたがな。(大笑い)

「子どもの愛し方してる」とか言われると、なんかすごく幼稚と言われてるようで、嫌だったんです、私は。

 

でも、そんなにもご両親を愛してきたことを恥じることはありません(^^)

 

テオさんがご両親に愛されてきたこと、

テオさんがご両親を愛してきたことは確かなことで、

すばらしいことだし、とても恵まれていることです。

 

そんなテオさんだからこそ今、

ご主人やお子さんたちのすばらしさがわかり、感謝ができ、愛し愛されることができるのです。

 

 

だけど今は、

その愛を、もっともっと自分にも向けて、自分をもっともっと愛するといいよ。

もうそろそろ、1人の個として、真に自分を生き生き自由に生きるタイミングがきたよ、

ということなんです。

 

 

友人関係のこと、

これまでの恋愛のこと、

お仕事のこと、

ご主人のこと、

子育てのことなど、

いろいろと書いてくださっていますが、

それらすべて、1つの核心につながると思います。

 

お子さまのことは、

今が大事なときだし、

未来のある子どものことだし、

何よりものすごく愛する存在だから、

特に気になっておられるのかなと思うのですが、

まずは自分です。

まずは自分。これはすべての大原則なんです。

 

テオさんが、生き生きと自由に自分を生きるようになると、

テオさんの目に映る息子さんも、変わってきます。

 

テオさんが、自分を生きることが、最優先課題。

 

 

カウンセリングをとてもおすすめするな〜。

 

根幹は、自己肯定感の話。

 

そこから派生する枝葉となるお話については、

大きなトラブルはなさそうなのに、いつも1、2年でフェイドアウトする友人関係はなぜ?

どうやってどんなふうにそうなるの?

具体的にどんなことから自分がいると雰囲気が変わると感じたの?

逆に自分は、お友達といるとき、どんな顔してた?どんな雰囲気出してた?

など、こまごまと聞いてみたいことはあります。

 

そこから、テオさんの巧みな「ミスリード」がみつかりそうなんですよね。

 

あれこれ混沌としている心のうちを気兼ねなく思いっきり話してみると、

スルスルとすべてが1本の線につながって見えてくるように思います。

 

そこから、生き生きと自由に生きる、テオさんの真の人生が始まります。

今まで寝ぼけてたのかしらってくらい、目が開くと思いますよ。

覚醒です(笑)。

 

ということでカウンセリングがすごくおすすめですが、

まあそれも、テオさんが向き合いたいと思ったタイミングでいいです。

自然とそんなタイミングが来ますよ(^_-)

 

 

さて、ここまでいなこの直感という名の独断と偏見で突っ走ってきましたが、いかがでしたでしょうか?

 

もしかしたら、ちょっと何言ってるかわかんないです状態かもしれないけれど、

すごーく時間が経ってから、いろんなことがぴーんとつながることもあります。

 

心の層って、幾重にもなっていて、なかなかいきなりには深いところに触れないんです。

心ってほんとうにおもしろいんですよ。

 

なのでいつか今日のお話が、テオさんの心の深層にある愛に触れるといいな。

 

 

ずっと応援しています(^▽^)

ご相談ありがとうございました!

 

 

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「お金がない」のつづき③―大事なのは自分で選ぶこと ー

「お金がない」のつづき③―大事なのは自分で選ぶこと ー

 

 

夜は暖房したくなって、昼間の車中は冷房をつけて、、

暑いんだか寒いんだかわからない大阪です。

季節の変わり目ですね。

 

'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

体調を崩しやすい時期なので、みなさまお気をつけください。

 

 

ゆか姐さんが、昨日の私の記事を受けて、ブログを書いてくれていました。

ameblo.jp

 

 

お茶会って、ヘビーな話して大号泣する場じゃないよね??

優雅に楽しく朗らかに、お話する場だよね???

なのにゆか姐さんのお茶会に滑りこみ参加し、

ヘビーな自分語りをして大号泣して荒らしに荒らして帰っていった私ですが、

そんな話をしてもOKらしいです(笑)。

ameblo.jp

 

 

そう、そのときのお茶会の、もう1人の参加者さんというのは、

同門のカウンセラー仲間のあしべ はるかさんでした。

 

ゆか姐さんと私は同期で3期生、あしべさんは4期生で、私はその日初めてお話ししました。

 

なのに初対面でおーん泣き。(大笑い)

 

私はその日、お茶会終わりに用があったので、急いで退室したのですが、

その後、ゆか姐さんがあしべさんに、

「なんか、、『3期劇場』になってしまってごめんなさい。」

と、私の代わりに一応謝っておいてくれたそうです。(爆)

 

あしべさんはあしべさんで、初対面だし、どこまで踏み込んでいいか気を遣ってくださっていたみたいで、

「もっと自分を出していいよって言ってあげたかった」

と言ってくれていたそうです。

 

ほんと、楽しいお茶会にぶっこんでごめんなさい。笑

 

あしべさんも、すごく器が大きく、なんでも受け止めてくれる人です。

とにかくあなたに聞いてもらうだけでいい!という人が、カウンセリング来られてしゃべり倒してスッッキリして帰られるんだとか。

そんなあしべさんも、無料!カウンセリングモニター募集中です。

note.com

 

で、えっと、私のカウンセリングもぜひお願いいたします。笑

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さて、「お金がない」という、何ともみすぼらしいタイトルで連載を始めてしまいましたが(笑)、

今日はやっとお金の話になりそう。

つづきです。

 

 

で、そのお高めの薬代っていくらなのよ?

と気になっておられるでしょうか。

 

10万?

20万?

 

 

正解は、

2万5000円/月

くらいです。

 

それプラス毎月の受診料が、5,000円〜15,000円程度かな。

(検査の有無による)

 

だから最低計3万/月

ってとこです。

 

 

え、高額ってその程度??

と思われましたか?

 

それとも、えー、薬代にそんなに?

と思われましたでしょうか。

 

 

まあなんていうか、中途半端ですよね(^^;;

 

額だけで言えば、払えなくない額です。

 

だって、

洋服1、2着

近場旅行

マッサージ

などなどで、そのくらいすぐ飛んでいきますからね。

 

国から公費が出る高額医療にも引っかからない

ちゅーーーとはんぱな額なんです。

 

だからそのくらいは、捻出できるっちゃあできる。

 

 

じゃあ何でそんなにお金の不安が出るんだろうと考えたら、1つは、

「選べない」

からだと思います。

 

 

洋服や旅行のように、

好きで、るんるん気分で、買いたいときに、

自分が主体的に選んで買うのではなく、

 

有無を言わさず、毎月、半永久的に、

病気という暗い影を背負って、払い続けないといけない。

 

毎月3万のローンを背負わされたようなものです。

一生終わらないローン。

「今月はやめとこう」ができない。

生きてる限り……

 

 

選べない。

 

この、「選べない」というのが、

さまざまな苦悩のタネとなるんですよね。

 

同じことをするのでも、

「選べない」ってすごく不自由で、すごく怖い。

 

 

f:id:inainaco:20210924231107j:plain

 

 

そうそう、額だけでいえばね、

もう10年近く習っている絵の学校の月謝がちょうど、3万ちょっとだったんですよ。

 

でも私は、それをまったく惜しいと思わず、

当然私に必要なものとして払ってきました。

今はもう、すべてのクラスを卒業して研究生扱いになっているので、月謝は数年前から半額くらいになってます。

 

 

そこの初代校長先生の絵にひとめぼれして、

絶対ここで習いたい!!!

って即決しました。

 

見学に行ったとき、案内してくれた先生は、

入学するかはいったん帰ってゆっくり考えて……と言ったけれど、

私はもう、先生の絵を見たときから、

絶対入る!!!

って決めてました。

前のめりで入学手続きしたかったです(笑)。

 

そのとき3万ちょっとの月謝は、なんのネックにもならなかった。

自分が、

ほんとうに欲しい!

価値がある!

と肚の底から思えたときは、お金のことなんてひょいひょい超えていったりするものなんですよね。

 

ということは、額の問題ではないのかもしれない。

 

自分が選んでいるかどうかが大事なんですよね。

 

 

じゃあ、今回の件、病気の治療の件は、

選べない事象だから、どうしようもないし、結局単なる不運なできごとということか。

しかたないと諦めて、肚をくくって何とかやっていけということか。

とお思いでしょうか。

 

まあ肚をくくらないといけないのはそうかもしれないけど、

ただ「選べないからしかたない」と諦めるのとは、ちょっと違うんです。

 

選べばいいんです。

 

というか心理学的には実は、

どんなことも自分が選んているんですよね。

そんなふうには思えないことも多々あるけれど。

 

 

多少お金はかかるけど、その治療をすることで、自分が元気に暮らせることを選ぶ。

元気に暮らせる時間を選ぶ。

したいことをいつでもできるために、自分が主体的に、その治療を選ぶ。

 

 

「私がこれを選ぶんだ」

と、主体的に選び直せばいいんです。

 

 

「こんな病気になって、普通ならいらないお金を払わされて不運だなあーやだやだ。」

と、無理やりお金を払わされているという意識ではなく、

「これで、自由に動きまわれる体や時間を私は確保するんだ。」

と、自分が自分のために選ぶという意識を持つ。

 

これだけで、まったく心持ちは変わってきます。

 

 

そう、薬代は高いとはいえ、それはけっして悪ではないんですよね。

何もお金をぼったくられてむしり取られているわけではないんです(笑)。

たくさんの人が一生懸命研究して、作られたもの。

その恩恵にあずかれるって、よくよく考えるとすごくありがたいことです。

 

私も医療人の端くれですから、医療提供側の気持ちもよくわかります。

医療費は公費ですから税金ですから、自分たちで値段は決められません。

超高齢化で膨らむばかりの医療費ですから、国も年々医療費を抑えようという方向で、診療報酬は下がっていく一方です。

それでも医療の質を下げないように、医療機関は、法改定のたびにバタバタとして、何とかやりくりしています。

 

私が負担しているのはたったの3割。

7割は、国じゅうの人が払ってくれた税金から賄われています。

 

 

そんなふうに、いろんなことをよくよく考えたら、

「高い薬代払わされて最悪〜」

とも言えないんですよね。

ありがたいことがたくさんある。

でも……はやく1割負担になりた〜い!笑

 

 

ちょっと話がそれましたが、とにかく、

自分が、自分のために、選んでいる

という意識がすごく大事なんです。

 

 

これは病気のことに限らず、すべてに言えます。

 

たとえば、

イヤな仕事だけど、それを続けているのは自分。

そんなにイヤなのに、どうして続けるの?

―だって、イヤだけど、食べていけないから。

じゃあ、食べていけないよりは、今の仕事を続ける方がいいと思ってるんだよね、今の私は。

私が、それを選んでいるんだよね。

ということ。

 

そんなふうに言うと、厳しく聞こえるかもしれませんが、

「自分が選んでるんだからぐだぐだ言うな!」

と責めているわけではありません。

 

「無理矢理誰かにやらされている」、

「自分には選ぶことができない」と思うより、

「今の自分にとりあえずできる中で最善のものを、

自分が自分のために選んでいるんだ」

と思えるだけで、現状は何も変わっていないとしても、

苦悩はかなり減るんです。

 

 

それに、お金のために、体のための薬をケチるなんて、

よくよく考えたら本末転倒です。

 

それでは結局、今回私がすごく悔いた、

自分の体を大事にしなかった昔と同じことをしていることになります。

 

妹にこの件を話したとき、

「お金のことで治療諦めなや。

お金はうちも共働きやし、援助できるから。」

と言ってくれました。

まずそんなことにはならないと思うけど、

でも私も、妹が同じ状況なら、同じことを言うと思う。

 

自分以外の大切な人のためなら迷わず、

「お金よりあなたの体の方が大事!!!」

って言いきれるし、張り切ってお金を援助するのに、

なんで自分の体には、できるだけお金を使わないように無理させようとするんだろう。笑

 

ほんとうに大事な、かけがいのないものは何なの?

お金のために、自分の身体を犠牲にするなんて本末転倒中の転倒だよね?

 

そんな結論に至って、まだまだお金の不安はあるけれど、

とりあえずこの治療をやっていこうと肚をくくりました。

 

 

これが、お金の不安をあおられたきっかけの概要です。

これは2か月前の話なので、今は、結論から言うと、

すごく心が穏やかになっています。

結果的に、この件からの気づきがたくさんあり、

なぜかかえって地に足が着いてきたんです。

 

ほんとうに、トラブルは素晴らしいチャンスってB‘zも昔から言ってるけど、その通りだわ。

 

だから今、苦しい人も絶対大丈夫!

その苦しみは、もっと幸せになるためのきっかけです(^▽^)

 

 

この件で気づいたことが多すぎるのですが順次書いていきますね。

すぐに心が平穏になったわけではないです。

それはここ1、2週間のことです。

 

 

ちなみに、怒られた(笑)最初の受診の1週間後に、

詳しい血液検査の結果を聞きに行ったら、先生の態度が軟化していました。

血液検査の結果がよく、「予後の悪いタイプではないわ」と言っていました。

ほら、だから言ったじゃーん。←

 

関節リウマチって、「自己免疫疾患」と言って、

自分の免疫がまちがって自分の関節を攻撃する病気なんですが、

10年ほど前までに進んだ関節破壊はたしかにもう器質的に変化しているから戻らないけど、

内科的にはここ10年くらいずーっと落ち着いていて、

活動性はないんですよね。

だから、レントゲン上はたしかに関節破壊しきったところはあるけど、

新たな進行はほとんどないんです。

 

たぶん先生は、薬減らしたいと言ってきた私がごねると思ったから、

それはできないと牽制するために

わざと大げさに強く言ったのもあると思います。

だから、血液検査の結果がよかったのもあるけど、

こいつごねないなと安心したから、急激に優しくなったのだと思います(笑)。

「できることは何でもさせて」と、花粉症の薬も出してくれました。

よし、懐柔成功。(おい)

1つの病院でまとめて出してもらえると、別で耳鼻科に行く時間と費用が省けて助かるんだー。

 

 

お金のこととか体のこととかこんなに赤裸々に全世界に発信していいものかとちょっとびびっていますが、まだまだ気づいたことがたくさんあるのでまた書きますね!

 

 

 

 

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「お金がない」のつづき②―みんなが知ってる気持ち―

「お金がない」のつづき②―みんなが知ってる気持ち―

 

 

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

4月のカウンセリングのご予約受け付けを開始しました!

よろしくお願いいたします(^▽^)

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さて、さっそく昨日のお話のつづきをば。

 

 

新しい主治医の先生に、半分怒られ憐れまれ、薬を減らすなんてとんでもないと言われた私。

 

そのとき感じていたのはまさに、「分離」でした。

 

私は、私の周りにいる人たちと違って、健康でない。

私は、自分の体に、一生手放せない爆弾を抱えている。

私の体は私のものであり、誰ともシェアできない。

治療費のこと、お金のことなんて、誰にも頼れない。

みんなは悩むとしても、パートナーシップだとかライフワークとか、華やかなこと(笑)で悩んでいる。それに引きかえ私の悩みは、病気という、かわいくも美しくもない、暗くて重いものである。

病気のことなんて、いくら周りのカウンセラーに相談しても、答えに困るにちがいない。

何とも言いづらいにちがいない。

相談したところで、自分と他人のちがいを思い知らされて、かえって落ちこんでしまいそう。

 

私はひとりぼっち。

私は(悪い意味で)他の人とは違う。

 

周りの人と、世界と、つながりが切れた感覚。

まさに「分離」でした。

 

 

さみしくて、カウンセラー仲間のブログを見たりしていたんですね。

何かどうにかつながりを感じたかったのかもしれません。

 

そこで思い浮かんだのが、同期のゆか姐さんだったんです。

 

彼女は去年、だんなさんの大病を経験しています。

 

そんなゆか姐さんなら、

この病気の孤独感をわかってもらえるかもしれない。

 

そしてちょうど次の日に、

お茶会をするとブログに書いてあったんですね。

 

「居場所がないと感じているならいらっしゃい!」

という誘い文句がそのときの私にぴったりで、

急遽参加することにしました。

 

それでも、

自分自身のの病気とパートナーの病気とでは、

やっぱり病気との距離感が違うと思うけど……と、

まだ分離を感じていました。

 

 

お茶会当日。

もう1人参加者さんがいて、3人でのお話。

 

さみしくて、

誰かとシェアしたくて参加したものの、

楽しいお茶会で、

こんなに重く暗い話をするのがなかなかためらわれました。

 

一通り話すのも、エネルギーがいるし。

 

 

だけど、思いきって話してみたんですね。

 

昨日新しい病院で、関節がボロボロだと言われたこと。

治療薬が結構高額なこと。

自分がどんなおばあちゃんになるのか、

そもそもおばあちゃんになるまで生きられるのか、

お金のことなんて、養ってくれる人もいないし、実家が資産家でもないし、自分でどうにかするしかないこと、

こんな自分なのに、どうしてもっと若い頃に、支えてくれるパートナーをみつけておかなかったんだろう、

今はよくても、もっと身体が悪くなって働けなくなったらどうしよう、

痛かったときに、自分を大事にしなかったこと、

とんでもないことを自分にしてしまったと怖くなったこと、

医療費がこんなにかかるのに、医療費無料の前職場を辞めた自分の無鉄砲さ、……

 

 

思いついたままに話して、

なかなかに支離滅裂だったと思うけど、

時々涙が出そうになりながらも、

そんなようなことを話したんだと思います。

 

 

2人はずっと黙って聞いてくれていました。

 

で、私の話がひと段落したとき、

ゆか姐さんがこう言ったんですね。

 

 

「いなこに絶対これ言わせたろうと思って。

 

『私辛い』って言ってみ?

 

ずーっと、

『こうやけど、そんなん言っても仕方ない』とか

『やるしかない』とか言ってるばっかりで、

1回も『私辛い』って言ってない。

 

ちゃんと、

『私辛いねん。』

『私しんどいねん。』

って言ってみ?」

 

と、力強い口調で、だけど涙ぐみながら。

 

 

 

たしかに。

 

私はそのとき、

ものすごく孤独を感じ、

さみしくて、

不安で、

心細くて、

辛かったけど、

 

それでも、

 

そんなことを他の人にダラダラと言っているだけでは嫌がられる。

 

たしかに辛いけど、

辛い辛いだけ言っていても始まらないし、

過ぎたことを言っても仕方ないし、

何かしらやりようはあるのだから。

 

「そうは言っても何かしらやりようはあるでしょ!」

と他の人に言われてしまう前に、

先回りして自分で、

「まあ今さらそんなこと言っても仕方ないし」

「まあいざとなればこういう手段もあるから」というようなことばで、

自己完結していたんですね。

 

辛いよ、

しんどいよ、

助けて。

とは言えずに。

 

 

ゆか姐さんのことばで、

そのことに気づきました。

 

 

ああ。

どうするとかこうするとか考えずに、

まずはただ、

「辛い」

って言っていいのか。

 

 

ゆか姐さんは、私と同じ

生まれも育ちも大阪のねえちゃん(たぶん笑)で、

仲間内では大阪弁なんですが、

こういうお茶会やカウンセリングなどのビジネスシーンでは、

標準語を崩さないんですね。

きちんとした大人のビジネスウーマンといった風情なんです。

 

カウンセラーとしては、クールなイメージだったんです、私の中で。

 

この日ももちろん標準語で、上品につつがなく始まりました。

 

 

そんなゆか姐さんが、

お茶会で他の参加者さんがいるにも関わらず、素の大阪弁に戻って、

私のために、涙ぐみながら、わずかな怒りさえ感じながら

言ってくれている。

 

 

そのときゆか姐さんがどういう気持ちだったかはわかりませんが、

私のために心を砕いてくれていることは伝わり、

こんなにしてもらってもいいの?という戸惑いを感じながらも、

すごくうれしく、ありがたく思いました。

 

 

「私、辛いねん。

私、しんどい。」

 

そう言って、私は、「おーん」と泣きました。

 

もっと美しく可憐に、悲劇のヒロイン風に泣けたらよかったんだけど(笑)。

残念ながらおーん泣きでした(笑)。

なかなかにブサイクな顔で(笑)。

 

ほんとに、もう1人の参加者さんはドン引きしてたんじゃないかと、

今その光景を自分で思い出したらすっごく笑えます。(大笑い)

 

記憶があいまいだけど、

それでたぶん、少し安心したのだと思います。

 

 

f:id:inainaco:20210308195304j:plain

 

お茶会の後、LINEで、

「重くて暗い内容やし、

病気のことなんてみんなわからないし、

答えに困るから言えないと思ってた」と言う私に、

ゆか姐さんは、

 

「病気のことはたしかにわかれへんかもしれんけど、

『辛い』、『悲しい』、『さみしい』っていうのは

みんなが知ってる気持ちやで。」

 

と言ってくれました。

 

 

そうか。

 

みんな、抱えている事情は違う。

 

だけど、

辛いとか悲しいとかさみしいとか、

そんな気持ちは誰もが、

いつかどこかで味わったことのある気持ち。

 

その点では、みんな同じなのかもしれない。

つながっているのかもしれない。

 

そんなことを思いました。

 

 

フー!いいこと言うー!

そんなゆか姐さんの今月のお茶会。

ameblo.jp

 

 

 

お金がない話になかなかたどり着かないけど、つづきはまた次回!笑

 

 

 

 

 

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4月のカウンセリングご案内

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‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

 

4月のカウンセリングのご案内です。

 

新年度が始まりました。

生活に変化のある方もない方も、新年度という節目をきっかけにしてみて、

今年度を楽しむぞー!

今年はもっと「私を生きる」ぞー!

と意識的に過ごすと、同じ1年でも大きく違ってきます。

 

今年度の充実のために、

心を整理し、癒し、自分に誓いを立てるのに、

ぜひぜひいなこのカウンセリングをご利用ください(^▽^)

 

 

【日程】残2枠

4月22日(金) 20:00〜

4月29日(金) 20:00〜

4月30日(土) 10:00〜

 

 

 

【カウンセリングメニュー】オンライン

LINE公式ご登録で、初回20%オフ

 

 単発セッション 

  120分  28,000円 

    90分     23,000円 

   60分   18,000円 

 

  3回継続コース

  90× 3回  60,000  

 

 ≪6回継続コース≫

  90分×6回  110,000円

 

  ※30分延長   9,000円  

 

≪リピート割引≫

1度でもいなこのカウンセリングを受けてくださった方には、

感謝をこめて、お得意さま特典として、

全メニュー20%オフ

で提供させていただきます。

 

 

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ブログタイトルにこめた思い

 

「私の人生、’それなり’にはうまくいっているんだけど・・・このままで終わりたくない・・・!」

そんな思いを抱えていませんか?

 

 悪くない人生だと思うのに、どこか不完全燃焼感がある。 

過酷な過去や、大きなトラウマも特にないと思うのに、どこか生きづらい。

幸せ?と聞かれると、「まあ、それなりに」とニヒルな笑顔で答えるのが精一杯。

 

人生ってこんなもんなのかな。

大きな不自由のない毎日に満足できない私は、ぜいたくなのかな。

だけどこのまま、一生を終えるのはイヤ……!

 

そんな風な思いを抱えて、どこかモヤがかかったような毎日を過ごしていませんか?

というのも、私自身が、そんな思いを抱えていた1人です。

 

もちろん、そんな繰り返しのような毎日の中にも、

楽しく笑いころげるような日もあるし、

日々を大きな不自由なく過ごせるのはありがたいこととはわかっている。

今さら何か大きな挑戦をするのも怖い。

そうなんだけど、それでもこのままでは、

どこか自分の情熱を持て余しているような、

一度きりの人生を、このままで終えるのは、もったいないような焦燥感を抱えていました。

 

そして私は、アラフォーになった今、

社会に出る前に一度あきらめたカウンセラーの道へ

歩き出しました。

 

慣れ親しんだ職場や、管理職の立場を手放して、

この年で新しいことに挑戦するというのは、

怖がりで心配性で寂しがりの私には、

ものすごい勇気が必要で、

ものすごい葛藤も起こりました。

 

それでも、

1度きりの人生を、思いっきり生きたい。

情熱を注げるものがほしい。

自分という人間を、生ききりたい。

そんな思いを捨てきれず、

その思いを頼りに、

自分と向き合ってきました。

このブログでさらしていることすべてが、その私の道のりです。

 

その過程で、

私は、

「それなりに」うまくいかせるために、

自分を後回しにしてきたこと、

我慢や妥協を積み重ねていたこと、

他人軸だったこと、

だけど大切な人たちのためにがんばってきた自分の愛、

自分の中にあった魅力と情熱、

そして「それなり」の中にも心から感謝できることや幸せが、たくさんあったことにも気づきました。

今になれば、’それなり’どころかぜんぜんうまくいってなかったかもと思うところもあります(爆)

 

まだ道半ばではありますが、

人生を、

能動的に

積極的に

自分軸で

自分を大事に

生きられるようになってきた実感はあります。

人生に圧倒されそうな気持から、

「心配しすぎずとも、善きときに、善くなるだろう」

という自分の人生への信頼も、少しずつ育ってきています。

そういう自分の変化を感じるのが楽しい(^^)

 

と、ここまでくる私の道のりは、思っていた以上に泥臭くなってしまったのですが(笑)、

人一倍、迷いながら、怖がりながら、葛藤しながらやってきた分、

同じ思いをされている方に、少しはお力添えできるんじゃないかと自負しています。

カウンセラーとしては、いい経験をしているなあと(笑)。

 

とはいえ、私と出会ってくださる方には、私ほどには葛藤せずに済んでいただきたい。

もちろん、それもいい経験だったんですけどね。

 

そして

どこにも書いていない

誰も教えてくれない

自分の人生の生き方を、1人で探るのは、時に不安です。

 

だから、 

 同じような思いを抱えている方に、

思いっきり自分を生きて、

幸せ?と聞かれたとき、心から「幸せ!」と笑顔で言いきれるようになるお手伝いをしたい。

 

私は、1人の方が、思いっきり自分を生きることができたら、

世界も勝手によくなる。

みんながそれぞれ自分を生きられたら、

それぞれの持ち場で、

その人にしかできないことをして、

それぞれが輝き、

補い合い、

世の中も自然によくなるんじゃないかなあなんていう風にも思っています。

  

「それなりなのに……」

「このままで終わりたくない」

というところに心が揺さぶられた方は、

ぜひお話しにお越しくださいね(^▽^)

 

 

 

【カウンセリング内容】

「カウンセリングやセミナーを受けて、

そのときはすごくスッキリして、前向きになれたのに、

しばらくするとまた気分が落ちてしまった……」

そんな経験はありませんか?

私はあります(笑)。

カウンセリングでは、自分を生きにくくしている「心のとらえグセ」にアプローチしたりしますが、長年続けてきたクセは、なかなか簡単に変わりにくいものです。

その奥にある、痛みが強ければ強いほど。

 

ですので、カウンセリング後、日常生活に戻ってからも、クセを整え続けることが非常に大事です。

でもこれが、一筋縄ではいってくれないんですね(^^;;

 

「あれー、カウンセリングで話しているときは、もう大丈夫だと思ったのになー。

もう一度、あの感覚を思い出したい……」

 

そんなときに、再びフォローできたらいいなという思いから、

クライアントさまのお好きなタイミングに、

フォローメールをさせていただくようにしています。

 

流れとしては、

カウンセリングセッション後、1か月間の間に、

お好きなタイミングでクライアントさまから、いなこにメールを送っていただきます。

タイミングは、自由です。

「変化について聞いてほしい」

「なんだかまた気持ちが下がってきてしまった」

「カウンセリングのときに決意したことが揺らぎそう」

「新たな疑問が湧いてきた」

「出された宿題を実施した結果を聞いてほしい」など、

聞いてほしい、質問したいタイミングで、その内容をメールでお送りください。

メール受信後3日以内にお返事いたします。

1往復で終了となります。

 

私自身が継続カウンセリングを受けてみて、

何度も揺れる心のうちを、

継続的に、段階的に見つめ直せるのがとてもいいなと感じました。

自分の変化も感じられますし、

その変化について聞いてもらい、

自分の現在地の確認ができ、

具体的なアドバイスももらえます。

結果的に、たいへん効率よく、効果も高いと感じました。

 

ということで、継続カウンセリングは自信を持っておすすめできます!

ですが、

単発のカウンセリングでも、

継続カウンセリングのような効果やメリットをみっちり感じていただくことはできないか?

と考え、このような形にしました。

私自身が、カウンセリングに来てくださった方のその後のご様子を知りたいという気持ちも大いにあります。

 

「頭も心もまとまっていなくて、すぐにうまく話せないかもしれない」

「この悩みはすぐに解決できる気がしない」

という方も、ぜひお気軽にご利用ください(^^)

  

 

ご参考

時間は何分がいい?

初回は90分をおすすめいたします。

全体で90分あると、まず現状やお気持ちをゆったりお話ししていただけるかと思います。

 

60分は、より深いところに触れるには、少し短いかもしれません。

相性をみるためのお試しや、とりあえずざっくり聞いてほしい、一度受けたのだけど、あと少しフォローがほしいといった際などに、ご利用いただければと思います。

 

120分は、とにかくたくさん聞いてほしいことがあるけれど、とにかく1回で終わらせたいといったときなどにお使いください。

 

 

 単発コースと継続コースの違いは?

単発コース、継続コースとも、カウンセリングの流れは概ね同じです。

 

継続の場合、初回のみ申し込みフォームから希望日程にご予約いただきます。

初回セッション後、ご様子に応じて次回の日程を2人で相談して決めます。

「概ね月1回のセッションとフォローメール」×3回、

計3ヶ月のおつきあい

とイメージなさってください。

 

初めての方で、単発か継続コースをお迷いの方は、いなことの相性をみていただくために、まずは単発を受けてみていただくことをお勧めします。

単発で受けていただいた後、1か月以内の継続への変更の際は、継続コースの料金から単発セッションの料金を差し引いたものをお支払いしていただけるように対応いたします。

 

 

【お支払い方法】

銀行振込

申し込みフォームよりご予約いただいた後、ご入金の詳細メールをお送りいたします。

そのメールの後、5日以内にご入金いただき、ご予約確定となります。

5日以内にご入金が確認できない場合は、自動的にキャンセルとさせていただきます。

おそれいりますが、振込手数料はご負担くださいませ。

 

 

【キャンセルポリシー】

1週間前〜前日 50%

当日      100%

※継続コースの場合、第1回目のご予約日を当日とみなします。

 

無断でのキャンセル料は、100%とさせていただきます。

ご了承くださいませ。

  

 

 

【ご注意事項】

○精神科や心療内科にて治療中の方は、主治医の治療方針があり、また、カウンセリングにて症状が不安定になるおそれもありますので、原則ご遠慮くださいませ。

○妊娠中の方におかれましても、ご遠慮くださいませ。

○対象年齢は、原則20歳以上の方とさせていただきます。

18歳以上の方は、保護者方の同意書をいただけましたらお受けできます。ご相談ください。

○無断キャンセルされた場合は、今後のご予約をお断りさせていただくことがございます。ご了承くださいませ。 

 

 

【方法】

zoom(オンライン会議システム。パソコンやスマートフォンがあれば使用可能。)

Zoomにて、顔を出したくない方は、映像をオフにできます。初期設定はオフです。

ご入金確認し、ご予約完了後、詳細のご説明メールをお送りします。

 

 

【お申し込みの流れ】

1.募集記事の申し込みフォームから、必要事項にご記入いただき、送信。

2.自動返信メールが届きます。

3.仮予約のお知らせと、入金方法についてのメールが3日以内に届きます。

4.ご入金が確認でき次第、Zoomアドレスの入ったメールを、3日以内にお送りいたします。

そこでご予約完了となります。

当日を楽しみにお待ちくださいませ。

※いずれのメールについても、3日経っても届かない場合は、システム上のエラーと思われます。

お手数おかけして恐縮ですが、自動返信メールのアドレスまでご連絡くださいませ。

 

 

【これまでにいただいたご感想】

○自分の中で「なぜ私はそういう行動をとるのか?」の謎が解けたのが、か・な・り、衝撃でした・・・。

 

○初めてのカウンセリングで緊張していたんですが、いなこさんの柔らかい笑顔ですぐに緊張が解けました。今日初めてお話させて頂いた気がしなかったです。

ずっと前から知り合いの頼れるねえさん的な親しみを持って話をさせて頂きました♪

 

○いなこさんに気付いてもらい、そりゃ苦しいし今までよく頑張ってきたよく耐えてきたと言ってもらった瞬間…腑に落ち、雷に打たれたような衝撃を受け、分かってくれたと言葉で言い表せない気持ちになりました。 やっぱり自分のことってどうしても主観の域を出ず、思い込みが蓋をし、わからないもんだなぁと改めて思うと同時に、カウンセリングの醍醐味を感じました。

 

○欠点だと思っていたことが実は自分の基準が高いだけで欠点ではないと言われて、泣けてきました。どうやら泣くくらい気にしてて大事なことだったんだな〜と気付くことができました。

 

○ぐるぐると頭で考えて答えが出なかったこと(なぜ、人のことをずっと考えてしまうのか?)が分かり、心にずっとつかえていたものがとれて安心しました。

お話の後、教えていただいた自分を労る言葉をかけてみたら涙があふれました。

それだけ無理をして溜め込んでいたことにも気づきました。 また、ずっと自分にとても厳しくしてきたことに気づき、それが要因で自分らしく過ごせないことにがわかりました。

 

○私の「きっとうまくいかない」という思考回路について、いなこさんに「具体的にどうしてそう思うのか」を問われ続けたことによって、「あれ、実は何も起きてない」ということに気づき、「すべて妄想の世界で起きていること」といなこさんに言われて目が覚める感じがありました。

 

詳しいご感想はこちら

 

 

あなたと お話しできるのを、楽しみにしております(^▽^)

 

 

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「お金がない」のつづき①ーお金もなけりゃ健康もないー

 「お金がない」のつづき①ーお金もなけりゃ健康もないー

 

 

パソコンが帰ってきましたー!

 

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

 

はじめに、4月のカウンセリングのお知らせです。

 

日程は、

 4月22日(金) 20:00〜

 4月29日(金) 20:00〜

 4月30日(土) 10:00〜

の3枠です。

 

ご予約は明日20時から承ります。

よろしくお願いいたします(^▽^)

 

 

 

さて、調子が悪く入院していた私のパソコンちゃんですが、治って昨日、無事帰ってきましたー!

スイスイ打てるー、しあわせ〜(´▽`)

 

OSが壊れていたそうです。←それ以上はわからない人

修理をお願いしたお店が、口コミが100件くらいあるのに、評価の平均が4.5/5以上だったんですよ!

あまりの評価の良さに、サクラ?と一瞬でも疑いましたが、それにしては件数が多いし、ここだ!と直感し、お願いしました。

 

そしたらほんとに口コミ通り、親切にしていただいて、、、

いやあ、いいとこ見つけられてよかった。

ラッキーでした。

感謝感謝ありがとうございます!!!

 

 

 

これでブログも書きやすくなるぞということで、はりきって書いていこうと思うのですが、今日はやっと、書く書く言っていたお金がない 話の続き、というかなぜそう思うに至ったかの話をばいたします。

 

 

このことを中心に、最近、心の変化がすごくあって。

浮いたり沈んだりだったのですが、確実に進んでいます。

1週間単位でも気分が180°変わるくらいに。

 

意識が変わってきています。

 

 

いろいろなことが見えてきて、納得がいってきて、この数年の不安やモヤモヤが、ひと段落しそうな気配なんです。

 

 

ということで、長くなりそうですが、お金がないと不安炸裂した(笑)きっかけから、今日は書いていきますね。

 

 

 

―さかのぼること2ヶ月近く前―

 

私には持病があるんですね。

以前、書いたことがあるのですが、

あなた=「欠点」なのですか?その「欠点」が、あなたのすべてなのでしょうか? 

もう無理!限界!って思ったときには、とっくに限界超えてます。 

若年性関節リウマチ。

 

発症したのが、中学に入ってすぐなので、最初の診断名が「若年性」になっていますが、

今は普通の中年のリウマチですね。笑

 

で、その治療費についてなんです。

お金がないと不安になったきっかけは。

 

 

というのも、なかなかに高い薬を使っていて。

その薬を使い始めてもう10年くらいになるかもしれません。

 

でもそれを使い始めてから、すごくよくなったんですね。

病気であるということを意識しないくらいに、

痛みもなく、血液検査の数値もよく。

 

 

で、その薬代は高いんですけれども、これまでは、な、なんと!

無料だったんです。

 

というのも、私は病院に勤めていて、そこの福利厚生で、

自分の病院で受診する医療費は無料だったんですよね。

わーこれ文字にしたらあらためて動揺するわー。なんでそんなとこ辞めた?笑

 

 

だけど、そこを2年前に辞めました。

 

なので、その特典はなくなりました。

 

だからこれからはその高額な医療費を払っていかないといけないということなんです。

 

 

もちろん、その特典がなくなることはわかっていましたが、

だからといって、その特典に縛られて、

情熱のなくなってしまったこの仕事をここであと20年もし続けるのはどうなんだ?

そもそもそんな福利厚生がない人の方が多いんだから。

そのくらいのお金、何とかなるし何とかしてみせる!

……とイキりにイキって、辞めてしまったんですよね。

有限である人生の時間を、もっと本気で生きたい!とか、イキりにイキってイキり倒して。

 

 

ずっと診てくださっていた先生も、辞めることはもちろん、その件についても驚いていました。

「えー!この薬高いのに……」と。

 

で、多めに持たせてくださったんですよね、辞める前に。

ほんとにありがたい(T T)

 

 

でも、辞めることは前から頭のどこかで何となく考えていたし、

ずっと調子もいいから、もしかしたらこの薬を離脱できるんじゃないか、

完全離脱は無理でも、減らせるのでは?

と思って、こっそり使用頻度を勝手に下げていたんですよね。

 

そうして正しい頻度分をもらいながらも

こっそり頻度を減らした分、

ちょっとずつたまっていたのを、

辞めてからのこの2年間、チビチビ使っていたわけです。

どこの病院にもかからずに。

それでも調子は特に変わらなかったしね。

はい。不良患者です。よい子はぜったいまねしないでね。わるい子もぜったいまねしないでね。

 

 

だけどこの2月、ついにその薬も切れて、

やっぱりまったく病院にかからないというのは悪くなった時に怖いし、

新たな主治医を探さねばなということで、

近くのリウマチを標榜している病院に行ったんですね。

 

血液検査やらレントゲンやら、一通り検査をして。

 

で、診察で、簡単な経緯と、薬の名前言って、頻度を減らしたい旨を伝えたら、、、

 

 

 

とんでもない!

 

 

という反応だったんです。

 

 

関節もかなり変形が進んでるし、

今どきその若さでこんなになってるなんて……

僕らこんなん見たら涙出るわ。

いなこさん、ちゃんと生きたいんやったらちゃんとしよ。

ちゃんとした頻度で使わなあかんわ。

それが約束できないなら、うちでは診られない。

 

となかなかに重いトーンで半分怒られながら言われて。

 

▽その次の日書いたブログがこれです

心理学を、誰にも迷惑かけずに1人でスマートに生きていくための道具にしようとしていたみたい 

 

 

私の状態自体は前の日となんら変わっていないのだけれど、

先生のトーンで、

ああ、私の身体はボロボロなんだ。

他の健康な人とは違うんだ。

ということをあらためて突きつけられた気がしました。

 

そして、

私は何歳まで生きられるんだろう。

生きられたとして、どんな状態で生きるんだろう。

どうやって生活していくんだろう。

 

そんな、自分の近未来が、急激に心細く不安になりました。

 

 

まあ、関節の変形が進んでいるのは前からわかっていました。

特に手首がね。

っていうのは上記の、以前のブログに書いたのですが。

 

この先生は、使用頻度を減らしたからこんなことになったと思っているらしかったけど、

それはこの高い薬を始める前からのことなんです。

 

その薬自体は、私が診断された頃にはまだできていなかったんです。

 

前の先生も、それはわかっていて、変形済みの関節はもうどうしようもないけれど、

内科的にはこれ以上の進行を防げるということで、この高い薬を始めたんです。

 

今だったら、診断が出た早期にこの薬を開始したら、

ほとんど進行せずに、

関節の変形も起こらずにコントロールできるケースが多いと思います。

 

 

まあそれにしても、

新しい先生のトーンで、

この薬を始める直前の、本当に痛かった時期の自分の過ごし方を思い出して、

私は何てことをしてしまったんだろうと怖くなっていました。

 

一歩踏み出すだけで足首が痛い時期があり、

職場に迷惑かけられないし、

痛い病気なのだから、痛いと言ったところでどうしようもないのだから言っても仕方ないと、

痛いと言わず、

痛いのがバレないように、生活していたことなどを思い出していました。

 

自分に何てことをしてしまったのだろうと、

今さらになって後悔しました。

 

自分をあまりに大切にしなさすぎたことが、

怖くなりました。

 

一歩一歩が痛いから、

歩き方を見れば、あれ?とわかるくらいの状態でしたが、

それに気づかれるのが嫌で、

痛みをケアすることよりも、

できるだけ普通の歩き方に見えるよう歩くことに気を配って歩いていました。

気にするとこそこちゃうやん!って話です。

 

 

あ、痛いとまったく言わなかったわけでなく、職場の上司などに、痛いとは言っていました。

 

だけど、実際の痛みからしたらかなり控えめに言っていたし(痛いのは痛いけどまあ仕方ないくらいのニュアンスで)、

どうしてほしいとかはあまり積極的に言わなかったんですね。

 

職場のみんな医療人ですから、当然どんな病気かは知っています。

だから、関節に負荷をかけることはよくないとわかっているから上司も、

院内で車椅子を使ったらいいとか、

患者さんのところまで自分が迎えに行かなくても、他のスタッフが連れてくるようにしてあげるとか、

提案してくれていました。

 

今の私なら、

「ありがとうございます、じゃあおことばに甘えて、お願いしていいですか?」

と言えます。

 

 

だけどその頃の私は、言えなかったんですね。

 

身体を守ることより、

大ごとにしたくない、

迷惑をかけられない、

自分だけ楽するわけにはいかない、

身体が悪い人と思われるのが恥ずかしい、

普通に見られたい、

ということが、大事だったんです。

その頃の私には。

 

医療人なのに。

 

 

きっと、そんな空気を感じて、

上司たちも何かと気にはかけてくれていましたが、

車椅子の提案などはそれ以上強く言いませんでした。

'足のことには触れてくれるなオーラ'が出ていたんだと思います。

はい、たしかに出していました。笑

 

 

そんなこともあらためて思い出して、

私は、自分に何てことをしてしまったのだろう。

一時の見栄のために、

自分の身体に取り返しのつかないことをしてしまった。

あの時もっと自分を大事にしていれば、

この身体にこんな器質的で不可逆的な変化を起こすことはなかったのに。

大変なことをしてしまった。

私はなんて大バカなんだろう。

 

そう後悔し、怖く悲しくなっていました。

 

 

私は、他の人とは違う。

私の身体はボロボロ。。。

 

そんな怖さと後悔と不安悲しみで、

受診から帰ってきた後、

ひとりぼっち、

世界から切り離されたような感覚を感じていました。

 

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だいぶ話が逸れてお金がない話になかなかたどり着きそうにありませんが(笑)、長くなったのでつづきはまた!

 

 

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春らしくなりました。

 

 

 

 

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生きるほどに、人生は豊かになる

生きるほどに、人生は豊かになる


 

オペラ座の怪人を観てきました!


'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。


昨日は劇団四季オペラ座の怪人を観てきました。


もう5、6回目?くらいなので、さすがに新鮮味もないし、ちょっと飽きてきたかなあという気もしていたのですが、やっぱり会場に行くと、ワクワク感!


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オープニングの、オークションの場面がまた好きなんですよね。


掴みはOK!

掴まれまくりです!笑



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 開演前の撮影OKタイム。



流れやセリフは変わりませんが(たぶん)、

キャストの方は変わるので、やっぱりそれぞれ表現に個性が出るんですよね。


今回の怪人は、今まで見てきた人より、人間くさいというか、

悲しみを素直に出している気がしました。


怒りや偉大さ以上に、

「どうして自分はいつも愛されないんだ!

何故なんだ……!」

という悲しみが伝わってきて、ボートをすごく一生懸命漕いでる感じが、母性をくすぐる感じ(笑)。



やっぱりすばらしいなあ。

劇団四季は、ほんとにプロ集団!って思います。


いいものに触れると、すごく元気が出ます。


この世にこんなにすばらしいものがあるなんて。


演者さん始め、脚本も演出も、楽曲も、道具も、すべてがすばらしい。

全部がそれぞれ助け合って、1つのすばらしい作品を作っている。


そういうのがたまらなく好きです。




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どれが欠けてもこの作品はできないし。

目立つ主役の演者さんだけじゃなく、

すべてが必要で、すべてがそれぞれのプロだというのがよくわかるんです。


1つの作品を作るために、

それぞれがどれだけ真剣かが、語られなくても伝わる。


作品そのものはもちろんですが、

それを作っている人たちの生き様や背景に、励まされている、元気をもらっているというのもあるんですよね。


このミュージカルがすばらしいなあ、おもしろかったなあというのももちろんあるけど(大あり!)、

その背景にあるものも感じられるから、

より、よりすばらしく、ありがたく感じられる。


そして、そんな人や物たちが存在するこの世界っていいなあ、すごいなあ、こんな世界に生まれてこられたってラッキーだなあっていう気になる。


大げさだけど、ワンネス(すべては1つであるということ)を感じさせてくれる。



こういうのって、自分の経験が増えるほど、よくわかるようになってきます。


自分も社会で揉まれて、

酸いも甘いもいろいろな経験をすることで、

ものの価値がよりわかるようになってくるというか。


今目の前にある1つのものに、

どれだけの人の手がかかり、

思いが込められているか。


いろんな経験をすることで、

そんなことが、より滋味深く感じられるようになってきます。


昔読んだ本を読み直したら、

印象や感想が変わったという経験のある人は多いと思いますが、

それがまさにそういうことです。


そしてこれこそが、豊かさなのかもしれない。



酸いも甘いも、経験を積み重ねることで、

人生はどんどん豊かになる。


感じられる味わいが、増えていくから。


何かになるとか、できるとか、持っているとか、

そういうのだけが豊かさではなくて、

感じられる味わいが増えていくということが、

豊かさの正体なのかもしれない。


だったら、生きているだけで、

どんどん豊かになっていくことは請け合いです。

何をしていても、生きた経験は積み重なっていくから。



その後中華のお店で夕食して、ちょっとお酒飲んで、しあわせな1日でした。

ん?私はまぎれもなくしあわせなのかもしれない、、こんなささやかなしあわせで満足していいのだろうか、、、笑


豊かさって、しあわせってなんだろう。

そのこともまた、私の中で変わっていきそうです。

また書きますね!





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観劇後、夕食までの間に、デパートでかわいいお茶碗を見つけて買いました。お気に入りのお茶碗でご飯をしっかり食べたら、元気つきそうp(^▽^)q





 

 

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