'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

【ご相談】人が亡くなる悲しいニュースに感情移入できない私は、人として問題があるのでしょうか?

 【ご相談】人が亡くなる悲しいニュースに感情移入できない私は、人として問題があるのでしょうか?

 

 

真っ赤なバラの花束、30本はありそうなファビュラスな花束を持った男の人が交差点を渡っているのを見ました。

目の悪い私は、バラなのか何なのか、すれ違いざまに凝視しましたよ。

失礼。

まぎれもなく真っ赤なバラでした!

何何?

プロポーズしに行くの??

いやあ、いいもん見せてもらいました。

 

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

 

さて、他の人がすごく悲しんでいることを同じように悲しめない、あるいは人が喜んでいることを同じように喜べないといったことがあるでしょうか。

湧き出た感情に、いいも悪いも正解も不正解もありません。

その感情を抱いた自分を責める必要なんてまったくないのです。

 

 

てことで本日は、オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェにお寄せいただいたご相談にお答えしました!

 

 

 

【ご相談】人が亡くなる悲しいニュースに感情移入できない私は、人として問題があるのでしょうか?

こんばんは。

ブログで知った子どもの死を悲しめず 人として問題があるのではないかという疑問がわいています。

これは本当に人として問題があるだろう感情で かつ、病気や死を扱う非常にセンシティブな質問なので お気を悪くされるかもしれないことはここでおことわりしておきます。

 

こちらアラフォー独身子なし、中途半端な自武女です。

友人から先日、闘病の末に若くして亡くなった子どもを持つ親御さんのブログを紹介されたのですが 全く感情移入できませんでした。

友人は涙で読めない、胸が押し潰されそうと話していたのですが お気の毒、無念だったろうなとこそ思うものの それ以上の感情を持つことができなかったのです。

ましてや泣くなんて。胸が押し潰されそうになるなんて。

 

実は昔からそうなのです。 若くして無念の死を遂げた、というニュースに 不思議なくらい感情移入ができない。

 

一体なぜそう思うのかということについて考えてみました。

 

おそらく一番は、こんなにたくさんの方に惜しまれ悲しまれていること、親御さんからこんなに愛されていることへの嫉妬。

私は正直、自分が死んで悲しむ人の顔が全く浮かばないのです。

もし今私が死んでも、家族ですら悲しむことはないだろうと感じています。

 

小さい頃からいろいろなことを期待され押し付けられて できて当然、できなかったらボロカスに言われる環境で育ったために

生きているだけでありがたがられる、みんなが喜ぶという存在の人が羨ましくて仕方がありません。

生きることをこんなに願われて、どれだけ生まれながらの特権階級なんだよとすら思ってしまいます。

ただ若くして亡くなったというだけでこの子めちゃめちゃ幸せじゃん。

こんなに大事にされて、こんなに愛されて、たくさんの人にその死を悲しんでもらえて。

私は五体満足で生まれて、人並み以上にいろんなことを頑張って結果を出しても 全然誰にも喜んでもらえなかったのに。

(ちなみに小さい頃から具合が悪くなると、心配より先に迷惑がられる環境で育ちました。そのせいか今も非常に健康です笑)

 

最後ご家族に当てた手紙で、私が死んでも悲しまないで、というような文章があったのですが ああこの子、自分が死んだら誰かに悲しんでもらえるってわかってるんじゃん… 私が同じような境遇だったら、誰も悲しまないだろうしそんなこと書こうとすら思わないなんて考えてしまって。

 

つまるところ、私も自分が死んだら誰かに悲しんでもらいたいんですよね。

私がいなくなっていろいろ困る、じゃなくて、ただ私の不在を悲しんでほしい。

利害関係全くなしに。

 

その希望が昇華されていないから、 こういう場面で人として当然持つべき感情を持つことができないんだなと思いました。

 

以前だったらきっと、ヒステリックに自分が惨めで心乱れていたと思いますが

今回はそこまでではなく、なんだか淡々とこの事実を受け止めています。

 

だいぶ自分軸、自分を大事にする、という感情は育ってきたと思うのですが

それでも「誰かに悲しんでもらいたい」という欲求があること

そのせいで本来であれば悲しまなければいけない場面ですら悲しめないことに気づいて

愕然としております。

人としての感情を取り戻すために、私は何から手をつけていけばよいのでしょうか。

アドバイスいただけたらありがたいです。

まりあさん

 

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 【いなこからの回答】

まりあさん、はじめまして。

このたびは、ココロノマルシェにご相談くださりありがとうございます。

アラフォー独身子なし、中途半端な自武女のいなこがお答えさせていただきますね(^▽^)

同士よ。

 

 

>友人から先日、闘病の末に若くして亡くなった子どもを持つ親御さんのブログを紹介されたのですが 全く感情移入できませんでした。

とのことですが、感情移入できないというだけで、人としての感情がまりあさんにないとは、私はまったく思いません。

 

なぜそのようなお話に感情移入できないのかを、ご自分でよく分析されていますね。

 

>おそらく一番は、こんなにたくさんの方に惜しまれ悲しまれていること、親御さんからこんなに愛されていることへの嫉妬。

>ただ若くして亡くなったというだけでこの子めちゃめちゃ幸せじゃん。 こんなに大事にされて、こんなに愛されて、たくさんの人にその死を悲しんでもらえて。

というおことば。

 

まりあさんは、

「ただ生きながらえる」ことよりも、「生きていることを祝福される」ことを渇望していらっしゃる、

自分が生きていることを喜ばれることが、何よりの幸せだと感じておられるのだと思いました。

 

私はそれも、素敵な解釈だと感じました。

 

>私は五体満足で生まれて、人並み以上にいろんなことを頑張って結果を出しても 全然誰にも喜んでもらえなかった

という環境で育ったまりあさんだからこそ持てる、幸せの視点だと思います。

 

「若くして亡くなって、かわいそうな人生だった、残念な一生だった」

と嘆かれるより、

「たしかに人より少し短い人生だったけれど、こんなに愛されて幸せな一生だった。」と、そこに幸せをみいだしてもらえたら、

そのお子さんも、うれしいのではないかと思ったりもするのです。

 

そのお子さんの一生を、

「悲しい一生」ではなく、

「幸せな一生」と定義してもらえたら、

その子も救われる気がするんじゃないかなあと、私は思います。

 

まりあさんは、そこにある幸せをみいだしてあげられる。

そこにある愛に気づくことができる。

これは、まりあさんならではの視点だと思います。

 

 

もちろん、そのお子さんの死を嘆く人にも、愛があると思います。

大事な人が亡くなれば悲しいしさみしいし、身近な人のことでなくても、そのまりあさんのお友達のように、感情移入して悲しむ人もまた、とてもやさしい人だと思います。

 

 

要は、ある事象に対して、どんな感情を抱くかに、正解なんてないんですよね。

 

お友達は、その記事を読んで胸が押し潰されそうになった。

まりあさんは、早世したお子さんの記事に、お友達のように悲しめなかった、それどころか「うらやましい」と嫉妬を感じた。

それだけのことです。

どちらがいいとか悪いとかない。

▽これについては、よければこちらの記事もご覧ください。

感情は堂々と十二分に感じきる。湧き出た感情に、良いも悪いもないのだから。

 

 

そのお友達は、ただ、自分が心を揺さぶられたから、まりあさんとその感情を共有したくて、まりあさんにその記事をシェアしてくれたんだと思います。

 

そのお友達は、まりあさんがその自分と同じように悲しめないことを責めたりされていないと思いますが、

もしそこで、

「この記事を読んでも悲しまないなんて、人でなしかよ!」

なんて言う人がいたなら、

「そんなこと言われた人間がどんなに悲しくなるかわからないなんて、人でなしはテメーだよ!」

と私が言ってやりますよ!

って言うと、「そんなこと言われた人間が……」とまた言い返されます(笑)。

無限戦争。

暴言は天に唾を吐きかけるようなものなのでやめましょう(笑)。

 

 

お友達は、心揺さぶられたことを、他の誰でもないまりあさんと共有したいと思ったんです。

 

お友達がその記事を読んだとき、

まりあさんの顔を思い浮かべて、

まりあさんにシェアしようと思ったということは、

まりあさん、お友達の心の中に住んでいますよ。

 

お友達の心の中に、まりあさんの居場所はちゃんとあります(^^)

 

それもまた、お友達の、まりあさんへの愛です。

 

 

だから、

「この感情をまりあさんと共有したい」と思った、お友達のお気持ちだけはありがたく受け取っておいて、

その記事を読んで、まりあさんがどう思うかは、お友達に気兼ねすることはまったくないと思います。

ましてや自分を責める必要はまったくない。

 

 

もうひとつ付け加えると、

「お子さんが亡くなったという悲しいお話に、自分は悲しめていない、嫉妬すら感じる」

という、一般的には受け入れられがたいであろう感情を直視し、ごまかさず素直に認めておられるところも、まりあさんの強さと潔さとまっすぐさだと思います。

人って「自分はいい人」って思いたいものですからね。

 

 

とまあご相談文から、

その記事のお子さんに嫉妬を感じたとか、悲しめないご自分を責められているとか、

十分に人としての感情はお持ちであることがわかりますので、

>人としての感情を取り戻すために、私は何から手をつけていけばよいのでしょうか。

とご相談くださっていますが、

正確に言えば、

「人としての感情を取り戻す」というよりも

「本来であれば悲しまなければいけない場面ですら悲しめ」るようになりたい、というご相談かなと思いました。

 

そこで悩むなんて、やさしいですネ。

 

この点については先に述べたように、どんな事象でも、人と同じ感情を抱かなければいけないなんてことはまったくないと私は思うので、以上が私のお答えになります。

 

 

もう一歩奥に進んで、まりあさんがおっしゃっている、

>つまるところ、私も自分が死んだら誰かに悲しんでもらいたいんですよね。

私がいなくなっていろいろ困る、じゃなくて、ただ私の不在を悲しんでほしい。

利害関係全くなしに。

というところが、お悩みの核かなと思いました。

 

そうは思えない環境で育たれたんですよね。

そりゃ、愛されている子を見て嫉妬してしまうのも当然だと思います。

 

自分が、すごく欲しかったものなんですもの。

 

渇望していたんですもの。

 

 

>小さい頃からいろいろなことを期待され押し付けられて できて当然、できなかったらボロカスに言われる環境で育った

と書いていらっしゃるので、親御さんに相当厳しく育てられたのだとお察しします。

 

親御さん自身も、親から愛された実感が持てなかった、

何らかの理由により、心が不安定で余裕がなかった、

厳しく育てる方が、子どもが立派になって後々困らずに生きていけると思っていた、

など、親御さんにも何らかの理由があるのかもしれません。

 

ただ、何らかの理由があるとしても、子どもだったまりあさんにはきっと理不尽で、辛かったんですよね。

 

 

そのときの親御さんの事情がわかってきたら、

「私は愛されていなかったわけじゃなかったんだ」

「私は何も悪くなかった」

「私は生きていることを喜ばれる存在だったんだ」

と思えるようになるかもしれませんが、いきなりそんな、親御さんの事情を理解する必要はないと思います。

まりあさんは十分傷ついてきたんですから。

今は、親御さんを思いやらなくてもいいです。

 

まずは、

辛かったこと、

悲しかったこと、

あのとき何でこんなこと言ったの?

もっとこうしてほしかった!

人でなし!

また言っちゃったよ(笑)

という思いを、存分に吐き出してください。

これが俗に言う(笑)御恨み帳ですね。

 

 

もう出てこない、というところまでいってスッキリしたら、

そこから、

親御さんの事情に思いをはせてみたり、もしかしたら私は愛されていたんじゃないか?ということに目を向けていかれるといいと思います。

▽よければこちらの記事もどうぞ。

理不尽な扱いを受けたとき。そこに自分への悪意を探し出して、いちいち傷つかなくていい。

 

 

このプロセスは、1人ではしんどいかもしれないし、他のやりようもありますので、カウンセラーと一緒に、というのもおすすめです。

 

 

とにもかくにも、

感情にいいも悪いもない。

生じた感情に、罪悪感を持つ必要はまったくない。

自分が生きていることを喜ばれていると思えないのに、他の人がそう思われていたら嫉妬してしまうのは当然のこと。

人としての感情、ちゃんと備えられています!

だからこそ気づける愛もある。

総合すると、なーんにも自分を責める必要はない。

ということをお伝えしたくて、筆をとりました。

ならぬキーボードをたたきました。

 

 

ずっと応援しています(^▽^)

ありがとうございました!!!

 

 

 

 

追伸:つんくも、「僕がいなくなりゃ誰か泣くかな/寝る前たまにこんなバカな事とか考えたりした」って歌ってたのを思い出しました。(「いいわけ」♪シャ乱Q

m.youtube.com

アラフォーまりあさんならわかってくれるでしょうか(笑)。

誰だって、利害関係まったくなしに自分の不在を悲しんでほしいですよネ。

私だってそうです。

 

 

 

 

 

 

 

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